2017年8月15日火曜日

髪型も変えられないのに、人生が変わるわけない。

髪型を変えない人は、モテない。
何年も、ヘタしたら10年以上も同じ髪型をしてたら、それじゃあ恋愛も遠ざかる。
って、こう書くと「自分のこと言われてる!」って思われたりするんだけど、言っとくけど、髪型やファッションに興味ない人は、別ですからね。
見た目に気を使ってる人の場合です。

なんでずっと同じ髪型をしてるのか。
それは、決めつけてるから。 
自分にはこれしか似合わない、って。
あの髪型もこの髪型もカッコいいけど、やってみたいけど、自分には無理だ。
ああいうのは、イケメンじゃないと似合わない。
自分は顔が大きいから、鼻がまるいから、おでこがせまいから。
って、やってみる前から決めつけちゃって、消去法で残ったものに固執する。
それはたいてい、当たり障りがなくって、誰にも注目されないだろう髪型です。

そんな風にして、後ろ向きに選んだ髪型を続けるのって、よくない。
鏡を見るたびに、どうせ自分はこの程度、っていう思いが、心の底にたまっていくから。
まるで逆アファメーションみたいにして、気持ちもどんどん後ろ向きになっていく。
そうすると、なにかにチャレンジしよう、という気も失せていく。
未来を想像してワクワクする習慣がなくなってしまいます。

人を好きになる時って、ワクワク感があるじゃないですか。
一緒にいたら楽しそう、っていう期待が、距離を縮める。
そもそも、他人と過ごすなんて、面倒です。
ひとりで自由に自分のペースでいることが、いちばんラクチンに決まってる。
わざわざ恋愛なんて面倒なことするのは、この人といたら楽しいかも!ってワクワクする気持ちがあるからでしょう。
だから、ワクワクと縁のない人は、モテないんですよ。

恋人じゃなくって友達の場合だって同じことです。
こいつ面白そう、ってワクワクするところに、人は集まります。
いや俺なんて・・・とか言って後ろ向きでいたら、誰も寄ってこない。
少なくとも、新しい出会いは広がらない。
人は、去ります。
出会いがなければ、去っていくばっかりで、だんだん頼れる人数が減っていく。
そうして、孤独死ですよ。


たまたま髪型について書いたけど、そのほかのことでも一緒です。
考え方を変えない。
同じ店にしか行かない。
決まった道しか通らない。
「こだわり」って言う人もいるけど、それはちがうよ。
◯◯に決めてる、ってさ、そんなの、みじかい人生でたまたま出会った中でたまたまそれが良かったっていうだけじゃん。 
世の中のすみからすみまで試したわけじゃないのにさ。

こだわりって言って何かに固執するのって、逃避です。
新しい未知の出会いが怖くて、失敗するのが怖くて、逃げてる。
逃げて守りに入ってる奴なんて、誰も相手にしないよ。
そいつが自己防衛のために立てた心の壁を壊すことに、けっこうな労力が必要だから。
他人はそんな面倒なことしてくれない。
壁は自分で壊すこと。
どんどん新しいことをやっていくこと。
迷ったら、いつもと違う方、新しい方を選ぶこと。
そうして進んでる人は、どっちに向かっているかに関わらず、魅力的です。

髪型なんて、本当にちっぽけなこと。
思いっきり変な髪型にして、笑われてみたらいい。
失敗したことないから、失敗を恐れるんだから。
大失敗しても死なない、ってわかれば、楽になれる。
服や髪型や、小さなことを変えるだけで、いろんなことが変わると、僕は思います。

2017年8月7日月曜日

路上で円盤を演奏する男

銀座を歩いてたら、わき道に、変わった楽器を演奏する男がいました。
スチールパンにフタをしたような円盤みたいな形の、大きな銅色の鍋のような楽器。
ぽよんぽよんと、不思議な音です。
日本人にしては大柄で、放浪の旅の途中のようなヒゲ面が、いかにも楽器に似合ってる。
罪のなさそうな通行人が数人、足を止めているのを、通り過ぎました。

あの楽器はなんなのか。
誰もがそう思うでしょう。
僕だって、余裕があれば立ち止まってたかもしれない。
でもそれは物珍しさ。
音楽に気を引かれるのじゃない。
それが楽器じゃなくたって、演奏してなくたって、見慣れないものには気が奪われる、というだけのことです。

演奏がよくなかった、というんじゃありません。
もしかしたら、彼はあの楽器の名手で、世界トップレベルの演奏が行われているのかもしれない。
でも、それがいいのか悪いのか、ちゃんと聞かないとわからないわけだけど、なんといっても馴染みのない音楽だから、一聴して足を止めることはまず起こりにくい。
そもそも、世界一流の演奏家が路上で演奏してみたら誰も立ち止まらなかった、っていう実験も、何度も行われています。
よっぽどキャッチーな演奏じゃないと。
でもたぶん楽器の性質上、そういうのは向いてなさそうだし。

彼自身は、どう思ってるのか。
音楽をやってるけど、人が集まるのは、その内容よりも物珍しさ。
たぶん、素晴らしい演奏でした!ってよりも、それ何て楽器ですか?っていう声の方が多いでしょう。 
演奏を聴いてもらえない、っていうジレンマは、ないのかな。
楽器を見せびらかしたいなら、それでオッケーなんだろうけど。

そもそも、なんで路上で演奏してるのか。
それも暑い中、わざわざ銀座なんて遠いだろうに。
物珍しさから人が足を止めるということが分かってて、注目されたくてやってるのか。
おごってもらったり、ナンパ目的なのか。
それとも、あの楽器では一緒に演奏できる人や場所がなくて、仕方なく路上にいるのか。 
不特定多数の目にさらされることで、修行のつもりなのか。

1時間くらいしてまた通ったら、男はいませんでした。
あの楽器は、宇宙と交信する道具で、あそこがそういう地点で、そっちの世界に行ってしまったのかもしれない。
あるいは、暑さで蒸発してしまったのかもしれない。

2017年8月6日日曜日

ぼくの休暇

休暇を取ってみた。
といっても、自分でそう決めて過ごしてるだけですが。
三日間、何もしませんでした。
何もしない、っていうのは、楽器も吹かないし、予定も入れないってこと。
こんなに何もしないのは、どれ位ぶりだろうか。

それにしても、いざ休むとなると、どうして過ごせばいいのか、わからない。
休暇って、英語で言うとバケーション。
バケーションで連想するのは、旅行か。
ロング・バケーションでない数日の休暇なら、温泉旅行とかかな。
でも温泉にしろどこにしろ、旅行なんてしないし興味もない。
海外でも行けば違うのかもしれないけど、そんな金はない。
それで、映画を見て、本を読んで、散歩をしました。

映画もいいけれど、でもそれよりももっとバケーション感を味わえたのは、散歩と読書。
この2つはセットなんです。
本を持ってわざわざ電車で出かけて、好きな喫茶店に行って読む。
そして町を歩く。
そしてまた喫茶店へ入る。
それだけだけど、ちょっとした旅行よりもリフレッシュできる。

そういえば、海外でも、やることは同じです。
いわゆる観光名所とか行かずに、一日中町を歩いて、疲れたらよさそうな店に入って休む。 
ひたすらそればっかり。
海外の場合は、読むのは現地で手に入れた雑誌だったりするけれど、やってることは一緒です。
散歩してる。

話題の場所に行ってうわー!って思うこともないし、なんというか、場所や出来事についての情報に、あんまり興味がないのかもしれない。
今まで行った場所、たとえばニューオリンズでさえ、地図で指せないし。
飛行機で乗り換えがあっても、それがどこの空港か覚えてないし。
そんなこと知らなくたって、チケットに書いてあるゲートに向かえば、目的地に着ける。
覚えてるのは、景色や風景やそこでの体験だけで、その体験も、実際にどの町でのことだったか、あやふやだったりします。

旅行って、遠くにきた、非日常だ、というのが頭のどこかにあるからこそ、盛り上がるんじゃないのかな。
だって、知らない町、とかいうけど、自分の住んでる町だって、ちょっと裏路地を行けば、見たことない風景がある。
近くの、はじめての駅で降りてみればいい。
知らない景色に出会うのに、わざわざ遠くに出向く必要はないわけです。
だから、旅行へ行くとなれば、その場所について調べて、地図を見て、到着までの間にも気分を盛り上げて、特別な体験だ、って自分に思い込ませる。
きっと本当は、知らない土地に行く、っていうことが目的じゃなくって、それを口実に自分でイベントを企画するようなことなんじゃないか。
なんて思います。

そうすると、イベント性をとっぱらってみると、遠くに旅行するのも、隣町を散歩するのも、実は同じこと。
自分の好きな町や景色があって、そこを歩いて、でも興味があるのは景色ではなくってあくまでも自分です。
だから周りの景色に心が動かされることがあったとしても、それでも意識は自分自身に向いてる。
そうできる場所であれば、どこでもいいんです。

なんだか旅の本質を分かったような気になりました。
さて、休暇はおわり。
またはじめます。

2017年7月29日土曜日

オンダトロピカ『Baile Bucanero』!いいね!

Ondatropicaの2ndアルバム『Baile Bucanero』を聴きました。
いやーこれいいね!


1stもよかったけど、あれは「上出来なラテンアルバム」の範疇を超えていない。
ていうか、世の95%くらいのラテンものって、どこを切ってもラテンのボキャブラリーしかなくって、傑作!とか言われてるものでも、ラテン門外漢の僕にはそれぞれの細かい差異を比較検討して聴く楽しみはないので、どれもこれも「上出来なラテンアルバム」でしかなくって、他のポピュラー音楽と比較にもならない。
つまり、どれだけ演奏が素晴らしくても、ワクワクする刺激がないんですよ。
なんて言うと、ラテンのボキャブラリーなんて偉そうに言いやがってこの野郎なんにも分かってないくせに!って怒られるかもしれないけど、そもそも知識や経験がないと良さがわからない音楽って、それどうなのよ?って思います。
というわけで、ラテン音楽にはいつでも物足りなさを、感じるんです。
ちなみにこれは「ジャズ」にも言えることです。

このアルバムは、いいね!
何がちがうのか。
わからない。
わからないけど、例えばタジ・マハール「Music Fa Ya」やオル・ダラの1stを聴いたときみたいに心が踊ります。
ただの「ラテンアルバム」ではない。
聴き終えてすぐ、またはじめからリピートしたくらいです。

このオンダトロピカは、ニューヨークのマルチ・ミュージシャンWill Holland("Quantic")が、コロンビアのマリオ・ガレアーノ(Frente Cumbieroのリーダー)と組んではじめたユニット。
ウィル・ホランドはジャズやソウルやレゲエやいろんな音楽やってて、そのうち数年間コロンビアに住んで、今ではラテン音楽新潮流のキーパーソンとしての地位を確立しています。
でも、彼のこれまでの作品はどうも好みじゃなかった。
今っぽいクラブっぽい、スムーズで洗練された色付けが常にあって、そういうのに興味がない僕にはぜんぜんグッとこない。
DJ受けするとかいう事情もあるのかわかんないけど、ネオ・ソウルにも通じるようなオシャレ感が余計なんですよ。
好きで何度も聴いたのは、オーセンティックなサウンドのクンビア・アルバム『Los Miticos Del Mitro』だけです。

だから、みんなウィル・ホランド=クアンティックを絶賛するけど、僕はべつにそんな興味なかったし、このアルバムも、とりあえずチェックしとくかーってくらいで特に期待してませんでした。
聴いてみたら、良くってビックリ!
オシャレな味付けもなく、音の質感もいい。
相方がコロンビア人だし、現地のベテラン・ミュージシャンをたくさん起用してるのも、影響してるのかな。
前作みたいな、再現・保存・再解釈、というようなスタンスが今回は感じられないのが素晴らしい。
いいなーこんな人たちと、一緒にやってみたいなー。

これは、心ある二人のミュージシャンが作り上げた、新しい音楽。
ラテンどっぷりでは届かない、新鮮さがあります。
僕のような、欧米のポピュラーミュージック&黒人音楽を聞いてきた音楽ファンにもアピールするでしょう。
大推薦です!






2017年7月25日火曜日

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観ました。

心に傷を抱えた男の話。
設定やストーリーに特別なものはない。
いかにも「いい映画」になりそうなお話の、語り口が、素晴らしいんです。

なんといっても、役者がみんないい。
リアリティのある演技。
そういう、演出なんでしょう。
主演のケイシー・アフレックが、いい。
ベン・アフレックの弟だそうですが、あまり知られていなくて、この映画でアカデミー賞を取って一躍注目されたそうです。
はじめて見て、大好きになりました。
こんな繊細でいい役者が、まだまだたくさんいるんですよね、きっと欧米には。
こないだ書いた『モナリザ』のボブ・ホスキンスくらいに、忘れられない演技です。

演出も地味だけどすごい。
驚いたのが、カット割り。
たとえば、町や空や、色んな風景をつないでいくシーンて、あるじゃないですか。
そのつなぎ方が、すごい。
いままでカット割りですごいな、って思った映画はたとえばベルトリッチの『シャンドライの恋』だけど、あれは誰が見てもすごいって思うものだけど、この映画はそうじゃない。
一見、普通なんだけど、こんなに何気ないようでいてこんなに心に訴えてくるカットのつなぎ方は、初めてです。
ここまで全てのカットが情感を持っている映画って、ちょっと思いつきません。
って、これ、文章で書いても何も伝わらないですよね。
書きたくて。


はっきり言って、何も起こらない映画です。
だから、ストーリーを説明しても意味がない。
説明したいとも思わない。
僕の心に触れたのは、登場人物の描かれ方や、ケイシー・アフレックの演技です。
でもそれって、説明なんてできない。
傷ついたり傷つけたり誰かを思って悩んだことのある人なら、あるいはそういう人が身近にいたなら、この映画が好きになるでしょう。
あまり悩まず考えない、他人に興味のないタイプの人にとっては、面白くないかもしれません。
主人公をはじめとした登場人物に会い、彼らを知り、深い感情に触れる映画です。


僕はこういう、人物が描かれてる作品が、きっと好きなんですよ。
ドキドキハラハラとか、泣ける笑えるとか、そういうストレス発散みたいなことは、映画にひとつも求めてない。
ていうか、そもそもストレス発散や気分転換をしたいと思うことがないし。
感情に触れること。
それは実際に誰かと会って話すことにも似てるんだけど、映画はもっと普遍的な体験です。
だから心に残って、ある時ふと、ある映画のある場面を思い出す。
この映画のケイシー・アフレックのことも、これから何度も思い出すでしょう。
そして、またこの映画を観るでしょう。
そのくらい、大好きな作品です。
スクリーンで観れてよかった。

2017年7月17日月曜日

N.O.生活26 - ニューオリンズ・ジャズ in トロント

大学最後の冬休み、友達を訪ねて、カナダに行きました。

トロント在住のトランペット奏者、パトリック。

若いベーシスト、タイラー。

同じく若い、トロンボーン奏者のリンジー。
 
出会いは、ニューオリンズで春に開かれるフレンチクォーター・フェスティバルでした。
有名なジャズ&ヘイテイジ・フェスティバルと違って無料で、しかも、町の中心部で、広場や通りにステージを組んで、出演はほぼ地元のミュージシャンのみ。
世界中からニューオリンズ音楽ファンが集まって、ミュージシャン同士の交流も盛んです。

彼らは、伝統的なニューオリンズ・ジャズに魅了され、毎年カナダからやって来ているといいます。
渡米後、誰ともニューオリンズ・ジャズへの想いを共有できずにいた僕はうれしくて、宿を訪ね、音楽を聞き、語り、音を出して、フェスティバル期間中ずっと一緒に過ごしました。
そして、カナダに遊びに行く約束をして別れたんです。


トロントでは、パトリックの家に泊まりました。
パトリックは「Happy Pals」というニューオリンズ・ジャズのバンドを率いています。
Grossman's Tavernという、日本でいえば広めのカフェ・レストランのような店で毎週末、なんと40年以上もライブを続けているんです。


そして、そこでライブを見たタイラーやリンジーのような若者たちが演奏に加わっていき、小さいけれど強固なニューオリンズジャズのコミュニティが出来上がっています。

おどろきました。
日本でも、そしてニューオリンズでも、若いミュージシャンは古い泥臭いスタイルに興味がありません。
みんなもっと「ジャズ」寄りの、ソロやアドリブを重視した、洗練された音楽をやりたがる。
それが、ここトロントでは、パンク・バンドに魅了されるような感覚で、若者がニューオリンズ・ジャズのバンドに熱狂している。
そもそも、パトリックの世代のメンバーも、ニューオリンズに行ったときにKid Thomasの演奏に衝撃を受け、バンドをはじめたそうです。
そして、それを見た若者がまた衝撃を受けて楽器を手にする。
そんな幸福な連鎖が起こっているなんて、奇跡のようです。


Happy Palsは、まさに往年のプリザベーション・ホール・ジャズ・バンドのような、ゴツゴツした手触りのバンドです。
僕は一度体験しただけですが、週末のライブはいつも盛り上がるといいます。
それも、お客のほとんどは、マニアックな音楽ファンなどではなく、町の普通の人々。
老若男女がつどって、酒を飲みながら音楽を楽しみながらダンスをしながら、毎週末を過ごしているんです。

ニューオリンズ・ジャズは、人々のための音楽、躍らせるための音楽だ、と言いますが、それは昔のこと。
今ではニューオリンズジャズも洗練され、鑑賞にも適した音楽になっています。
もちろん、いまの若手が好む新しいスタイルのジャズでも、踊ろうと思えば踊れます。
が、踊る気で集まったのではない、そこに居合わせた人々までが自然と体を揺らすような強烈な吸引力は、もはやありません。
古いスタイルのニューオリンズ・ジャズには、それがある。
だって、鑑賞するためではない、ビートの音楽だから。
以前、マイケル・ホワイトが海外のジャズ・フェスティバルに出た時の話が印象的でした。
バンドのベーシストがいわゆる「ジャズ」のリズム感で演奏していたのを、マイケルが古いスタイルのリズム感を示して、音数を減らしダウンビートだけ弾くように直させたとたんに、それまでじっと聴いていた観衆が踊りだした、と言うんです。
たぶんそういうことが、Happy Palsのライブでは起こっている。
ニューオリンズ・ジャズのビートの力を目の当たりにして、感動しました。


滞在中、Happy Palsのライブ以外にも、ダンスの集まりや小さなパーティでパトリックと演奏しました。
彼のトランペットのスタイルは、まったくブレない。
いわゆる営業仕事のような場面でも、キッド・トーマス直系のシンプルでラフな吹き方で通します。
そして、お客もみんなそれを歓迎するんですよ。
だってキャッチーだし、盛り上がる。
欧米のお客って、「ジャズ」「ボサノバ」みたいなステレオタイプを期待することがなくって、いいと思えば素直に反応しますからね。
この音楽は、けっして日本で思われてるような地味でマニアックな老人向けのものではないことを、実感しました。
先入観なく耳を向けるなら、モダンジャズよりもはるかに多くの人に受け入れられるはずです。


パトリックはそのことに自覚的です。
ニューオリンズのスタイルを、もっとポピュラーにしていきたい、と熱く語ります。
トラディショナル・ナンバーだけではなく、トム・ウェイツやジョニー・キャッシュの曲もレパートリーに加えています。
昔だってキッド・トーマスは、エルヴィスやファッツ・ドミノの曲をやってたわけですからね。 
ライブは、お客を楽しませることをよく考えていて、マニアックな音楽にありがちな発表会のような雰囲気とは対極です。
誰もが気軽に音楽を楽しめる、ハッピーな空気にあふれています。
こんなにニューオリンズジャズが日常に浸透してる町は、世界中でも他にないでしょう。


しかし、とにかく寒かった!
なんたって真冬でしたからね。
気温はもちろんマイナスで、常に吹雪いている。
だからなのか、町中に地下道が整備されていて、外に出なくても移動できるようになってるんですよ。
僕は町並みを見たくてがんばって地上を歩きましたが、30分もすると凍えてしまう。
暖を取ろうと店に入っても、あんまり暖かくないんですよね。
みんな店内でもコート着たままだし。
そういえば、パトリックの家も寒かった。
きっと寒さに慣れてるんでしょうね。

若いタイラーとリンジーとは気が合い、町を飲み歩きました。
タイラーはもともとロカビリーをやっていたので、そっち方面の友達も多く、面白かったです。日本のラスティックをやってるような若者に近い感じがしました。
ふたりとも視野が広く、音楽にも人間にもオープンで、ニューオリンズ・ジャズへの情熱にあふれている。
とても刺激になりました。
一緒に録音をしよう、という予定もあったのが、スタジオの段取りがつかず実現しなかったのが残念です。


トロントに住みたいと思うくらい、町のニューオリンズ・ジャズ・シーンは最高です。
この音楽の素晴らしさを、あらためて思い知った旅でした。



カナダのテレビ曲が制作したHappy PalsのドキュメンタリーがYoutubeにアップされています。

番組の中で、メンバー全員が口をそろえて言うのが、若い頃にHappy Palsのライブ、あるいは50〜60年代以前のニューオリンズ・ジャズの録音を聞いて衝撃を受けて人生が変わった、ということです。
中でも31:10からのパトリックのシーンは感動的です。
友達が「(トランペットプレイヤーなら)キッド・トーマスを聴かなきゃダメだ」って言うから、レコードを手に入れて聴いてみたんだ。でも、ピンと来ないどころか、なんて変なプレイだ、って思ったね。そう、とにかく変だったんだよ。これを好きなヤツもいるんだろうけど、俺には受け入れられなかった。
で、それから何年かしてニューオリンズに行ったんだ。プリザベーション・ホールの床に座ったら、目の前にキッド・トーマスがいた。 〜 彼が "Moonlight Bay" を吹きはじめた瞬間、人生が変わったんだ。 〜 何をやりたいのか解った。俺はこの音楽を演奏するんだ、って。
 続く32:04からの "Moonlight Bay" の演奏が素晴らしい!そこだけでも見てみてください!

これってたとえば、ジャニスを聞いて歌を、ジミヘンを聞いてギターをはじめた、というようなことですよ。
ニューオリンズ・ジャズには、それだけの魅力があります。
だからこそ、音楽に詳しくなくても、ただ楽しくて、毎週みんな集まってくるんですよね。
素晴らしいドキュメンタリーなので、英語が少しでもできてニューオリンズ・ジャズに興味があるなら、ぜひオススメします。



2017年7月14日金曜日

ボブ・ホスキンスに会いたくて『モナリザ』を観る

どんな映画が好きか聞かれると、ミニシアター系、フランス・ヨーロッパ映画、なんて答えます。
好きなジャンルっていうと困る。
ギャングものは好きだけど、もそもそも数も多くないし。
アクションやホラーは見ないかな。
まあ、あまり内容で選ぶことはしません。

それでもひとつだけ、とっても弱いジャンルというかお話があります。
それは、男の哀愁もの。
イメージでいうと、クリント・イーストウッドかなー。
でもちょっと男っぽすぎる。
ショーン・ペンの方がいいな。
あと若い頃のキース・キャラダイン。
不器用で孤独な男の、報われない恋の話なんかが、たまりません。
一歩間違えばストーカー、秘めた純愛なのか妄想なのか、みたいな。

典型的な作品は、パトリス・ルコントの『仕立て屋の恋』。
モテない孤独な中年男がミステリアスな美女に惚れてだまされて、それでも愛だと信じて自分を犠牲にする話。
こうやって要約しちゃうと、すごく安っぽく聞こえちゃうな。
でもとにかくそういうのに弱いんです。
ルコントでは、『タンデム』も男の哀愁がプンプンして、いいですね。
作品としては『タンゴ』がいちばん好きだけど。


そんな男の哀愁映画の中でもお気に入りの一本が、『モナリザ』です。
『クライング・ゲーム』『インタビュー・ウィズ・バンパイヤ』で有名なニール・ジョーダン監督が、ハリウッドに進出する前に撮った佳作。
この頃の作品は、地味でいい。

冴えない中年チンピラの報われない恋の話。
7年のムショ暮らしで時代の流れから取り残され、なんとかボスにあてがわれたのは、高級黒人娼婦シモーヌの運転手。
イヤイヤ送り迎えにするうちに惹かれていくけれど、彼女には過去があり、見てる世界が違っていた。
「出会ったときから、彼女はワナにかかっていた。惚れていた男は気づかなかった。そこにはたしかに愛があった。しかし、彼女が愛していたのは、彼ではなかった。」
そんな話。

とにかく!
主演のボブ・ホスキンスが素晴らしい!
ハゲ頭にチビでずんぐりとした体型が、もう哀愁を誘います。
単細胞キャラ。
よく言えばピュア、悪く言えばバカ。
こんなに純粋で不器用な姿を見せられたら、涙せずにはいられない。
画面の外に去って行くシモーヌを見つめるときの、視線。
嫌っていた相手にしだいに惹かれていく心理を、余計な説明なしに、表情や仕草だけで見せてくれる。
過剰な部分の一切ない、名演。
彼を見るだけでも、この映画は価値がある。
好きな演技ベスト3に入ります。
ちなみにあとの2つは、『蜘蛛女のキス』のウイリアム・ハートと、『レイジング・ブル』のデ・ニーロです。
  
でもまたね、他の役者もみんないいんですよ。
ミステリアスな娼婦役のキャシー・タイソンがハマってる。
この作品でデビューしてかなり話題をさらったそうですが、その後はテレビでの活躍が多く、観る機会がなく残念です。
そして、ボブ・ホスキンスの子分というか親友役の、ロビー・コルトレーン。
イギリス労働者階級の素朴さ。
ふたりの関係が、これまた素敵です。
落ちぶれた兄貴分を、あたたかく受け入れる。
彼がボブ・ホスキンスに言う「あんたは俺のヒーローだったのに」っていうセリフに、グッときます。

そして、組織のボスを演じるマイケル・ケインが相変わらずいい仕事をしている。
そもそも僕は、マイケル・ケインのファンだからこの映画を観たんですよね。
今でこそ演技派としてメジャー映画にも出てるけど、僕が『ハンナとその姉妹』で彼を知った20年くらい前は、日本ではまだ知名度が低く、見れる作品があまりなかった。
『殺しのドレス』『デス・トラップ』『アルフィー』『ペテン師とサギ師』くらいでしょうか。
この映画でも、出番は少ないけど、さすがの演技です。

悲劇的なクライマックスのあと、終わり方があっさりしているのも、いい。
それが、エンドロールに流れるナット・キング・コールの「モナリザ」を引き立てます。
"モナリザよ、その微笑みは誘惑なのか、それともたくさんの夢に破れ傷ついた心を隠してるのか。"
という歌詞が、映画をしめくくる。
歌から作られた映画なんじゃないか、ってくらいに合ってる。
もう、どこかでこの曲を耳にするたびに、ボブ・ホスキンスの姿を思い出してせつなくなります。


人物を見せる映画が好きなんです。
凝ったストーリーなんて、一度見ればそれでおしまい。
でも、人間はそうじゃない。
何回でも、その人に会いたい、っていう気持ちにさせてくれるんです。
これからも、ボブ・ホスキンスに会いたくなって、この映画を見ることでしょう。

ちなみにこの映画、元ビートルズのジョージ・ハリソン主催の「ハンドメイド・フィルム」製作です。
それもなんとなく嬉しいです。