2017年9月17日日曜日

なんで俺の好きな店はなくなるのか

ペーソス北海道ツアー、札幌からスタート。
初日は、札幌第一ホテル。

2日目は、Catchball Radio SAPPORO。
両日とも、大変に盛り上がりました。
ペーソスは、お客さんがいい。
年配の方、ご高齢の方。
得体の知れない曲者オーラたっぷりの御仁。
すばらしい。
打ち上げも含めて、楽しい二日間でした。

しかし、悲しいニュースが。
なんと、札幌の名店Dixie Roux が閉店しまったという!
2年前にコロリダスで訪れて、あまりにもニューオリンズすぎてお店の人もクレイジーでぶっ飛ばされた、忘れられないお店。
その時のブログを読むと、興奮が思い出されます(『札幌のニューオリンズ』)。

なんてこった。
宿泊先から近かったので、昼間に行ってみたら、おいおいあの美しい建物が見る影もないじゃん!
食パン専門店だって。
気にくわねーな。
美味いのかもしれないけど、なんだよこのFuckin'な外観は!
情緒のカケラもない。
金賞?
知るかボケ!

こういう、文字情報をバーンと出してる店、嫌いなんです。
金賞とるのは、すごいことかもしれないけどさ、それを自慢してそれをエサに人集めするなんて、下品だよ。
お前にはプライドや美意識がないのか。
昼過ぎなのに完売だと?
もっとたくさん作れよ!
希少価値つけて売ろうとすんじゃねーよ!

って、べつにこの店に難癖つけたいわけじゃないんです、すみません。
でも、前の建物とのギャップがすごすぎて。
あんなに雰囲気たっぷりだったのを、どうしたらこんなに無味乾燥どころか下卑た下心丸出しのものに変えてしまえるのか。
ああ悲しい。

音楽も食事も、大事なのは数字じゃない。
誰かの心に響いて残るかどうかです。
心に残るって、音楽の出来不出来なんていう単純なことじゃない。
いくら出来のいい音楽でも、ステージでの態度や雰囲気のせいでネガティヴな印象に終わることだってある。
どんなおいしい料理も、美しくない皿に盛られて出されたら台無しじゃん。
わかってないよ。
目先の損得のために、人生の価値を下げてるよ。
俺はね、たとえばミュージシャンでも、プロフィールに◯◯で優勝、◯◯氏に師事、とか書いてる奴は、信用しないよ。
そりゃ時にはしがらみで書かなきゃいけないこともあるだろうけどさ、自分から喜んで経歴を自慢するなんて、恥ずかしくないの?
カッコ悪い。
ロックじゃないよ。
ああ余計なこと書いてるのは分かってるし、奴らも俺のこと好きじゃないのは知ってるよ。
どうせ住む世界がちがう。
あっちはあっちで和気あいあいと、お上品に魂のない人生送ってりゃいいさ。


また好きな店が無くなってしまった。
事情は知らない。
できることはなにもないのが、悲しい。

2017年9月12日火曜日

ロンサムじゃない?野暮なこと言うなよ!

おとといは、ロンサム・セレネイダース。
って、もうおとといの話になってしまったけど。
トランペット、クラリネット、バンジョーという変則トリオ。
管楽器2人に対して、リズム/コード楽器が1人。
リズム+メロディ、というよりも、全部の楽器が織物のように絡みあって、繊細で独特なサウンドがね、なかなか良いんです。
コウさんとトランペットと僕のクラリネットの相性が、だいぶいい。
音色がよくブレンドするんですよね。

この日は、豪華ゲスト入りのスペシャルバージョン。
ドラムに木村おうじ、さらにニューヨーク在住のトランペッター大橋諭。
飛び入りで中川恭太がピアノ。
サトルさんが、トランペットだけじゃなくて、なんとトロンボーンとスーザフォンも持って来てくれた。
もちろんそれぞれの楽器の専門家にはテクでは敵わないんだけど、グルーヴ感を分かってるから、すごくいい。
ジャズの上手いトロンボーンやチューバ奏者を連れて来ても、ああいう風にはならない。
不思議なもので、僕のフレーズもいつになくニューオリンズになります。
いやー楽しかった!
日本で、少なくとも東京で、こんなにアクの強いニューオリンズ感が出せるなんて!


にぎやかすぎてバンドの本来のサウンドじゃない、なんて野暮なこと言わないで。
その場にいるメンバーで一緒につくるのが、音楽です。
頭のイメージを再現するのは、音楽じゃない。
いや、そういう種類の音楽もあるけど、僕はあんまりそっちには興味ないし、グルーヴ系の音楽で、しかもライブでそれをやっちゃダメでしょ。

再現は、つまらない。
過去の音楽を聴くことは、とっても大事。
でも、演奏中にそれを思い浮かべるのは、ダメだと思う。
自分の音楽にならない。
特定のミュージシャンに成りきった気持ちでいるのは、いいよ。
でも、特定のレコードや特定のフレーズを念頭にするのは、よくない。
うーん、こうして書いてみると、伝わりづらい線引きかもな。
まあいいや。

とにかく、いい音楽やれて、お客さんもみんな喜んでくれて、それでいいじゃん。
それがライブ。
サークルの発表会とは違うんだぜ!
って、「オールド・ニューオリンズ・ジャズ」というビジョンをはっきり掲げたバンドのライブで思える自分の柔軟さが、好きです。
音楽って、やわらかいよ。

2017年9月6日水曜日

俺は「クラリネット奏者」なんだろうか

昨日はペーソス。
新宿の道楽亭Ryu's Bar。
ふだんは、噺家さんが出るようなお店です。
ペーソスでは、浅草の寄席にも出てます。
クラリネットやってて、こんな風に芸の世界で演奏することになるなんて、想像もしませんでした。

数えてみたんです。
2ステージで14曲。
その中で、普通のクラリネット演奏をしたのは、多めに数えて5〜6曲のみ。
あとは、変な踊りをしたり、打楽器を面白おかしく鳴らしたり、クラリネットを吹いたとしても、ネタみたいなことだったり。
いつかの寄席では、クラリネットを手にしたのが1曲だけだったこともあります。


いま、Golden Wax Orchestra のレコーディングの準備をしています。
サザンソウル・ナンバーを、クラリネットで「歌う」ユニット。
あらためて、それぞれの歌詞を読みこみながら練習してみると、どんどんフレーズがそぎ落とされていきます。
ここまでメロディに徹することは、管楽器奏者としてはあり得ないでしょう。
さらに、「シャウト」もします。
2〜3曲でクタクタになります。
もはやロック、いや、パンクのノリです。

ムードクラリネットでも、メロディに徹します。
このときは、演奏だけじゃなくて、演歌や昔の歌謡曲の歌手をイメージして「振り」的なステージングもやってます。
片手をはなして広げたり、見栄を切ったり。
最近では、タブレット純さんに誘われて、ムードコーラスのグループにも加入したら、お客さんから決めポーズが素敵!なんて言われたりして。

コロリダスでも、ライブを盛り上げるために、演奏以外のいろんなことを追求してきました。
ライブを重ねる中で、片足奏法やブリッジ奏法、横吹きなども編み出しました。
本来のクラリネット奏法では、反則とされるものばっかり。
クラシックの世界では、座ったときの足の位置まで厳しく指導されたりもするそうですからね。


BGM演奏やパーティ演奏などでは、本来のニューオリンズ・スタイルでのジャズ演奏もやってます。
でも、「ライブ」としては、普通のクラリネット演奏はどんどん減ってきている。
俺は「クラリネット奏者」なのか。
なぜこうなってしまったのか。
人生って予測不能です。


ということを、楽器の修理に向かう電車の中で考えています。
そして今夜は久しぶりに、オーセンティックなニューオリンズジャズのライブ。
演奏することも、やっぱり楽しい。

楽しいことなら、なんでもやっていきたいと思ってます。

2017年9月3日日曜日

JASRACって頭おかしいんじゃないか

JASRACという、不思議な団体があります。
日本音楽著作権協会。
ホームページを見ると、「作り手がいて、素晴らしい音楽がある」と書いてある。
「作り手」つまりミュージシャンのために、楽曲の権利を守る団体。
いわば、ミュージシャン=クライアントのはずなのに、JASRAC大好きありがとう!っていうミュージシャンには、出会ったことがない。
みんな、嫌ってる。
こんなにもクライアントに嫌われてる会社って、変でしょ。

たとえば飛び抜けた製品を作る会社でも、取引き相手に嫌わるようなことは避けるだろうし、あるいは美味い料理を出す店でも、接客がダメダメだったら、お客は離れていくでしょう。
そんなの、バカでもわかる。
なのに、なんでJASRACはクライアントに嫌われるようなことばっかりするのか。
バカなのか。
まあ、他にライバル会社がないからやりたい放題ってことなんだろうけど、そんなのいつまで続くのさ。
それ以前に、人としてどうよ?
義理人情とまで言わなくたって、思いやりゼロの相手と好んで付き合うなんて、誰もしないよ。
もし、JASRAC以外に、同じ規模の著作権管理団体があれば、ほとんどのミュージシャンはそっちに移るんじゃないのかな。

大ヒット曲があってその印税に頼って贅沢な生活をしてる一部のミュージシャンなら、違うのかもしれないけどね。
さすがに、何もしなくても毎年JASRACから1000万円単位でお金が入ってくるなら、例え著作権料の徴収がどれだけ怪しかろうと、どうでもいいと思えるかもしれません。
でもそれホント、人としてどうよ?

そんな中で、ファンキー末吉氏がJASRACと正面から戦っているのは、とってもすごいことです。
だって、爆風スランプという大人気バンドのメンバーで、ヒット曲「ランナー」の作曲者ですからね。
いままでJASRACから莫大な印税を受け取ってきたはずだし、JASRAC側からしても、優良顧客ですよ。
それも、配当が不十分とかいう理由じゃない。
ただ単に、収支の内訳を説明してほしい、というだけで、それをJASRACが拒否して、裁判にまでなってる。
どんな配当金だって、あるいは税金だって何だって、内訳を明かさないなんて、いまどきありえないでしょう。
しかも優良顧客に対してさ。

けっきょく裁判ではJASRACが勝ったんだけど、まあ法律的ないろいろな複雑なこともあるんだろうけど、僕はファンキー末吉ブログやSNSで経緯もあるていど追ってきて、どうにもスカっとしないどころか、この判決を受けてますますJASRAC=悪としか思えない。

細かいことは、この記事を読んでください(「JASRACの著作権使用料、分配は妥当なのか)。
裁判の件だけではなく、JASRACの様々な問題が簡潔によくまとめられています。
これ読んで、JASRACは素晴らしい!って思える人は、はたしているだろうか。


すごくシンプルに。
お金が絡むことで内訳を説明できないって、悪いことやってるのに決まってる。
だから、JASRACは悪い会社に決まってる。
少なくとも、音楽や文化のことを考えてるはずはない。
JASRACと、ついでにオリコンは、最低最悪の奴らとしか思えない。

自分がJASRACに食わせてもらうようなミュージシャンじゃなくて、良かった。
僕が今後ヒット曲を書いても、絶対にJASRACには登録しないことを、ここにハッキリ宣言しておきます。
作曲ぜんぜんしないけどね。

2017年9月1日金曜日

泥水っておそろしい

一昨日の晩のこと。
渋谷まで飲みに行って、自転車をガードレールにロックでくくりつけたら、キイが手からすべって、側溝って言うんですかね?道路の脇の鉄格子の穴に、ポチャンと落ちてしまいました。
ちょっと探ってみても見つからなくっていたら、交番に行けば底をさらう道具貸してくれるんじゃない?って言われて、ハチ公前の交番に行くと、酔っ払いやら数人の対応で、かなり忙しそうです。
カギが側溝に落ちて・・・と説明すると、あーそりゃダメだ、と、まったく相手にしてもらえません。
ほぼ無視に近い。
やさしくしてよお巡りさん。

仕方ないから、とぼとぼ現場に戻って、ちょっと迷ったけど、鉄格子のフタを外して穴を手でさらいました。
底まで手が届く深さだし、穴も大きくないから、わりと楽に見つかるんじゃないか。
ちょっとの辛抱!
と思ったんですが、甘かった。
穴の底には、泥だかなんだか柔らかいものが溜まっていて、それが浮かんできて水の中でぐるぐる回ってしまう。
石やプラスチックの物体やらいろんなものが落ちて積み重なってゴチャゴチャで、その中からカギを探し当てるのは、どうやら簡単じゃない。
顔を近づけてるから、けっこう臭い。
きっとこの水はすごく汚いんだろうな。
昼間でよく見えてたら、気持ちが折れてたかもしれないな。
しばらくがんばったけど、姿勢もつらいし、あきらめました。

手を洗いに、すぐそばのセルリアンホテルのトイレに行きました。
上質な石鹸。
お湯も出ます。
ヒジのあたりまでよく洗って、やわらかく上質なペーパータオルで吹いて、サッパリ。
さて、どうしよう。
ロックが外せないから、自転車は置いて帰るしかない。
スペアのキイは、ない。
製造元に言えば、スペアを送ってくれるはずだけど、どのくらいかかるんだろうか。
渋谷はすぐに撤去されてしまうから、間に合うかな。
あるいは、もうあきらめて、撤去されたのを取りにいく方が早いかな。
渋谷区の撤去料は2000円だから、高くはないし。
カギは買い直さないといけないけど。

と考えながら駅に向かってると、なんだか臭う。
まさか。
自分の右手をかいでみると、うっすらドブ臭い。
ちゃんと上質な石けんで洗って上質な紙で拭き取ったから汚れてはいないはずだ、と思ってみても、どうにも気になる。
なんだか肌の表面に泥がこびりついて固まって、手が重いような感じさえしてきます。
そんなわけないのに。
いちど気になると、匂いがはなれてくれない。

やっと帰宅してシャワーを浴びて、あースッキリした!と思ったら、あれ?おかしいな。
なんと、まだ少しだけ匂います。
ウソでしょ?
これ、いつまで残るんだろう?
利き手だから、顔に近けることも多くて、その度に気になってしまう。
まいったな。


でも考えてみると、世の中には、泥水に関わる仕事をする人も、きっといるんじゃないか。
素手をドブに突っ込むことはしなくても、長時間なにか作業していたら、体に匂いがつくんじゃないだろうか。
シャワーでも落ちないんだから、いつも匂いの中で過ごさなくちゃいけない。
そのうち、慣れるんだろうか。
自分は慣れても、家族や友達は、どうだろう。
なかなか彼女もできづらいんじゃないか。
町ゆく人から、なんか臭わない?なんて言う声が聞こえたりするかもしれない。
僕も昔カレー屋でバイトしてたとき横断歩道で、カレーの匂いしない?って前の人たちが話してたことがあった。
ずっと昔は、革なめしや屠殺とかたぶん匂いがある仕事は、下層の人々に押しつけられてた、みたいな話も、教科書に載ってた気がします。

いま実際に、そういう様な仕事がどれだけあるのか、わかりません。
仕事じゃなくても、世界にはいわゆるスラム街もあるし、清潔とは言い難い環境で暮らす人もいるわけです。
たしかウイリアム・バロウズだったか、ヤク中で一年間風呂も入らず同じ部屋にいた、っていう話をどこかで読んだこともあります。
そういう生活を想像したとき、嫌だな、と不快感が先にきてしまう。
カギを落として、さらにそんなことを考えていると、自分は何者なんだ、と思います。
けっきょく、限られた場所からしか見れてない。
あの側溝の穴の中には、僕の人生なんか及ばないような、雑多で複雑な世界が、おそろしく奥深く折り重なっているような気がします。

2017年8月26日土曜日

N.O.生活27 - アメリカか日本か

1月、最終学期がはじまりました。
卒業まであと4か月。
進路について考えなくてはいけません。
アメリカに残るのか、日本に帰国するのか。

アメリカに残る場合、ビザが必要です。
ミュージシャンの場合、アーチスト・ビザです。
取れないことはない、けど、お金がかかります。
取得の時はもちろん、毎年か数年ごとの更新の際にも安くないお金がかかる。
たしか日本での手続きも必要で、飛行機代も合わせると数十万単位の出費はさけられない。
これは、楽じゃない。

アメリカでも、クラリネットだけで生計が立つのは、おそらくニューオリンズだけです。
他の町では、日本と同じように、各種サックスや場合によってフルートも演奏しないと、満足に稼げない。
僕は、サックスもやらないどころか、使っているクラリネットも普通じゃない。
ニューオリンズ以外ではやっていけないでしょう。
もし将来、ニューオリンズで仕事がなくなり食えなくなったら、どうすればいいか。
日本なら、バイトでもなんでも、どうにかなります。
しかし、不景気でアメリカ人でも仕事に困っているのに、音楽しかやってこなかった外国人に選択肢があるのか。
かなり厳しいはずです。

そもそも、ニューオリンズは海より低い位置にある町です。
温暖化で、遠からず水の底に沈んでしまうという説もあります。
ハリケーンもきます。 
そんな時、身を寄せる場所が、僕にはありません。
なにかあったとき、だいたいの人は実家ある日本に帰国します。
でも僕の場合、実家には世話になってはいないので、気軽に戻ることは考えづらい。
19歳で家を出て以来、1人でやってきて、留学中に帰国するときにも、実家に泊まることはなかったし、荷物を預けもしていない。
仲が悪いとかじゃないんですけどね。

と、けっして楽観できない要素が盛りだくさんです。


そこまでして、アメリカに残りたいのか。
たしかに、僕の性格上、日本よりは楽しく暮らせるでしょう。
でも、肝心の音楽面では、はたしてどうか。
ニューオリンズでは、何も考えず毎日演奏して暮らせる。
それはもちろん楽しいに決まってます。
僕が、楽しければいい!というタイプの人間なら、なんの問題もないんですが、そうはいかない。
アメリカに来たのだって、ただ楽しそうだから、というのじゃなくて、ニューオリンズの音楽が好きで好きでたまらなかったからです。
それなのに、渡米のモチベーションとなった、僕の好きなニューオリンズ音楽は、もはや現地にも存在しません。
まだ活動している伝統を背負ったベテランミュージシャンも、そのうちいなくなってしまう。
僕が愛する音楽は、アメリカでも、過去のものになろうとしています。

ライブは、楽しい。
でも、新しい音楽シーンの若いミュージシャンたちや、カーミット・ラフィンを筆頭にした中堅ミュージシャンたちは、過去の伝統に興味がない。
マイケルトムのような伝統を守るミュージシャンは、世界的に尊敬されていても、自分の町では十分な仕事がないという現実。
アメリカに残るということは、ニューオリンズでクラリネットを吹くということ。
しかしそれは、僕をここまで導いてくれた音楽を捨て、むしろ、それを食い物として生きていかなくてはならない。
それで自分が幸せになれるとは、思えない。


ということを考えていると、ライブで演奏していても、素直に楽しめません。
周りのミュージシャンとの考え方のギャップが、ストレスになってきました。
アメリカまで来て、やりたい音楽がやれてないなんて、本末転倒じゃないか。
こんなことやってて、マイケルやトム、トロントのみんな、そして過去の素晴らしいミュージシャンたちに、合わせる顔がない、という気持ちがふくらんでいきます。

それで、帰国することに決めました。

2017年8月15日火曜日

髪型も変えられないのに、人生が変わるわけない。

髪型を変えない人は、モテない。
何年も、ヘタしたら10年以上も同じ髪型をしてたら、それじゃあ恋愛も遠ざかる。
って、こう書くと「自分のこと言われてる!」って思われたりするんだけど、言っとくけど、髪型やファッションに興味ない人は、別ですからね。
見た目に気を使ってる人の場合です。

なんでずっと同じ髪型をしてるのか。
それは、決めつけてるから。 
自分にはこれしか似合わない、って。
あの髪型もこの髪型もカッコいいけど、やってみたいけど、自分には無理だ。
ああいうのは、イケメンじゃないと似合わない。
自分は顔が大きいから、鼻がまるいから、おでこがせまいから。
って、やってみる前から決めつけちゃって、消去法で残ったものに固執する。
それはたいてい、当たり障りがなくって、誰にも注目されないだろう髪型です。

そんな風にして、後ろ向きに選んだ髪型を続けるのって、よくない。
鏡を見るたびに、どうせ自分はこの程度、っていう思いが、心の底にたまっていくから。
まるで逆アファメーションみたいにして、気持ちもどんどん後ろ向きになっていく。
そうすると、なにかにチャレンジしよう、という気も失せていく。
未来を想像してワクワクする習慣がなくなってしまいます。

人を好きになる時って、ワクワク感があるじゃないですか。
一緒にいたら楽しそう、っていう期待が、距離を縮める。
そもそも、他人と過ごすなんて、面倒です。
ひとりで自由に自分のペースでいることが、いちばんラクチンに決まってる。
わざわざ恋愛なんて面倒なことするのは、この人といたら楽しいかも!ってワクワクする気持ちがあるからでしょう。
だから、ワクワクと縁のない人は、モテないんですよ。

恋人じゃなくって友達の場合だって同じことです。
こいつ面白そう、ってワクワクするところに、人は集まります。
いや俺なんて・・・とか言って後ろ向きでいたら、誰も寄ってこない。
少なくとも、新しい出会いは広がらない。
人は、去ります。
出会いがなければ、去っていくばっかりで、だんだん頼れる人数が減っていく。
そうして、孤独死ですよ。


たまたま髪型について書いたけど、そのほかのことでも一緒です。
考え方を変えない。
同じ店にしか行かない。
決まった道しか通らない。
「こだわり」って言う人もいるけど、それはちがうよ。
◯◯に決めてる、ってさ、そんなの、みじかい人生でたまたま出会った中でたまたまそれが良かったっていうだけじゃん。 
世の中のすみからすみまで試したわけじゃないのにさ。

こだわりって言って何かに固執するのって、逃避です。
新しい未知の出会いが怖くて、失敗するのが怖くて、逃げてる。
逃げて守りに入ってる奴なんて、誰も相手にしないよ。
そいつが自己防衛のために立てた心の壁を壊すことに、けっこうな労力が必要だから。
他人はそんな面倒なことしてくれない。
壁は自分で壊すこと。
どんどん新しいことをやっていくこと。
迷ったら、いつもと違う方、新しい方を選ぶこと。
そうして進んでる人は、どっちに向かっているかに関わらず、魅力的です。

髪型なんて、本当にちっぽけなこと。
思いっきり変な髪型にして、笑われてみたらいい。
失敗したことないから、失敗を恐れるんだから。
大失敗しても死なない、ってわかれば、楽になれる。
服や髪型や、小さなことを変えるだけで、いろんなことが変わると、僕は思います。