2018年2月16日金曜日

映画を見なくてもいいし、音楽をやらなくてもいい。

インフルエンザで寝込んでる。
症状としては、筋肉痛にも似た寒気のようなものだけだが、これが思ったよりつらい。
なにか作業をしようとしても、どうにもやる気がおきない。
喉がはれてると医者に言われてるので、楽器もできない。
近所の図書館まで行くのすら大変に思えてしまう。
それで、ベッドの上にパソコンを開いて、Amazon Prime で映画を見ている。

映画が好きでよかった。
PCの画面で見ることは、そんなに気にならない。
実家のテレビもけっして大きなサイズじゃなかったし、一人暮らしのときに買ったテレビは、いちばん安い、つまりいちばん小さいサイズのものだった。
小さな画面に、なれてるのかもしれない。
スマホで見るのは、抵抗があるけど。 

思えば、自分の映画体験の多くは、映画館ではなく、ビデオだった。
中高生だったころ、実家で、夜、学校から帰ってご飯を食べたあと、21時台の「洋画劇場」や、深夜映画を録画したビデオを見ていた。
夜中すぎまで見ることもあった。
いちにち3本と決めていた時期もあった。
実家を出てからも、レンタルビデオばかり見ていた。
VHSの画像は、DVDほどクリアではない。
新作よりも古い映画が多かったから、よけいに映像は荒い。
「リマスター」とか、まだなかったし。
そういう環境でも、たくさんの作品に感動して、次から次へと映画を見ていた。
よく朝まで見た。

楽器を本気ではじめてから、映画を見ることはやめた。
その時間、練習をしたくて。
以来おそらく15年くらい、年一回ウディ・アレンの新作を劇場で見るほかは、ほとんど映画は見ていない。
あれだけ見ていたのに、それをやめても、たいしたことはなかった。
そうすると、きっと楽器をやめても、たいしたことないんだろう。

音楽がないと死ぬ!とか言うヤツは、信用できない。
そいつは、あるていど年をとったら、楽器をやめちまうと思う。
そして、楽器をやめたら、音楽も聞かなくなると思う。
知ったこっちゃない。


いつのまにか、書こうとした内容と違うところにきてしまった。
熱のせいか。
いや、熱はないはずだ。
もう寝よう。


2018年2月9日金曜日

初インフルエンザとライブの中止

インフルエンザにかかってしまった。
たぶん、はじめてだと思う。
少なくとも、おぼえてるかぎりでは、はじめてだ。

おかしなことに、熱はほとんどない。
普段よりほんの少し高め、つまり6度2分くらいから、6度7分になったくらいだ。
ただ、悪寒のような、といって悪寒と呼ぶには軽すぎる、ムズムズするような違和感が、身体に少しある。
そのほかは、大丈夫。
咳や鼻水がつらいわけでもない。
だから病院でインフルエンザと言われたときはおどろいた。

普通の風邪のときより、体調は悪くない、と思う。
それでも、医者は安静にしろと言う。
人にうつるから、と。
おかげで、ライブを2本もキャンセルしなくてはならなくなった。
おまけにリハーサルも。
6時間もスタジオを押さえていたのに。
悔しい。
体調不良でライブを休んだことって、いままでなかったんじゃないか。
熱が出て寝込んで死にそうなら納得できるのに、こんな中途半端な症状では、なんだか裏をかかれたようで、かえってとても悔しい。

仕方なく、関係者に連絡を取り、SNSその他で中止連絡をした。
申し訳ない。
不甲斐ない。
みんな、インフルエンザと聞いて心配してくれる。
高熱でうなされてる様子を想像したりするのかもしれない。
ぜんぜんそんなことないのに。


ライブに穴をあけるって、こんな気持ちなのか。
逆に、いままでよく経験しなかったな、とも思う。
経験してなかっただけに、こたえるのかもしれない。
本当に、いろんな人のおかげだ。

ポールマッカートニーも、体調不良で来日キャンセルしたよな。
ぼくのライブの何倍も何倍もの数の、しかも遠い国のファンの期待に答えられなかったわけで、それってどんな気持ちがするんだろう。
たぶん10年以上前、ジェフ・マルダーのカムバック後の初来日ライブの初日を見に行った。
会場で、ジェフが前の日に書いたという、日本のファンにむけた手紙が配られた。
みんな期待でワクワクしていた。
そしたら、数曲やっただけで、体調不良で演奏が続けられなくなって、中止になった。
ジェフはあのとき、どんな気持ちだったんだろう。
その日の振替公演がツアー最終日に追加されて、それは素晴らしいライブだった。
演奏の内容だけでなく、初日の様子、ブッキングしていたトムズ・キャビンの対応、ジェフの手紙、ぜんぶが一緒になって、特別な思い出だ。
最終日、ジェフはどんな気持ちで演奏してたんだろうか。

ライブって、人生のいっときを切り取って見せるようなことだ。
だから当然、病気のときもあれば、人によっては落ち込んで酒浸りのことだって、あるかもしれない。
それで、いいんだと思う。
機械じかけの製品じゃないんだから。
はやく治して、この先も演奏を続けたい。


みなさま、今回は、本当に申し訳ありませんでした。


2018年2月5日月曜日

向いてないけど、勉強してる。

最近、Logicという音楽制作ソフトの勉強をしている。
こんなにずーっと机に向かってるなんて、アメリカで大学に行ってたとき以来だから、もう7〜8年ぶりになるかもしれない。
苦痛だ。
集中力がもたない。
1時間くらいが限度だ。
それくらい経つと、あきらかに効率が落ちる。
情報が、頭に入ってこない。

そもそも、パソコンまわりのことは、どうにも自分には向いてない。
数字や横文字が苦手だ。
たいして複雑なものでなくても、数字が並ぶだけで、イヤだな、という拒否反応が出てしまう。

苦手だから、スクリーンショットを多用して説明してある、わかりやすそうな入門書を買った。 
それなのに、うまくいかない。
なぜかというと、ぼくの買ったLogicは最新版で、教則本の書かれた時点のバージョンとは、画面のレイアウトが異なるからだ。
探しても、最新版に対応した教本はまだでていない。
ネットにも情報がない。
しかたないから、ひとつひとつ手探りで進むしかない。

こんなの予想外だ。
思ったように進まず、イライラする。
おかげで、他のことをやる時間が減っていく。
楽器が練習できない。
これではいけない。
Logicを使えるようになりたい気持ちと、楽器の腕がおとろえていく不安との戦いだ。
ある程度までLogicをマスターすればあとは楽になるはず、と信じるしかない。

自分を信じる力が、いつでも試されているんだな、と思う。

2018年2月2日金曜日

寒さを思う

この寒いのに、エアコンがこわれた。
寒いからこわれたのかもしれない。
わからないけど、朝起きたら、こわれていた。
温風が出ていない。
こないだの雪のときはお湯が出なくて、しばらく蛇口を開けたままにしてたら、わりとすぐに直った。
だから今回も、と思って1〜2時間様子をみても、やっぱりダメだ。
あせった。

エアコン会社に電話すると、修理に来れるのは翌日になるという。
しかも、当日にならないと、何時に来るかわからないそうだ。
しかたないから、翌日はいちにち予定を空けて家にいることにした。
ウチは二階建ての借家で、こわれたのは一階のエアコンだけだから、二階にいれば大丈夫だ。

翌日の夕方、ダイキンの修理担当の人が来てくれた。
室外機の基盤を交換しなくてはならず、部品取り寄せに2日かかるという。
まいった。
あと2日か。
二階にいればいいんだけど、台所も風呂も一階だ。
いろいろ用事があるとやっぱり寒い。
息が白い。
暖房がないと、家の中でもこんなに寒いものか。

ふと、思う。
昔は暖房なんてなかったんだよな。
雪国でも、身体をあたためるには火をたくしかなかったかもしれない。
いまでも、もっと寒い土地で暖房なしで暮らす人も、いるだろう。
北国で、暖房がこわれることだってあるだろう。
東北で震災があったとき、避難した人たちは寒かっただろう。
雪山に飛行機が落ちて、防寒着もなく普段着で放り出された人もいただろう。
最近の事件で、裸で真冬の川を泳がされた少年がいた。

寒いのは、たいへんだ。
いままでいちばん寒かったのは、1月にカナダに行ったときだ。
吹雪いて寒くて、30分も外を歩けば、身体の芯から冷えてくる。
1時間もしたらクタクタで、あたたかい避難先を探さずにいられない。
でも、さっき想像したような、災害や事故や事件に見舞われた人たちは、もっともっともっと寒かったはずだ。
きっと、心だって。
おそろしい。
 
2日待って、無事にエアコンが直って、そしたらまた雪が降ってきた。
ライブを見に出かけた。
いい演奏だったけど、お客さんは多いとは言えなかった。
雪の日は、みんな外出しないものなのか。

あったかいって、いいな。

2018年1月26日金曜日

ECDが死んだ。正直な言葉が好きだった。

ECDが死んだ。
そうかついに。という、なんとも言えない感情がわいたので、そのままツイートをした。
そしてツイッターを見てると、「死んだ」って書く人は少なくて、「亡くなった」って書く人が多い。
この、「亡くなる」という言葉が、自分の中にはない。
他人行儀で社交辞令みたいで、心から流れ出る言葉ではない。
誰に対して、そんな優等生ぶってるの?
パブリックな場で、立場があって、というなら、まだわかる。
自分の言葉でしゃべることで、誰かに不利益があるのかもしれないから。
まあたいていは、自主規制みたいなものだとは思うけどさ。

「ご冥福をお祈りします」って言う人のほとんどは、「冥福」の意味なんて考えないし、じっさいに「祈る」ことはないだろう。
それが悪いわけじゃない。
その言葉がその人とって、感情をこめるのにいちばん適した選択なのであれば。
ただ、ぼくにとってはちがう。
「亡くなった」「ご冥福をお祈りします」という言葉が、ウソくさく思えてしまう。
だから、言わない。

会ったことはないけれど、 ECDは、ウソとは遠い人だったと思う。
ぼくも、正直にやっていきたい。

2018年1月19日金曜日

of Tropique と Compostela

of Tropique のデモ音源を渡した人に、Compostelaを連想した、と言われた。
おどろいた。
そう言われたのは、じつは、ふたりめだ。

コンポステラ。
元じゃがたらのサックス奏者、篠田昌己が1990年にリリースした初ソロ・アルバム。
このアルバムを出した2年後に、急性心不全で34歳の若さで亡くなっていて、ぼくが知ったときにはもうこの世にいなかった。
中央線/アングラ/フリー/渋さ知らズ系のジャズ界隈で活動してたみたいだけれど、ここでは世界の民謡や流行歌に目を向けている。
アングラジャズ系の人たちが土着の音楽を取り入れる、たぶん先駆けのようなアルバムなんだろう。
一部では名盤として語りつがれている。

ぼくが真剣に楽器をはじめる、きっかけとなったアルバムだ。
高円寺の部屋で、夜、ひとりで聴いて、感動して、サックスをやろう、と決意した。
そうだ、その時は手元に楽器を持ってなかったんだ。
すぐに友達に連絡して、アルトを借りて、まいにち練習した。
突然の行動だったから、当時の彼女におどろかれた。
習いに行くの?って聞かれたのを、おぼえてる。
スクールか何かを想像したんだろうか。
そんな発想はなかった。
自分と篠田昌己しかいなかった。
篠田昌己のように吹きたい、という気持ちだけで、ひとりで楽器にむかっていた。


of Tropique をやるときに、コンポステラはまったく頭になかった。
膨大な音楽をインプットとして集中的に聴いたけれども、篠田昌己周辺のものは、そこに入ってなかった。
できあがったものも、音楽的に似ているとは、思えない。
バンドの編成だってちがうし、管楽器奏者としても、篠田昌己はフリーの要素もあるジャズの人で、ぼくの演奏とは遠い。
似てないのに、どうして。
言われるまで、コンポステラを思い出しもしなかった。
of Tropiqueの他のメンバーは、コンポステラを聞いたことあるんだろうか。
いままで一度も会話にのぼったこともないし、全員が知ってるってことはないだろう。

コンポステラを聞き直した。
やっぱり似てない。
わからない。
わからないけど、ものすごくうれしい。
20年くらい前に、篠田昌己を聴いたときの感動が、からだのなかに残ってるんだ。
音楽的なことじゃなくて、もっと心の奥深くのなにかが。
自分はまちがってなかったんだ、と思える。

of Tropique は、ぼくのバンドじゃない。
みんなで作ってる。
だからきっと、ぼくにとってのコンポステラのようなものが、他のメンバーにもあるとしたら、その断片も聴こえてくるのかもしれない。
そうしてできあがったものはもう、誰の音楽、ということじゃないんだと、思う。


2018年1月18日木曜日

カウリスマキ!


『希望のかなた』を見てもりあがって、続けて『ル・アーヴルの靴磨き』のリバイバル上映も見てきた。
いやー最高だ。

カウリスマキの映画って、人物の内面なんて描かないし、ストーリーもあってないようなものだ。
登場人物は、まるで機械みたいに役割を決められてて、プログラム通りに動く。
人を助けたり好きになったりっていう、感情が動くような場面でも、いっさい説明がないし、役者も感情表現をしない。
どの作品が忘れたけど、男女が出会ったとたん、ほぼ会話もなく無表情のままに、「結婚しよう」「いつ?」みたいな展開をする。

ストーリーだって、いわゆる起承転結どころか、伏線も前後の繋がりもないことが多い。
奇をてらった内容ではないから意味はわかるけど、クライマックスなんかとは無縁で、とにかく出来事が淡々と続く。
「衝撃のラスト!」「泣いた!」とかいうクソみたいなキャッチコピーは、ありえない。
脚本だけ抜き出しても、きっと面白くないだろう。
ストーリーや人物描写、っていう個々の要素をどうのこうの言う映画ではない。

と思うんだけど、人物やストーリーの背景を想像しながら見る、という人が意外に多いみたいだ。
たとえば、彼はきっと過去にいろいろあったんだろう、とか、彼女はこう思ったからああしたんだろう、とか。
そうやって、既成の映画のフォーマットにあてはめて解釈するのは、どうしても違和感がある。
一切の説明がないぶん自由に想像できるし、書いたり話したりするには言語化しなきゃいけないんだろうけど、どんな感想も、テーマやストーリーについてのものが多くて、辟易する。
そんなの、どうでもいいのに。

ぼくは、考えながら見るのが苦手だ。
あとから頭の中で整理したり、意味を発見したり、ということを、あんまりしたくない。
そうして未整理にしてるから、なんでカウリスマキの映画が好きなのか、まったく自分でもわからない。
甘いものが好き、とか、青が好き、とか、そういう感じに近いのかもしれない。

言葉で説明できる感情なんて、くだらない。
言語化できないものが、大事なんだよ。

とにかく、特殊な監督だ。
役者もいつもおんなじメンツで、今回あの人はこの役なんだ!みたいな楽しみもある。
そもそも、どの作品もテイストが似てるから、どの映画でどの役をやってたのかも混じってしまって思い出せなかったりするくらいだ。
名前もフィンランド語だから覚えられないし。
まるで劇団みたい。
劇団カウリスマキ。

なんでこんなに深く心を動かされるのか、まったくわからない。
わからないから、何度でも見たい。