2014年10月29日水曜日

秋がきた



すっかり秋の気候になりました。

秋冬は好きな季節です。
空気が透明で綺麗だから。
あと、暖かいことが、暖かく感じられる。

「秋」「9月」という言葉は、もの寂しい雰囲気があって素敵です。
なにか区切りがついたような気にもなります。

映画が見たくなります。
ちょっと文学っぽい映画がいいです。
この前ブログに書いたからかな、「存在の耐えられない軽さ」が見たい。
ラストシーンが忘れ難い、美しい映画。


同じフィリップ・カウフマン作品「ヘンリー&ジューン」もいい。
ヘンリー・ミラーとアナイス・ニンの映画。
この映画もラストシーンが美しい。


ウディ・アレンも、「セプテンバー」って映画を撮ってます。
大人の恋(って書くと途端にチープに聞えますね)を描いた、繊細で静かな室内劇。
もうタイトルとポスターだけでジワーッとくる。
ブログの最初に載せたのも、この映画からの写真です。秋っぽいでしょ?

これに続く「私のなかのもうひとりの私」「重罪と軽罪」も、秋が似合う映画です。
「ハンナとその姉妹」でも秋のN.Y.の景色が印象深いし、アレンも秋が好きなんだろうな。


「セプテンバー」の中で「Art Tatum & Ben Webster」のレコードが流れます。
ジャズ100選とかに入るような、定番中の定番。
客の少ない深夜の場末のバーでくたびれたジャズメンがタバコをくゆらせながら酩酊しながらバラードを演奏するのを売人やヒモやその女たちがウィスキー片手に聞いている、というステレオタイプが似合うような、ベタな感じのアルバムです。
大好きです。


ジャズは秋にいいですね。
といっても、ピアノ・トリオとか、小編成で落ち着いたやつ。
エリントンの「Back To Back」は定番。だってジョニー・ホッジスとハリー"Sweets"エディソンだもの。
スタン・ゲッツの「People Time」も素晴らしい。
ハンプトン・ホーズの「The Sermon」も意外に合う。
ベニー・ゴルソンとかもいいかも。


クラリネットも、秋には合います。
音色がいいから。
この流れで1枚挙げるなら、Putte Wickman 「Stockholm '81」。
John Lewis と Red Mitchel とのトリオで、もう何度聞いたことか。
ウィックマンもジョン・ルイスも、決して特に好きなプレイヤーってわけじゃない。
でも、ここでのプレイは最高。
そして、僕はこのアルバムでレッド・ミッチェルにはまりました。
ジャズのベーシストにはまったのなんて、いまだにこの人だけ。

クラリネットの愛聴盤のトップは、これと、Tim Laughlin 「Great Ballads」、Rudy Balliu「New Orleans Trio」の三枚。
これは不動です。


あー、こうやって書いてると聞きたくなってくる!
うん、もう書くのはやめ。
音楽聞こう!

2014年10月24日金曜日

珈琲のこと



コーヒー・ドリッパーを買い換えました。

今までコーノ式「名門」ドリッパーを使っていたのが、割れてしまいまして。
コーノ式は、プラスチック製しかないんですよね。
今度は、同じ円錐型でハリオにしようかと思いました。
ハリオは陶器で可愛いカラーもあるので。
ケメックスもいいけど、面倒くさそうだし高いし。
いっそネルにしようか。


実はハタチ頃、新宿ションベン横丁の但馬屋珈琲店で働いていたことがあるんです。
土日とか、一日中途切れなくネルドリップでコーヒーを入れてたりしました。
楽しかったです。

思い出すのは、豆の仕入れや焙煎を任されていた、ワタナベさんのことです。
当時50歳くらいだったでしょうか。
珈琲ひと筋!って感じで、ドリフの仲本工事を渋くしたようなルックスでした。
昔キャバレーでピアノ弾いていたらしく、音楽やってる僕のことを可愛がってくれました。
ションベン横丁も連れまわされたし、初めてバガボンドに連れて行ってくれたのもワタナベさんだった。

ある日突然、「君はコーヒーをやったらいい」と、渋い低音で言われたことがあります。
しかも、「豆を運ぶところから始めたらいい」「紹介するぞ」と。
え?豆を運ぶ?
船から荷物を下ろしたりするやつかな?それ、修行として必要なのかな?
コーヒーの道に進む気はなかったから詳しく聞かなかったけど。
まあ変人ですね。
但馬屋は面白かったです


話を戻します。
ドリッパーを求めてネットを彷徨っていると、絹フィルターなるものを発見しました。
よくわからないけど、なんとなく良さそうだぞ。
しかも陶器の円錐ドリッパーを独自に製作してるぽいぞ。なかなかかっこいいぞ。
ドリッパーの内側のデザインも、コーノ式の仕組みに似ているし、いいかも。
ちょい高いけど、フィルターを買う必要がないから、長い目でみたら経済的かも。

というわけで、買ってみました絹フィルター!
ドリッパーとセットで5400円。
ドリッパーの内側は、コーノ式のように、上部は密着し下部は空気が逃げるようになっています。


これで淹れたコーヒー、すごく美味しいです!
雑味がなく、後に残りません。
後味がいい、っていうのはこういうことか。
もちろん、コーヒーの旨味もしっかり出ています。


フィルターは、洗って水につけて保管します。
使う時に水から出して絞ってドリッパーにセットして〜という作業からして、美味いコーヒーを淹れるんだ、と思うと楽しいです。
そこまで手間じゃないし。


コーヒーは、嗜好品です。
なので、コーヒー周りも、気に入ったものを使うようにしています。
そうすることで、同じ一杯がスペシャルなものになる。

豆の缶2つと、ミル。気に入ってます。


この絹フィルターは、塩野屋という京都のお店が作っています。
伝統ある織元(という言葉を初めて知りました)で、近年は新しいことに色々とチャレンジしているようです。
なぜか問い合わせ先が携帯電話で、かけるとすごくフレンドリーな女性が出ます。
携帯だからか、鳴っても出ない時もあります。
家族経営なのかと思わせる親近感です。
個人的には、そこもツボでした。
いい買い物しました。

絹フィルター、いいですよ!

2014年10月22日水曜日

Bulletproof Musician:1日に何時間練習するべきか

Bulletproof Musician という英語のサイトの記事を、ランダムに翻訳するシリーズです。ミュージシャンのメンタル面に関する内容を扱っています。音楽をやっていない方でも、自己管理やマインドの問題に興味があるなら、是非ご一読下さい。


How Many Hours a Day Should You Practice?


上達するためには、どれだけ練習すればいいのでしょうか。
2時間、4時間、8時間と、様々な意見があります。
さすがに12時間やるべきだ、と考えるミュージシャンは少ないでしょう。
果たして、理想的な練習時間というものは存在するのでしょうか?


演奏家の意見

20世紀の偉大な演奏家たちの意見をみてみましょう。
ピアニストのルービンシュタインは、1日に4時間以上練習するべきではない、と言います。
それ以上練習しているとしたら、練習方法が間違っている、と。

ヴァイオリニストのレオポルド・アウアーも同じ考えです。
彼は、弟子のナタン・ミルシテインの質問に対して、”丸1日も費やして上達しないのは、小手先だけで練習してるからだ。考えながら練習すれば1時間半で十分なはずだ。”と答えました。

ヴァイオリニストのハイフェッツは、度を超えた練習は ”練習しないのと同じくらい良くない” と言います。
彼自身、1日の練習は3時間程度にとどめ、日曜は休んでいました。

個人的にも、このやり方に賛成です。
私も学生時代、一週間のうち丸一日は、楽器に触れない時間を設けていました。


心理学者の意見

この分野の世界的な権威は、心理学者のアンダース・エリクソン博士でしょう。
有名な ”10年の法則、” ”10,000時間の法則” は、彼の研究に基づいています。
これは、特定の分野のエキスパートになるためには、10年もしくは10,000時間の適切な訓練が必要だというものです。
ミュージシャンの場合には、世界の一流レベルに到達するには、およそ25年が必要だとされています。
重要なのは、練習の内容ではなく総練習時間(もちろん、何時間必要かについては意見が別れます) が問題とされていることです。
どんな練習方法であっても、近道はないのです。


機械的な練習

試しに1時間、誰かの練習をこっそり聞いてみてください。
あるいは、自分の練習を録音して聞き直すのもいいでしょう。

おそらく、機械的に練習していることに気づくはずです。
単純な反復練習(”このフレーズを10回繰り返す”、”この曲を30分練習する” など)や、流れ作業(つまずいたら演奏を止めて、その箇所を反復し、また曲に戻り~ということをひたすら繰り返す)を行っている場合がほとんどでしょう。

こうした練習には、大きな問題点が3つあります。

1. 時間が無駄になる
機械的な練習をいくら行っても、何も身につきません。
同じ曲を何時間も、何日も、何週間も練習して、それでも大して上達したように思えないのは、このためです。
それどころか、知らないうちに悪癖がつき、後で苦しむことになります。
結局は、悪癖を直すための膨大な練習時間が、将来に向けて蓄積されていくだけなのです。
知人のサックス教師は、“練習の際は、完璧な演奏を目指すのではなく、正しい癖付けに集中するべきだ” というのが口癖でした。

2. 自信がなくなる
こうした練習を続けるうちに、自信が失われていきます。
どうやっても上達しない、と思い込んでしまうからです。
難しいフレーズに次々に取り組むことでは、自信には繋がりません。 
真に自信を感じることができるのは、
(a) いつでも完璧に演奏でき、
(b) それが偶然ではなく、再現可能であると確信している場合です。
(c) 何故ならそのためには、上手くいく/失敗する原因を理解している
必要があるからです。
つまり、どうすれば正確に演奏できるか、技術的な面から理解することが重要なのです。

何でも最初から上手く演奏できるはずがありません。
だからこそ、正しい奏法が癖づくまで、繰り返し練習するのです 。
それは、芝生を育てるようなものです。
雑草に延々と立ち向かうよりも、きれいな芝を育てることに時間を使えば、やがて芝生が雑草を覆いつくしてくれるでしょう。

もうひとつ、大きな問題があります。 
練習と実践での集中力に、差がありすぎることです。
集中して練習できていなければ、ステージでも集中することはできません。
以前書いたように(『不安をプラスに変える方法』)、ステージ上では左脳が働き、分析的な思考になる傾向があります。
機械的に練習をしていては、自分の演奏を頭で理解し把握することができません。
その状態でステージに上がり、細部を意識しようとしても、脳が戸惑ってしまうのです。

3. 面倒で退屈である
機械的な練習は、楽しいものではありません。
テクニックは、練習時間に比例すると考えられています。
だからと言って、◯回、◯時間と単位を決めていくら練習しても、明確な目標がなければ意味がありません。
例えば、◯◯のように聞こえるまで練習する、という風に、具体的な目標を持つことが重要です。
さもなくば、練習は苦行に変わるでしょう。

練習時間は、最終的には問題ではありません。
望む結果を得るにはどうすればいいのかを理解し、いつでも再現できれば良いのです。


適切な練習

では、機械的ではない練習とは何でしょうか?
それは、体系的で高度に考え抜かれたものです。
科学的とも言ってもいいでしょう。
ぼんやりと上手くいったりいかなかったりを繰り返すのではありません。
ゴールとそこに至る道筋を明確にした上で、能動的に、そして思慮深く、実験を積み重ねていく作業です。
ヴァイオリン奏者 Paul Kantor は、練習室はラボのようであるべきだ、と言いました。
様々なアイディアを自由に並べてみて、どの素材の組合せが適切か、実験を繰り返すのです。

例えば反復練習の際に、数小節単位ではなく、1音だけを取り出します。
そして、イメージ通りに“響く”かどうかに集中ながら、ゆっくりと繰り返してみてください。

自分の演奏を客観的に観察し、改善点を探す作業が重要です。
(そのためには、録音してみるのがいいでしょう。 )
演奏中に何が起こっているか、そしてその原因が何なのか、集中して聞いてください。
一音だけとってみても、音程、音量、ニュアンス、音の長さ等、観察すべき点はたくさんあります。

仮に、音程が高く、音を伸ばしすぎたとしたら、それぞれの要素ついて細かく検証します。
ほんの少し音程が上ずっただけなのか、かなり高かったのか。
狙った音価よりどのくらい長かったのか。

その次に、原因を考えます。
音が上ずったのは何故か。
そして、改善するには、どうすれば良いのか。

録音があれば、その演奏を聴き直し、分析してみてください。
自分のイメージしていた演奏とは、意外にずれているのではないでしょうか。

重要なのは、何故そうなったのかを分析し、どうすれば二度と起こらなくなるか、と考えることです。
残念なことに、その作業に時間を割かないミュージシャンが、実は多いのです。


1日に何時間練習するべきか

「適切な」練習は、とても疲れます。
常に全神経を集中させるので、非常にエネルギーを使うのです。
1時間以上続けて練習すれば、集中力も下がり、効率は落ちます。
たとえ集中力のある人間でも、1日に4時間以上練習するのは難しいでしょう。
ある研究では、1日の練習時間を1~8時間まで比較した結果、4時間を越えるとほとんど進歩は見られませんでした。
上達のスピードは、2時間を越えると次第に遅くなります。 
これを踏まえ、集中力を管理することが、重要だと言えるでしょう。


効果的な練習のための5つのポイント

1. 練習時間
一回の練習を、集中力を保てる時間内に限定します。
若い内は10-20分くらい、年長の場合であれば45-60分くらいが適当でしょう。

2.時間帯
自分が集中できる時間帯を把握し、その時に練習するように心がけましょう。
朝の場合もあれば、昼食の直前かもしれません。
体が生産的な状態にあれば、集中して考えることができるはずです。

3. 目標
ノートを用意してください。
目標を書き、練習で学んだことを記録します。
そうして目指す方向を常に明確にすることで、集中力が高まるはずです。
出したい音や取り組むべきフレーズ、特定のアーティキュレーションやピッチなど、自分が何をマスターしたいのか、きちんと計画しておくべきなのです。

とにかく、何か気づいたことがあれば書き留めましょう。
どんな発見も、書き留めないと忘れてしまいます。

4. 効率
上手くいかない箇所があれば、単純に練習が必要です。
しかし、練習量を増やすよりも、やり方を工夫する方が良い場合もあります。

以前、パガニーニの24のカプリースを練習していた時のことです。
曲中の左手のピチカートが上手くいかず、イライラしてがむしゃらに練習し、その結果、指を痛め出血してしまいました。
そうなってみて初めて、他にもっと効率的な方法がないか、と考え始めたのです。

それまでの練習方法に固執しないよう自分に強引に言い聞かせ、その部分の練習自体をやめました。
そして、ほぼ1日かけて、解決策をいくつも考えてノートに書き留めました。
少しでも役に立ちそうなことは、とりあえず試してみる事にしたのです。
その甲斐あって、着実に効果の出る練習方法を見つけ出し、その成果は当時の先生にも驚かれたほどでした。

5. 問題解決のためのステップ
一般的に広く行われている、6段階の問題解決法が参考になります。

1.目的を明確にする(音/フレーズのイメージを固める)
2.分析する (自分の音の原因を探る)
3.解決策を列挙する (練習方法を考える)
4.実践し、効果を比較する (最良の練習方法を検討する)
5.解決策を選ぶ (練習方法を決定する)
6.成果を確認する (上達の度合いを常に見直す)

あるいは、Daniel Coyle著 "The Talent Code" で紹介されている、4段階の解決法だけでも良いでしょう。

1.目標を設定する
2.目標に向けて行動する
3.目標までの距離を認識する
4.ステップ1に戻る

これらの方法は、技術を磨くにも、アイディアを模索するためにも有効です。
どんなやり方であれ、頭を整理し、体系的・能動的な思考を行うことが重要なのです。
その結果、目標が明確になり、無駄な練習時間が削減されるでしょう。

誰だって、一日中ずっと練習室に居たいはずはありません。

やるべきことを済ませて、外に出ましょう!

2014年10月21日火曜日

昨日と今日の出来事 - イグノランツとポーキーズ

昨日はイグノランツのライブを見に行った。
日本で一番好きなバンドかもしれない。
ワンマンで、17時に始まって、終わったのは22時だった。
最高だった。

僕は、音のでかいバンドは好きじゃない。
音量は、音楽に不要だと思ってる。
僕が好きなのはグルーヴとかで、音圧とか肉体的な刺激はいらない。
でも、イグノランツは別。
音がでかくてもいい。

シュウさんはギターを弾きまくる。
僕はギター弾きまくる系のバンドは好きじゃない。
つまんないから。
でもシュウさんは別。
ずっと聞いていたいくらい。

何が違うのかというと、どの瞬間もずっと全力なんです。
あんなに、ステージで裸になって全部出し切れる人はいない。
なんか文字にすると軽いけど、本当にすごいんだから。
ウソだと思ったらライブ行ってみて。
つまんなかったら、僕がお金払い戻すから。

本当は、写真も撮ってちゃんとブログに書こうと思ってたんだけど、とてもそんな余裕はなかった。
だってそこで全身全霊で音楽やってる人がいるのに、冷静に写真撮ったりなんてしてらんない。
喉風邪だったけど行ってよかった。
わざわざ時間作って行ってよかった。
あれで2000円は安すぎる。

大音量だしギター弾きまくりだし長いし。
僕が嫌いな要素ばっかり揃ったライブだった。
でも、最高だった。
来年またやるなら、僕は5000円でも行きますよ。



今日はポーキーズのリハだった。
僕が唯一サックスを吹くバンド。
映画「コミットメンツ」を見て始めたバンドで、ほとんど同じメンバーで15年以上も続いている。
遅れてスタジオに行ったら、ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリートをやっていた。
最近取り組み始めた曲で、まだライブでもやったことがない。
曲の最後に少しだけ伸ばす音を入れるだけで、他はサックスは不要だと思って、吹かなかった。
そうしたら、ドラムのまっさんが嬉しそうに、「わかってるな!」と言う。
こういうやり取りができるのがいい。
僕は自分のことをサックスプレイヤーとは思ってないけど、ポーキーズで自分より上手く吹ける奴はいないと思う。
たまに他のバンドから、サックス吹いてよ、って誘われるけど、全部断ってる。
サックスを吹きたいんじゃなくて、このバンドをやりたいから。


昨日・今日と、音楽的に充実していた。
クラリネットは吹かなかったけど。
早く喉を治してクラ吹きたい!
吹くぞ!

2014年10月19日日曜日

実は映画が好きなんです


ここ数日、いきなり映画の感想が続いて、何が起きたかと思った人もいるかもしれません。

実は、僕は映画が大好きなんです。
といっても、大好きだった、と言うべきほどに、見てない期間が長かったのですが。


小学校の頃から映画が好きでした。
最初はスピルバーグや、シュワルツェネッガーのアクション物を見てました。
のめり込んでいったのは、おそらく小6の時に池袋の映画館で見た「太陽の帝国」がきっかけだったと思います。
以来、テレビはほとんど見ずに、映画ばっかり見てました。

21時台の◯◯洋画劇場に始まり、深夜にやってる映画や昼のテレビ東京の映画まで、手当たり次第に見まくりました。

やがてヨーロッパ映画や、ミニシアター系映画が好きになり、監督別コーナーのある大型レンタル店を見つけて拍車がかかり、大学受験で浪人してた時は1日3本見てました。

1年浪人して国立音楽大学に入学したのですが、大学の図書館で映画ばかり見てました。
1年生の最初の試験の時、前のコマが空いていたので図書館で映画を見てました。
「父の祈りを」という映画でした。
それを見て感動して、試験なんか受けてる場合じゃない!と走って学校を飛び出して、そのまま大学を辞めました。
本当に走ったの、覚えてます。
まあ、大学がつまらなかった、というのも勿論ありましたけど。

そして、映画に関わりたくて、早稲田大学の映画サークルの飲み会に行ってみました。
なんで早稲田だったのかは、わかりません。
その飲み会で、当時はまだ助監督だった七里圭、日大の学生だった冨永昌敬と仲良くなりました。

それからの数年は、映画を見て、七里さんと映像を撮り(これはまた面白い話なんですが、長くなるので今はやめておきます)、冨永と語って過ごしました。
日本で大学にほとんど行かなかった僕にとって、青春と呼べるのはこの時期です。

好きな映画、いっぱいあります。
トリュフォー、ル・コントとか、フランス映画が好きです。
ベルトリッチ、コッポラ、デ・パルマ、スコセッシ(グッドフェローズの頃までですが)の作品。
他にパッと思いつくもので、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「未来世紀ブラジル」「蜘蛛女のキス」「モナ・リサ」「アンダーグラウンド」。
そして、別格としてウディ・アレン。

そんなでしたが、21、2才くらいか、高校卒業以来で再びサックスを始めてから、ほとんど映画を見なくなりました。
2時間あったら映画より音楽やりたくて。
年一回、アレンの新作を見るだけでした。
また映画を見るようになったのは、本当に最近のことです。

何せ見なかった期間が15年くらいあるので、その間に作られた映画のことは知りません。その間に出てきた監督や俳優も知りません。
人から聞いたり、どこかで評判を聞いたりしたものを適当に見ています。
ちなみに、割と最近見た中で面白かったのは、「グラン・トリノ」「ル・アーブルの靴磨き」「バーニーズ・バージョン」です。

これだけブランクがあると、映画界の流れからは取り残されていて、逆に何の先入観もなく、フラットに映画を見ることができます。
以前見た映画も忘れてるので、新鮮な気持ちで見直すことができます。
映画を見ることが、軽くて、とても楽しいです。

これからも、ポツポツと映画を見ると思います。
見たら、ブログにも書くかもしれません。

お勧めがあったら教えてください。


※写真は、「バーニーズ・バージョン」です。日本未公開なので知らない人もいると思い、画像を載せてみました。
日本語版パッケージの紹介ではおバカ映画っぽく見えますが、中身は全く違います。
そもそもコメディではありません。
愚直な男の一生を描いたドラマです。
大推薦映画です。レンタル店で見つけたら借りてみて下さい。

2014年10月18日土曜日

映画の感想「蜘蛛女のキス」

映画の感想が続いてます。
喉風邪で楽器も吹けず、家にいて時間があるんです。

今日は「蜘蛛女のキス」を見直しました。
好きな映画を聞かれる度に名前を挙げている、大好きな1本です。 

1985年の映画です。
原作はアルゼンチンの作家マヌエル・プイグの小説。
ラテンアメリカ文学の映画化が流行ってたんですかね。
数年の間に、ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」、ガルシア・マルケス「予告された殺人の記録」も映画化されてます。
どちらもいい映画です。


「蜘蛛女のキス」は、室内劇です。
物語は、ほぼ刑務所の独房内だけで進んでいきます。
独房で同室になったゲイと政治犯が心を通わせていく様を描きます。

地味な映画です。
ほとんどのシーンは独房の中なので、映像の変化もなく、大きなストーリー展開もありません。
会話の行間や、俳優の表情といった部分で見せる映画です。

政治犯の役は、アダムス・ファミリーで有名なラウル・ジュリア。
ゲイ役はウイリアム・ハート。

どちらも良いのですが、役柄のせいもあって、ウイリアム・ハートがとにかく素晴らしいです。
喜び・悲しみ・挫折・許し、といった様々な複雑な感情が演技に込められています。
極論、彼を見てるだけで満足できるくらいです。
僕は、この映画のウイリアム・ハートが本当に大好きで、その姿を思い出すだけで、たまらない気持ちになります。
僕みたいな人、他にもいると思いますよ。
そのくらいの名演です。
アカデミー主演男優賞の受賞も納得でしょう。


映画は、独房の壁を映す長回しから始まります。
ゲイのモリーナの語る声が聞こえます。
独房での気を紛らせるために、昔見た映画のストーリーを政治犯ヴァレンティンに語って聞かせているところです。
それは他愛のない映画なのですが、内容は現実世界の物語と絶妙に重なり合っています。

モリーナが断続的に語る2つの映画の内のひとつが、蜘蛛女の話です。
蜘蛛女は、美しいけれども、自分の作った蜘蛛の巣に囚われて身動きできず、どこにも行くことができません。


その姿が、モリーナとヴァレンティンにも重なります。
モリーナは、ゲイということで差別され、堂々と生きることができない。
ヴァレンティンは、国を変えるという大義に囚われ、自分にとっての幸せに向き合うことができない。
二人とも、色んな思い込みに囚われて身動きできずにいるわけです。
そして今は独房にいて、物理的にも何処にも行けない状態にいる。
そんな囚われた2人が、様々な感情を交換して、相手にも自分自身にも、心を開いていきます。

って、こうやって書くと分かり易いですが、映画ではこんなに整理されていません。
ストーリーや演出の仕掛けでテーマを提示するのではなく、とにかく2人のやり取りで見せます。
なので、子供でもわかるような映画ではありません。
が、逆に、2人の表情や仕草の全てが、深い感情部分に直接響いてくるんです。
愛とか人生とか、言葉にすると恥ずかしいような感情が、画面を通してダイレクトに伝わってきます。
結果、地味で静かな映画なのに、全てのシーンが感動的です。
もちろん、恋人が去ったとか誰かが死んだとかいう直接的で一過性のものではなくて、根底から揺り動かされるような種類の感動です。

僕は、見終わった後は、深い感動に放心状態で、まっすぐ歩けないほどでした。
こんなことは、これも最近見直した、「アンダーグラウンド」以来です。
まあ、もちろん見る人によるとは思いますが、そのくらい強烈なポテンシャルを持った映画だということです。
「アンダーグラウンド」と対極くらいに地味ですけどね。

映画には、ハリウッド映画に代表される、純粋にエンターテイメントなものもあるし、アート映画と呼ばれるものもあります。
この映画は、どちらでもなく、感情映画とでも言えるかと思います。
理想と現実、夢、愛、挫折、人生、優しさ、等々。
とにかく、様々な感情の要素が重層的に絡まりあった映画です。
見る人のその時の状態によって、どの要素が心に残るかは違うかもしれません。
派手な映像やドラマチックなストーリー展開はありませんが、とても豊かな感情体験のできる映画だと思います。
僕にとっては、宝物のような映画です。

置いてあるレンタル店は少ないですが、TUTAYAにはありますよ。




2014年10月17日金曜日

映画の感想「ミシシッピー・バーニング」



「ミシシッピ・バーニング」を観ました。
15年以上前に、一度観たことがある映画です。

黒人差別ものです。
1960年代アメリカ南部の、いわゆる公民権運動を扱った映画です。

昔の印象だと、暴力シーンやメッセージ性など、けっこう強烈な描写があったように思ってましたが、あらためて観てみると、とても正統派の映画でした。
暴力シーンも激しくはないし、意図的に強調する部分もなく、王道の社会派骨太映画です。

そう、骨太です。
映画は、屋外の水飲み場で2つの蛇口にそれぞれ「白人用」「黒人用」と書いてある映像から始まります。
バックに流れるのは、マヘリア・ジャクソンの歌う「プレシャス・ロード」。
もう、骨太宣言ですよ。
こんなオープニングにしてしまったら、それはもういい映画にしないと嘘でしょう。

内容としては、ミシシッピの田舎町で白人の活動家が行方不明になり、FBI捜査官がやってきて、南部の偏見と戦いながら事件を解決していく、というものです。
捜査の流れや事件の謎、といったことは、あくまで物語の大筋であって、全編を通して描かれるのは、当時の南部の町の差別意識の様です。

実際にこの時代には、KKK団という白人至上主義の団体があり(今も存在します)、普通の人の家が放火され、黒人がリンチされて木に吊るされて(「奇妙な果実」という歌になってますね)いたわけで、その様子はすべて映画の中に出てきます。
映画では、差別=悪、という単純化はせず、小さな町に生まれ育った人達の複雑な心境も描写されています。
とはいえ、そこにものすごく深く切り込んでいっているわけではありません。
多くの人が飽きずに最後まで観られるように、エンターテイメント(この映画にはしっくりこない言葉ですが)に仕立ててあります。
タイプの違う主人公ふたりの衝突や、ちょっとしたロマンスといった、定番の要素も入ってます。
そして、それらがまた、多すぎず少なすぎずといった感じで盛り込まれてるんですよね。
黒人が木に吊るされるシーンも、ぜんぜん強調されずに描かれますし、暴力シーンのバックにゴスペルが流れるのも嫌みがなく自然です。
伝えたい内容と、観客を引きつける要素とが、うまいバランスでまとまっています。

そして、全編を通してドラマを引っ張っていくのが、ジーン・ハックマンです。
彼を見てるだけで物語に引き込まれていきます。
あらためて、俳優の力を見せつけられました。
素晴らしいです。

正統的アメリカ映画の名作です。
内容は重いけど、誰でも楽しめると思います。
黒人差別や公民権運動に興味のある人に、何か1本、と言われたら、僕はこの映画を勧めるでしょう。


アラン・パーカーの映画には好きなものが多いです。
そこまで明確なカラーがある監督じゃないんですけどね。
バーディ、エンゼル・ハート、そしてコミットメンツ。
どれも面白かった。
コミットメンツに至っては、見終わって興奮して、その場で友達に電話してバンド始めて、しかもそのバンドが15〜6年続いているという。
コミットメンツもまた見直さなきゃ。

楽器を始めて以来、映画はほとんど見てなかったんです。
2時間もあれば、何かしら音楽の練習ができますからね。
でも、やっぱり映画はいい!

僕は、「ミシシッピ・バーニング」みたいな、脚本のしっかりした、きちんとお金のかかった正統派のアメリカ映画(ハリウッド映画ではない)も好きなんです。
最近ではイーストウッドの「グラン・トリノ」とか。
「タッカー」とか「我が心のボルチモア」とかもう一回観たい!
あーいろいろ観たくなってきた!
また、たまにブログにも書きますね。

2014年10月16日木曜日

映画の感想「鑑定士と顔のない依頼人」

「鑑定士と顔のない依頼人」を観ました。DVDで。

1年近く前、相方と何か映画を観たいね、って新宿に行ったときに公開していて、観ようとしたらなんと満席で入れなかったんですよね。
(ちなみにその時は代わりに「ブランカ・ニエベス」を観ました。すごく良かった!)

で、ようやく観た、と。
感想としては、とても面白かったです。
だけど、傑作とかは全く思いません。

この映画、いい評判もけっこう聞こえてきました。
多くの感想は、ストーリーに関するものでした。
宣伝文句でも、結末を知ってから観ると全く違う映画になる、と言う。そして、公開時には、なんと2度目に観ると割引きになる、というサービスをやってました。
ストーリーは概要しか知らなかったけど、監督はトルナトーレだし、ポスターもかつこいいし、期待しました。

で、噂の結末ですが、僕としては特に普通に思いました。
それどころか、ストーリーについては、そんなに良いと思いませんでした。
別に驚かないし、無理あるし、背景の掘り下げもないし。

でも、すごく面白かった。
それは、もう単純に、映画を観る快感です。
まず、映像がいい。
照明から構図から、美しい。
演出も、すごく均整が取れていて、間とかも全部いい。
そして役者がいい。
主演のジェフリー・ラッシュが、とにかくいいです。
喋ってないシーンが、特にいい。ちょっとした表情や仕草が絶品です。
エンニオ・モリコーネの音楽も、王道だけどベタではなくて良かったです。

映画を観る快感を味わえる、良質な作品だと思います。
はっきり言って、ストーリーはどうでもいいです。
なんでみんなストーリーのことばっかり話題にしてるんだろう。

でも、やっぱりストーリー、惜しいかな。
所々に、含蓄のあるセリフが挿入されたりするんですよ。
贋作と本物についてとか、愛とは、とか。
そういう内面的な見方をすると、孤独な男が初めて見つけた幻の恋、というジャンルの映画です。
そういう部分を描きたいのは分かるんですが、ならもっと掘り下げて欲しかった。
それがあれば、傑作になったかもしれない。

ちなみに、同じジャンルで僕が大好きなのは、パトリス・ルコントの「仕立て屋の恋」です。
あれも話はミステリーだけど、男の幻の恋の切なさ側から切り取っていて、打ちのめされます。
傑作です。

どっちも映画として良質だし、観てて気持ちいい。
でも、「鑑定士」の方は、観終わって何も残りませんでした。
ミステリーとしてストーリーで魅せるエンタメ映画なのか、人物を描く舞台設定としてのミステリーなのか。
どっちつかずの映画でした。
いい映画だけに、残念でした。


映画も、音楽も、何でもそうですが、その表現形態でしかできないことってあると思うんですよね。
ストーリーとかメッセージとかは、別の話。
ストーリーが素晴らしいだけなら、別に映画でも小説でもどっちでもいいわけで。
映画でしか得られない快感、映画でしか伝えられないもの、っていうのが、あるはずです。

音楽も、例えばボブ・ディラン等のファンに多いですが、詩がいいと言う。
僕に言わせれば、いや、歌詞カードにある訳詩を読んで感動してるんじゃん、ということになります。
文字で読んでも感動しないものが、歌われて初めて感動するということがあって、それでなくては、歌である意味がないと思うんです。
だから、フォーク・ソングは、音としては好きだし、内容だっていいものはありますが、歌詞も含めた音楽全体として感動したことは少ないです。

ボブ・ディラン好きですよ。詩もいいと思いますよ。
でも、そのセンテンスがどういう響き方でどういうアクセントで歌として成立してるかは、僕の英語力ではわかりません。

まあ、そう考えると、洋楽は分からないっていうことになってしまうんですが。
そう、けっきょく深い所までは分からないと思ってます。
だから、シンプルな歌が好きなのかな。
スタンド・バイ・ミーとかね。

僕自身が歌う人だったら、もっと歌詞のことで悩んでたかも。
管楽器奏者でよかった。

2014年10月15日水曜日

自分の演奏が好きになってきた

雨の日は内省的になる。


ここ半年くらいかな、ようやく自分の演奏にOKを出せるようになってきた。
自分の演奏が好きになってきた。

クラリネットを始めて15年くらいだろうか。
その間、自分のライブはほぼ全て録音して聴き返している。
聴く度に、落ち込む。
よっぽど才能がないのかと思ったことも何度もある。
特にテクニック面で落ち込むことが多かった。単純に音を外したり、フレーズが変だったり。
みっともないし、恥ずかしい。

それでも、他人から褒めらたりもする。
いや、褒めるのもわかるんですよ。
彼らが、僕のどの部分を好きで評価してるのかはわかる。
でも、それで至らない部分が全部チャラになるわけじゃない。

練習はしてきたし、至らない部分は修整してきました。
常に上達はしてきたと思います。
でも、どれだけ上達しても、自分の演奏を聴き直して、よし!と思ったことは少ないです。

なんで最近、よし!と思えるようになったのか。
それは、テクニックとか修整とか上達とかではないです。
自分の好きな、理想とする演奏に近づいているからです。

感動してきた音楽があって、その音楽のどんな部分に心を動かされてきたか、ということがあり、そのぼんやりした抽象的な部分が、ようやく自分の演奏からも聴こえてき出した、ということだと思うのです。


誰々の演奏をコピーして、その人のフレーズをマスターしていく、というやり方があります。
レスター・ヤングぽいね、とか、ジャンゴみたいだね、とか、中には、過去の偉人そっくりに演奏できる人もいます。
よくアドリブ入門とかでも、最初はコピーから、と言われますよね。
僕も色んな人をコピーしましたが、特定の誰かのスタイルの影響というのは、薄いです。
なんでかというと、聴いてきた音楽の中に、クラリネットの入っていないものが多かったからだと思います。
なので、自分の演奏を聴き直しても、特定のクラリネット・プレイヤーを連想することはありません。

僕の場合、特定の人やスタイルやジャンルではなく、ものすごく抽象的でぼんやりした、でも自分の中では明確な何かに惹かれて音楽をやってきました。
ぼんやりしている故に、具体的にどうしたらそこに行けるかがわからない。
あるフレーズを練習して、それがマスターできたら嬉しい、あるいは誰々みたいに吹きたい、といった具体的な喜びとは違うことを、ずっと求めてきたわけです。
これができた!一歩進んだ!という経験の積み重ねではなく、ぼんやりした道を来たので、自分がどの程度進んでいるのかもよくわからない。測れない。
いいか悪いかは別として、そうやってきたように思います。


その、ぼんやりしたものが、演奏からにじみ出るようになってきた。
あるいは、にじみ出てはいたんだけれども、至らぬ部分が修整されてきたことで、より全面に出てきたのかもしれない。
なんでそうなってきたのかは、わかりませんが。

と、書いてみて、気づきました。
冒頭に、自分の演奏にOKを出せるようになった、と書きました。
それより、その後の、自分の演奏が好きになってきた、という方が、正しい気持ちです。
ぼんやりしたやり方でやってきたので、OK!ということは、きっとないんだと思います。
OKって、具体的な基準があってのものですから。
なので僕の場合、好きか嫌いか、ということしかないわけです。


僕は、自分の録音した音源は持ってません。
アルバムとかで完成したCDをもらっても、誰かにあげるか捨てるかしてきました(CDくれた人、ごめんなさい。でも一応、いらない、って言ったと思いますよ)。
自分の録音を、反省・研究の目的以外で聞き直すことはありません。
でも、今なら違うかも。
自分の演奏を、たぶんリスナーとしても聴きたい。
これは、とっても嬉しいことです。


自分にOKを出し続けることは、たぶん簡単じゃない。
そして、そもそもOKを出すことが幸せなのか。
あるレベルに達した、合格点に届いた、ということが重要なのか。
それより、自分を好きになれた方が、幸せだと思う。

僕の場合、すごい!どうしたらあんな風にできるんだろう?というベクトルではでなく、単純に、素晴らしい!と感動したことが音楽の初期衝動です。
なので、自分の演奏が好きだということは、その感動が失われていないということであって、正しく進んできたという証明なんです。
きっと、僕が感動してきたミュージシャン達は、今の僕の演奏を好きになってくれるでしょう。
なぜなら同じものが流れてるから。

しかし、15年とは。
長い。
でもそれだけの間、ぼんやりした道を歩かせるだけのものを内包した表現があるということ。
そういう表現に出会えたことに、感謝です。


2014年10月14日火曜日

Bulletproof Musician:不安をプラスに変える方法 - 「センタリング」

Bulletproof Musician という英語のサイトの記事を、ランダムに翻訳するシリーズです。ミュージシャンのメンタル面に関する内容を扱っています。音楽をやっていない方でも、自己管理やマインドの問題に興味があるなら、是非ご一読下さい。


How to Make Performance Anxiety an Asset Instead of a Liability
http://www.bulletproofmusician.com/how-to-make-performance-anxiety-an-asset-instead-of-a-liability/


”ナーバス” という言葉には、マイナスのイメージがあります。
実際、世の中にはナーバスな状態から脱するためのアドバイスが溢れています。
私自身、本番が近づくと不安が募ってしまい、とにかく手当り次第の解消法を試した経験があります。
バナナを食べ、カモミール・ティーを飲みました。
ステージから、お客が下着姿でいる様を想像しました。
不安から睡眠不足になり、さらに練習量を増やし、 サプリメントを取りました。
結果は気にするなと、何度も自分に言い聞かせました。 
しかし、どうやっても不安は無くならず、演奏も停滞したままだったのです。

その後、私はジュリアード音楽院の博士課程に進みました。
そこで専攻したパフォーマンス心理学の授業で、ようやく気付いたのです。
不安によって分泌されるアドレナリンを効果的に利用することができれば、不安そのものは問題ではなくなります。 
不安を悪だと決めつけ、リラックスしようと努力しても、効果はないのです。

では、実際に不安をプラスの要素に変えるにはどうすればいいでしょうか。
そのためには、まずは緊張下での心理状態について理解する必要があります。


左脳 vs 右脳

脳は、主に左半球と右半球という二つの領域から成ると考えられます。
もちろん、我々の脳は非常に複雑であり、左右別々に分けて扱うのは単純に過ぎまるでしょう。
しかし、演奏の際の心理状態を理解するためには、この分類はとても有効なのです。

左脳の働きは、言語、数字、論理、分析、批評、規則、細部、計画、決断、などに関係します。
対照的に、右脳が関係するのは、音、映像、図形、筋肉や神経へのインプット、感情、大局、アイディア、 創造力などです。

そうすると、効率的な練習には左脳の働きが、芸術的な演奏をするには右脳の働きが重要なことは明らかでしょう。
しかし残念ながら、多くの場合は正反対のことが起こっています。
どうしてか、練習室では左能が働かず、集中力を欠いてしまうのです。
特定のフレーズをひたすら繰り返し練習しているときなど、ボーっとしてしまう経験があるはずです。
そして、ステージに上がった途端に左脳が働き出し、分析や批評を始めます。
その結果、技術面の細部ばかり気になるようになり萎縮し、実力が発揮できずに終わってしまうのです。

“分析麻痺”という言葉をご存知でしょうか? 
細部を意識する余り、全ての動作が誰かに監視されていると思い込んでしまうのです。
これと反対の状態は、 “flow” あるいは “the zone” と呼ばれます。
全てのピースがはまり、リラックスして自由に演奏できる状態です。

“flow” “the zone"の状態に入るには、左脳から右脳への移行が必要となります。
そのためには、センタリング(Centering)と呼ばれる方法が有効です。


センタリング

センタリングは、著名な心理学者 Robert Nideffer博士により1970年代に確立され、
スポーツ心理学者ドン・グリーン博士によって実際にオリンピック選手達に用いられました。
現在のスポーツ心理学においては、試合前のウォーミングアップとして不可欠とされています。
不安をプラスに変え、 集中力をコントロールするために、非常に有効なのです。
一度センタリングを身につけてしまえば、いつでも思い通りに演奏を高みへ持っていくことができるようになるでしょう。

センタリングを行うには、7つの段階があります。
各ステップにおいて、左脳の司る不安・疑い・自己批判から離れ、右脳の司る平静・落ち着き・集中の状態へと次第に意識を移していきます。


Step 1: 集中点を定める

離れた場所に、「集中点」を一つ、決めてください。
譜面台でも、目の前の床でも、ホールの後方の座席でも、目線より下であればどこでも構いません。
「点」を意識することで、意識が散ることを抑え、左脳を無駄に使う誘惑を避けうるのです。


Step 2: 目的を明確にする

目標を設定します。
ステージに上がってどう振舞うか、どう演奏するか、観客に何を伝えるか。
それらを、はっきりと正確にイメージするのです。

そのためには、断定的で強い言葉を使います。
例えば、 "感情を込めて" "メリハリのある演奏をする"という風に。
"いい演奏をしたい"というだけでは効果がありません。

 “〜しない"という否定形は使わないように注意してください。
ネガティヴなイメージが浮かび、疑念や怖れを誘発します。
例えば、“高音を外さない"と言うと、まずは高音を外した時のことがイメージされるはずです。 
しかし、”高音を豊かに響かせる”と言えば、同じ内容でも浮かぶイメージは全く違ってきます。
望むイメージに集中できる言葉を選ぶべきです。


Step 3: 意識して呼吸をする

緊張を解くには、横隔膜を使った腹式呼吸が有効です。
人間の身体は、緊張すると、危険に即座に反応できるようにと、浅く速い胸式呼吸に戻ってしまいます。
その状態から、意識して複式呼吸をすることで、緊張を解いていきます。
複式呼吸は、戦闘状態を解除する「副交感神経系反応(The Paparasympathetic Nervous System Response)」のスイッチでもあるのです。


Step 4: 筋肉の緊張を解消する

ストレスを感じると、筋肉は緊張します。
思考がネガティブになるほど、筋肉は硬くなり動きが重くなっていくのです。
しかも多くの場合、その筋肉は、まさに演奏に必要な箇所なのです。

ゆっくり深く呼吸しながら、頭からつま先まで全身の筋肉に順番に意識を巡らせてください。
息を吐くと同時に、一箇所づつ緊張をほぐしていきます。
慣れれば、演奏中でも筋肉の緊張が意識でき、それを和らげることが可能になるでしょう。

※著者のセミナー(?)の映像がリンクされています。
https://www.youtube.com/watch?v=qRy5XrpuVcQ
参加者2人に続いて著者自身が、筋肉を瞬時に弛緩させてみせます。英語ですが、映像だけでも判ると思います。


Step 5: 身体の重心を見つける

マーシャルアーツに「気(ki / chi)」という概念があります。
東洋哲学では「生体エネルギー」「内面エネルギー」などと説明されるものです。
「気」の集まる場所は内部にあり、それは必然的に身体の重心に位置します。
マーシャルアーツの達人の動きを見れば一目瞭然です。
どんな体勢でも常に重心がブレず、バランスを保った優雅さが備わっています。
これは、一流の運動選手やダンサーにも言えることです。
身体の重心を意識することで、心も穏やかな状態になり、左脳の活動を抑えることにも繋がります。


Step 6: 「引き金」を利用する

緊張状態においては、細部に意識が集中しがちです。
練習の時ならまだしも、ステージでは演奏に支障が出てしまいます。
これを解消するために、右脳を動かす「引き金」を利用します。
「引き金」とは、理想の音や感覚をイメージするきっかけとなるものです。

まずは、引き金となる言葉を考え、実際に使ってみることです。
例えば、クリアな音色、正確な音程など、自分が望むイメージを想起させる言葉を選びます。
流れる弓さばき・スムーズな運指・流麗な・力強い・静かに・リラックス、といった言葉です。
言葉自体は重要ではありません。
そこから引き出されるイメージが自分の理想にどれだけ近いが、ポイントです。

このとき、2つ以上の言葉を同時に使わないよう気をつけてください。
それぞれの言葉について、自分のイメージに合うかどうか、聴いて、感じて、確かめる作業を、ひとつひとつ行きます。


Step 7: エネルギーを方向づける

ここまでで、心を落ち着け集中させ、能力を引き出すための準備はできました。
仕上げとして、自分の中の精神エネルギー全てを、演奏に活用する作業を行います。

まず、自分の内部にある精神エネルギーに意識を集中させ、身体の中心に集めます。
私の場合、自分のエネルギーを意識するために、プラズマ・ライトのようなものをイメージします。


次に、集めたエネルギーを体の上方に動かしていきます。
胸から首、そして頭へと移動させてください。
そして、額あるいは目から、光線のようにして、Step1で定めた集中点に向けて放出します。
この光線を導線として考え、Step2で明確化したイメージが聞き手に届くように、音に込めてください。

胡散臭いと思う方もいるかもしれません。
しかし、精神エネルギーは確実に存在します。
誰かと話していて、相手が興奮し詰め寄ってこられたことはありませんか?
至近距離から強烈な視線を向けられると、居心地が悪く、まるで頭の中を覗かれるような感覚になるはずです。
これが、精神エネルギーの力です。

ストレスを感じた時には、休憩を取ってアドレナリンをリセットするのではなく、逆にそのエネルギー有効活用するべきなのです。
精神エネルギーを音楽に乗せることで、一段階上の演奏ができるようになるはずです。


センタリングの練習

上記の手順でセンタリングを行うのは、最初のうちは時間がかかるでしょう。
しかし、一日に10~15分も練習すれば、1〜2週間で違いが実感でき、5分程度でセンタリングが可能となるはずです。
人によっては、数日で変化を感じる場合もあります。
何でもそうですが、継続と忍耐が必要なのです。

ここで説明した内容の大部分は、子供に対しても有効です。
その場合、もちろんステージでの緊張とは別の話になります。
不安を軽減するというよりも、集中力と目的意識を身につける訓練になるのです。

センタリングは、ステージ上のみではなく、練習の際にも大いに役立ちます。
(集中力を欠いた繰り返し練習によって間違った癖づけをする代わりに)目の前の課題に意識を集中できるからです。

センタリングを取り入れることで、音楽に対するアプローチは確実に変わります。
私自身がそうでしたし、この方法を学んだ多くの人間が同じように変化を体験しています。


昔から言うように、"波は止められないが、波に乗ることは学べる"のです。



2014年10月11日土曜日

ライブ報告: 近藤哲平トリオ

10/10 近藤哲平トリオ
西荻窪ミントンハウスにて。


とてもお世話になってるお店です。
1年半くらい前、ストーカー的被害に合い隠遁生活を送っていた僕に、「ウチでやるなら守るから」と言って、マスターが演奏活動再開の背中を押してくれました。
それがなかったら、いまだ人前で演奏していなかったかもしれません。

今回は、バンジョー坂本誠、ウッドベース関野恒夫、というベテランのリズム隊を迎えての演奏でした。
この顔合わせをセッティングしてくれたのも、マスターです。
なにせ僕は、その問題が未解決なので、未だにこの業界からは距離を置いていますので。
マスター、ありがとうございます。

大変に渋めの、いいライブになりました。

僕はステージでも目立つし、演奏自体も、お客を惹きつけるタイプです。
なので意外に思われるかもしれませんが、実は、渋くて地味な音楽が大好きなんです。
ただ、そういう地味な音楽を理解してくれるミュージシャンは、なかなかいません。
若いプレイヤーだと特に本当にどこにも誰もいません。

その点、今回のメンバーはバッチリでした。
余計なエゴや主張はなく、深くじっくりと曲を演奏できる。
僕も、音を張り上げる必要もなく、音色や音の表情でゆったりと表現することができました。
初顔合わせとあってスリリングな場面もありましたが、それも含めて楽しむことができました。

こんな曲をやりました。

1stステージ
1. Second Line
2. You Always Hurt The One You Love
3. Running Wild
4. Louisiana Fairytail
5. Lord Lord Lord
6. Sing On

2ndステージ
1. You Don't Love Me
2. My Blue Heaven
3. Perdido
4. Yellow Dog Blues
5. Amapola
6. We Shall Walk Through The Street Of The City

3rdステージ
1. Why Should I Cry Over You
2. Nobody Knows The  Trouble I've Seen
3. You Made Me Love You
4. Dark Town Strutter's Ball
5. Bucket's Got A Hole In It
6. Do You Know What It Means To Miss New Orleans
7. Bourbon Street Parade(アンコール)

初めてのお客さんから、お馴染みさんまで。
もっと派手なライブでの僕しか知らない人も、何人か見にきてくれました。
で、意外なことに、こっちの方がいい!っていう声まで。
びっくりして、嬉しかったです。
伝わるもんだな、と思いました。
ステージ・パフォーマンスは大人しいけどクラリネットは本質的に変わらない、とも言われました。
ちゃんと、自分の中身と音とが繋がって演奏できてるんだな、と最確認できました。
そういう声の積み重ねに、救われています。
みなさん、ありがとう。

また、やりたいと思います。




ミントンハウスには、Washboard Wizards というバンドで毎月出演しています。ウォッシュ・ボード、といっても、ジャグ・バンド系とは一味違ったバンドです。
今月のライブは、14日です。

2014年10月8日水曜日

僕の考えるニューオリンズ・クラリネット

ポピュラー音楽において、クラリネットはマイナーな楽器です。
過去にはジャズの花形楽器だった時代もありましたが、そんなのウソみたい。
今では、名前は知ってるけどどんな楽器だっけ?っていう人もいるくらいです。
そんな中で、ニューオリンズだけは例外です。
クラリネットで生計が立てられて、実際に何人もがそうして家族を養っている。
現在、これだけクラリネット人口の多い町はなかなかないでしょう。

そして、ニューオリンズのクラリネット・スタイルは、独特です。
僕は、そのニューオリンズの独特の演奏スタイルに惹かれ、研究し、現地でも4年間暮らしました。
今ではニューオリンズ音楽をやる機会は多くありませんが、どんな人とどんな音楽を演奏しても、僕の演奏からニューオリンズ・テイストが失われることはないと思っています。
しかし、あらてめてニューオリンズ・クラリネットとは何かと言われると、難しい。


僕は大学で、現地で最も多忙なジャズ・クラリネット奏者、Tom Fischer に教わりました。
レッスン中に、ニューオリンズ・クラリネットとは何か、と話したことがあります。
彼は、特にニューオリンズのスタイルについて意識していないと言います。
実際、トムの演奏はいわゆる「ニューオリンズ」的なスタイルではありません。
特に個性的というわけではない。
一般的なスイング・ジャズの語法でどんなジャンルにも対応できる、というタイプです。
加えて現地の出身ではないことで、彼をニューオリンズ・クラリネットと認めないミュージシャンもいると言っていました。
現地のトップ・プレイヤーで、出身は違うけれども30年以上もニューオリンズに住んでいるというのに。


Orange Kellin というクラリネット奏者がいます。
ヨーロッパ出身で、ニューオリンズ・ジャズに憧れて移住しましたが、その後ずっとニューヨークで暮らし、最近またニューオリンズに戻ってきた人です。
N.Y.が長かったので、スイング・ジャズを演奏することが多かったはずで、実際、音づかいはスイング寄りです。
それでもトムは、彼のスタイルは「 ニューオリンズ」に聞こえると言います。


違いは何なのか。
トムもオレンジも、フレーズは洗練されてるし何でも演奏してしまう。
二人のスタイルの違いを具体的に指摘するのは難しい。
あえて指摘するなら、常に完璧なトムの演奏に対して、オレンジの演奏からはややルーズな印象を受けます。

そう考えてみると、「ニューオリンズ」を強く感じるクラリネット奏者には、確かに「ルーズ」な部分があります。
上手い・下手といった、技術的な話ではありません。
ジャズの場合、一般的には、スケールや定型フレーズを組み合わせて演奏します。
その結果、すべての音符が綺麗に整った、なめらかな演奏になります。
対してニューオリンズのクラ吹きは、ワン&オンリーのフレーズの人が多い。
フレーズの途中で頻繁に伸び縮みしたり、着地点がズレたりします。
なので、「ルーズ」に聞こえます。

音色も、違います。
トムは、クラシックの曲でも通用するような、クラリネットらしい音色です。
実際、ごくたまにですがクラシックも演奏しています。
オレンジの音色は、変わってます。
息がもれてるような、こもったような音がします。
クラシックなど均一性を求められる音楽では、敬遠されるでしょう。

もちろん、クラシックやスイング/モダン・ジャズの世界でも音色の違いはあります。
しかし、それはクラリネットをやっていない人間にはおそらく判別不能なレベルの微妙な差異に過ぎません。
ニューオリンズのプレイヤー達の音色の違いの幅は、もっとずっと広い。
どこの誰でもわかるくらい個性的な音色だったりします。


音色の問題は難しいですが、「ルーズ」さというのは、解りやすい特徴でしょう。
だからといって、タイミングをずらしてルーズに吹いたらニューオリンズに聞こえるわけじゃない。
フレーズについても、オレンジだって、普通にジャズのフレーズを吹きます。
個性的なフレージングやルーズさは、確かにニューオリンズ・クラリネットの特徴ではありますが、それだけでは「ニューオリンズ」には聞こえないんです。
すると結局、トムとオレンジを分けるのは何なのか。
なぜ、トムと同じフレーズを吹いても、オレンジの演奏は「ルーズ」に聞こえるのか。


「心象風景」だと思います。
これはもう、どんな音楽を好きで聴いてきたか、といった、演奏に対する気持ちの問題であり、分析は不可能です。
楽器を練習する上で、頭の中にイメージを持ってると次第にその音色に近づいていく、と言います。
それと同じようなことかと思います。

だから、いくら過去のプレイヤーの演奏をコピーして忠実に吹いても、ニューオリンズの感じは出ません。
フレーズよりも、演奏してる時にどんな心象風景が浮かんでいるか。
コードやスケールのことを考えてるのか、それとも誰かの顔や風景を思い浮かべてるのか。

僕自身の経験からしても、実際こういうことで、だいぶ音が違ってきます。
人や街や音や風景に包まれたようなイメージを持てると、いい演奏になることが多いです。
自分がイメージの一部になって溶けていくような感覚、でしょうか。
演奏中に譜面を見てたりして頭を使うと、面白い演奏にはなりません。


オレンジが、演奏中に何を思ってるのかはわかりません。
でも、もともとニューオリンズ・ジャズへの情熱から移住してきたくらいだから、きっと過去の音楽への愛情が、吹いてるときにもあるんじゃないでしょうか。

ちなみにトムは、何も考えてません。
単純にその場の音に反応してるだけです。
良い悪いではなく、そういうタイプなんです。
天才型ですから。


けっきょく、ニューオリンズ的、というのは、エッセンスの問題です。
どれだけ「ニューオリンズ」に触れて心が動いた経験があるか。
その経験に基づいた心象風景を演奏中にどれだけ持てるか。
だから、ニューオリンズ・クラリネットを言葉で定義するのは難しいんです。

ニューオリンズのクラ吹きの、フレーズのオリジナリティや音色の多様さは、「型」よりも心象風景やイメージ優先で楽器に取り組んだ結果なんだと思います。
心象風景というのは個人によって違うものだから、出てくる音もそれぞれ違う、ということなんでしょう。
なので、心に「ニューオリンズ」のイメージがあるなら、どんなフレーズを吹いても「ぽく」聞こえます。
逆に、スタイル面での特徴といった、「型」から入ったプレイヤーにはあまり「ぽさ」を感じません。


ニューオリンズ・クラリネトに興味があるなら、コピーはやめましょう。
それよりも、過去の録音を山ほど聴いて没入して、雰囲気をつかみましょう。
そして、お金貯めて現地へ行きましょう。
ある程度の期間滞在すれば、音楽 面だけではなく、町の空気が体に染み込んでくるはずです。
もしそれでも分からなければ、残念ながら向いてないということだと思います。


僕も、心象風景を持っているつもりです。
色々な音楽をやってますが、僕はニューオリンズ・スタイルのクラリネット奏者です。
ニューオリンズ・ジャズのライブも、たまにやります。
聞きに来てください。
そしてニューオリンズについて語りましょう。
ちなみに、トムとオレンジを取り上げたのに、深い考えはありません。
思いつきです。
でも、2人ともモダン寄りのこともやる音数の多いプレイヤーだし、いい比較だったかと思います。



オレンジ・ケリン
かっこいいですね。


トム・フィッシャー
何も考えてないですね。




2014年10月5日日曜日

LIVE報告 : GWO & モッチェ永井

昨晩は三鷹バイユーゲイトでゴールデン・ワックス・オーケストラのライブでした。

お店の入り口。
写真に撮ろうとして離れた所から見てみたら、ニューオリンズの建物みたいでかっこいい。


こんなチラシを作ってもらいました。


バイユーゲイトには、僕は他のバンドでも何度か出演したことがあり、GWOとしては3度目になります。
このお店、あえてジャンル分けするならブルース・バーになるのかもしれませんが、ブルース!!というよりも、黒人音楽とその周辺の大衆音楽が全く分け隔てなく聴けます。
音楽的に、間違いなくいちばん好きな飲み屋です。
バイユーゲイトについては、そのうちゆっくり書きたいと思います。


共演は噂のシンガー、モッチェ永井。
彼のことはこちらにも書きました。
http://teppeikondo.blogspot.jp/2014/10/blog-post_2.html


リハ風景。

モッチェの声は本当に気持ちいい!
バイユーゲイトは音がよく響くので尚更です。


本番開始。

ほとんどのお客さんはモッチェ初体験。
でもいざ歌い出すと、その声とキャラにどんどん魅了されていくのが、見ていてわかります。
MCもリラックスしていい感じ。
モッチェは雰囲気つくるのが上手いな。



ライブ後、客席は「いい声!」「素晴らしい!」と絶賛の嵐。
モッチェ、もっと色んなジャンルのお店でやったらいいよ!
絶対うけるよ!


そしてGWOの番。

モッチェの後は、やりやすい。
いや、変な意味じゃなくて。
お客さんが、いい具合にリラックスしてるんですよ。
いわゆる、客席があったまってる、という感じ。

セットリストはこちら。

1、Congo Mambo (Guitar Gable)
2、That's All I Need (Magic Sam)
3、Down To My Last Heartbreak (Wilson Pickett)
4、Lonely Teardrops (Jackie Wilson)
5、That's How Strong My Love Is (O.V.Wright)
6、Love Me Tender (Elvis Presley)
7、Sisters (John Boutte) 
8、魚ごっこ (Bo Gumbos)
9、Tennessee Waltz (Sam Cooke)  
10、Once Upon A Time (Marvin Gaye & Mary Wells)

お気づきでしょうか?
そう!なんと、日本の曲が入っています!
今回、モッチェ永井と共演ということで用意した、ジャマイカ寄り=ニューオリンズ風ナンバーのひとつです。
なんか、急にこの曲思いついたんですよね。
バイユーのお客さんならボ・ガンボス好きだろうし。
転がるピアノのフレーズをクラリネットでやったりして、面白かったです。

ちなみに、7~9曲めは、すべてセカンド・ライン・ビートで仕上げました。
ニューオリンズのリズムは気持ちいい!
ずっと演奏していたくなります。


ここでモッチェ再登場。
一緒に3曲演奏しました。

Once Upon A Time (Marvin Gaye & Mary Wells)
Twistin' the Night Away(Sam Cooke)
Mercy, Mercy (Don Covay)

Once Upon A Timeは、以前からモッチェ永井がレパートリーにしてる曲です。
モッチェは、デルロイ・ウィルソンのバージョンをベースに歌っていますが、オリジナルはマーヴィン・ゲイのデュエット曲です。
元がマーヴィン・ゲイなわけですから、GWOでもやっちゃおう!両方続けて聴いてもらおう!という企画。
といっても、ウチらは原曲とは全く違うリズムでやりましたが。
バージョン違いをライブで一緒に聴けるなんて、なかなかないですよ!

Twistin' もMercy, Mercyも昔から何十回と演奏してきた曲ですが、モッチェとやると随分と雰囲気が変わります。
なんというか、歌のグルーヴが大きくてゆったりしてるんですよね。
面白い!
大きいグルーヴを持った人って、少ないです。
僕は大好きです。
今回はセッション形態だったので、いつかちゃんと合わせてみたいですね。

と、楽しんでる間にライブはあっという間に終わってしまいました。
汗かきました。
GWOを初めて見たお客さんも喜んでくれて、僕らだけでなくモッチェ永井のことも気に入ってくれたのが嬉しい!

ライブって、いい演奏するのは当たり前。大前提です。
その上でお客さんには、その日その場所に来て良かった、と思ってもらいたい。
そういう意味でも、共演者、そして場の空気も含めて、昨日は良い夜でした。


終演後に話してて面白かったこと。
僕が、「まさか一曲目にインスト・ナンバーやるとは思わなかったでしょ?」と言っても、誰にも全然伝わらない。
考えてみたら、GWO自体がインストのバンドなわけで、そりゃあ何のことやら、ですよね。
Congo Mamboの原曲が、インストなんですよ。
僕はいつも歌モノを演奏してる感覚なので、この曲は他とは全然違う「インスト・ナンバー」と思ってたんです。

今後、「インスト・ナンバー」も増やしていく予定なのでよろしく!


バイユーゲイトは来月11/30にも出演します。
次回の共演は、イグノランツの上村秀右率いる爆裂ブルース・バンド「青猫トリオ」です。
これがまたすごい!
GWOも、ブルース・ナンバーを仕込んで挑みます。
楽しみです!