ニューオリンズ・ジャズはサザン・ソウルである

昨晩、新橋のARATETSU UNDERGROUND で飲んでいるときでした。
気づいてしまったんです。
サザン・ソウルとニューオリンズ・ジャズは、実は同質のものである、という事実に。

うすうす解っていたんです。
だって、どんなジャンルの音楽が好きか、と聴かれたら、「サザン・ソウル」と答えます。
そして、「ニューオリンズ・ジャズ」はミュージシャンとしての核だし。
この2つの音楽を、僕は同じような感覚で聞いてきたわけですから。


昨日は、バンジョー奏者の美田くんと演奏して、そのあと一緒に飲んでたんです。
彼がサザン・ソウルには詳しくないと言うので、マスターに頼んでレコードを聞かせてもらいました。
O.V.ライトとかスペンサー・ウィギンスとか。
そしたら、反応するツボが、さすが!って感じなんですよ。

ドラムやベースの、ここ!というポイントで顔が緩む。

ニューオリンズ・ジャズって、ノリが特殊な音楽なので、演奏できる人って本当に少ないんです。
彼は、それができる数少ない若手プレイヤーです。
その彼が、サザン・ソウルのツボに反応するのを見て、自分の考えを確信したというわけです。


2つの音楽の共通点を挙げてみます。
まず、メロディの重要性。
どちらのジャンルでも、最も大事なのは「歌」です。
他の要素は全て、歌を生かすためにあります。
楽器のソロでさえ、歌をより引き立てる・引き上げるために存在します。
だから、ソロも短い。

もちろん、いわゆる「歌モノ」であれば歌が重要なのは当然、ではあるのですが、サザン・ソウルは、その中でも歌に賭ける情熱が別格だと、個人的には思っています。
ニューオリンズ・ジャズも、ずーっとメロディだけ演奏するわけじゃなくて、ソロが続くこともあります。
でも、アドリブしてても、プレイヤーの頭の中にはメロディが残ってるんですよ。
これが、決定的にディキシーやモダン・ジャズと違う部分なんです。

そして、シンプルさ。
歌も楽器も、1つの音の中にどれだけの意味を持たせられるかが、大事です。
ボーカルのフェイクも最小限で、無駄に高音域に飛んだりすることはしません。
管楽器が高速・高音フレーズを吹きまくったり、ギターが早弾きしたり、ということは、あり得ません。
ベースもドラムも、アホみたいにシンプル。
シンプルだけど、グッとくる。
スネア1発、ベースの1音だけで、ノックアウトされます。
スプーナー・オールダムの鍵盤やジョージ・ルイスのクラリネットなんかが、いい見本だと思います。

で、グルーヴ。
大きな、グルーヴです。
振り子のサイクルが、ものすごーく大きくてゆったりとしています。
そして、重心が低い。
これ、けっこう特殊だと思ってます。
ミュージシャンでも、グルーヴを大きく取れる人って、意外に少ないですし。
リズムを自由にすることとは、また別の話なんです。
あー言葉で説明するの、難しいな。
このことについては、ARAETSU で飲みながら、レコード聞きながら話しましょう!

ということで、とにかく、サザン・ソウルとニューオリンズ・ジャズは、一緒なんですよ!


ニューオリンズ・ジャズのファンの方は、サザン・ソウルを聞いてみてください。
サザン・ソウルのファンであれば、ニューオリンズ・ジャズを聞いてみてください。
きっと、気に入ると思います。

ただ、ニューオリンズ・ジャズに手を伸ばす際は、注意が必要です。
一般的に出回っているCD等は、実は本質を欠いたディキシーランド寄りのものがほとんどだからです。
1960~1970年代のプリザベーション・ホール・ジャズ・バンドあたりが、良いかと思います。
Sweet Emma、George Lewis、Billie & De De Pierce、Kid Thomas Valentine、Percy Humphrey、といった名前が入っていれば、間違いありません。
まあ、古いの買えば大丈夫です。
サザンソウルと同時代のものですね。

この2つのジャンルを両方聞いてる人って、多くはないはず。
もったいないなーと思います。

そして、聞いたら、飲みましょう!
新橋で!

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