なぜN.O.のミュージシャンはみんな個性的すぎるのか

しばらく前に、失敗を恐れていいことはない、という内容の記事を翻訳しました。
それについて友達と話して、考えたんです。
なんでニューオリンズからはあんなに豊かな音楽が生まれ続けるのか。
それはおそらく、失敗が許容されてる町だからです。


東京の感覚からすると、ニューオリンズの音楽は恐ろしく適当です。
例えばライブでも、時間はルーズだし、曲もその場で決めるし、直前のメンバー変更もざらで、上手いミュージシャンと下手なミュージシャンが常に混在しています。
指定の楽器を持ってその場に行けば、演奏内容は問われない、ってくらいの勢いです。
当然、常に質の高い演奏になるはずがありません。
いい時もあれば、悪いときもあります。
演奏の出来は、そんなに重要視されないんです。

なぜか。
聞き方が違うからです。
海外ミュージシャンが日本に来ると、お客がシーンとして聞いてることに驚く、って言うじゃないですか。
向こうでは、ライブの最中も、みんな飲んだり食べたり喋ったり踊ったりしています。
もちろん、会場によって度合いは異なりますけど、じっと静聴してる光景は、クラシックのコンサートホールくらいでしか見られないでしょう。
音楽は、聴くんじゃなくて、楽しむものなのです。

ニューオリンズは、アメリカの中でもその度合いが飛び抜けています。
みんな楽しむことしか考えてない。
楽しめればいいから、細かいことは気にしないんです。
かといって、ぜんぜん内容を聞いてないわけじゃないんですよ。
聞くとこは聞いてます。
いい演奏をすれば、即座に反応しますからね。
日本のリスナーより、耳がいい。
音楽を聞くことに、慣れてるんだと思います。

別に、誰も、世紀の名演を期待してません。
音楽は、特別なものではなくて、毎日そこら辺にある当たり前のものなんです。
生活の一部。
果物の甘みが日によって違うのと同じこと。
イマイチな演奏や細かい失敗だって、あるのが普通だと思ってます。

そうするとミュージシャン側も、間違わずに演奏しよう、というより、お客を楽しませよう、という意識の方が強くなります。
細かいことは気にせず、思いっきり演奏するようになる。
その方がお客も自分も楽しいですからね。

ライブで、新しいことを試したり、たまには違う楽器にチャレンジすることだってできます。
子供や初心者も、どんどん飛び入りします。
お客も、彼は上手くなったねー、とか言って、長い目で見守ってるんですよ。

日本でよくある、ミスをしたら次がない、というような心配は、ニューオリンズでは無用です。
レコーディングならともかく、ライブは完成品を陳列するものではありません。
音楽はいつも新鮮で生き生きしているものだと、みんなが思っています。
面白いことをすれば、それが雑でも上手くいかなくても、歓迎されるんです。
ミスなんて当たり前。
上手くなくても、光るモノがあれば、誰もがサポートしてくれます。
それが花開くのを、町中みんなが楽しみにしてるんです。

そういう環境なので、ミュージシャンは、自分のポテンシャルを存分に開花させることができるんだと思います。
その結果、ニューオリンズからは、ただ上手いだけではなく、恐ろしく個性的で飛び抜けた才能が、多く育ってきました。
今でも、そうです。


残念ながら、日本は、そういう環境とは正反対だと思います。
演奏の出来など色々と気にしなきゃいけないから、のびのびと能力が解放されることがない。
せっかく才能の芽があるのに、花開くことのできないミュージシャンが、多くいると思います。
もったいないことです。

日本は、個性的・芸術的な才能のある人間にとっては、決して住みやすいとは言えない国です。
それをまずは、自覚した方がいいと、思います。
自覚がないと、何も始まりませんからね。
自覚して考える人が少しでも増えれば、ちょっとは何か変わるかもしれない。
のびのびと演奏するミュージシャンが少しでも増えれば、日本の音楽はもっと楽しく豊かになるだろうし、そうすれば音楽を好きになる人も増えるはずです。
期待はしていませんが、そうなったらいいだろうな、とね、やっぱり思いますよ。

音楽を楽しむとはどういうことなのか、ニューオリンズに行けば、わかります。
もっともっと、楽しいはず。
ニューオリンズは最高です。


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