楽しいだけじゃ、足りない。


はこだて国際民俗芸術祭に出演しました。
とてもいいフェスティバルでした。
函館の街並みが素晴らしく、気候もちょうど良かった。
大きなステージで、いいライブができたと思います。

後でフェスティバルについて書こうと思って写真も撮ったのですが、予定変更して、色々と思ったことを書くことにします。
最近またライブ報告ブログみたいになってきているので、軌道修正です。
もっと、自分の思いや考えを書いていこうと思います。


コロリダスは3日間の参加でしたが、フェスティバルは一週間続きます。
その間、いろんな国から来たアーチストが、幾つかのホテルに分かれて泊まります。
夜は、出演者同士で飲んだり、時にはセッションが始まることもあります。
ホテルが貸し切り状態なので、ロビーで音を出せるんです。

僕らの最終日の夜、ホテルに戻ると、日本の他のバンドとインドのミュージシャンとのセッションが始まっていました。
実際は、セッションと言うほどのものではなく、思いつく曲を適当に演奏して騒ぐ、というものですが。

僕、そういうの苦手なんですよ。
バンドやってる中には、例えば飲み屋にギターがあると、すぐ手にとって弾いたり歌い始める人がいます。
そんな時、僕はすぐ帰ります。

僕はカラオケも行きません。
とにかく、ただみんなで騒ぐ、というのが好きじゃありません。
人といる時は、その人と話をしたい。
相手のことを知りたい、その人としかできない話をしたい、という気持ちが強いんです。

これは性分です。
小学校の頃からそう思ってましたから。
例えば、何人か集まってテレビゲームをやったりするのが好きじゃなかった。
ゲームは誰とやっても、1人でも楽しいわけで、せっかく好きな友達といるんだから、そいつとしかできない遊びをしたいって思ってたんです。

その感覚はずっと変わりません。
だから飲んでても、あれ知ってるこれ知ってる的な話は楽しめません。
会話に固有名詞の多い人とは、合わない。
僕は、相手の考えや感情やらに、興味があるんです。
どうやら普通よりも極端なくらいに。

飲んで楽しい、というだけでは、時間の無駄に思えてしまうんです。
あー楽しかった!だけじゃなくて、想い出だけじゃなくて、もっと何か深く残るものが欲しい、と思ってしまう。

なので函館のホテルでのセッションも、全然楽しいとは思えなくて、楽器は出さずに隅で飲んでました。

もっと音楽的なセッションなら、やりますよ。
ニューオリンズでも、飲んでみんなでセッションすることはありました。
ニューヨークに行った時も、ミュージシャンが集まるバーに行って、入れ替わり立ち代わり朝までセッションしたりしました。
でもそれは騒ぐのが目的じゃなくて、本当に音楽的なセッションでした。
飲んでても、みんなどこかで真剣です。
騒いで弾けてバカになるんじゃなく、楽しく音楽で会話をする、というものでした。

もちろん、弾けてバカになるため、あるいは楽しい想い出をつくるためのツールとして音楽をやってるミュージシャンがいるのも分かっています。
ただ僕は一緒に騒ぐのはしんどいです。

だから、ライブも、楽しかったというだけだは、満足できません。
テレビみたりパチンコいったりカラオケいったりするのと、何が違うんだろう、って思っちゃう。
音楽じゃなくてもいいんじゃない、って。

楽しいことはいいことだし、ライブやれば楽しいに決まってる。
でも、もっと欲しいんですよ。

函館のフェスも楽しかった。
オープニングパーティーのライブは異常に盛り上がったし、メインステージでの演奏も、内容・レスポンス共に大成功と言えるものでした。
でも、あー良かった楽しかった!だけじゃ、物足りない。
その経験が何かに結実するようでないと。
分かりやすく言えば、自分が成長できている、という実感が、欲しい。


こういうの面倒に感じるミュージシャンも少なくないと思います。
楽しけりゃいいじゃん、って。
ただね、もう小学校の頃から思ってることなので、この性分は変わりません。

一緒に演奏する方々、ご理解ください。

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