2015年10月30日金曜日

音楽を、家でもちゃんと聞くぞ!

CDのライナーノーツを整理しました。
懐かしいジャケットがたくさんあります。
どれも、思い入れのあるものばかりです。


渡米する時に、CDを手放しました。
荷物になるから持っては行けないし、実家に預ける、というのもしたくなかった。
全部PCに取り込んで、売ったり、あげたりしました。

そんな中で、いくつかのCDはライナーだけ取って置きました。
解説が詳しいもの、手に入りづらくて特別にジャケットを取って置きたいもの、などです。
当然、コンピレーションが多いです。
中には解説をコピーして取っておいたものもあります。


昔は、よくライナーを片手に、解説や歌詞を読みながらアルバムを聞いていました。
今ではそういう聞き方をすることもなく、ライナーを読み返すこともありません。

アメリカにいた時は、環境も違うので仕方ないとしても、帰国してからも以前のような聞き方はしなくなってしまった。
それで不便はしてないんだけど、たまになんだか寂しい気分になります。

やっぱり、PCやiPodで音楽を聞くようになったからだと、思います。 
特定の音楽を聞いている、っていう感覚が、薄いんです。

何を聞くか選ぶときから、そう。
CDを目で見て選ぶと、ジャケットやそれこそ置いてある場所まで、いろんな情報が一緒になって、そこからインスパイアされることもあったりします。
PCだとそれが全部ただの文字情報になるので、頭の中の作業で完結してしまう。
文字を見てパッと頭の中で音が鳴らないものは、選ばなくなります。
脳も含めた身体的な感覚がないんですよね。

そして、PC上ではすべての音源が並列に存在しているので、「アルバム」っていう感じが、どうしてもしません。
区切りがないので、あのアルバムの何曲目、みたいに思えない。
もちろん画面上では区切れるんだけど、同じPCの中には他の音楽も入ってる。
選んで取り出して、っていう感覚がない。
確かに好きなアルバムを選んで聞いてるはずなのに、能動的に音楽と接してる感じがしないんです。
「いま」「これ」を聞いてる、って気がしないんです。


そもそも、現在ウチにはレコードはおろかCDプレイヤーもありませんからね。
CDを買っても、一度PCに取り込んでからじゃないと聴けません。
これを機に、CDプレイヤー買おうかな。
そして、ライナーを残してあるものは、もう一度きちんと聞き直すこともしよう。
以前とは違って、やろうと決意しないとできなくなってるから、でもいま決意したから、やるぞ!

2015年10月29日木曜日

Bulletproof Musician: 「視点」を変えれば現実は変わる

Bulletproof Musician という英語のサイトの記事を、ランダムに翻訳するシリーズです。
ミュージシャンのメンタル面に関する内容を扱っています。
音楽をやっていない方でも、自己管理やマインドの問題に興味があるなら、是非ご一読下さい。

How to Change the Way You Feel About Auditions

http://www.bulletproofmusician.com/how-to-change-the-way-you-feel-about-auditions/

"感じたものが真実だ"と言います。
先日読んだ本のなかに、こんな場面がありました。

地下鉄に、男が乗ってきました。
連れられた子供たちは大声で泣いています。
男は気づいているようですが、素知らぬ顔で宙を見つめています。
乗客はみな迷惑そうにしています。
しばらくして、著者は男に、子供たちを静かにさせてくれないかと頼みました。
すると、男はハッとして、説明をはじめました。
じつは病院からの帰り道で、数時間前に妻が死んだのだ、と言います。
途方にくれていて、子供達も混乱しているんだと思う、と。

このの著者の気持ちを想像してみて下さい。
それまでイラついていた感情が、一瞬にして同情へと変わったことでしょう。


「視点」を変える

これは極端な例です。
しかし、もしコンサートやコンクール、オーディションに対する「視点」を変えることができたら?
ネガティヴな感情を前向きに変化させ、状況を楽しむことも可能ではないでしょうか?

もちろん、可能です。
単純に、新しい「視点」を見つけだせばいいのです。
自分にしっくりきて、ポジティブにステージに向かえるものであれば、何でもかまいません。
それが正しいかものかどうかは関係ありません。
視点」の正当性を検証したい欲求はおさえて下さい。
冒頭の例でも、男の妻が本当に死んだのかは重要ではありません。
じつは、男が会社をクビになったり、妹が交通事故にあったのかもしれません。
ポイントは、「視点」が変われば感じ方も変わるということです。

具体例をあげてみましょう。


ステージに対する「視点」

演奏は観客へのプレゼントだ、と言うミュージシャンがいます。
その「視点」でうまくいくならかまいませんが、私の場合はしっくりきません。 
私は、人前で演奏することを、特権であり、貴重な体験だと考えています。

最近会ったある役者は、このことをより明確に意識していました。
彼は、人前で演じるのをいつも楽しんでいる、と言います。
観客がいなければ、大声でひとりごとを言いながら空想の世界にいるようなものだからです。
自分自身に向けて演奏するだけで、誰にも聞かれることのない人生なんて、想像できますか?



オーディションに対する「視点」

信じてもらえないかもしれませんが、私は、本番よりもコンクールやオーディションのほうが好きなのです。
もちろん、緊張します。
それでも好きなのは、そこには理想のオーディエンスがいるからです(このことについての議論はなしです。目的は、自分に合った「視点」を見つけることなのですから)

理由1:真剣である

第一に、審査員ほど真面目な観客はいません。
ふつう、観客というのは、演奏の途中で席を立ったり、居眠りをしたり、プログラムを読んだり、Facebook を開いたりするものです。
ひょっとすると審査員たちも、コンサート会場では同じかもしれません。
しかし、この場では、座って私の演奏を聴くことが仕事なのです。
こんな状況は、なかなかありません。

理由2:耳が良い

第二に、彼らは音楽をよく知っています。
演奏のディテールを聞き分ける耳を持っているのです。
たとえば、微妙な弓使いの違いや、レガートのニュアンス、強弱の陰影、ブレスの工夫、細かいアクセントやフレージング、など数えればキリがありません。
これらは、一般的な観客にはわかりづらいものです。

オーディションのメリット

当然、これは諸刃の剣でもあります。
十分に練習していない、表現力が足りない、技術面にしかフォーカスしていない、 といった場合には、みじめな結果になるかもしれません。
反対に、じっくりと曲に取り組み自分のものにしているなら、どうでしょう?
コンサートに来る一般的な音楽ファンは、細かいニュアンスまではおそらく聞き取れません。
実際のところ、平均的なミュージシャンでも無理でしょう。
聞き手側も同じ楽器を演奏し、なおかつ曲を熟知していなければ、十分な理解は難しいものです。

私の体験を話しましょう。
先日、 パーカッションの模擬オーディションを見に行きました。
曲目は、プロコフィエフの作品からの抜粋で、演奏者はスネアドラムを小さな音量で鳴らしています。
そこは難しいパートだと事前に聞かされていました。
しかし、軽々と演奏している姿を見ただけでは、難しいとは思わなかったはずです。
終わってから、彼は使用したマレットの細かい違いについて説明してくれました。
その説明がなければ、私はそうしたディテールについては分からなかったでしょう。

もっと驚くような例が、こちらです。

バイオリニストがストリートで演奏しています。
映像からでも、彼が素人ではないとわかりますが、ほとんどの人が素通りしていきます。

実はこのミュージシャンは、ジョシュア・ベルです。
彼は世界的バイオリニストの1人であり、このたった3日前にはボストンのホールを満席にしています。

ここから分かるのは、多くの人は一流の演奏を見分けることができないという事実です。
私がパーカッション演奏の違いがわからなかったように。
異論もあるでしょう。
しかし、繰り返しますが、目的は有効な「視点」を見つけることですから、議論はなしです


特権

人前で演奏できるのは特別なことです。
さらに、目の前にいるのが優れた聞き手だとしたら、しかもそれが1人ではなく何人も集まっていたら、どれだけ幸運なことでしょうか。 
そこまで良質な聞き手が、時間をさいて自分の演奏に耳を傾けてくれることは、まずないでしょう。
これ以上の観客は望めません。

曲に時間をかければかけるほど、自分のアプローチに自信が出てくるものです。
さまざまな弾き方や指使いを試し、音のイメージも明確になってきます。
私は、その違いを誰かにわかってほしいと願います。
ときには、自分の解釈が受け入れられないことがあっても、だれにも気づかれないよりはマシです。
それは、ジョークを言っても、誰もそれがジョークだと気づかないようなものですから。


自分の「視点」を見つける

これらの「視点」は、あくまでも一例にすぎません。
しっくりくるものは人それぞれですから、自分に合う「視点」を見つけてください。
目的は、よりよい演奏をすることです。 
ただ現実を見つめるだけでは、何も起こりません。


The one-sentence summary

“現実は動かしがたいように見えるが、実はただの幻想に過ぎない” - アインシュタイン

2015年10月27日火曜日

水晶になりたい

昨日はバンジョーの坂本さんとデュオ。
最高でした。
坂本さんは、僕が感動してきたニューオリンズ音楽のコアな部分を持っている人。
それはいわゆるニューオリンズ・ジャズの中でも「リバイバル」と呼ばれる、プリザベーション・ホール初期に録音されたものに顕著なもので、たぶんもっと分かり易く言えば『ブエナ・ビスタ~」あたりに通じる感覚です。
坂本さんの演奏からは、それらの音楽と同じ何かが聞こえてくるんです。
きっと僕の何倍も、音楽を聴いてきたんでしょう。
ソウル不毛の地である日本で、坂本さんのようなミュージシャンと一緒に演奏することができるなんて、とてもラッキーだと思います。
日本でニューオリンズ・ジャズを演奏することはあきらめてるし、坂本さんとやれれば、もうそれでいいや。


中尾淳乙さんが、ソロ・アルバムを聞かせてくれました。
最高でした。
隅々まで音楽愛があふれている。
楽器の選択や曲作りといった具体的なことだけじゃなくて、ギターのフレーズのニュアンスひとつで、泣かされてしまう。
こんなことは、めったにありません。
たくさん音楽を聴いてたくさん感動してきた人なんだろうな。
こんな演奏の前には、もう何もかなわない。


僕は、坂本さんや中尾さんみたいになりたい。
音楽をやるのは、自己表現ではないんです。
実験も冒険も、創造することもいらない。
今まで連綿と続いてきた素晴らしい音楽の世界に、ただ混じりたいんです。
自分の演奏はすべて、自分から出てきたものじゃなくて、過去の音楽のエコー。
そんな風になりたい。
自分を消して、音楽の一部になりたい。

ってことを、いつも思ってるんだけど、坂本さんと中尾さんのおかげで、またあらためて確信しました。

中尾さんのアルバムを聞いた感動の中でこれを書いてるので、なかなか感情的な文章になってしまった。
感動したことを、書き留めておきたかったんです。







2015年10月25日日曜日

やっぱりニューオリンズ・ジャズは最高だ!

昨日は阿佐ヶ谷ジャズストリート。
Issei's Liberty Syncopatorsで演奏してきました。
本当に久しぶりに、3管編成のニューオリンズジャズです。
いやー楽しいなー。
久しぶりなのに、自由にやれる。
何も考えずに自然にフレーズが出てきます。

僕はいろんな音楽を聞いてきたしやってきたし、今はコロリダスで固定メンバーと演奏してるけど、やっぱりニューオリンズ・ジャズがベースにあるんです。
このスタイルが、体に入ってる。
もう嘘みたいに軽々と吹けるんだもん。
毎日これをやって暮らせたら、どんなに幸せか。

でも、そんなことは最早ニューオリンズでも不可能です。
現地でも、ニューオリンズ・ジャズなんて、ごく一部の年配のプレイヤーしかやってません。
日本では、ほぼ皆無。
特に同世代やもっと若いミュージシャンでニューオリンズジャズを志向する者は、皆無と言っていいでしょう。
はい、皆無です。

自分が愛する音楽を、誰とも共有することができない。
悲しいことです。
もうあきらめてますけどね。
それでも、そのことを思うと悲しい。

その点、昨日のメンツは、いいです。
内二人は東京在住ではないので、一緒に演奏する機会はほとんどありませんが。
僕も他のメンバーも、たぶん普段ニューオリンズジャズはやってない。
でも、集まればやれる。

リハもしてないし、アラはあります。
もちろん、もっと音楽的に詰めた演奏ができればその方がいいけど、でもいいんですよ、そんなの。
ニューオリンズジャズがやれる、というだけで、僕にとっては素晴らしいこと。
だって、年に数えるほどしかやれないんだから!


なんでこんなマイナーな音楽を好きになっちゃったんだろう。
普通にカンとかゆずとかアムロとグレイとかいきものがかりとか好きなら、もっと楽だったのに。
そんなんじゃなくても、他の音楽ジャンル、例えばジャズやブルースやスカやレゲエやロカビリーやラスティックが好きだったなら、友達もできたろうに。
せめてディキシーランドジャズやスイングジャズなら違ったのに。

ニューオリンズジャズ、いいですよ!
お客さんはいつも楽しんで、そして感動してくれる。
何も知らなくても、聞けば反応してくれます。
こんなに多くの人の心に届く音楽フォームって、なかなかありません。
なんで多くの、特に若いミュージシャンの心には届かないのかな。
頭を取っ払って聞けば、わかるはずだと思うんだけどな。


あーニューオリンズ・ジャズがやりたい!
死ぬまでに最高のメンツと最高のニューオリンズ・ジャズがやれることが、果たしてあるだろうか。



※ちなみに、僕なりの「ニューオリンズ・ジャズ」の定義については、過去エントリに書きましたので、参照ください。

2015年10月24日土曜日

国立と国分寺、川口と川崎

僕は名前を覚えるのが苦手です。
人の名前や、地名や固有名詞がなかなか覚えられない。
駅の名前も、何度も行ったことあるのに、なぜかごっちゃになってしまう。
国立と国分寺、川口と川崎が区別できません。

川口に行って、携帯を落としました。
改札でてそのままタクシーに乗ったんですが、タクシー会社に問い合わせても見つからない。
ということは、駅を出てベンチで一度携帯を使ったので、きっとその付近だろう。
しかしその日は終電まで用事があり、確認に行けませんでした。

翌日、警察に電話しました。
忘れ物の問合せ窓口っていうのがあるんですね。
若そうな女性が、すごく丁寧に対応してくれました。
まるで企業のサポートセンターみたい。
警察の人なのかな?
届いてないけど、数日経って届けられるケースも多いから、日にちを空けてまた電話してみてください、と言われました。
親切だなー。
全くいい結果じゃないのに、なんだかいい気分になって電話を切りました。

仕方ない。
まあ、もう電話としては使ってなかったし、致命的に困ることはありません。
ただ、外で全くネットが見れないのはけっこう不便です。
あと、僕はEvernoteを使って文章書いてるんですが、その作業も外ではできなくなる。
そこで、昔使っていたiPhoneを取り出して、ネット端末として使ってみることにしました。
ところが、古いからか、全然使い物になりません。
いちおうネット接続はできますが、恐ろしく動作が遅い。
iOSをアップデートすればいいのかな、と思いましたが、アップデート自体がどうやってもできない。
仕方ないのであきらめました。

もう一度警察に聞いてみて出てこなかったら、ネット端末としてiPodでも買おうかな。
と思って、あらためて問合せの電話番号を調べている時、気付きました。

あ、こないだ電話したの、川崎警察じゃん!

なんと、川口と川崎を間違えて問合せていたんです。
そりゃ出てくるわけない。
いやーびっくりした。

その夜、家に帰るとSoftbankから手紙が。
川口警察に携帯が届けられている、という知らせでした。
キャリアから知らせが来るんですね。
もうSoftbankと契約してないのに。
親切だなー。

というわけで、僕が川口と川崎の間で右往左往している内に、親切な人たちの尽力のより問題は解決しました。
忘れ物の受け取りは平日だけなので、月曜まで待たないといけませんが。
最初から川口警察に電話してたら、きっとすぐに戻ってきてたんだと思います。

ここまで書いて、文中で川口と川崎がごっちゃになってないか、読み直して確認しました。
それくらい、自信ないんですよ。
周りの好意のおかげで、やれてます。

2015年10月19日月曜日

グルーヴについてぼんやり考えたけど、それでもムタンチスはかっこいい

土日コロリダスで遠征してきました。
2日間ずっと音楽を聞いたりやったり話したりしてるわけで、いろいろ思うこともあります。
グルーヴについて考えました。
といっても考えがまとまった訳じゃないんだけど、思ったことをそのまま書いてみます。


とにかく、僕が音楽の要素の中でグッとくるのは、リズムというかグルーヴなんですね。
いいメロディや好きなコード進行やしびれるアレンジや、そういうのももちろん大好きだけど、その演奏がグルーヴしてなければ、僕にとっては意味がない。
すごいいい曲を単調に演奏に演奏するより、ダサい曲をグルーヴィにやる方がいい。
すごいかっこいいフレーズがあっても、生き生きと演奏されてなければそれは音楽じゃない。



名古屋でパーカッション奏者のセイジさんと一緒にライブをやりました。
すごくよかった。
曲が始まった瞬間から、セイジさんのグルーヴが伝わってくる。
曲中でも、ずっと生き生きと語りかけてくる。
今まで何度も演奏してる曲に、はじめて本当に息が吹きこまれたかのよう。
それは技術の問題ではなくて、グルーヴ。
身体の中に音楽が流れているか、ってこと。
グルーヴって、演奏する以前に、それを体内に持っているかどうかで決まるんですよ。

翌日の移動の合間にバンド練習をしました。
今までずっとしっくり来なかったある曲のある部分のフレーズがありました。
それが前日セイジさんとやった時には自然に演奏できたので、その録音を聞いてみたんです。
そしたらわかった!
僕のリズムのとらえ方が今まで違っていたんです。
セイジさんの音をよく聞いたら、僕が頭で鳴らしていなかった音が鳴っていた。
その後みんなと合わせてみたら、バッチリでした。

音符としては、何も変わりません。
でも、体内に鳴らすグルーヴが微妙に違う。
今までも、もしかしたら他のメンバーはそのグルーヴを感じていたのかもしれません。
でもそれは僕にはわかりませんでした。
いつもどこか腑に落ちないままに演奏していたし、リハでやってみても何かしっくりこなかった。
それをセイジさんは、グルーヴをそのまま音として明確に発信することができていたわけです。
僕もステージ上でその音を聞いて、何も考えずに合わせて自然に演奏ができた。
こういうやり取りが、楽しいんですよ!



移動の車中で、リー・ドーシーが流れました。
アラン・トゥーサンがプロデュースしてミーターズがバックをつけたやつです。
もう!死ぬほどかっこいい!
信じられないグルーヴィさです!
なんでこんなにかっこいいのか、全くわかりません。
絶対に譜面に書けないし、分析もできないと思う。

ミーターズといえば、"Cissy Strut"。
リフ2つだけでできている、超シンプルな曲です。
簡単だし誰でもすぐ演奏できるし、やってみるとすごく楽しいんですよ。
たくさんのバンドがカバーしてるのを何度も聞いたことがあるし、どれも悪くない。
でも、ミーターズの演奏が圧倒的に最高です。
なぜなんだ!
グルーヴは奥深い。


そういえば、あるギタリストに、君のクラリネットは基本的にリズムだよね、みたいなことを言われたことがあります。
面白いこと言うなーと思いました。
確かに、管楽器奏者には、リズムよりコードやスケールのことを考えてるプレイヤーが多いのは事実です。
そんな中で、僕のようなタイプは珍しいんだと思います。
吹いてない時もずっと演奏してるつもりだし。
まあこれはまた別の話かな。



そんなことを考えながらいたら、車中でムタンチスがかかりました。
最高!
ムタンチスは、ミーターズと比べたら全然グルーヴィじゃありません。
でも、とにかくセンスがいい。
アレンジ、フレーズ、タイミング、全てが最高にクリエイティブで独自のセンスに充ちている。
隅から隅まで大興奮です。


グルーヴがないと音楽じゃない!とあれだけ思った矢先に、決してグルーヴィじゃない音楽を聞いてこの興奮。
結論。
やっぱりまだまだ音楽はわかりません。

2015年10月16日金曜日

オープンな状態が心地いい

最近のコロリダスは、バンドの色んなトピックについて話すことが増えました。
話の内容もそうなんだけど、意見を交換すること自体が楽しい。
別に最高のアイディアが出なくたっていいんです。
お互いバンドについて前向きに考えて、その意見をオープンに出し合えるのが理想です。

バンドをやるのに、全員のモチベーションを維持することって大事です。
調子がいい時は問題ありません。
周りで勝手に新しい展開が起こって、身を任せてるだけで楽しいので。

でも、どんなバンドでも浮き沈みはあります。
状況に左右されないためには、参加してるという実感が重要だと思うんです。
自分が参加してることで、全体がよくなっていく、みたいな実感。
大袈裟に言えば、やり甲斐、必要とされてる感、とかですかね。
それがあれば、例え良くない状況であってもモチベーションは保てる。
クローズドなバンドでは、参加意識は芽生えません。

ワンマンなバンドってあるじゃないですか。
リーダーがいて、その頭の中の音楽を具現化するためにバンドがある、という。
曲を書くだけではなく、アレンジや他の楽器のフレーズや、バンドの方針まで全部、そのリーダーが考えて、メンバーは言われた通りにやる。
意外にそういうバンド多いと思います。
リーダーが強権的というのじゃなくても、メンバーから意見やアイディアが出なくて、結果的にそうなってる場合もありますからね。

実は過去に、バンドのベーシストが音楽を聞かないタイプでフレーズのアイディアを出せず、僕がベースラインを指定することがありました。
それで音楽は良くなったと思うけど、それをやること自体が楽しくなかったです。
もちろん、言われる方だって楽しくなかったはずです。
そのバンドは、音楽的には最高だったけど、長くは続きませんでした。


ワンマンでやるのは楽です。
でも長い目でみたら、どんどん人に任せていった方がいい結果が出ると思うんですよね。
任せられた方のモチベーションも上がるし、そうすれば何でも自然と上達するし。
全員が参加意識を持つことで、一体感というか、関係性も強固になる。
そうやって長く続けていけば、どうやったってバンド全体のパフォーマンスも向上していきます。

僕も色々とアイディアが出るし行動したいタイプなので、放っておくと自分でやっちゃう。
だから、意識して人に任せるようにしています。
相手から出てきたものが自分の基準と合わなくても、それを受け入れて次に進む。
はっきり言って、自分でやるより難しいです。

こだわるけど、そのこだわりを捨てていく作業も同時に行う、みたいな。
一時の完成度よりも、前進して動き続けている状態にあることに、重きを置く、ってことかな。
それに、人の意見に触れることで、自分のイメージとは違う新しいものが産まれる快感もあります。
例えイマイチだなーと思う意見であっても、よく見れば自分にはない視点を発見することができるもの。
自分の頭で細部を詰めるんじゃなくて、常にオープンにいて、結果をその都度処理することに能力を使った方が、なんかいい気がするんです。

オープンにいることって、すごく健全に思えます。
自分がオープンでいると、相手もオープンになってくる。
オープンなバンドは、動いてる。
モチベーションに満ちている。
バンドじゃなくても何の集まりでも、常にそういう状態にあるのが理想です。
理想なんで、そんなに上手くはいかないんだけれど。
でもそんな風に考えてると、先の希望が持てます。
希望があれば、たいがいやれると思っています。


2015年10月15日木曜日

ホーダ・ジ・ショーロ、15年ぶりの友人

きのうはショーロのセッションに行ってきました。
そして、ショーロには予習が必要だということを痛感しました。
コードやメロディーがとにかく凝ってるし、転調もあるので、その場で耳で聞いてやるのでは限界があります。

曲が始ってまずキイを探って、コード進行を聞いて流れを理解したと思ったら、もう次のパートに移って転調してる。
そこでまたキイを探って、とやってると曲が終わってしまう。
譜面を読みながらやればなんとか吹けなくはないんですが、そうすると周りを聞く耳がおろそかになってしまう。
いやまあね、すごく譜面に強くてなおかつ卓越した耳の持ち主であれば問題ないんだろうけど、僕のスキルでは無理!

せっかく素晴らしいパンデイロ奏者の西村さんがいるのに、リズムに合わせる余裕がありませんでした。
悔しい!
曲を覚えてまた挑戦します!


驚いたことがありました。
なんと、15年以上ぶりの友人にばったり会ったんです。
出会った当時、彼は最高にニューオリンズなピアニストでした。
というのも、ピアノやってる人ってほぼクラシックかジャズ上がりで、みんなニューオリンズのリズムのセンスがない。
なんでか、そういう音楽を一度通ってしまうと、リズムの感覚が死ぬんでしょうかね、テクニックはあるのに残念な人しかいない。
もはや現地でもそうだし、まして日本のピアニストなんてみんな酷いもんです。
そんな中で彼は、突然変異的に、プロフェッサー・ロングヘア的な、いわゆるグルーヴ重視のピアノを弾いていました。
強烈だったし、最高でした。

しかし彼はその後ニューオリンズ音楽から離れ、なぜかサックスを始め、そして今はクラリネットでショーロをやっているという。
まさか昨日ばったり出会うとは!
僕は曲をなぞるので必死で、その場のマナーも分からず、彼と正面から音楽的なやり取りをするまでの余裕がなかったですが、いいプレイしてました。
今度じっくり手合わせしてみたいです。

セッションが終わってから飲みました。
お互いに紆余曲折はあったけれど、音楽に対する本質的な感覚は変わってない。
僕が普段からジャズや、吹奏楽・クラシックのミュージシャンに感じる違和感なども、遠慮なく話せる。
やっぱり、音楽でつながった人は信用できます。
音楽をやる時は、何も誤魔化せないですからね。

手習いじゃなくて心から音楽をやってる人は、本当に嘘みたいに驚くほど少ない。
だから、そういう人との出会いは大事にしたいと思います。

と、思えた夜でした。
ショーロ、勉強します!

2015年10月14日水曜日

バレルの悩み


楽器の調子が悪い原因が、判明しました!
リードじゃなくて、実はバレルのせいだったんです。

バレルとは、マウスピースと本体の間の短い筒の部分で、楽器全体の音色や音のバランスに影響します。
そのため、後からバレルだけ別のものに変えるプレイヤーもいます。
各メーカーが内径のシェイプを変えたカスタム・バレルを出しているし、バレルだけ作っている所もあります。
バレルと、ベルでも有名なのはバックンです。
日本でも利用者は多いですね。
バレルのオーダーメイドは日本ではあまり聞きませんが、欧米では Allan Segal を始めとして何人か知られています。

僕の楽器は、現代のクラリネットと比べると内径がとても広く作られています。
それに対して、マウスピースは新しいものを使っているので、内径の差が出てしまう。
その内径差を調整するために、バレルは特別なものを使っています。

アメリカにいた時に、Les Nicholas という製作者にオーダーして作ってもらいました。
欧米には、マウスピースやバレルの個人製作者が数多くいます。
マウスピースを色々試す内に、バレルにも興味がわいて、試しに注文してみたんです。
そしたら、すごく良くて!
オリジナルのバレルでも特に問題はないのですけどね、Lesのバレルの方が明らかに音のつながりがいいんです。

Lesは、マウスピースと本体の内径を測り、それに合わせたシェイプのバレルを作ります。
バレルの中をくり抜いて、 内側に特殊な素材で作った内径パーツを差し込むんです。
で、なんとこの内径パーツが外れてることに気づきました。
慌てて別のバレルを出してきて吹いてみたら、普通にスムーズに音が出ます。
これだったのかー!

右が普通のバレル、左がパーツの外れたLesのバレルです。
ぜんぜん違うでしょ?

この前、クラリネットのマウスピースでサックスを吹きました(サックス新境地)。
その時にサックスの太さに合わせるために、バレルの内径パーツを外したんですね。
それでパーツがゆるくなったんだと思います。
楽器の調子が悪くなったのは、土曜日のライブからです。
その直前に公園で練習してる時には、何ともなかったはず。
きっと公園で楽器をしまうときに外れて落としたんでしょう。

まいったなー。
まあ、これでも問題なく吹けますけどね。
ただ、こっちのバレルの方が全長が少し長いので、ピッチが低くなる可能性があるんですよね。
どうしようかな。
またバレル買いたいけど、安くないしなー。

何にせよ、原因がわかって良かった。
しかし楽器の悩みは尽きません。

2015年10月13日火曜日

財布が発見されました

半年前に落とした財布が、出てきました!
警察から突然手紙が届いたんです。
でも、そこには詳しい内容は書いていない。
落し物の項目があり、そのうちの「定期券」「カード」「定期入れ」「保険証」にチェックが入ってます。
落したのは財布で定期入れじゃないし、いまいち分からない。
ちなみに、チェック項目の中には、「シルバーカード」というのがありました。
老人の落し物が多いんでしょうね。

でもまあ取りに行ってみよう、と。
しかし、窓口は平日の9〜17:30しか開いてない。
通知が来たのは先週末だったので、今日まで待って取りに行きました。
でも、この時間設定じゃ会社勤めの人は受け取れないじゃん。

わざわざ府中警察署まで行ってきましたよ。
入ってすぐが落し物窓口です。
平日の午前中だし、空いてて待たずに受け取れました。
出てきたのは、財布とカード類、スイカ、保険証です。
カード類は紛失手続きしてあるので、全てゴミです。
現金はありませんでした。
かなりの金額だったので、出てきたら最高に嬉しかったんですがねー、そんな甘くない。
財布は、長い間雨ざらしだったようで、もうボロボロでした。
いい感じで革がくたびれて味がでてたら、なんて期待してましたが、とても使える状態ではない。
受け取らずに処分してもらいました。

落としたのは調布駅前です。
そこから少し遠く、どの駅からも離れた路上で拾われたそうです。
誰か拾って現金だけ抜いて、帰宅途中の路上に投げ捨てた、ということなのかな。
犯人は自転車かな。
なんて、考えても何にもなりません。

無駄足だったなーと思って駅に。
試しにスイカの残額を調べてみると、なんと3000円以上残ってました!
ずっと雨ざらしでも、まだ使えるんだ。
スイカすごいな。

新宿から往復の電車賃が840円。
スイカ残額3300円くらい。
所用時間が1時間半。
収支としては、まあ悪くはないかな。

2015年10月12日月曜日

しみずけんたライブ

昨日はコロリダスのボーカル、しみずけんたの弾き語りを聞きに行きました。

よかったです。
コロリダスの時よりもエモーショナルに歌ってて、すごくよかった。

もしかして、バンドの時は、歌うってこと以外の色んなことを考えながらステージにいるのかもしれない。
1人だと誰にも気を使わないし、自由に歌えるから、自分を解放できるのかも。
そうだとしたら、僕らメンバーはまだまだ足りない。
もっと自由に歌わせてあげないと。

これはボーカルに限ったことじゃありません。
どの楽器でも、小編成の方が自由度は高い。
でもバンドのいいところは、演奏を重ねる内に、それぞれが1人でやってる時みたいな自由度を感じられる可能性がある。
コロリダスもそうなれたらいいな。

ライブ後半から、パーカッション英心も参加。
聞いてたらこっちも演奏したくなる。
かっこつけずに、楽器持っていけば良かったなー。


一緒にやってるミュージシャンが他で演奏するときは、なるべく見に行くようにしています。
付き合いってことじゃありません。
いつもと別の面が見れるし、何よりも、よりその人のことが解るようになります。
それは音楽的な面だけじゃなくて、感情面や色んなことまで。
誰かと演奏するって、単純な「音」だけの話じゃないですからね。
少なくとも、僕にとっては。

そもそも僕は、付き合いでライブに顔を出すことは基本的にしません。
聞きたいライブにしかいきません。
昨日も、実は他に見たいライブが重なってたけど、けんた君を見に行きました。
メンバーの演奏を見ることは、そのくらい意味があります。
少なくとも、僕にとっては。

2015年10月11日日曜日

またまたリードの悩み

昨日はコロリダスのライブ。
ライブ自体は良かったんですが、なぜかリードミスが頻発して。
途中でリードを交換してみてもダメ。
何だろう。
まあ、口が疲れたとか何か、自分の調子が悪いのかなと思って深く考えませんでした。
調子のいい時も悪い時もありますから。

でも、今日も練習してみたら、なんだか鳴らない。
リードが硬くつまったように感じるんです。
数種類のリードを試してみても変わらない。
楽器が鳴らないと楽しくないし、落ち込みます。

思い当たる原因がひとつだけあります。
練習の時、特に公園で練習するときは、練習用のいわゆる2軍リードを使っています。
使ってる内にこれがヘタって薄くなってきて、その薄さに慣れてしまったのかもしない。

案の定、練習用リードを試してみたら、楽に吹けます。
これは困った。どうしよう。
でも実は、薄いリードにしたいとは思っていたんです。
僕の好きなニューオリンズのクラリネットプレイヤーは、薄いリードで軽く吹く人が多いので。
ただ、薄いリードはコントロールが難しくて、僕には今までのリードが限界だったんです。

もしかすると、このままもっと薄いリードに移行できるかもしれない!
自分でも、最近は以前よりだいぶ軽い息で吹くスタイルになってきたと思うし。
よし、その方向でやってみよう!

ひとつ問題があります。
今までも薄いリードを使ってたので、それよりさらに薄いのって、なかなか売ってないんですよね。
今日寄れるのは新宿の楽器屋くらいなので、とりあえず電話してみたら、やっぱり置いてない。

仕方ない。
明日手持ちのリードを削って薄くして吹いてみます。
そもそも昨日のリードミスの原因がリードの薄さだとも限らないし、マウスピースも含めて色々と試してみるつもりです。

しかし、リードや小物をめぐる旅って、どうして終わりがないんだろう。
嫌になることもあります。
そこには、もちろん探求の楽しさもあるんですけどね。
それが楽しめなきゃ、木管楽器は続かないかもしれません。
楽しもうっと!

2015年10月10日土曜日

『ブラジル・バン・バン・バン』でエルザは、恋人より音楽を取る、と言った

『ブラジル・バン・バン・バン』を見てきました。

主役は、トーキング・ラウド主宰として有名な、ジャイルズ・ピーターソン。
彼がブラジルに行って、現地のミュージシャンを集めてアルバムを作る過程を追った、ドキュメンタリーです。

本当にそれだけの映画です。
レコーディングや町の様子をさらっと記録して、特に何かを掘り下げたりしません。
上映時間も短く、気軽にブラジル感を味わえる小品でした。

中でのハイライトは、エルザ・ソアレスの録音シーンです。
スタジオでバラードを歌うんですが、これがもうね、ものすごくいいんですよ!
素晴らしい歌手です。
でも惜しむらくは、顔や手をアップで映すのが、邪魔なんだなー。
確かにたまんない顔で歌うんですけど、それにカメラが寄るのはやり過ぎでしょ。
あれだけ心から歌ってるのに、作為的な演出は合わない。
歌を聞かせて欲しい。
凝った構図とかもなしに、引きで固定で撮ってほしかったな。
僕は歌が聞きたくて、そのシーンの間ずっと目をつぶって耳を開いていました。


その前のシーンで、エルザは言います。
音楽と恋人(確か英語字幕でLoverになってたと思います)なら音楽を取る、なぜなら音楽は決して裏切らないから、って。
どうやら波乱の人生を送ってきた人みたいです。
しかし、老いてこのセリフ。
うーん。

音楽は裏切らない、っていうのは、ものすごくよく分かります。
僕も事あるごとに同じ言葉が頭をよぎるし、誰かに実際そう言ったこともあると思います。 
音楽があれば、大丈夫。

でも、僕はその上で、音楽以外でもまわりの人と繋がりたい。
音楽は、いつでも裏切らない。
そう感じられたら、すごく心が安定します。
そして、自分の心がいい状態にあることで、ようやく他人の心も気づかえるんだと思うから。

音楽があれば大丈夫なことは、分かってる。
なら、毎日どんなことが起こっても、けっきょく大丈夫なわけで。
だったら恐れずに何でもやってみたい。
誰かに裏切られても、最後には音楽が救ってくれるんだから、安心してどんどんやってみたらいい。
って思うんです。

エルザも、恋人より音楽って、本気で心から思ってるんじゃないんじゃないかな。
いろんな悲しみや諦念を消化した上で、それを全部吐き出す、というか、解放する。
その手段が音楽であって、感情を歌に昇華させるようなことを、彼女はやってるんだと思うんです。
恋人より歌を取る、と口では言うけど、それは本当は、音楽があるから大丈夫、って自分に言い聞かせてるんじゃないのかな。

そんな風に思いました。
いやしかし素晴らしい歌でした。


映画が終わって、ジャイルズに挨拶して、明日の上映後にライブやりますって言って、コロリダスのラフ音源を渡しました。
映画の印象と同じ、気取らない人でした。

それにしても、連日どうやら満席みたいです。
ブラジル音楽ファンて、そんなにたくさんいるのかな。
それともジャイルズのファンなのかな。
分からないけど、お客さんが入るのは、いいことです。

そのあと新宿OPENに、リコ・ロドリゲス追悼ライブを見に寄りました。
DJでもリコの音源がたくさんかかって、改めてまとめて聞いたけど、ニューオリンズのトロンボーンに近いものがありますね。
ライブも、ゲストも入ってかなり盛り上がりました。
しかし、ライブが始まったのが終電後という。
まあチャリだったからいいけど。


さて、今日は『ブラジル・バン・バン・バン』上映後に、コロリダスでミニライブをやります。
よく思うんですが、僕はアメリカ音楽ばっかり聞いてきて、ブラジルやラテンに詳しいわけではありません。
色んな場所で演奏するときに、僕でいいのかなって気持ちになるんです。
みんな僕よりたくさんブラジル音楽を愛してるんだろうし、そのみんなの愛に触れるような演奏が、できるのかな、演奏する資格があるのかな、って。
別に僕を聞いて欲しいんじゃなくて、僕を通して音楽を聞いて欲しいので。

今日は、少しはブラジルの音が出せたらいいな。

2015年10月8日木曜日

ヒマなときこそ勝負

今月は、ヒマです。
あまり予定が入っていません。
いろんなタスクやデッドラインに追われない日々を、久々に過ごしています。

色々と、考えたり整理したり。
練習したいことを練習したり。
タスクがない時、一から自分で考えなきゃいけない時こそ、勝負です。

モチベーションを保つ方法として、よくゴール設定が挙げられます。
具体的な目標とその期限を決める、というやり方です。
いつまでに〇〇を達成する!
と決めて、それを目指すことをモチベーションにするわけです。

僕は、そのやり方は好きじゃありません。
だって、ひとつクリアしたら次、という風にずっと目標を設定し続けなきゃならない。
あるいは、長期的な大きな目標があったとして、もしそれがクリアできなかったらどうするのか。

それよりも、毎日のスケジュールを具体的に立てて、仕事のように淡々とタスクをこなしていく、というやり方が自分には合っています。 
できるだけ何も考えず、ただ決めた作業をやるだけ。
毎日やることであれば、そのうち習慣化するし。

目標を設定して無理にモチベーションを上げるより、その感情のエネルギーを行動することに使った方がいい。
その方が、ムラなく毎日続けられます。
例え落ち込んだときでも、気持ちのアップダウンに影響を受けずにやれるから。

ずっとそうやってきました。
僕の目標は、何かを達成するんじゃなくて、続けること。
結果じゃなくて、続けている、という状態にあることです。
だから、今月みたいな、特に具体的な目標やタスクがない時でも、やることは変わりません。
使える時間を算出して、スケジュールを組むだけ。

明日何が起こっても、ブレずに淡々と続けていけるように。
何にも依存しないで、これからもやっていきたいです。

こんなことを思うのは、秋だからでしょうかね。
まだ公園もそこまで寒くないから、時間がある内にたくさん練習しようっと。

2015年10月6日火曜日

結婚式に出席しました



結婚式って、いいですね。
お祝いの場だから、幸せな空気しかない。

教会式でした。
美しい建物で、式の最中にも感動的な瞬間が何度もありました。
式の後は隣のレストランへ。
乾杯の挨拶や、簡単なスピーチ。
内容が感動的なものって、多くはありません。
でも、例えどんなに紋切り型の内容であっても、感動することがある。
気持ちを込めて一生懸命に話している姿に、心が動かされます。

そう、けっきょく、突き詰めれば、内容なんてどうでもいいんですよ。
心に響くのは、話している人の感情なんです。

それは、普段の会話でも同じことで。
相手の話す内容に賛同できなかったり、よく理解できなかったりしても、その人の感情の動きに触れることで、距離が縮まっていく。
だから、正しい・間違ってる、とか、事実関係の確認なんて、意味ないです。

もちろん、何かについて議論するような場合は別ですが、目の前の相手に興味があって話す時には、表面の言葉ではなくてその元の感情にフォーカスするようにしています。

話が面白い人、っているじゃないですか。
色んな知識やエピソードを知っていたり、話し方が面白かったり。
でも、「話」が面白いんなら、その「人」じゃなくてもいいじゃん。
その「話」は他の人が話したって面白いはずだから。

結婚式では、誰もがお祝いの気持ちを持ってそこにいます。
何を話そうと、何も話さずとも、それぞれの内側からポジティブな感情がにじみ出します。
それが集まって、幸せな空気ができあがる。
すごく健全だと思います。

行ってよかった。

2015年10月3日土曜日

奢ってもらうこと

昨日は、2人の友人に別々に奢ってもらった。
豊かな日でした。

奢ってもらうのって、金銭的なことだけじゃないと思ってます。
気持ちを受け取る、みたいな。
まあ、シチュエーションにもよりますが、サシ飲みで奢ってもらうときは、お金より気持ちの方を感じることが多いです。

奢ってもらう時、いやいやいや〜って恐縮するの、あれは違うんじゃないかと思います。
恐縮するのは、誰かに何かしてもらったら借りができてしまう、というベクトルの発想でしょう。
恩を売る、貸し付けをする目的で奢る人なんて、滅多にいないはずです。
少なくとも僕の友人にはそんな人はいない。
好意をそんな風に受け取ること自体が、相手に失礼だと思うんです。
信じてないということだから。

ギブ&テイクって言葉もあります。
僕はそれは結果論だと思ってます。
ギブしてればいいことあるよ、くらいのことであって、もらったから返さなきゃいけない、という考え方は間違ってる。
ギブすることで相手が負担や後ろめたさを背負ってしまったら、本末転倒の負のループです。
誰も幸せになれない。

好意は、ありがとうと思って受け取った方がいい。
相手がどんな気持ちでギブしてくれたかを想像して、感謝して受け取るべきだと思うんです。
物や金額じゃなくて、気持ちを見る。
気持ちに対して真っ直ぐ素直ににありがとうと言うこと。

もらったら同程度のモノを返す、という発想は、恐ろしく無機質で表面的に思えてしまいます。
それに対して、気持ちを受け取るのは、ある意味で覚悟・約束のようなものです。
相手の気持ちを背負って、気持ちを裏切らないようにやっていく、という約束ですから。

そう考えると、好意を受け取る、というのは、実は気軽なことではない。
重い行為です。
僕は、軽い人間関係には興味がありません。
多くの人の気持ちを受け取って、背負ってやっていくのが居心地がいいんです。
自分だけの人生ではなくなって、あったかい気持ちがするんですよ。

って、文字にすると大袈裟な気がしてきます。
でも、本当にそう思ってて、だから、人に会います。
会うことで、もちろん、好意を受け取るばっかりじゃないけど、いいんです。
極端な話、悪意でもいい。
人の気持ちに触れること自体が、いいんです。
そう考えることで、ずいぶん救われてると思います。


昨日は、って、書いてるうちにもう一昨日になってしまいましたが、豊かな1日でした。
おかげで、今日も曲がらずにやれてます。