2016年12月31日土曜日

大晦日

大晦日。
一年を振り返りたくなります。
みんな振り返っているし。
今年の10大ニュースなんてのもある。

でも、考えてみると、なんで振り返る必要があるのか。
振り返ってどうするのか。
あああれができたできなかった、あんなことがあった、とか思い返してみて、それでどうなるんだろう。
振り返るっていったって、失敗を分析して傾向と対策を考えるわけじゃなかろうし。
よかったことを思い出して反芻してアファメーション効果を求めるわけでもないでしょう。

年が変わっても、生活には影響ないじゃん。
学校のクラスがえみたいに、環境が変わることもないんだし。
会社員だと、部署移動とかあるのかな?
ちょっとそれはよくわかりませんが。
べつに1年ごとに人生が区切れるわけじゃないし、大晦日も元旦も、同じ24時間としてなにも違いはないはずです。

それとも、僕の脳には生まれつき欠損があって、大晦日と元旦の違いを認識する神経というか細胞というかなにか受容体のようなものが足りないのかもしれない。
他の人はみんな、年が変わるときに体に何かの変化が起こるのかもしれない。
あるいは脳が脱皮みたいにして一新されるとか。
年が変わるっていうのは、ただの時間経過ではなくて、普通の人は地球か大地かカレンダーかキリストとかとテレパシーみたいな見えないヘソの緒みたいなもので繋がっていて、時計の日付表示が変わるようにして頭のなかで「カチ」って音が鳴って、なにか重大な変化があるのかもしれない。

もし音楽をやってなかったら、そもそも僕は教授とか学者とか偉い人になるだろうって思ってた時期もむかしはあったから、どんな分野かわからないけど大晦日の謎を解明する謎の機関で働くような人生の選択肢も、あったのかもしれません。



なんてことをぼんやりと思いながらなんとなく1年を振り返ると、今年もなかなかに面白かったな。
ハイライトは「シルエット近藤」の誕生ですね。
まさかムード歌謡をクラリネットでやることになるなんて、いままでこれっぽっちも考えたことありませんでした。
たまたま思いついたことをノリでやってみたら面白かった、という、いつものパターン。
そして、以前からファンだった哀愁歌謡バンド「ぺーソス」への参加。
参加といっても、メンバーになったんじゃないけど、わりとたびたびライブに呼ばれてます。
自分が好きな人と一緒に演奏できるのって、ほんとうに嬉しい。

なんだか、もはやクラリネット・プレイヤーの誰もいままでやってない、というかそもそも誰も興味ないだろう分野にどんどん切り込んでいっています。
そんな計画をしてたんじゃないのに、いつものように流れに身を任せていたら、こうなりました。
これからも、流されるままにやってれば面白いことがあるでしょう。

と、流されるままに、今年を振り返ってみました。
来年も、みなさんよろしくお願いします。


2016年12月30日金曜日

ペーソス居酒屋ライブ

今年最後のライブは、"哀愁おやぢの平成歌謡" ペーソスでした。
出会いは2年前、かな?
対バンで出会って、あまりに最高すぎて衝撃を受けました。
ブログにも書いたし、何度か人を連れてライブも見にいきました。
そんな大好きなバンドで自分が吹くことになるなんて、思ってもいなかった。
うれしいです。


中井の居酒屋「田」。
満席でスペースがなく、メンバー3人が縦に並ぶことに。
ボーカルの島本さんの横からクラリネットを突き出して合いの手を入れるのは、見てて面白かったんじゃないかな。
もちろん、やりやすくはなかったけど。

ペーソスの客席は、いつもいい雰囲気です。
年配の方が多いんですけどね、みんな楽しそうに聞いてるんですよ。
ライブのあとで、カウンターにいたおばあさんに話しかけられました。
ふだんは夫の介護をしていて、久しぶりにひとりで外出したそうです。
「ホント素敵だったわ〜!久しぶりにすごく楽しかった。ありがとうございます。」
なんて、言ってくれる。

とってもいい夜でした。

ペーソス最高ですよ!
来年もときどき参加しますのでよろしくー!

2016年12月20日火曜日

キップ・ハンラハンとムーンドッグ

キップ・ハンラハンのアルバムを何枚か聞いてます。
かっこいい!
なんでこんなにかっこいいんだろう。
音楽的には、ラテンや先鋭ジャズの要素が強いからやっぱり「ラテンジャズ」となるんだろうか。
でも、隅々の要素まで全部、ハンラハンのセンスによって練り上げられてる、独自の音楽に違いない。
参加したプレイヤーが他で演奏するのを聞いても、この感じはありません。
ハンラハンは歌わない。
ボーカルが欲しい時は、曲に合う歌手を連れてくる。
アルバム内でも曲によってミュージシャンを変える。
それでも、これはキップ・ハンラハンの作品だと思える。
素晴らしいボーカルも超絶ソロも頭に残るメロディも、あんまりないけど、でも、いいんだよなー。
不思議だ。

少し前に、Moondogの1stを聞いてた。
もう、メロディもリズムもなくて、サウンドコラージュ?現代音楽の領域です。
でも、どこか親しみやすい。 
これもまた不思議です。

どっちも、ジャンル的にはというか、けっして好みのタイプの音楽じゃありません。
僕は、現代音楽もラテンジャズも聞かないし。
といって、この2人が音楽的に特別にジャンルレス/ボーダレス/ミクスチャーとも思わない。
このくらいやってる人は他にもいます。

そうするともう、"センス" としか言えない。
例えばキップハンラハンは日本の一部のアヴァンギャルド/ジャズファンに人気です。
で、たぶんその人たちは菊地成孔とかも好きなんだろうけど、僕も何度か聞いてみたことあるけど、いいと思ったことはありません。
似てる部分はあると思うし、菊地成孔はキップハンラハン好きだし、交流もあるのかもしれない。
でもなぜか、菊地成孔の音楽は僕にはアピールしないんですよね。

つまり何が言いたいかって、自分でも分かんないんですよ、なんでキップハンラハンとムーンドッグをいいと思うのか。

ちなみにキップ・ハンラハンを知ったのは、ピアソラのアルバムのプロデューサー(?)としてです。
ずーっと昔、大学の図書館でいろいろ聞き漁ってたらピアソラがあって、アルバムを一通り聞いた中で特別に好きだったのが、ハンラハンの手がけた「タンゴ・ゼロ・アワー」でした。
そうしてみると、ずっと昔から、僕はハンラハンの "センス" に惚れてたんですね。


僕は "センス" で音楽を選んでるんです、きっと。
だから、キップハンラハンのファンやムーンドッグのファンが勧める音楽を、僕はあまり好きじゃないかもしれない。
そうなると、ジャンルとか具体的な特徴で話ができないとなると、なかなか人と共感し合うことが難しい。
これが、ラテンジャズ・ファン、現代音楽ファン、ということなら、それだけで無条件で一定数の仲間がいるわけです。
知り合いには、手持ちの音楽の9割がニューオリンズ・ブラス・バンドもだ、って人もいます。

でも、僕はその人達よりもっと、キップハンラハンやムーンドッグや素晴らしいブラス・バンドの良さが分かると、けっこう本気で思ってます。
根拠は、ありません。

2016年12月18日日曜日

バイユーゲイトとW.C.カラスとGWO

一昨晩は、三鷹バイユーゲイト11周年記念ライブ週間の、最終日。
W.C.カラスと一緒に演奏しました。

バイユーゲイトは、僕にとってはスペシャルな店です。
まだGolden Wax Orchestra を始めたばかりの頃に、出演しました。
コレが面白いのか何なのか、まだ自分でも分かっていませんでした。
その時にマスターのユウさんが絶賛してくれたことで、ああコレやっていいんだ!という確信が持てたんですよね。
それ以来、定期的に出演し、まさに腕を磨かせてもらってきた場所です。

カラスさんにとっても、バイユーゲイトは特別な場所です。
全国ブレイクのきっかけを作ったのが、ユウさんなんですから。
バイユーを東京の「ホーム」と公言して、レコ発は今でもバイユーゲイトでやっています。

僕とカラスさんが出会ったのも、バイユーゲイトのおかげです。
会う前から、お互いにユウさんから名前を聞いていましたからね。
初対面では、やっと会えた!と嬉しくて、最初から親しいような気分だったのを、覚えています。


だから昨日は、楽しみでした。
前日まで、気合い入れるぞ!やるぞ!って思ってました。
それが当日になってみると、リハも本番でも、僕はいつになくリラックスしてたんですよね。

「ホーム」感、なんでしょうか。
GWOは自分のバンドだから、ステージの責任を負う、という感覚が、いつもあります。
それが昨日は、なかった。
ユウさん、カラスさん。
そして、お店を好きなお客さん。
とてもいい気分でした。



前半はGWO。
W.C.カラスがバッキングを務めます。
カラスさんがギター一本でバックをつけるなんて、まずないことでしょう。
いい意味でゆるい、ライブ感あふれる演奏になりました。
こんなリラックスしたライブなんて、なかなか日本では見れないと思いますよ。
すげーよかったですよ。

後半はW.C.カラス。
弾き語りに、僕がクラリネットで加わります。



前半は生音でしたが、歌のバックでは小さい音も使いたいのでマイクを立てました。
サングラスを外し衣装も替えて、気持ちを切り替えて。

カラスさんは、予定調和にしない人。
どんどん煽ってきます。
いまやってる曲がこのままいつ終わるのか分からない。
ソロも、終わろうとしてもまだ終わらせてくれない。
歌のバックでこんなエネルギー使うとは思いませんでした。
燃えました。

モアリズムのアントニオ佐々木さんが聞きに来てくれたのも、嬉しかった。

ああよかった。
こういう日は、終電がうらめしい。


バイユーゲイトは、僕にとっては憧れのお店でもあります。
ルーツミュージックの素晴らしい先輩たちがたくさん出演している。
僕なんて、聞いてきた音楽の量も、演奏経験も、まだまだまだまだです。
浅く広く軽いですし。
卑下してんんじゃなくて、本当にね、知れば知るほどに、尊敬、としか言葉のない、音楽に身を捧げてきたようなミュージシャンが、たくさんいるんですよ。
その長い列の末尾に並んでいられてるような光栄な気分が、昨日もありました。

あまりこういうことを考えたことはなかったけど、「ホーム」ってこれなのか。
バイユーゲイト11周年。
おめでとうございます!


GWOセット・リスト

When A Man Love A Woman
I Won't Cry
I'll Change My Style
Dark End Of The Street 
Congo Mombo
Please Send Me Someone To Love
Lonely Man
Love Me Tender
Keep On Pushing

2016年12月14日水曜日

音楽の話がしたい

音楽ライター小尾隆さんのブログを読みました。
マイナーでも良い音楽

若い頃から通ったレコードショップの思い出が綴られています。
店に通ううちに、他のお客と音楽話が盛り上がって、そこから友人関係がはじまることもあったそうです。
ここに書かれている芽瑠璃堂の他にも、いろんなレコード店やロック喫茶などで、そうした光景があったんでしょう。
手元のレコードを見ると、買った時の情景がよみがえる、と小尾さんは言います。


ものすごーく、うらやましいです!
こういうエピソードって、60代より上くらいの方の話によく出てくるんですよね。
音楽好きが集まるレコード屋が、いくつかあったらしい。
店主や店員やお客同士で、音楽を通じて会話が始まる。
ロック喫茶で議論したり。
古いミュージック・マガジンなんかでも、「論争」みたいなのが載ってる。
音楽について、話すこと、共有すること、議論することが、そこらじゅうで起こってたみたいです。
いやわかんないけど、少なくとも今よりは、音楽を通じた交流があったんじゃないか。

もう少し下の世代、50歳くらいの人になると、レコード屋で友達になって以来の付き合いで〜ってエピソードは、あまり聞きません。
あの店あったよね!とかは聞くけど、どうやらそれぞれ一人で行っていたみたいです。
僕はCD世代だからなのか、名物店主のこだわりのレコード屋!みたいなお店に足繁く通ったことすら、ありません。
レコードプレイヤー持ってなかったし。
よく行ってた輸入or中古CD屋はありましたよ。
高円寺のココモや、渋谷のサムズとか。
どっちももうないな。
ディスクユニオンになると、大型店だから店員の顔がパッと浮かばないし、タワレコに行く感覚に近いです。

いまなんか、もう店にもいかない。
AmazonとApple Musicのおかげで、家にいながらにして世界中のディープな音楽に触れることができる。
人と会うよりネットで調べたほうが、マニアックな情報を効率的に集められる。
僕よりもっと下の世代になると、中古屋にもいかないし外にもあまり出ないで、家でPCの前でひたすら夜中まで音楽を漁ってる、というのが普通なのかもしれません。


数日前にジャニスで借りたLos PiranasとTune-Yardsが、ものすごいかっこよかったんですよ。
もう大興奮です。
そうなると、人に話したくてたまらなくなります。
誰か近くにいれば、それが音楽ファンでなくたって、これすごいよ!!って聞かせることでしょう。
それで相手も「いいじゃん!」なんて言ってくれたら!
そもそも僕が興奮する音楽ってマイナーなものが多いから、それを共有できる人がいるとものすごく嬉しい。
そうした似た感性を持つ仲間が集まる場所が、きっと昔はたくさんあったんですよね。
興奮したまま、翌日どこかのレコード屋に行って、店主からこんなのもあるよ!って違うバンドを勧められたり。
そんな想像をします。


なんで人と音楽の話をするのが好きなのか、わかりません。
誰かと演奏するのだったら、肉体的とも言える単純な快感がある。
でも、好きな音楽について話すことで直接的な快感はありません。
なんでこんなに楽しいのか。
わからないけど、とにかく楽しい。
それこそ、理屈抜きで。

逆に、一緒に演奏してものすごく気持ちよくても、音楽の話がまったく合わないのでは、どこか物足りないんです。
音楽的な部分では、いいかもしれない。
でも、演奏の良し悪し以外に、「ツボ」や「センス」みたいなものがあって、それは実際のグルーヴとは直結しないかもしれないけど、僕の中では大事な部分なんです。

今日は誰と、明日は誰と、という風に、毎日いろんな場所に行って違う人と演奏して、それも楽しいことです。
が、僕の場合は、純粋に音楽的な要素だけじゃなくて、演奏を通じて相手と気持ちを共有したい、近づきたい、という欲求が強いんだと思います。
だからバンドに憧れます。
音楽のツボが合う仲間と、これいいよ!あれ知ってる?って話しながら、その共有したものがバンドの音楽性にも反映されていく。
そんな仲間と出会えて長く一緒に音楽探求を続けられたら、最高です。
グレイトフル・デッドやNRBQは、そんな感じだったんじゃないかな。


楽器をやってても音楽の話はしない人が、実は多いんです。
人名とかのデータ交換じゃなくて、これいいよね!って話ができる人は、本当に少ない。
楽器なんて道具なんだから、練習してコツをつかめば使えるようになります。
今時はみんな学校行ったりしてね。
でも僕は、道具を操る技術のやり取りには、他の人ほどの興味が持てないんです。
それより、感動を共有したいんです。


僕は音楽が好きです。
演奏することも、聴くことも。
演奏は、道具が使えれば誰でもできる。
でも、アレいいよね!って話は、音楽が好きじゃなきゃできません。
音楽の話がしたいです。
そうすれば、人生を共有できるから。

2016年12月10日土曜日

今日もジャニスに行ってきた!

ジャニス最高です!
御茶ノ水にあるマニアックなCDレンタル屋。
前にもブログに書いたことあるけど(「御茶ノ水JANIS!!」)、ここは天国。
時間を忘れてしまいます。
独自のジャンル分けがとにかく見やすくて刺激的。
輸入盤、インディーズ、自主盤などにも全部に手書きの解説がつけてあって、読みながら音を想像するだけでも楽しい。
全て試聴可なんです。
今日も2時間以上、次から次へと試聴しまくりました。
夜はライブで、入り時間ギリギリになっちゃって駅まで走りましたよ。


ここしばらく、エキゾ・モンドものを聴き漁っています。
懐かしの「モンド・ミュージック」も、書い直しましたからね。
古本で。
考えてみたら、この本が出た当時と比べると、情報収集がアホみたいに楽になってるわけです。
ちょっとネットで調べれば、マニアックな個人ブログなんかも読めるし、中古屋のサイトで試聴できたりもします。
そして、調べた名前をApple Musicで探してみると、かなりマイナーなものも揃ってて、その場で聞ける。
もう、家から出なくても人と会わなくても本を買わなくても、けっこうな知識を得ることができます。


それでも!ジャニスに行くと、出会いがあるんですよ!
普通のジャンル分けではなく、ジャンルを横断した分類法や、独自のテーマで特集コーナーをつくってたりして、必ず発見があります。

家で自分でさんざん可能な限り調べたあとでも、まだまだ知らないミュージシャンがたくさんいるもんです。
Apple Musicにもない、インディーズ系のマイナーなやつも試聴できるし。
試聴機の前に座りながら手書きの紹介文を読んでると、誰かと会話してるような、いい気分になれる。
至福です。

この店がなかったら、いまの僕はいません。
間違いなく、こんなに音楽好きになってなかったはずです。
ジャニスでバイトしたい!って、思いますもんね。


いまライブ終わって帰り道ですが、背中のカバンの中に入ってるCDのことを思うと、ワクワクします。

今日借りたのは、

ブルース・ハークの変名アルバム
チューン・ヤーズ
ロス・ピラーニャス
Fair Ohs
El Guincho
ダイナソー・フェザーズ
Ensamble Polifoico Vallenato
Fool's Gold
Mike Cooperの変なアルバム

です。
早くじっくり聞きたい!
ジャニス最高!

2016年12月5日月曜日

弾き語りって身軽で羨ましいけど大変そうでもあるよな


江口優とライブやりました。
伝説のバンド、なんて言ったら怒られるかな?とにかく最高な3人組「りぶさん」のセンターを務めた男。
今回はギター&ウッドベース&クラリネットのバックの上で、江口くんはギターを置いてシンガーとして歌ってくれました。
オリジナルとカバーと、なかなかレアで面白いライブだったと思います。

あらためて横で聴くと、実はかなりソウルフルな声をしてるんですよ。
曲も、変に気取ったり主張したりしなくて、センスがいい。
弾き語りでもこれから活動していく意気込み十分。
期待します。


ひとりで弾き語りって憧れるけど、大変だな、とも思います。
だって、弾き語りやってる人って山のようにいて、楽器編成でバリエーションつけることもできないし、どうしてもみんな似てしまう。
楽器ひとつと声だけで個性を出すって、大変なことです。

僕がよく聞くルーツミュージック周辺だけに限っても、まだまだ知らないミュージシャンがいっぱいいます。
そして、その中に本当にいい音楽やってる人がこれまたいっぱいいる。
いい音楽をやってる人って、星くず並みにたくさんいるんですよ。
ホントです。
知られていないだけなんです。

そう、知られてないんです。
そもそも、音楽性を簡単に紹介されただけでは、山ほどいる弾き語りミュージシャンの中で誰がいいのか悪いのか、判断できません。
Youtubeでライブの良さは絶対に分からないし。
そして、言葉は悪いけど似たような音楽性のミュージシャンが、同じ店に日替わりで出てたりする。
みんな、そこそこいい。
という状況で、こいつは特別だ!って思わせるのって、ものすごく難しい。

僕は、たくさん違う種類の音楽を聞きたいタイプです。
そうすると、内容がどれだけいいと分かっていても、ルーツ系弾き語りのライブにばっかりに行くことは、まずありません。
実際、すごく好きな人のライブでも、毎回は行かない。
数ヶ月に一度くらいかもしれません。

震えが止まらないほどの奇跡的熱狂的感動的なライブを、いつもやればいいのか。
でも、そんなことやれてる人はひとりも知りません。
じゃあどうすればいいんだろう。
ライブごとに趣向を凝らすとか。
楽器を変えたり、毎回いろんなテーマを企画したり、他のミュージシャンや時にはミュージシャンじゃない人と組んだり。
いつも違う内容なら、次も行こう!となる。

あるいは、ぜんぜん違う客層を相手にやるとか。
よっぽど考えて、人がやってないことをやるか。
それは演奏以外の何かでもいいはずです。
ギターを燃やしたり壊したり、ステージから臓物を投げたりするバンドもいたそうですからね。

とにかく、いいライブなんて毎日いっぱいあるわけで、最高の演奏をするだけじゃ足りない。
演奏がいいのは当たり前、大前提です。
でもそれ以外のことでも、お客さんをどうやって楽しませようか考えたらいいと思う。
ライブって、「見せ物」ですから。

演奏に寄りかかってはいけない。
みんな、がんばろうー!

2016年12月3日土曜日

怪我したハトのことを考えた

前回書いた、ハトの件(『怪我したハトに出会った話』)。
よく考えてみると、大したことじゃない。
カラスがハトを食べ(るのかな?)たり、猫が鳥を食べたり、それはきっと、自然界では当たり前のこと。
毎日あちらこちらで起こっていて、でも人間の生活圏とは別の場所での出来事だから視界には入らないだけなんです。

ハトやカラスは、増えすぎだそうです。
大きな視点で見ると、人間の生活にマイナスなのかもしれない。
自然界では、増えすぎた種は淘汰されて数が減らされて、全体のバランスを保つ。
増えすぎのハトを助けることは、そうした流れに逆らうことなのかもしれない。

鳥の群れでは、傷ついて足手まといになった個体は、置き去りにされると言います。
その方が、全体が生き延びる可能性が高いから。
僕が見かけたハトも、そうして仲間から外れた可能性もあります。
特別なことでも残酷なことでもない。


傷ついたハトは、かわいそうなのか。
同じ生き物でも、例えばこれがミミズだったら、感情は動かないはず。
だって、釣りする人なんか、ミミズの体に針を突き刺して、悶え苦しむまま水に投げ入れたりしてる。
自分がその立場だったらと想像したら、地獄の苦しみです。
逆に犬や猫の場合なら、家に連れて帰って手当てする人も、きっといるでしょう。

そう考えていくと、草木は踏んでいいのか、とか、人間だって豚や牛を殺して食べてるじゃん、て話にもなります。
ハトじゃないけど、鳥も食べてるし。
犬を食べるっていう話も聞きます。

たまに肉屋に行くと、思うんです。
鳥や豚や牛を、殺して、解体してる人がいる。
仕事として、きっと毎日、何十年も、その作業を続けてる。
あるいは、どこか山の方では、野生の生き物を仕留めて食べる地域もあるかもしれない。
東京に住んでたって、釣りに出かけて釣った魚を食べたりする。
生き物を殺す行為を、実際に行ってる人も、いるわけです。
彼らは、道ばたで傷ついたハトを見つけたら、どう感じるんだろうか。
どうするんだろうか。


考えていくと、キリがない。
人間は勝手に、際限なく様々な意味づけをしてしまう。
そもそも、「かわいそう」というのは、人それぞれぞれ個人的な、いわば独りよがりで勝手な感情です。
涙が出るときでさえ、実は自分に酔っているんじゃないか、という場合だってある。
「かわいそう」に正当性を求めることは、無理なんです。

結局、感情のどこに線を引くか、という問題なんだと思います。
ヴィーガンや菜食主義者、動物愛護団体などは、その線引きが極端なケースでしょう。
逆方向に極端な線引きをすると、もしかしたら相模原の障害者殺人事件や、ナチスドイツみたいになるのかもしれない。


僕の場合、個人的に関わった相手でないと、一線を超えて心が動くことはありません。
というか、動いたら、それは嘘だと思うようにしています。
感情移入せずに、大きく引いて見ることで、受け流します。
だから、傷ついたハトに対しても、実はそんなに「かわいそう」とは思いませんでした。

ハトだけじゃありません。
どこかで悲惨な事件や事故があっても、同じです。
そりゃ心が動くこともあります。
でもそれは、あくまでも漠然とした感情であって、行動を駆り立てるほどに具体的で強いものではない。
そこまで強い、「かわいそう」と名付けるのもしっくりこないほどの感情は、簡単には生まれない。
自分が直接関わった相手のことでしか、本当の怒りや悲しみは、なかなか湧かないはずです。

感情って、そんなに安売りするものではない。
同情可能な出来事に接するたびに、スイッチを押すみたいに「かわいそう」と思うのは、なんか違うんじゃないか。
その果てには、泣ける理由を探して安っぽい歌や映画を次から次へと消費することになって、どんどん自分の感情が薄まって、自分が自分でなくなってしまう気がします。
「かわいそう」っていうのは、薄まったウソの感情に対する免罪符なんです。
多くの場合は。

2016年12月1日木曜日

怪我したハトに出会った話

少し前のことです。
外でお昼を食べようと出かけました。
店に向かって歩く途中、自転車から降りて立ち止まってるおばさんがいます。
視線の先を見ると、塀の隅に、ハトがうずくまっている。
怪我をしているみたいです。
「あっちに羽根が散らばってるから、カラスにやられたのよ、きっと。」
おばさんは、公園の側に住んでいて、カラスが鳩を襲う場面をよく目にするそうです。
近寄って見てみると、左胸の辺りが赤い。
血が流れてるのじゃないけど、かなり大きく肌が裂けてるように見えます。
羽は無事なようですが、じっと動かない。
ときどき首を小さく動かして、震えています。

どうすればいいのか。
「病院に連れて行った方がいいんですかね?」
「この先に一件あるわよ。」
とおばさんが言うので、電話をしてみました。
「その状態だと入院になると思います。そうするとウチでは対応ができないんです。鳥を扱う病院を調べて紹介しますので、5分後にまた電話してください。」

いわゆる動物病院は、犬や猫が専門で、鳥は扱っていないそうです。
ああこれは意外に面倒かもしれない。
「わたし行かなきゃいけないから、この子を病院まで連れて行ってもらえないかしら?先生に私の名前言えば分かるから。とりあえずこれ置いて行くからお願い。」
と言って、おばさんは5000円を差し出します。
「カラスは残酷なのよ。羽をむしって飛べないようにしてから、ゆっくり殺すのよ。助からないとしても、苦しまないようにしてあげられたらねー。」
そうなんだ。
カラスが鳩を襲うこと自体、知りませんでした。
とりあえず受け取って、連絡先を交換して、Mさんは自転車に乗っていきました。

さっきの病院にかけ直して、 鳥を扱う病院を紹介してもらい、問合せました。
「野鳥は診れないんですよ。ウィルスを保持してる可能性もあるので。警察に連絡してみてください。」
「警察で、診てもらえるんですか?」
「分かりませんが、保健所に連絡するか、預かるか、対応してくれると思います。ウチでは無理ですのですみません。そして、素手では触れないようにしてくださいね。」
そうなのか。ウィルスなんて、考えてもみなかった。

110番に電話しました。
「怪我をした鳩を見つけたんですが。」
「どこかから落ちたんですか?それともイタズラですか?」
イタズラ!
そうか、面白半分で動物をいじめる人が、いるのか。
「いえ、カラスか何かに襲われたんだと思います。」
「飼っているのではありませんよね?」
「はい、たまたま道で見つけたんです。」
「場所はどこですか?」
電柱に書いてある住所を伝えると、いま向かうから、もう離れてもいいですよ、と言われました。

でも、そのまま立ち去る気にはなれません。
5分ほどして、若い警察官がやってきました。
親身になって話を聞いてくれます。
ここまでの流れを説明すると、何箇所かに電話で問い合わせてくれて、
「預かることはできますが、手当てはできなくて、一定期間したらまた離さないといけなんです。それに、この状態だと、捕まえる時と連れて帰る途中でも暴れて、死んでしまうかもしれない・・・」
と、こちらに気を使いながら説明してくれます。
「警察で預かるか、そのままにしておくか、どうしますか?」

どうしよう。
預けても何も進展はしないようだし、病院でも診てもらえない。
さすがに、自分で連れて帰って手当てするわけにもいかないよな。
このままにしておくしかないのか。

最後に、もう1件、野鳥の保護団体に問い合わせてみました。
すると、カラスとハトは増えすぎてしまい、減らす方向でいて保護はできない、と言われました。
とっても申し訳なさそうに。

仕方ない。
その場に残していくことにしました。
ただ、怪我をしていて、そのままではカラスや猫にすぐにやられてしまうかもしれない。
せめてダンボールにでも入れておいてあげよう、と思い、用意した布で体を包んで持ち上げようとしました。
するとその途端、スタスタと歩いて逃げだしました。
歩けるじゃん!
しかも、ヨロヨロじゃなくて、スタスタ。
良かった!
動けないほど弱ってるのかと思ったら、そうでもないみたい。
これは、逆に捕まえるのが一苦労でしょう。
スタスタ逃げて、大きな石の影に身を寄せました。
ケガをして弱っているには違いないので、心配ではあるけど、なんとか体力が戻れば、助かるかもしれない。
現実的に考えて、それが最善の方法に思い、その場を去りました。

夜に様子を見に行くと、ハトはもういませんでした。
翌日の昼間にも行ってみたけど、何か起こったような形跡はありません。
もし襲われてたら、争ったあとがあるんじゃないか、それがないということは、少なくともここでは何もなかったんだろう。
無事に、どこかで休めてればいいな。

2016年11月30日水曜日

シルエット近藤&ザ・港

おととい、『ムードクラリネットの夜』をやりました。
西荻窪の小料理HANA。
着物のママが1人でやってる、カウンターだけの粋なお店。
料理が美味しい。
ママが素敵。

このユニットで出演するのは、3回目です。
好評なのか、たまたまなのか、満席でした。
お客さんの方がムード歌謡に詳しいので、毎回勉強しながらのライブです。
客席でもいろいろとウンチクが飛び交い、文字通り、勉強させてもらってるんですよ。
事前のリハもないので、本番でもどうしても危うい場面があるけど、それでも回を重ねるごとに、だんだん演奏も安定してきたように思います。

いつものように思いつきで始めたユニットですが、意外といい感じなんです。
いい感じなので、来年は活動の場を広げていこうかと思い、それにはバンド名がやはり必要だろう、ということを、先月ゴールデン街で飲みながら話していたんですが、なかなか思いつかなくて。

名前って、大事です。
意味や思い入れを優先して、読みづらい・覚えづらい・音楽性と合わない・そもそも読み方がわからない名前をつける人の、なんと多いことか。
それはダメです。
どんな音なのか雰囲気なのか、聞いただけでイメージさせるのがベスト。
昭和感、ムード歌謡感のある名前にしないといけない。

悩んだ末、
「ザ・港」
にしました!

そしてワタクシは、
「シルエット近藤」
相方は、
「サンシャイン米内山」
と名乗らせていただきます!

「シルエット近藤」はね、だいぶ気に入ってます。
昭和の場末の胡散臭さが、あるでしょ?
「ザ・港」は、やや迷いもあります。今後の活動場所にもよるけど、ちょっとポップすぎる気もして。
どうですかね?
ご意見お待ちしております。



Golden Wax Orchestra をやるときは、「ゴールデン近藤」と名乗っています。
それ以外の、クラリネット奏者としての活動では、「近藤哲平」。
いまのところこの3つですが、今後さらに増えるかもしれません。
ジャンルやユニットごとに名前を変えるのも、面白いかな、と。

元ディキシー・ド・ザ・エモンズのハチマさんが、そうでした。
ハッチー・ブラックボウモア、ハッチ・ハッチェル、ハウリン・ハチマ。
ネーミング自体が、海外ミュージシャンの名前をもじってる。
いまはずっとハッチ・ハッチェル名義で活動してるけど、ドラムも叩かないし音楽性も違うし、新しいファンの中にはミッチ・ミッチェルやリッチー・ブラックモアを知らない人も多いと思います。
デックレック周辺の人たちは、ネーミングセンスが秀逸でした。
まず、代表の名前がネモト・ド・ショボーレだし。
そういえば、ウラ・デ・ジョリンゴが変名のラディー・ウーで出したアルバム『BOO』は、僕にバンドはもうやらなくていいや、って思わせたほどの名盤だったな。
遊び心あふれるセンスにしびれながら、彼らの音楽を聞いていたものです。








というわけで、「シルエット近藤」を、どうぞよろしくお願いします!



今回のセット・リスト

中の島ブルース
夢芝居 
よせばいいのに
鈴懸の道
雪国
野球小僧 
わたし祈ってます
抱擁
愛して愛して愛しちゃったのよ
アカシアの雨がやむとき
なぜか埼玉
私の青空
そして神戸 
越冬つばめ 
東京の屋根の下

(アンコール)
時の流れに身をまかせ

2016年11月23日水曜日

「ライブ行けなくてゴメン」考

「ライブ行けなくてゴメン!」
で言う人がいる。
けっこう、いる。

この「ゴメン!」の意味がわからない。
というか、正直、うざい。
別にこっちが頭下げて「来て!」ってお願いしてるわけじゃないし。
逆に、いいライブ見れなくて残念だねー、仕事忙しくてかわいそうだねー。
なんて、かわいそうに思うくらいです。

そもそも「ゴメン!」て、相手に不快な思いをさせた時に、謝罪するための言葉でしょう。
別にライブ来れなくたって、そんなことで不快になるわけないじゃん。
そんなしょっちゅう軽々しく「ゴメン!」て言ってたら、本当に謝るべき時には、なんて言うの?
土下座でもするの?

何も考えずに言ってるということは、わかります。
わけるけどねー、その「ゴメン!」の後ろに、付き合いで行かなきゃ、みたいな思考が透けて見える時があるんです。
やめてよ。
付き合いでなんか、来て欲しくない。
俺はいいライブやるよ。
だから、来た人は満足して、俺に「ありがとう」って言うよ。
お願いして見に来てもらうんじゃなくて、逆に、いい音楽聞かせてくれってお客から頼まれる側なんだよ。
こう書くと偉そうだけど、本来そういう構造なんですよ、人前で何かを表現するっていうのは。
お願いに答える、期待に答える、って、気軽なことじゃなくて、その決意を持ってやんなきゃいけないわけですよ、ステージ上の人は。
そこでいい演奏ができなかったら、謝らなきゃいけないのはこっちなんですよ。
もちろん、来てくれて、聞いてくれてありがとう、っても、思います。
だから、感謝の交換が行われるべきなんですよ、本来は。
そんな健全すぎる場に、謝罪は不要です。

「行けなくてゴメン!」て言う人って、自分も音楽か何かをやってる人のことが多い気がします。
ということは、彼らは、自分のライブなりイベントなり何かにも、付き合いでみんなに来てもらってるんでしょう。
俺に対しても、というか知り合い全員に対して、付き合いで来てくれる仲間、という無意識の考えを持ってるんでしょう。
あなたのことは好きかもしれない。
飲みにいくのは、いいよ。
でも、ライブは別。
それがいいものじゃなかったら、行かないよ。
どんな好きな人であっても、付き合いで見にいったりしない。
そういう態度は、やってる方に対して失礼だと、俺は考えるから。

だって想像してみてよ。
自分が見に行きたいイベントに、用事で行けなくなったとしたらさ、「悔しい!」とか「残念!」とか「見たいからまたやってほしい!」とか思うでしょ、普通。
そうじゃなくて「ゴメン!」て言うってことは、実はそのイベントの内容自体にはあんまり興味ないんじゃないか、って解釈もできる。

いやーわかるんですよ、それが日本特有の、とりあえず謝っときゃ波風立たないでしょ的な文化に根ざしてて、みんなほぼ条件反射に「ゴメン!」て言ってるんだ、って。
わかるけどさ、そんな風に軽くいなされると、悲しいです。

「ゴメン!」ていう謝罪の言葉が、逆に相手を悲しませる。
ああ無情。

2016年11月22日火曜日

「なにか言わなきゃいけない病」

ある若い医者が、父親が死んだ時に言われたそうな。
「大変だと思うけど、この経験はきっと医者としてプラスになるよ」
当人はそれを聞いて、なんだか腹が立ってしまった、と。

こういうこと、よくあるよな。
とりあえず適当になんとなくその場に合いそうなことを言う人、いるいる。
この場合も、言われたことを真剣に捉えて、「プラスになるって、どうしてですか?」なんて質問を返したら、たぶん相手は答えられない。
いや、またなんとなく「医者っていうのは人の命を扱う仕事なんだから、死を身近に経験することで成長できる部分もあるはずだよ。」とか、こうしてコーヒー飲みながらでも思いつくくらい無内容なことを答えるかもしれない。
あげくの果てに、「君もいつか分かるよ」なんて終わらせてしまう。
そう言う人って、まず自分でもちっとも分かってないに決まってるんだよね。

「なにか言わなきゃいけない病」ですね。
相手に対してなにか言葉をかけたい。
「大変でしたね」
「つらかったでしょう」
「ご愁傷さま」
とか、他にもたくさんのパターンがあるけどいま思いつかないけど。
言われた方が、心に響いて感謝する、ってことは、ほとんどないんじゃないでしょうか。
もっとひどい場合には、
「○○でもしたら、気持ちが晴れるよ!」
なんてアドバイスしてきたり。
もうそうなると、逆にイライラしてくる。

なんで言葉をかけたりアドバイスしたがるのか。
それって実は、相手を気遣ってるんじゃなくて、自分を主張したいだけなんですよ。
私はやさしい振る舞いのできる立派な人間なんです。
人の役に立てる、価値ある人間なんです。
こんなこと知ってる優秀な人間なんです、という主張
自己主張が相手の心に響くわけないんだから、けっきょく発言者の評価が上がるわけでもない。
誰も得しない。
得するどころかイライラしたりして、いいことない。
不健全です。
だから、病気なんですよ。
病気は早く治して健康的なコミニュケーションができた方が、みんな幸せになれる。

本当に気遣いのできる人は、主張しない。
本当に役に立てる人は、自分から売り込まない。
本当に知識のある人は、請われるまで発言しない。
だって、それが本当であるなら、本当だと自分で思えているなら、第三者の意見確認は不要だから。


冒頭の例の場合、具体的にどういうシチュエーションだったのかは分かりません。
葬儀の席だったのか、後日どこかでバッタリ会ったのか。
関係性にもよるけど、「久しぶり!」「元気?」みたいな挨拶の言葉として、「大変だったね」くらいは、いいかもしれない。
それすら、具体的にどう大変だったかは分からないわけだから、変に同情してます的なニュアンスがあってはいけない。
そう、言葉をかけるって、実は大変なことなんですよ。

ただ話を聞いてうなずくだけでいいじゃん。
もちろん、形だけウンウンやるんじゃなくて、当事者の気持ちを想像しながら。
気の利いた言葉を考える頭があるなら、そういうことだってできるはず。
何も言わずに、そこに居るだけでもいい。
そもそも人に何か言うって身勝手で傲慢なことだ、という自覚を待つべきです。
人にアドバイスしたくなったら、それは病気のしるし。
「なにか言わなきゃいけない病」
治した方がいいですよ。

治療方法は知らんけど。

2016年11月21日月曜日

ブレずに続けてる人はすごいな

おととい、マチケンこと町田謙介さんと初手合わせをしました。
当日確認のみのセッション的ライブでしたが、なかなか見ごたえがあったかと思います。

マチケンさんは、声がすごい。
弾き語りでギターが上手い人はたまにいるけど、歌が突き抜けてる人は滅多にいません。
隣で吹いてて、うわー!って思う瞬間が何度もありました。
テンション上がります。

知り合う前は、なんとなく「ブルース界の偉い人」みたいな印象を持ってたんですけど、実は違う。
ブルースあんまりやらない。
ロック、ポップス、ラテン、トラッド、スイング、かなりの雑食です。
ジャンル分けの難しいタイプです。

本人は、漂流、根無し草、なんて言います。
ブルースだけやってれば、ある程度は安泰なわけですよ。
最初からシーンがあるわけだから、そこにいるお客を相手にやればいい。
そうじゃなくて独自の路線を進むっていうのは、いいこともあるだろうけど、大変なことも多いでしょう。
なにか「意思」みたいなものがないと、続かないんじゃないか。
すごいな。



先週は、W.C.カラスとのデュオでした。
カラスさんと2人でやるのは2回目。
これもほぼリハなしのライブ。
いい意味でルーズな部分が好きで、一緒にやるのが楽しい。

カラスさんが脚光を浴びたのは数年前、たしか50才くらいからです。
それまでは、富山で細々と、全国的にはそれこそ人知れず、というくらい地道にやってたそうです。
そうしてずーっと続けながら自分の表現を熟成させてきたんですね。

カラスさんも、マチケンさんと同じように、ブレない人の強さを感じます。
ブレずに自分の表現を追求してきたからこその強烈な個性に、それがいざ世に出た時、皆が驚き魅了されたんでしょう。
きっと、ブレイクしてなくても、同じように素晴らしい音楽をやり続けていたはずです。



その日は、三上寛さんと対バン(バンドじゃないけど)でした。
寛さんのライブは、独自の世界です。
ワン&オンリー。
たぶん他の人と一緒にやることはあまりないし、バンド編成でアルバムを作っても、寛さん自身の演奏は変わらない印象があります。

弾き語り形態だけど、弾き語りとは呼べない。
ポエトリー・リーディングに近いかも。
ギターの音作りなどサウンド面も含めて、コピー不能。
フォロワーと呼べる人がいないのも当然です。

これを、ずーっと追求してきたんですよねきっと。
もちろん、普通にギターを弾いて普通に歌うことも、できるのかもしれないけど、そうじゃない道を選んだ。
その果てに、上手い下手とか良い悪いとかいう基準じゃ測れない、よくわからない地点まで突き抜けてしまってる。
すごい、という言葉しかありません。



あがた森魚の新譜が出ました。
数曲参加しています。
あがたさんも、ブレずに独自の道を進んできた人です。
世界観、ボーカルスタイル、全部が独特。
フォークのようでロックのようで、実はどこにもカテゴライズ不可能な音楽です。
だから、あがたさんのファンには、普通の音楽好きとは違うタイプの人が多い。
誰とも違うポジションにいます。

もうすぐ70になるのに毎年アルバムを出してる。
アルバム出すたびに何万枚も売れて、っていうわけじゃ決してないわけだけど、それでも作り続けてる。
ヒット曲を出してたいわゆる売れてた時と、たぶん変わらないエネルギーで。
そして今でも、落ち着きとは無縁のぶっとんだライブをやっています。
いい意味でも、そしてたぶん良くない意味でも、周りの顔色をうかがうことなんてしないで、デビュー時から一貫して自分の世界を突き詰めることを続けているんですよね。
すごい人です。



長く続けている人の表現には、とても適わない何かがあります。
そして、続けている人は、ブレない人。
そういう人の、その人しかできない強い表現に、惹かれます。
そういう人と関われることを、幸運に思います。

2016年11月16日水曜日

N.O.生活21 - ハリケーンの苦労〜Jaynaのこと


ハリケーンは来ませんでした。
また、普通の生活が始まりました。
それにしても、毎年ではないにしても、ハリケーンが近づくたびに避難しなきゃいけないなんて、大変なことです。
避難するのだって、移動やら何やらお金もかかるし、仕事や学校も休まなきゃならないし。

そもそも、まだカトリーナの被害も復旧していない。
そこでまた次のハリケーンが来たりしたら、どうなるんだろう。
町の中心を外れれば、倒壊した建物がそのまま放置されている姿に出くわします。
あちこちで街灯や標識は折れ曲がったままです。
政府レベルでの復旧が進んでいないので、自力で手作業で直してる途中の家をたくさん見かけます。

そんな状態ですが、みんな普段の生活ではカトリーナの時の話はあまりしません。
わざわざ昔の災害を思い出して掘り返すことは、しないんです。
それよりも日々の楽しい面に目をやるのが、ニューオリンズの気風です。
なので、僕はこの時まで、ハリケーンについて深く思いを巡らすことがありませんでした。
ニューオリンズに住んで、もしハリケーンが来たら、どうすればいいんだろう。
あらためて考えると、それはものすごいことです。


その頃よくJaynaという女性シンガーと一緒に演奏していました。

正直、彼女のディキシー寄りの音楽性は、決して好みじゃなかった。
でもとにかく楽しい人で。
もともとダンサーだったこともあり、パフォーマンスが良かった。
とにかくお客を楽しませることを考えるタイプ。
単に音楽的なことだけじゃなくて、彼女の周りにはいつもハッピーな空気がありました。

ジェイナは、ニューオリンズで唯一、スワンプ・ポップの話ができた人でもあります。
育ったマレロという町は、スワンプ・ポップが盛んらしい。
ローカル・バンドが出ている地元のクラブに連れて行ってくれたり、ジェイナの彼氏とも気が合ったので、一緒に行動することが多かったんです。

そうしていると、音楽以外のこと、生活面も見えてきます。
彼女は、カトリーナの被害でかなり苦労していました。
ニューオリンズ郊外の生まれで、自宅だけではなく実家も被害を受けていたんです。
もともとダンサーで、イベントを企画したりダンスを教えたりしていたのが、ハリケーンで人もバラバラになってしまい、一からシーンを立て直そうとしていました。
学位を取るために大学へ通っていたのもハリケーンで中断してしまった。
ハリケーン後の家賃の精算などについて大家との交渉。
被害を受けた郊外の実家のメンテナンス。
ハリケーンの影響もあってか、急激にボケていく父親。
そんな大変な状況の中で、シンガーとしても活動を広げていこうとして、いつ寝てるんだ、という勢いで活動していました。

彼女とのライブで印象深いのは、深夜のバーレスク・ショウです。
バンドは通常のステージの他に、ダンサーの伴奏も担当して、これがなかなか面白かった。
きちんとしたジャズクラブだったので、ダンサーのレベルも高く、お客も上品で、いいショウでした。
普通のライブとは違うし、毎週楽しみにしていました。
驚いたのは、ドラムにGerald French、ベースにKerry Lewisという地元のトップミュージシャンがいたことです。
そんな人気ミュージシャンが、若いシンガーのバンドのレギュラー・メンバーになることは、ほとんどありません。
彼らを連れてくるジェイナの手腕に、関心しました。


ジェイナは、車で移動してる最中にも、しょっ中いろんな所に電話をかけていました。
両親の家をめぐる保険や修理の手続きや、法律関係の問い合わせ。
ミュージシャンへの連絡やブッキング。
住んでいるアパートも、まだ建物自体の修理が終わっていなくて、契約や家賃についてのやり取りもありました。
歌だけでなく、ダンスレッスンやイベント企画に関する連絡。
電話の合間に、離れた施設に毎週のように父親の面倒を見に出かける話を聞くと、それだけでも大変そうです。
タフな人です。
そして、これほど動いても、ハリケーンから4〜5年経って、まだトラブルが落ち着かない、ということ

ハリケーンの前から住んでいて、家族もニューオリンズにいるジェイナのような人たちは本当に大変なんだな、ということを、目の当たりにしました。

僕が住んだとしたら、どうなるんだろう。
身寄りも、家も財産もない。
そんなことを漠然と思いました。

2016年11月11日金曜日

トランプが大統領になれる国ってすごいな

トランプがアメリカ大統領になった。
びっくりした。
みんなびっくりしたみたい。
だって、トランプ氏って、数々の暴言報道とかで、なんだかギャグみたいな人っていう印象すらあったから。
正直、まともに彼の政策や主張をチェックしてもいなかった。
ひどい政策、っていう記事ばっかりが目に入ってきていたし。

アメリカではかなり前から、有名人、著名人、知識人、というような人達の多くが、かなり強烈にトランプを批判をしていた。
少なくとも、そういう発言ばかりが目に飛び込んできた。
過去に遡って、女性や人種に対する差別的発言がクローズアップされて、こんな最低人間が大統領になったらお終いだ、と。
僕も、そんな気持ちでいた。
当選後、デモが起こってたりするらしい。
カナダあたりへ移住する、なんて言う人もいるらしい。


思い返してみると、ブッシュの再選の時だって、こんな空気だった気がする。
みんなブッシュ反対だった。
マイケル・ムーアは『華氏911』を撮った。
ブッシュは悪い奴だと思ってた。

でも、ブッシュは勝った。
みんな怒った。
ブッシュ最高!って言う声は、あまり聞かなかったように思う。
アメリカは、特に田舎には保守層が多くて、彼らの声はなかなかメディアには上がってこない、とか。
今回だって多くのメディアはトランプを叩いてたし、単純化して眺めたら、そういうことなんだろう。

オバマが大統領になった時、僕はニューオリンズ大学に通っていた。
ニューオリンズは、お祭りのようだった。
南部だけどリベラルな町だし、ハリケーン後のブッシュの対応の非道さもあったから余計に。
アメリカ中が、オバマを祝福していたように感じた。

ブッシュもオバマも、8年づつ大統領を務めた(まだオバマは現職だけど)。
僕は政治に詳しくはないから、細かいことはわからないけど、どちらの8年間でも、決定的に劇的に歴史が揺らぐほどにアメリカが変わったとは、思えない。
アメリカの印象は、変わってない。
アメリカって、人口も多くて人種も文化もバラバラで、ちょっとやそっとのことじゃ、国が変わるってことは起きないんじゃないか。
州の権限も強いし、市民の声にも力があるから、大統領の力の及ばないことも多いだろうし。
そうすると、トランプが大統領になっても、アメリカが根本的に変わる、ってことはないんじゃないかな。
逆に変えられたら、トランプすごい、ってことになる。
いい悪いは別にして。


女性蔑視だから、大統領にはなれないのか。
個人的には、女性蔑視はキライです。
でも、日本なんてものすごい女性蔑視の国だと思うけど。
僕は音楽をやってるので、わりと一般的ではない価値観の人が周りにいるけど、それでもね、ミュージシャンの多くは、いまだに男尊女卑ですよ。
男尊女卑、って自覚もないくらいに、疑問も抱かずに。
男が女を食わせる。
女が家事をする。
男は泣いてはいけない。
女はバカでもニコニコしてればいい。
飲みの席では、女が料理を取り分ける。
とか、そういうことが当たり前な感覚が、僕にとっては男尊女卑です。
みんな好きな、エンケンの「カレーライス」だって、僕の感覚では女性蔑視の歌に聞こえます。
RCの「雨あがりの夜空に」だって、ライブハウスで男性客がみんなで拳あげて合唱してる姿に共感する女性は、いないと思うな。
まあ、今よりもっと、そういう時代だったんでしょうけど。

でももちろん、僕にとっては男尊女卑に思えることでも、僕の周りの人たちにとっては、そうじゃなかったりするわけで。
もっとエキセントリックなウーマンリブ活動家だっているし。
いろんな考え方がある。
考えの同じ人としか付き合わなかったら、だいぶさみしい。
女性を軽視してたっていいですよ、その人の音楽がよければ。
それは、別の問題だから。

すごくクールに考えれば、どんな極端な思想の持ち主でも、政治家としての仕事が優れていれば、それでいいはず。
まあ、トランプが優秀な政治家だと思える要素は、現時点ではあまりないんだけど。
とにかく、暴言ばっかりが目立ってそこだけで判断をしてしまっていたよな、と反省に似た気持ちでいます。
あんなゲスな奴が!ってことより、政治経験のない人間が大統領になったことの方が事件なんじゃないかと思うけど、そこはあまり言われない。

逆に、ああいうタイプの人が大統領になれる国って、すごいな、と思う。
さすが、自由の国。
日本じゃ、ちょっと失言しただけで選挙に落ちるでしょ。
首相が同性愛者だったり、事実婚していたり、って国もあるけど、それもぜんぶ日本では有りえない。
独身だとサラリーマンとして出世できない、なんてことも聞きます。
日本は、能力とは関係ない、建前みたいなことが重要視される国ですから。


何が言いたいかって、トランプ氏の周りには有能な政治家がたくさんいるし、おかしなことにはならないだろう、ってこと。
そして、暴言に刺激されて、感情的になってたよな、ってこと。
そして、ああいう極端な人がトップに選ばれるって、単純にすごい国だな、って思います。
個人的には、トランプは大嫌いです。
でも、これは関係ないことかもしれないけど、日本の男尊女卑や建前重視の価値観も、大嫌いです。







2016年11月7日月曜日

GWO in 藤沢、New Orleans Jam

土曜は初の藤沢。
Bar Cane'sでのライブでした。
声をかけてくれたのは、フタミジュンさん。
藤沢界隈だけでなく都内でもDJをしていて、バッタリ顔を合わせることも多い方。
DJという仕事の例にもれず、フタミさんも相当の音楽狂いです
この日も、ライブ前からかっこいいレアなニューオリンズ物をガンガン流して盛り上げてくれます。

ライブはGWOだけで、好きにやってください!なんて言われて、お店がほどよく広くてウッディな内装で雰囲気が良くって、僕らもくつろいじゃって、だいぶ自由にやらせていただきました。
思ったよりスペースがあったので、けっこう動きまわって。
最近やってるムードクラリネットでのステージングも、やや取り入れてみたり。
GWOはだいぶ形が出来上がってきたと思ってたけど、まだまだ発展できるな。
お客さんの拍手もあたたかくて、楽しいライブでした。


心残りは、藤沢はやはり遠くて、終電が早いこと。
ライブ終わって本当はもっとみんなで飲んでいたいのに、帰らなきゃならない。
いや、帰らない選択肢も、もちろんあるんですけどね、次の日の予定もありますからね、大人として、ちゃんと帰りました。
そして、リラックスしすぎて、イベントの様子やお店の写真を撮るのを忘れてたこと。
ライブ前に撮ったのはね、あるんですよ。
それだけアップしときます。

あったかい感じの、すごく落ち着くお店。
いい音楽をいい音で聴きながらゆったり飲むにはとてもいい。
ライブ後にも若いカップルが来てたし、近くにあったらふらっと寄るのにな。
また行きたいな。



日曜は、『Big4 New Orleans Jam』でした。
ニューオリンズ・ジャズです。
編成は、トランペット、クラリネット、バンジョー、ウッドベース。
シンプルでロウダウンな、リズム主体の演奏をイメージしたライブ。

イベント名は、『Louis Nelson Big Four』というアルバムから取りました。
トロンボーン、クラリネット、バンジョー、ピアノの4人編成で、とことん渋い演奏が淡々と続く、ニューオリンズ(・リバイバル)・ジャズの名盤です。

コウさんは、トランペットによくいる吹きまくるタイプではない、音を選んで吹くプレイヤー。
ベースのキョウタ君も、リズム面からニューオリンズ音楽を捉えている貴重なミュージシャン。
いいメンツです。

本当に久しぶりに、クラリネット奏者としてライブをやった気がします。
最近、ワンホーンで歌謡曲やソウルや、特殊な演奏ばっかりでしたからね。
コロリダスは、バンドだからまた少し違うし。


ニューオリンズ・ジャズ、やっぱり楽しいな。
ミュージシャン仲間も見に来てくれて、セッションして盛り上がって。
ライブだから、僕も盛り上げるパフォーマンスもしたけど、もっと地味にやってもよかったかも。

また、やります!
見に来てください!



※珍しい一枚。
コウさんのコルネットは、1900年以前のもの。
僕のアルバート式クラリネットは、1927年前後のものです。


2016年11月5日土曜日

The Fave Raves

ジロキチに、The Fave Raves を見に行った。
素晴らしかった。

サザンソウルのバンドです。
ボーカルの青山さんとギターのヒトミさんが中心で、この2人の出す音がね、もう全部の音がソウル。
なんだかわからないけど、にじみ出てるんです。
他のメンバーは時々で違う。
昨日は、ウッドベース、ドラム、ピアノ。
フェイヴ・レイヴス名義でウッドベースなのは初めて見たんだけど、レコーディングも同じメンツだそうです。

レコ発ワンマンでした。
遅れて行ったので、もちろん満員で立ち見。
遅れたのは、行こうか迷ったから。
その後で下北に行く予定もあったし、混むだろうし、お金かかるし。

迷った自分が恥ずかしい。
こんな素晴らしいライブを、こんな近くで、こんな値段で観れるなんて。
1stステージを4曲聞いた時点で、もう感動の波にのまれていた。
涙が出ていた。


しかし、こんなに言葉で説明するのが難しいバンドもない。
だってカバーバンドだから。
アレンジに凝ったりするわけでもないし、表面的には、古いソウルの曲をただ演奏するだけ。
でも、「カバーバンド」という言葉からイメージするお約束の発表会的ヌルさは、ひとつもありません。
そこら辺の若いバンドが束になっても敵わないくらいの、熱。

ゲストの森崎ベラさんは、日本でサザンソウルを歌えるのは青山さんだけだ、と言う。
僕も、少なくとも今まで色んなシンガーを聞いてきた中では、その通りだと思います。
上手い下手とかシャウトとか節回しとかそういうのじゃなくて、とにかく全部からソウルミュージックのエコーが聞こえてくる。
こんなシンガーはいない。
ヒトミさんのギターもそう。
同じフレーズをいくらコピーしたって、こうは弾けない。
もう1人のゲスト、ソウルクラップのタイキさんが、俺たちは25年(?)前から音楽やってる仲間で...みたいに話していた。
それだけ長い間、好きな音楽に愛情を注ぎ続けたら、こんな風になれるものなのか。


お客さんは、ソウルファン(他に呼び方あるのかな?)の人たちが多いようでした。
モッズ界隈とも、かぶってるのかもしれません。
僕はぜんぜん出入りしてないシーンです。
みんな、フェイヴ・レイヴスやソウル・クラップを支えてきたんでしょう。
とても楽しそう。
いい雰囲気です。

だけど、もったいないな、とも思ってしまいました。
もっともっと色んな人が、聞いたらいいのに。
「ソウルファン」以外の人たちにも、響くはず。
そして、このバンドを見れば、ソウルミュージックの良さがわかる。
少なくとも、僕の演奏をいいと思ってくれる人は、フェイヴ・レイヴスに感動するはずです。
だって僕は、ああいう風に、青山さんみたいにやりたくて、クラリネットを吹いてるんだから。

ロックバンドやってる若者や、そこそこセンスのいいルーツミュージックをやってる30代の人なんかが、聞いたらいい。
音楽を愛して捧げて演奏するってどんなことなのか、わかるから。
そういうやり方もあるって、知るのと知らないのとでは、音楽人生の幅が違ってくるから。


アルバムを買いました。
『Another Night In Memphis』

ライブがいいローカル・バンドのアルバムって、微妙なものが多い。
変にスッキリした音で、しかもどこか安っぽかったりするので、普段はあまり買いません。
でもこれは、なんとリボンマイク2本の一発録りだそうです。
それならきっと間違いない!
こんなライブ見てそんなこと言われたら、期待しちゃいますよ!


後の予定があり、アンコールの途中で店を出ました。
それでも、十分に満足しました。
こんなバンドが身近で聴けるなんて、なんて恵まれてることか。
また、見に行こう。

2016年11月3日木曜日

N.O.生活20 - ハリケーン

ニューオリンズには、夏になるとハリケーンがやってきます。
ほとんどは日本でいう台風のような感じで、大きな被害はありません。
2005年の「カトリーナ」のような大規模なものは、何十年に一度です。
とはいえ、台風シーズンには気は抜けません。
みんなハリケーン情報をチェックしています。
僕がいた頃は「カトリーナ」の直後だったので、より敏感だったかもしれません。


たしか3年生の時の9月、ちょうど秋冬セメスターが始まって数日経った時です。
昼頃、町全体に避難警告が出ました。
ハリケーンが来るから、ニューオリンズを出ろ、と言う。
翌日の午後には大学も閉めるので、それまでにどこかに避難しろ、と。

みんな慌てます。
寮にいる学生たちは、たいてい他州の家族のところに行きます。
僕のような留学生の場合、さすがに自国に帰るのは難しい。
友達が、一緒に来ないか、と声をかけてくれます。
どうしようか。
時間もありません。

考えて、サンフランシスコに行くことにしました。
行く先は、ニューオリンズに来る前に世話になった、ブルース&キャロル夫妻の家です。
二人にも会いたかったし、連絡すると喜んで迎えてくれると言ってくれました。

問題がありました。
飛行機が、翌々日の便しか取れなかったんです。
寮は翌日に締め出されてしまう。
友達もみんな町を出てしまう。
仕方なく、楽器の練習ブースで一晩過ごすことにしました。
大学を通る空港行きシャトルバスに電話をして、翌々日に運行するか確認して予約をし、荷物をまとめ、学校を出るフリをして音楽学部のビルへ向かいました。

練習室で寝るのは初めてではありません。
毎年夏休みに帰国するとき、安い航空券を取ると、どうしても寮が閉まってから1〜2日後の便になるんです。
その間いつも練習室の床に寝て過ごしていたので、勝手はわかっています。
ピアノの椅子をどけて、かけ布団を二つ折りにした中にくるまって寝るんです。

その晩は、雨は降ってないけど、迫ってくるハリケーンの影響で風がものすごかった。
大学の敷地内は無人だし、電気はつくけど、なかなか不気味でした。
誰もいないしやることもないし、眠くなるまで楽器を練習して過ごしました。


翌日の午前中、シャトルバスの待ち合わせ場所に向かいます。
まだ雨は降らず、風もだいぶ収まっていました。
しばらくすると、別の方向から誰かやって来ます。
スーツケースを運んでるので、きっと彼も学生でしょう。
近づいてきて驚きました。
1年生のときの最初のルームメイトだった
アジータじゃないですか!
彼も一日遅い飛行機しか取れず、同じシャトルバスを予約していたんです。

他には誰もいません。
キャンパスを見渡しても、動く影もない。
2人で話しながら待ちました。
アジータは、寮から出ずに、一晩部屋に隠れて過ごしたそうです。
警官が見回りにきた時は上手く隠れて、電気もつけずにいたと言います。

おかしい。
時間を過ぎてもシャトルバスが来ません。
バス会社に電話をしても誰も出ない。
ヤバい。
これは諦めたほうがいいだろう。
アジータはネットが使えたので、タクシー会社を調べて、手分けして電話をかけます。
なかなか繋がらない。
何度か断られ、やっとタクシーを呼びました。
しかし、10分くらいで来るはずのタクシーが、やはり来ない。
これは本気でマズいぞ。
ハリケーンの中に、取り残されてしまう。
寮も音楽学部のビルももうロックされてる。
食料も何もない。
カトリーナの時に見た映像の、町が水浸しになった様子が、頭をよぎります。

そのとき、学校のすぐ脇の道路を走るタクシーが見えました。
手を振り叫びながら必死に走っていくと、気づいてこちらに向かってきました。
やった!助かった!

ドライバーは、人のいいおじさんでした。
朝から、町と空港を往復してるそうです。
空港へ向かう高速道路は、避難する車で大渋滞です。
おじさんは、一般道の方が早いから、と言って、舗装の傷んだデコボコの道をかなりのスピードで飛ばします。
みんな高速道路を使っていて、町中は誰も走っていないので、ぜんぜん止まらずに進むことができる。
おかげで、なんとか飛行機の時間までに空港にたどり着けました。
高速を使っていたら、もっと時間がかかっていたはずです。
代金を払ってお礼を言うと、自分もこれから避難するからもう店じまいだ、と笑顔で去っていきました。


アジータと別れ、サンフランシスコ行きのゲートに向かいます。
空港はものすごい混雑です。
椅子はいっぱいで、みんな床に座っている。
チェックインもどこも長蛇の列。
飛行機も遅れまくっている。
大混乱です。

お昼頃に着いてから数時間、予定時間を大幅に過ぎて、ようやくサンフランシスコ行きの便に乗ることができました。
ギリギリでした。
僕の便が飛び立ったすぐ後に空港は閉鎖され、それ以降に予定されていた飛行機はキャンセルとなりました。
残された人々は、バスで近くの避難所に運ばれたそうです。
空港への到着が遅れていたら、僕もそこで何日も過ごすことになっていたでしょう。


ハリケーンは進路を変え、ニューオリンズは無事でした。
しかし、すぐ続けて別のハリケーンが向かって来る可能性があって、町に戻るか決断の難しい状況でした。
けっきょく、サンフランシスコに1週間くらい滞在しました。
その間、テレビのニュースでハリケーン情報をチェックする度に、悲しいような不安な気持ちになります。
カトリーナの光景や、その時の体験を話してくれた人たちのことが浮かんでくるんです。
僕でさえそうなんだから、カトリーナを経験したニューオリンズのみんなは、どれだけ不安だったんだろうか。
そういう精神状態で避難所に大勢でいたら、かなりのストレスでしょう。

ブルース&キャロル夫妻のおかげで、余計な気疲れもなく過ごせたのは、幸せでした。
そして、空港まで送ってくれたタクシーのおじさん。
ありがとう。


何事もなくニューオリンズに戻り、大学も再開されました。