映画『『ザ・トゥルー・コスト 』を見た。世界は滅びるだろう。

本を読んだ勢いで、見てみようと。
このタイミングじゃないと見ることないだろうから。

予想よりはるかに、考えさせられる映画でした。
「ファストファッション」について考える、というと、「搾取」「悪」というのが一般的なイメージだと思います。
でも、そんなのはもはや動かし難い事実に過ぎなくて、わざわざ声を大にするようなことじゃないんですね。

ファッションは、石油に次いで地球の環境に影響を与えている産業だという事実。
そういう大きな話。
企業は、資本主義は、無限に拡大を続けていくことが基本だが、資源は有限。
利益の追求が自然界の限界点を超えたので、歪みが発生してきている。
アメリカは、教育や交通システムを批判し改正し続けてきたが、経済システムだけは無批判のまま放置されてきた。
野放しなシステムは淀み腐敗する。
経済システム自体を変えなければいけない。
といった内容が語られます。


映像って力があるな、と思いました。
こういうことって全部、誰もがなんとなくぼんやりとは解ってることです。
でも映像からの方がはるかに入ってくる。
ドキュメンタリーとしてもいい作りで、変な演出もなく、過不足ない。
悲しい音楽が流れちゃうシーンもあるけど、大げさにはならない。
1500円払う価値がある映画だと思います。
渋谷アップリンクで、連日11:00からやってます。
もうすぐ終わるぽいです。


しかし、どうすればいんだろう。
やっぱり人類は終わるのか。
環境も経済も、悪い方に向かってる感覚がある。
身の回りでも、ここ10年間くらい、音楽や何か表現活動をしている人と会って、前向きな話はない。
個人的なアップダウンの話はあっても、大きく見たらあらゆる状況は悪化する一方。
今後アップに転じる望みは限りなく薄い。


服について。
何をどこで買えばいいんだろう。
「オーガニック」「エコ」といった言葉すら、キャッチとして使われているケースもある。
「Made in Japan」「Made in USA」はよくて、「Made in China」はダメなのか。
わからない。
シャツ一枚買うのに、その生産方法まで全部リサーチしてたら、一向に何も買えない。
信頼できるブランドを見つけ、定番の服を買い、そのブランドで買い続ける、ということを、アイテムごとにすればいいのかな。
まずワードローブを整理し直してみよう。

映画の最後で、カンボジア(だっけかな?)の工場で働く女性が言ってた。
「血の付いた(or血で汚れた?)服を着てほしくない。」


何にでも対価があるってことが、忘れられがちだと思う。
いい革靴は10万円する。
本革の靴が一万円で買えるなら、生産過程のどこかに何か仕掛けがあるはず。
ケミカル、手抜き、搾取、何かが。
って考える方が自然じゃない?

対価。
音楽にも対価があって当然なのに、日本人はそう思わない。
タダで演奏して当たり前だと思ってる人が多い。
タダの時もあっていいけど、それは例外だと思うべき。
満足したら、いい気分にしてもらったら、感謝してリスペクトして対価を渡すのが、自然に思う。
アメリカのチップ文化の気持ちよさを知った身としては、つくづく思う。

演奏する側もそう。
たまに、ギャラを渡されたのに遠慮する場面に出会う。
プロじゃないから、と言う。
肩書きは関係ないのに。
いい演奏をして、対価を受け取るのは当然のこと。
当然のことを当然に行っていかなければいけない。
その感覚が、回り回って、カンボジアの労働者は当然もらうべき生活費をもらわなくてもいい、という発想につながる。
そもそもプロって何?
そんな会社か、免許制度でもあるの?
演奏への対価なのか、肩書への対価なのか。
縫製も演奏も給仕もなんでも、いいサービスを受けたら対価を返すこと。


あと、こういう環境問題とかって、どうしてもイメージが良くない。
やたらミッション抱いた素敵な優等生の嘘くさい雰囲気が充満している。
問題自体に興味はあっても、そういう雰囲気が好きじゃないから距離を置く、って人、意外といると思うんだけどな。
他のいろんな社会問題もそうだけど、もっと自然に発言、対話ができたらいいのに。
ちなみに、アメリカはそうでしたよ。
前提として、どんな発言もフラットに受け入れる土壌があるので。
日本は、意志を持った人が生きづらい、発言しづらい。
まあそれを言ってどうなるわけでもないけれど。

僕は、世界は滅びると思ってます。
子供もいないし、世界の前に僕も滅びる方が早いから、まあいいかな、と。


と、考えが広がって仕方がないので、思うままに書いてみました。
これで整理とまではいかなくても、少しは頭が落ち着いたかな。
しかし、こんなに刺激される映画を朝に見ると、一日のスケジュールが変わって困る。

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