「行間」は日本人にはもはや不要なのか

映画をやってる人と飲みました。
すごく興味深い話を聞きました。

いまの若者、例えば映画学校の学生たちは、オンとオフの感覚がない、と言うんです。
映画の中の登場人物が、笑っていても実は心の中は悲しみにくれている、というシーンがあったとします。
笑ってるという、表面的に目で見えるものが、「オン」です。
表面には見えない、悲しみの感情が、「オフ」です。
彼らは、「笑ってる」=「楽しい」であって、「笑ってる」けど「悲しい」ということが、理解できない。
「オフ」の概念が、ないと言うんです。

「行間」と言ってもいいと思います。
行間が読めない。
映画の場合であれば、人物の表情から複雑な感情を読み取ったり、風景から情感を感じ取ったり、ということが、できない。
言葉も、風景も、表情も、決まった情報を表すだけの即物的な記号でしかない。


衝撃でした。
映画に限らず、「オフ」の部分こそが、表現や芸術の核心だと思っていたので。
普段の生活だってそうです。
表面的に目に見えることじゃなくて、相手の感情を読むことがコミニュケーションだと、当たり前に信じていました。
その感覚がない人がいるなんて!
僕にとって「オフ」の感覚はとても大事で、それがない人生なんて生きる価値がない。
おおげさじゃなくて、本気でそう思っています。


過去の名画の多くは「オフ」の要素を持っています。
映画が好きなら、そうした作品の存在は知っているはず。
そして、学校に行っていれば、見ることを勧められたりもする。
それでも、見ても面白さが理解できないし、つまらないから見るのをやめてしまうそうです。
確かに、映画好きと言っていても新しい作品しか見ないという人は多くいますね。

それも、おかしい。
名作と言われるものを見てピンと来ないことだって、あるでしょう。
でもそれは、作品がつまらないからじゃなくて、自分に原因がある、とは考えないのか。
つまらないから、分からないから切り捨てるのでは、視野が狭くなる一方だし、驚きも発見もない。

誰かが面白いというなら、その理由があるはず。
判断を下す前に、それをきちんと汲み取って理解することが必要です。 
その上で、自分の評価は違う、と言うなら、いいんです。
あるいは、名作とされる理由は理解できても、どうにも好みじゃない、ということだってあるでしょう。
それを、自分の単純な感想だけで、作品を判断してシャットダウンするのは、どうなのか。
映画の世界を志すのであれば、面白い・つまんない、だけじゃダメでしょう。


日本のメジャー映画は、「オン」だけで作られているものが多い。
同じフォーマットで、設定や俳優を変えて機械生産のようになっている。
そういう作品の割合が増えれば、「オフ」の表現に接する機会も減っていく。
小さい頃からずっと「オン」の表現しか知らずに育つ、ということも、あるでしょう。
観客に「オフ」が理解されないなら、作り手も「オン」の表現しかしなくなる。
商売ですから。
そして次第に世の中から「オフ」が消えていく、というループ。

以前のブログでも書いたけど、『ブルー・ジャスミン』をコメディと 言う映画評論家や、モダン・スイマーズの舞台をゲラゲラ笑って見るお客が、大勢いるわけです。
『ペーパー・ムーン』を、ダラダラしたオシャレ映画と切り捨てる人もいる。
そういう人たちのことが理解不能だったし、お前らにこの作品を見る資格はない!と怒りを覚えることもありました。
それもすべて、彼らには「オフ」感覚がないんだと思えば、腑に落ちます。

味覚のない人に、甘みや苦みを説明しても、分からないでしょう。
視覚のない人に、青と赤の違いを説明しても、分からないでしょう。
「オフ」感覚についても、それと同じなんじゃないか。
日本人からは、「 オフ」感覚が失われていっているんじゃんないか。
それは、表現や芸術だけの話じゃなくて、普段の生活においても、その傾向があるんじゃないか。
他人の気持ちを想像することができない。
理解や共感ができない。
日本人は、そういう人種に変わりつつあるんじゃないか。
それは、進化なのか。
行間を読む、気持ちを想像する、という能力は、人間にはもう不要なのか。


もはや同じ人間とは思えないくらいに、まったく別の感覚を持った人たちが、おそらく増えてきている。
そういう人たちに向けて作られる映画は、僕の見てきた映画とは完全に別物であって当然。
同じ「映画」という名前で呼ぶことに、もはや無理がある。
いや、「映画」でもいいけど、「サイレント」「トーキー」みたいに、何か別のくくりを考えたほうがいいと思います。


なんだか本当に衝撃だったんです。
「オフ」感覚がないなんて、想像できません。
深みや行間のない、ただ情報と記号だけの生活。
恐ろしい。
そういう人と、今までの自分のやり方で会話をすること、関係を深めていくことは、おそらく無理でしょう。
うーん。
とりあえず、圧倒的に違う人種だ、ということは、分かった。
たまに感じていた違和感が、これからは整理できる気がします。
しかし、恐ろしい。
どうなるんだろうか。

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