翻訳 『Bullet & Sur-Speed Story』ライナーノーツ

『Bullet & Sur-Speed Story』のライナーノーツを翻訳しました。
アメリカ、テネシー州メンフィスで、営業形態を変えながら1946〜1990年なかばまで存在した、ローカル・レコード・レーベルです。




W.C. "レッド”ウォーサムは、戦後のレコード業界の典型的なキャリアを歩んだ人物です。
若い頃にはジャズとR&Bに熱狂し、(ギタリストとして)カントリーからビッグ・バンドまで様々なバンドに参加しました。
40年代に、ジム・バレット(Jim Bullet)のBullet レーベルで宣伝担当の職に就いた後、1949〜50年頃には、自らもDelta Recordsを立ち上げます。
Bullet とDeltaとはナッシュビルの事務所を共有し、配給も共にVolunteer Musicに任せていました。

Bulletは、1946年にリリースしたFrancis Craigの "Near You" が爆発的なヒットとなり、その後もコンスタントにR&Bやヒルビリーのリリースを続けます。
その中には、ワイノニー・ハリス、セシル・ギャント、チェット・アトキンス、そしてB.B.キングの初録音がありました。
しかし、次のヒットを出そうとして、ボブ・クロスビー楽団やミルトン・バールといった大物の録音に膨大な費用をつぎ込み、レーベルの借金は膨らんでいきます。
ジム・バレットはレコード・ビジネスに幻滅し、ついに1949年、以前のパートナーC.V.ヒッチコックと"レッド”ウォーサムに会社を譲ります。

彼らはポップ・ヒットを狙うのを止め、1954年にレーベルを閉めるまで、ブルースとカントリーの録音に集中しました。
ウォーサムは自身のDelta Recordsも細々と続け、ウィリー・ディクソンのビッグ3や、ゴスペル・グループのフェアフィールド4などもリリースしています。

ウォーサムは、50年代〜60年代にかけて、音楽業界の 「何でも屋」でした。
様々なインディペンデント・レーベルのために、プロモーションやレコーディング、さらに原盤の貸し出しも行いました。
初期の仕事で目立つものは、テネシー州立刑務所の囚人グループ The Prisonairesのレコーディングです。
(1952年にリリースされた) "Just Walking In The Rain" は、翌年スマッシュ・ヒットとなりました。
作曲者はリーダーのBraggと第二ボーカリストのRobert Riley ですが、クレジットにはウォーサムの名前もクレジットされています。
ウォーサムはこの曲のマスター・テープをSun Records のサム・フィリップスに売り、Sunに最初の全米ヒットをもたらしました。
Johnny Braggはその後のキャリアを通じて、ウォーサムと仕事を続けます。
Robert Rileyはアレンジャーとして成功し、ウォーサムのSur-SpeedレーベルやTed JarrettのRef-O-Ree Records を初め、多くのレーベルで活躍しました。

ウォーサムの功績のひとつに、Tom "Shy Guy" Douglas を発掘したことが挙げられます。
1950年にDeltaに行ったものが彼の初録音であり、原盤はMGMにリースされました。
"Shy Guy" Douglas は、有名なExcello Recordsに移る前に、短期間のみ存在しウォーサムのChaneレーベルにも吹き込みを行っています。
その後、短い間Ted JarrettのCalvert レコードに在籍し、再びウォーサムの元へ戻ります。
ウォーサムは、60年代はじめに(50年代は休止していた)Bullet Recordsを復活させ、続いて姉妹レーベルのSur-Speed をスタートさせます。
"Shy Guy" Douglasは両レーベルの稼ぎ頭であり、"Shy" "Midnight Soul" を始め、野性味あふれるハーモニカ・ブルースを残しました。
ウォーサムの所有する Bon Aqua スタジオでは、Levert Allison (Gene Allison の兄弟) も録音を行いました。
この原盤は、短命だった El-Be-Jay にリースされています。

El-Be-Jayに録音したミュージシャンには、他にJohnny Braggがいます。
しかし、本CDに収められたトラックは、(Sur-Speedに)未発表のまま残されていたものです。
Sur-Speed のもう一人の主要アーチストは、Larry Birdsong です。
Ted Jarrettの Calvert / Champion / Cherokee レーベルでキャリアをスタートさせ、大手のVee-Jay Records に移ったシンガーです。
60年代なかばには、ウォーサムと関係を深め、Sur-Speed のために2枚のシングルを録音し、さらにShowboatのレーベル名でもう1枚リリースしています。
これらの録音では、Buford Majors のバンドがバックを務めました。
Georg Williams のレコーディングで演奏しているのも彼らです。
Bufordは、Earl Gains のサックス奏者として活動した後、自身のバンドでシンガーと一緒に南部を回っていました。
Larry Birdsong と George Williams の他にも、Rubin Russell、 Art Mayes 等のバックもつけています。
Georg Williams レヴューに関しては、Bullet からアルバムを出す予定でしたが、なぜか実現しませんでした。

Thomas Henry も、Ted Jarrettの元でキャリアをスタートさせた一人です(ウォーサムとTed Jarrettのキャリアは常に重なり合っています)。
Bon Aqua スタジオで録音した音源はついにリリースされませんでしたが、その後、Ted JarrettのRef-O-Ree レーベルにいくつかの傑作を残しています。
John Colbert の初録音もSur-Speed レーベルでした。
Colbertは、すぐにJohn Blackfoot と名前を変え、Soul Children のリード・シンガーとしてメンフィスのSTAXでレコーディングすることになります。

Bullet の初期から、カタログの中で大きな割合を占めていたのはゴスペルであり、それはウォーサムの時代も変わりませんでした。
実際、復活後のBullet Records で最もヒットに近づいたのは、Reverend H.L.Parker の "I Didn't Have No Doubt"でした。
やはりヒットには届きませんでしたが、Willie Gunn の "The Old Man" もゴスペル・ソウルの傑作です。

70年代はじめには、Bullet は注文録音を主に行うようになっていました。
名の知られたレーベルの下で録音してみたい、というミュージシャン志望者が、後を絶たなかったのです。
そんな中でもウォーサムは、数は少ないながら、良質のホンキー・トンク・カントリーのレコードをリリースしています。
80年代には、ウォーサムはBon Aquaスタジオをリースに出し、90年代に入ってリタイアします。
そして、2002年に亡くなりました。

ウォーサムの仕事には、たしかに一貫性が欠けていたかもしれません。
しかし、最高にラフで愛すべき音楽を残した業績は、色あせることはないでしょう。



Text by Fred James (Blues Land Productions)





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