2016年7月26日火曜日

ポケモンGOなんてやるなよ

本当に、みんなやってる。
そこら中で見かけます。
スマホ持ってさまよう姿で、すぐわかる。
友達でも、おまえもか!ってツッコミたくなるほどやってる。

僕はまったく興味ないです。
そもそも、ケータイゲーム自体やらないし。
それ以前に、ファミコンプレステ類もやんなかったし。
ゲームとかパチンコとかって受け身のもので思考停止のただの暇つぶしに過ぎなくて、そんなただ時間が過ぎてくだけの何もない人生なんてゴメンです。

ポケモンGOは違う!
とか言う人がいる。
なぜなら外に出るゲームだから。
未知の場所での発見があるから。
人と繋がれるから。
アホか。
そんな日常的で当たり前なことに希望を見いだす時点で、もう末期だと思う。

それに、外に出てもスマホの画面しか見てないんじゃ、家にいるのと同じ。
イヤホンもして、隣の俺のことは全く視界に入ってない。
そいつの脳には、外界の情報は届いてないよ。
風が吹いてることすら、気づかないと思う。
夢中になるって、そういう状態でしょ。
だいたい、楽しそうにも見えない。  


外出するからいい、って言うなら、1人で気軽には行けない場所にポケモン設置すればいい。
山の上とか。
ザイルで2人で登るとこね。
そしたら、そこに行くためにトレーニングから始めなきゃいけない。
ジムに通ったり相棒と計画を立てたりする過程で、スマホの画面からは得られない何かを発見するはず。


引きこもりの人が、部屋から出るようになるんだよ!?って言う。
それを叫んでる人、あなた引きこもりじゃなかったでしょ?
それ、引きこもりの人をダシにして、ゲームやることを正当化したいだけじゃん。

引きこもりに有効だから素晴らしい!ならポケモンGOは許可制にすればいい。
医者とか何か認可機関に申請して、許可された人だけがやる。
期間を決めて。
で、一か月後にまた医者行って、まだ必要なら延長する。


ポケモンGOで人生が開けた人も、ゼロじゃないでしょう。
本当に幸せになれた人もいるかもしれない。
でも、そういう人はごくごく一部で、彼らはきっとポケモンGOじゃなくても、別のきっかけでも幸せになれたんだと思う。
同じことやっても、楽しめる人とそうじゃない人がいる。
で、楽しめる人は、何でも楽しめる。
そういう一部の人は例外としておいて、大部分の人がどうなのか、ってことを見るべき。
町で出会うやつらの顔を見ても、わー楽しそう!俺もやってみたい!なんてぜんぜん思わないもん。
逆に、ぜったいやりたくない!!って思います。

ゲームでも何でも、そりゃ楽しいでしょうよ。
でも、もっともっと楽しくて、一過性じゃなくて、そして中毒性もなくて、それをやることで普段の人生も楽しく明るく感じられるようになることが、いっぱいある。
僕の場合は音楽や映画がそうかもしれない。
音楽に熱中することで、それ以外の時間もより充実してくる。
そのプラスのサイクルを一回経験したら、色んなことを何でも楽しめるようになります。

ポケモンGOが、そうやって新しいことに目を向けさせてくれるならいいけど、逆みたいだから、好きじゃないな。
だって、やってるあいだ、自分の世界にこもってるなんて。
外を歩いてるのに心は閉じてるって、部屋に引きこもってるよりも病的なんじゃないの?

だいたいね、邪魔なんだよ!
電車でも!
道でも!
どけー!





2016年7月25日月曜日

先輩たちに囲まれてGWO!

おとといは新橋のARATETSU UNDERGROUND LOUNGEにて、Goden Wax Orchestra。
楽しい嬉しい夜でした。

アラテツ・ラウンジの、3周年記念ライブですからね!
酒も豊富、料理も旨い、内装もいい、もちろん音もいい、ジュークボックスまである、いいお店です。
音楽の趣味や考え方が偏ってないのが好きなんですよね。
僕みたいに、黒人音楽は好きだけどブルース・ソウル系の飲み屋は口うるさい人がいるから好きじゃない、というタイプにとって、数少ない落ち着ける音楽飲み屋。
これからも、足を運ぼう。

そして、共演は中尾淳乙!
オレンジ・カウンティ・ブラザーズのギタリスト。
前も書いたけど、日本のルーツ・ミュージックを築いてきた中尾さんのようなミュージシャンと交流できることは、本当に嬉しい。
あの人たちがいなければ、僕はこんなに音楽を好きになってないと思うんですよ。
自分をいわば育ててくれたミュージシャンと同じステージに立てるなんて。
楽器をやってて良かったとつくづく思います。

"オレカン"って、どうやら本当にかなり伝説的にリスペクトされてるバンドなんですよね。
ライブがすごかったらしい。
ロックでヤクザな感じが、かっこよかったらしい。
特別な存在だったらしい。

あとから音源で知った身としては、同時代のその空気感は想像するしかありません。
僕はハタチ頃に御茶ノ水JANISでレンタルして聞いて、その時は「日本語でテックスメックスをやっていたバンド」というくらいの認識しかなかったですからね。
けっきょくオレカンより、ダグ・サームやコマンダー・コディとかばっかり聞いてました。
そしたら、きのうアラテツでオレカンのライブ盤がかかってて、それがすごい良かった!
ライブ・バンドの側面が、あったんでしょうね。
全盛期のライブを見てみたかったな。


オレカンの飯田さんをはじめ、大先輩の姿が並ぶ客席は、ちょっとしたものでした。
話してみると、とにかく誰も彼も歴史がある。
その歴史がやっぱり、すごいですよ。
内容だけじゃなく、いろいろ経ていまも音楽の現場にいる、ということがね、無条件ですごいと思う。
その、歴史を背負った先輩たちの前で演奏するっていうのは、エキサイティング。
しかもクラリネットでソウルという、過去に誰もやってない形態で。

ライブには自信あります。
でも同時に、キワモノに見られるかも、という気持ちも、常にあるんです。
昨日はそんな心配は無用でした。
1曲めから手拍子が鳴り、特異な二人組をあたたかく迎えてくれた。
はじめてのお客さんが楽しそうに聞いてるのを見ると、やっぱり嬉しい。
しかも昨日の客席は特別なわけで。
嬉しかったな。

途中、中尾さんの曲もカバーしました。
レコーディングでも弾いてるサンチャゴ・タムラ氏にもステージに上がってもらって。
いやーアコーディオンいいなー!

いいステージでした。
まさかアンコールがきてしまい、急遽その場で思いついてGood Night Irene をやりました。
ギターのビューティフル美田にその場でコードを指示しながら。
そういえば、スティービー・ワンダーのライブのアンコールで、スティービーが楽器ごとにフレーズを口頭で指示して曲を作っていく場面がありました。
そうか、俺はついにスティービーか。
なんてね。
たまにはそういうのも、スリリングで面白かったんじゃないでしょうか。


そして中尾淳乙&アルマジロ・トリッパーズ。
ベースの鵜沢さんが身内の不幸により欠席となり、ベースレスの興味深い編成。

ライブは、録音の印象の何倍も熱かった!
熱い人なんだな。
ベースがいない分、リズムに徹する場面が多くて、個人的には中尾さんのフレージングが好きなだけに、リードプレイを聞けたらもっと良かったな。
その代わり、他の楽器の絡みが面白くて、満足でした。

気負わないライブ。
客席も誰もが楽しそうに聞いていて、とってもいい空気。
伝説のオレカンも、きっとこんな風にレイドバックしたライブをやってたんだろうな。
このままあと10年20年して、歳をとってテクが衰えても、ステージで特別な空気を出せる人なんだろうな、と思いました。
変な例えですが。

最後に飯田さんが急遽ステージに呼ばれ、僕も呼ばれ、お客で来ていたザディコキックスの竹内さんも呼ばれ、中尾さんの曲と、最後にサー・ダグラス・クインテットのShe's About Mover をやって大団円。
面白かった!


ライブのMCで中尾さんが、「今日はルーツ・ミュージシャンがたくさん来てくれて〜」て言ってました。
ルーツ・ミュージシャン。
いいな。
クラリネットでどんな音楽やってるの?って聞かれることがあります。
GWO以外の活動の方が多いから「ソウル」って言うのも違うし、コロリダスのメンバーだけど「ラテン」のスタイルで吹いてるわけじゃない。
「古いジャズ」も「ニューオリンズ」も、どこかしっくりこない。
これからは、「ルーツ・ミュージック」って答えよう。
そう答える度に、きっと中尾さんのことを思い出す。
先輩ルーツ・ミュージシャンを聞いて学んできた、という誇りを持って。
昨夜は、ありがとうございました。

アラテツさん、これからもご発展を。
溺れそうな時は、呼んでください!



7/23 セットリスト
1.Pouring Water On A Drowning Man
2.Cry To Me
3.Lonely Teardrops
4.メドレー :Those Lonely Lonely Nights~I Love The Life I`m Living~Please Get Me
5.South To Louisiana
6.Love Me Tender
7.Please Send Me Someone To Love
8.Touch The Hem of His Garment
9.Tennessee Waltz
10.Soul Man
アンコール Good Night Irene




2016年7月23日土曜日

上杉隆

うーん、さすがに都知事選の報道の様子を見てると、なんというか、マスコミに対する不信感というか、ずっと前から不信な気持ちがさらにつのってきて仕方ない。

もう書きますけどね、僕は上杉隆に投票しますよ。
昔から好きだったけど、あらためて発言をみて、やっぱ信用できる人だと思うもん。
そもそも、ずっと個人の責任で意見を発信し続けてる人だから、賛同するかは別として、少なくとも透明性というか「信用度」は圧倒的に高いでしょ。
動画で政策しゃべったり討論してるの見れば、彼に入れたくなる人、多いんじゃないかな。
冷静だし、分析も計画もしっかりしてるし、誰かをターゲットに攻撃もしないし、政界の利権の匂いがしない。

でも、一般には露出してないぽい。
ずっと以前から記者クラブ問題を追及したりして、その結果マスコミから締め出されたっていうのは、知ってました。
知ってはいたけど、実際に今回マスコミ各社が上杉氏を無視するのを目の当たりにして、本当にあきれてしまった。
もっとあきれたのは、ネットではもうだいぶ騒がれてるみたいだけど、ニコ生討論会が上杉氏を外したこと。
5人呼ぶ中に、世論4位の上杉氏が入ってない。
鳥越&増田両陣営から、上杉は出すな、と言われたとか。
ネットだからやれることなんて、もうなくなるのか。

鳥越氏も、出馬したときは、お!と思ったけど、もうさんざん言われてるけど、受け答えがひどすぎる。
もう答えをはぐらかすばっかりの他の多くの政治家と同じになってる。
なんだかなー。

そして、21人も候補いるらしいけど、どの報道でも「主要3候補」ってやってて、これじゃテレビしか見ないいわゆる普通の一般の人は、この3人からしか選ばないようになるじゃん。
鳥越&小池はたしかに知名度あると思うけど、増田と上杉は、どうなの?上杉隆の方が、知名度あるような気もするんだけど、そんなことないのかな?
まあ知名度だけで言ったら、マック赤坂も有名ですが。
とにかく、「主要3候補」ってしかやらないマスコミなんて、どうして信用できるのか。
もう、どれだけ立派な報道があったとしても、裏になにかあるでしょ?って勘ぐらざるを得ない。

僕は、勘ぐるようになった結果、20年間ずっとテレビ見てません。
いまでは情報源はほぼネットです。
で、ネット上でも「主要3候補」ばっかりなんだから、テレビなんかもっとひどいことになってるんでしょう。
ニコ生もテレビ同様になってしまったみたいだし。
本当に、自分から情報を探しにいかないと、もうなにも見えてこない。
でも、そうするとどうしても情報は自分の目線に偏りがち。
難しい。

こうやって、マスコミが印象操作を行い、善良な市民はそれにただ流され、そうしてなにも変わらず、変わらないからストレスは溜まる一方で、その市民のストレスは政治家や芸能人のスキャンダルを叩くことで発散される。
なんて不毛なループだろう。


Facebook上では、いまどんなことになってるんだろう。
三宅洋平がいない選挙では、みんな何を考えて誰に入れるんだろう。


2016年7月21日木曜日

ARATETSU三周年!中尾 淳乙氏と一緒にやります!

土曜日は、Golden Wax Oechestra。
新橋の名店ARATETSU UNDERGROUND LOUNGEの、なんと3周年ライブで演奏します!


これがもう、楽しみで仕方ありません。
GWOでは、いろんジャンルの人と共演してきましたが、今回は特別です。
だって、オレンジ・カウンティ・ブラザーズのギタリスト、中尾淳乙氏と共演するんですよ!

僕は中尾さんの世代が残した音楽を聞いて、ミュージシャンとして成長してきたわけですからね。
ハタチ頃から、同時代の音楽にはあまり目を向けずに、ルーツ音楽をさかのぼって聞くことに夢中でした。
そんな中で、邦楽で影響を受けたのは、例えば、細野晴臣のトロピカル3部作、大滝詠一、久保田麻琴と夕焼け楽団、喜納昌吉とチャンプルーズ。
そして、その流れの中に中尾さんのオレンジ・カウンティ・ブラザーズもいたわけです。

名前をあげたミュージシャンたちに共通するのは、「音楽ファン」ということ。
音楽が好きで、世界中の音楽に手を伸ばして、それを仲間と聞いて楽しんで、実際に演奏してみる中で、作品を作っていったんだと思います。
その作品から聞こえてくるのは、「自己主張」より「音楽愛」です。
自分の感動した音楽へのリスペクト。
だから、アルバムを聞くと、彼ら作り手自身が聞いて感動しただろう音楽も、聞いてみたくなる。
そうやって、僕は音楽にどんどんハマっていった。
ちなみに、僕にとっては、ライ・クーダーも、タジ・マハールも、ロニー・レインも、ジェフ・マルダーも、ザ・バンドも、そういう存在です。
彼らの音楽に出会わなかったら、ぜったいにこんなに音楽を好きになることはなかったと思います。
いわば、「恩師」なんです。

音楽をやる目的とか楽しみって、 人それぞれだと思います。
いい演奏をするというのは前提として、それ以外にも、テレビに出ること、有名人と共演すること、賞を取ることで満足感を得る人もいるでしょう。
僕にとっては、自分の「恩師」と呼べるような上の世代の人たちと関われるのが、いちばん特別に嬉しいことです。
感謝というか何というか、言葉にできない、なんとも言えない感情がわいてきます。
だから、中尾さんと共演できることは、とってもスペシャルなことなんです。


あらためて、GWO始めてよかったな、と痛感します。
だって、クラリネット奏者として普通にやってるだけだったら、中尾さんのようなミュージシャンと交わる機会はなかったかもしれない。
そもそも、僕が聞いてきた音楽は、アメリカン・ルーツ・ミュージックが中心です。
そうすると、初期のジャズ以外には、クラリネットなんてぜんぜん入ってないですからね。
自分の楽器とは遠い場所にいる、「恩師」と思える人たちに、こうして演奏を通じて関われるなんて、夢みたいです。

そういえば、前回のGWOではトムズ・キャビンの麻田さんと共演しました。
去年は、ジム・クエスキンともツアーを回った。
ニューオリンズでも、CDで聞いていた老ミュージシャンたちと演奏できた。
考えてみたら、なんて恵まれてるんだろう。


あらためて、中尾さんの2作品を聴きました。
やっぱり素晴らしい。
1stアルバムをはじめて聞いたとき、感動のあまりブログにも書きました(中尾淳乙「AMERICANA」にグッときた!』)。
読み直してみたら、だいぶ興奮してたみたいで、自分でほほえましいです。
その時も書いたように、本当にツボを得た演奏。
そして、中尾さんのギター・プレイがいい!
ちょっとしたフレーズのはしばしが、グッとくるんですよね。
何も特別なことをしてないのに、こんなに心に響いてくるなんて。
2ndの "Please Get Go" "向こう見ず" とか、なんでか泣けてきます。
本当、なんで涙が出るのかわからないんですよ。
土曜も、泣かされるのか。

そしてこの日は、数少ない落ち着ける音楽飲み屋のひとつ、「アラテツ」の3周年記念でもあります!
こんなにいい音楽ばっかり流す飲み屋が3年も続くなんて。
日本の将来にも、まだ希望が持てるというものです。

いやー楽しみです!
ぜひお祝いに来てください!

7/23(土) 新橋 ARATETSU UNDERGROUND LOUNGE 3周年 Special Live
中尾淳乙&アルマジロ・トリッパーズ / ゴールデン・ワックス・オーケストラ
Open 18:00   Start 19:00
¥1000
※前日までにご予約いただいた方には2杯目のDRINK代サーヴィス&粗品プレゼント!!

2016年7月20日水曜日

7/20(水)

7月20日 午後

瀬戸信行さんを聞きに、高円寺に行きました。
広島在住のクラリネット奏者。
名前は知ってたけど聞いたことなかったんです。
伴奏楽器なしの、クラリネット独奏。
メロディのようなものが淡々と演奏されて、構成やリズムの変化もあまりない。
頭に浮かんだメロディをスケッチのようにして書き留めて、そのメモを元に演奏してるそうです。

現代音楽みたいでした。
たぶん頭で計算するような作業は少なそうだから、現代音楽の人からすると別物なんでしょうけれど。
調性がない、というかあいまいなんです。
フレーズの終わりかたも、現代音楽にあるような、少なくともポピュラーミュージックにはない、最後に半音下がって調性をぼかして終わる、みたいな感じで。

鼻歌みたいにしてる、って言うから、ああいうメロディが瀬戸さんにとっては自然なんでしょう。
面白い。
僕からは、ああいう現代音楽風なメロディはまず出てこないだろうな。
いや、やってみたら意外にそうなったりして。


そういえば、かなり昔、映画のサントラでクラリネット独奏をやったことがありました。
その時は鍵盤の人と一緒に絡む部分もあって、彼はクラシックの現代音楽的なアプローチだったな。
僕は、小泉文夫の本に出てきた、1オクターブを2つに分けて核音で考えて〜みたいな理論を念頭に演奏したと思います。
なんか、調性があいまいな方がアタマ良さそうでかっこいい、と思ったんですよね、若き日の僕は。
自分の特性がわかってなかった。

その後いろいろな道を経て、いまでは、自分はシンプルな調性音楽が好きなんだと自覚しています。
いわゆる循環コードだけで一晩中ずっと演奏してて飽きないと思う。
単純なメロディの中にどれだけの感情を乗せられるか、みたいなことが好きなんですよね。
それだから、GWOみたいなことがやれる。


ライブが終わってからいろいろ話して。
僕も楽器を持ってたので、吹きっこしたり。
アルバート式は珍しいので、面白がってくれました。
やっぱりクラリネット吹き同士の交流は楽しいですね。

そういえば、他の管楽器奏者と一緒に演奏することも、すっかりなくなってしまった。
トランペットに合わせて裏メロつけたりするの、すごい好きなんですけどね。
ソロとか、フロントでバリバリ吹くのとか、本当はあんま興味ないんですよ。
地味な仕事したい!


クラリネットで、クラシックとジャズ以外のことをやってる人って、少ないです。
だから、瀬戸さんみたいな人に会うと嬉しい。
刺激になります。

あ、あと篠田昌己の話も久しぶりにしたな。
僕が楽器を本格的に始めたきっかけは、名盤『Compostela』なんですよ。

そうそう、クラリネット1本で何ができるか、っていうことを、最近たまに考えるんですよね。
機会があったら、ステージで挑戦してみたいな。
やってみたら、自分の予想しないメロディが湧き出てくるかもしれない。


そんなことを考えながら帰り道、高円寺のあづま通り商店街を通ったら、おじいさんが倒れてた。
ギター持った若者や何人かが周りを囲んで、いろいろ対応していました。
ものすごい緊急に危険な状態ではないようだったけど。
無事だといいですが。

帰宅して、いなたいチカーノ・ロックのThee Midniters を聞いてうなって、今はゆるゆるの天然カリプソ弾き語りの Walter Fergusonを聞きながらブログ書いてます。

2016年7月19日火曜日

3.11、体験してないんです

昨日、出かけて帰ってきたら、ちょうど大家さんが、庭のモミジの伸びた枝を、汗だくで切ってくれていました。
僕もまあ時間があったので、手伝いました。
切った枝と葉っぱが大量に道を埋め尽くして大変なことになっていて、思ったより時間がかかりました。
そのあいだ、いろんなことを話しました。

実家が新潟にあって、いまも月イチで家や庭の手入れに戻っているそうです。
震災で親が亡くなって、空き家になってしまったそうです。
しばらく震災の時の話になりました。
大家さんは、大学に勤めていて、帰れなくなった学生たちと、学校ですごしたそうです。
ああいう時、自動販売機は、お金を入れなくてもジュースが出てくるようになるんだよね、とか。

僕は、あのときアメリカにいました。
震災は、アメリカのニュースで見ました。
だから、体験してないんですよ。
帰国して驚いたのは、東京では家の倒壊とかの直接の大きな被害はないのに、みんな震災の時の話をしていることでした。
その瞬間どこにいたか、そのあとの電気が暗かった光景や、コンビニにものがなかったことや。
震災がきっかけで考え方が変わった、という人も、ものすごくたくさんいました。
その感覚が、実際に体験してない僕にはわかりませんでした。
最近も、けっこう地震きますね。
で、揺れるとあの日のことを思い出す、って言う人もいます。
その感覚が、ないんです。
大家さんと話していて、あらためてそのことを自覚しました。


少し前に参院選があって、反アベの罵声がすごかった。
安保法案のときもそうだったし、反原発でもそうでした。
たぶん、ぜんぶ繋がった流れなんだと思うんです。
その根底には、もしかしたら震災の時の恐怖の感覚が、あるんじゃないか。
反アベ派の汚い言葉にあおられることで、恐怖感がよみがえってくる。
それで恐怖を思い出すことで、多くの人たちがあんなにもヒステリックに叫ぶんじゃないか。
僕はいくらあおられても、そもそも恐怖自体を経験してないので、何も思い出しようがない。
だからただの罵声にしか聞こえないけど、震災を体験した、一部の人たちにとっては、冷静でいるほうが難しいのかもしれない。

もちろん、これは僕の想像でしかありません。
でも、あのみんなの熱狂ぶりは、そうでも考えないとまったく理解不能です。
そう考えれば、仕方がないというか、なんとなく、少しは腑に落ちます。
だって、ずっと普通におだやかにいた友達が、急に何かに憑かれたみたいになって、将来を死と結びつけて悲観して、使命感に燃えて他人を罵倒する。
何か、そういうエキセントリックな行動にでる原因があると思うんです。

少し前には熊本の地震もありました。
テロもあったし、これからもまたどこかで起こるんじゃないでしょうか。
そういう、大きな災害みたいなことが、まったく何十年も起きないってことはあり得ない。
自民党政権もどうやらまだ安泰のようです。
恐怖を心に抱えた人たちが、プラスの感情に転じるような出来事が起こる方が、確率は低い気がします。

ああ、こうやって書いてきたら、なんだか悲観的な流れになってきてしまった。
こういう文章を書くと、心配してくれる人がでてくると思うんですが、それは無用です。
世の中に対しては悲観的だし誰にも何も期待しないけど、反対に人生については楽観的なんです。
世の中は変わらないし、日本の将来は暗黒でも、僕は楽しくやれてるし、今までもずーっとだいぶ楽しくやってきました。
これからも、楽しくやれると思います。
個人的には。




2016年7月16日土曜日

日本の映画人はみんな犬に違いない

ウディ・アレンの新作『教授のおかしな妄想殺人』を見てきました。
『罪と罰』的な、殺人をめぐる話です。
殺人がメインではないし、ホアキン・フェニックスとエマ・ストーンの恋がメインでもない。
事件のまわりの人物の様子を、クールに淡々と描きます。
それが説明不足に感じることもあるかもしれません。
でも、その淡々とした感じが、逆に緊張感につながっている気がして、相変わらずの無駄のない演出と相まって、個人的にはすごく楽しめました。
60年代あたりのヨーロッパ映画みたいな印象を受けました。

映画は楽しかったけど、僕は怒ってます。
また宣伝にだまされた。
この映画、まったくコメディ要素ないんですけど。
『教授のおかしな妄想殺人』てタイトルで、チラシはこんなの。
コメディだと思うじゃないですか。
チラシ裏面にも、「ダークコメディ」って書いてある。
僕、映画に行く時って事前に情報集めたりしないので、このチラシだけを見てコメディと思い込んで見はじめたんですよ。
で、音楽もコメディにも合うようなファンキー・ジャズだし、物語が展開していくまでしばらくは、コメディなんだろうな、と思って見てました。
でも、コメディじゃなかったんですよ!

確かに、カテゴリー分けの難しい映画だと思います。
あえて分けるなら「犯罪映画」なのかな。
でも、そう言われても違和感がある。
犯罪が中心でもないし、恋が中心でもないし、人間関係が中心でもない。
特に何が中心、ということがない。
アレン映画ってだいたいそうだけど、アートでもエンタメでもない、微妙な立ち位置なんですよね。

でも、犯罪や恋の要素はあっても、コメディの要素は、ゼロですよ!?
ウディ・アレンの映画だから、とりあえず「お洒落なライト・コメディ」ってやっときゃ客来るだろう、とか思ってるんじゃないの?
観客をバカにするにもほどがあるよ!
俺はコメディのつもりで見はじめて、気持ちをシフトさせるのにちょっと時間がかかったよ!
いい迷惑だよ!
そんなだまして客集めて、プライドとか映画に対する敬意とか、ないの?

まあ、ないんでしょうね。
そもそも、映画の宣伝会社や批評家って、バカしかいないんですよ。
映画なんて好きでもないし、そもそも見るアタマもないバカ中のバカ。
だって、『ブルー・ジャスミン』でさえ、コメディって宣伝してたし、9割の批評家もコメディって言ってた。
あきれますよ。
ちなみに『ブルージャスミン』をコメディと見なしてなかったのは、僕の知るかぎり前田有一だけ。
終わってるよ、日本映画界。

画面で変わった行動が起こっていれば、パブロフの犬みたいに自動的に「ギャグ」とみなしてしまうんでしょう。
その理由は問わないんでしょう。
でも、例えば登場人物がおかしい言動をしてたとしても、それが狂気からきていたとしたら、笑えないどころか戦慄することだってある。
そういう、行動の「理由」や「心理」みたいなことを想像する能力が、日本の映画人には欠落してるんですよ、きっと。
そんなの、もう人間じゃなくて犬ですよ、犬。
条件反射でしか映画を見てない。
頭は動いてないんですよ。

『教授のおかしな妄想殺人』の場合、たぶん、テンポのよさからコメディって言ってるのかな。
「ドラマ」にしては、説明というか「間」がないし、ぽんぽんと出来事が起こってくるので。
いや、犬の思考はわかんないですけどね。
あんまり自分の印象と宣伝やレビューが違うので、海外のサイトを見てみたんですよ。
そしたら、コメディなんて言ってるものはひとつも見つかりませんでした。
英語圏では、サスペンスって位置付けのようです。

それとも、コメディの定義が違うのかな?
僕は、コメディっていうのは、笑わせることを目的とした映画、と思ってます。
骨太な伝記映画とかだって、会話の中でクスっとする部分があったりするじゃないですか。
そういうのは、コメディ要素とは違う。
それは、ギャグじゃないんだから。
クスっとさせてリラックスさせる目的と、笑いを取るのは、ぜんぜん別のこと。
って僕は思うんですけど、日本の犬ちゃん批評家は違う考えなのかな。
でもそれじゃ、本気で笑いを追求してるコメディアンに対しても失礼だと思うけど。

とにかく、映画はよかったのに、この宣伝はひどすぎる。
賛否はあれ、ちゃんと作ってあるいい映画なんだから、ちゃんと扱ってほしい。
日本の配給や批評家には、幻滅させられっぱなしです。
映画が好きじゃないんなら、映画の仕事につかないでほしい。
って、思うのは、夢を見るようなことなんでしょうか。






2016年7月14日木曜日

『ブロードウェイと銃弾』




ウディ・アレン監督の1994年作品『ブロードウェイと銃弾』を見ました。
舞台は、アレンの好む1920年代。
ローリング・トゥエンティ。
禁酒法とギャングとスイング・ジャズの時代。
新人作家がブロードウェイで芝居を上演するために奮闘する様子を描きます。
売れない作家とクセのある役者たち、ギャングとその愛人と用心棒が織りなす、コメディ・タッチのドラマです。

テーマは「才能」について。
新人作家デイヴィッド( ジョン・キューザック)は、  芸術家としてのプライドは高いが、実は「才能」がない。
対して、ギャングの用心棒チーチ( チャズ・パルミンテリ )は、教育も満足に受けていないのに、作家として天性の「才能」がある。
この対比。
チーチのアドバイスによって、芝居はどんどん良くなり、傑作と絶賛されるようになっていく。
デイヴィッドは、脚本の問題点をチーチが簡単に解決し、素晴らしいアイディアを出すのを目の当たりにして、悩みます。
何年も苦労して積み上げてきたものが、経験もないただの博打好きの用心棒にまったくかなわない。
皮肉なものです。

「才能」というのは、ギフトです。
限られた人間にだけ与えられた特別な能力であって、どれだけ努力しても手に入れることはできない。
そして、才能を持って産まれた人間は、持っていない人間のことがわからない。
チーチは、書けないという感覚が想像できないので、「もっと考えて書け」とアドバイスする。
しかしデイヴィッドは「君には簡単でも、そうできない人間もいるんだ」と答えるしかない。

チーチはどんどん芝居にのめり込み、そのために人を殺してしまう。
デイヴィッドが、殺人を受け入れられずに、チーチのところに乗り込むシーン。
「なんで殺したんだ?命より大事なものなんてあるわけないだろう!」「美しい作品をメチャクチャにされて我慢できるのか?」「だからって殺すことはない!」と叫ぶ デイヴィッドの胸ぐらをつかみ、「俺の芝居には誰にも汚させねえ!」と言い放つチーチ。
才能があるおかげで、人命よりも作品を優先させずにはいられない。
これは、幸福なのか不幸なのか。

けっきょく、チーチはそのために命を落とします。
最後の瞬間まで、芝居のセリフのことを考えながら死んでいく。
その姿を見たデイヴィッドは、自分に「才能」も覚悟もないことを自覚します。
そして、大成功だった初演の夜、引退を決意し田舎に帰ります。
「才能」がないことに気づいたおかげで、普通の幸せを手にいれることが、たぶん、できた。
チーチは、「才能」があったために、いわば殉教死したわけです。

「才能」って、なんなんだろう。
そんな不変的なテーマを、頭でっかちにならずに見せてくれる。
コメディ・タッチの画面の中で、実はとても冷徹な目線で。


こう書くと、シリアスな映画に思えるかもしれませんが、むしろ逆です。
軽快にテンポ良く、肩ひじ張らずに見れます。
暖色系のトーン、アップや切り返しを使わない落ち着いた画面、古いジャズ。
見てるだけで心地いい。
無駄なく練りあげられた脚本は、アカデミー賞にもノミネートされています。
登場人物がまたいいんですよ。
マンガみたいなキャラで、出てくるだけでおかしい。
気軽に楽しく見れて、実は深い、という意味では、『カメレオンマン』に近いかもしれません。
シリアスなテーマを軽妙に、というアレンの作風が生かされた傑作です。

アレン映画は、脇役にいたるまでキャスティングがいつも完璧です。
個人的には、久しぶりの出演となるダイアン・ウィーストがいい。
これまでのアレン映画の中では、『セプテンバー』の演技が大好きですが、この映画の役も素敵です。
今作でアカデミー賞を取ったんですね。
そう、『セプテンバー』がすごく好きなんですよ。
地味な作品ですが。
なので、そこでもいい役を演じていたジャック・ウォーデンが出てるのも嬉しい。
そして、なんと言ってもチーチ役のチャズ・パルミンテリがいい味をだしてる。
この頃まだあまり知られていなかったんじゃないかな。
アレンの映画に出て評価されてブレイクするパターンて多いんですよね。
それにしてもどうやって目をつけるんだろうか。


アレンが長く付き合ったミア・ファローと別れてから初めて本格的に撮った映画です。
この作品から、作風が変わったように思います。
全体のバランスや完成度に重きが置かれないようになった。
特にラスト。
今までの作品は、すべての伏線が回収され、完璧な終わり方が用意されていました。
あとからラストシーンを思い出すだけで涙が出てしまうような。

それが、なんとなく曖昧な終わり方をするようになったんです。
芝居の上演はこのあとどうなるのか、チーチの最後の遺言は、ダイアン・ウィーストは、と、いろんなことが放って置かれたまま終わります。
この変化について、アレンは意図的だと思うんです。
インタビューでも、現実はもっと複雑だ、と発言し、過去作品のハッピーエンドに対する違和感を何度も口にしていますからね。
そして、チーチの死ぬ前の最後の言葉の中で、自作『ハンナとその姉妹』のラストシーンの台詞を引用している。
『ハンナ〜』のラストは、アレンの作品の中でも最高のもののひとつです。
それを引用するわけですから、終わり方に対してかなり自覚的なはずです。
映像も、ラストシーン的な印象に残る絵はなく、突然終わりますからね。
いままであれだけ多くの美しいラストシーンを撮ってきた人が。

『ブロードウェイと銃弾』は、傑作です。
が、ラストシーンのカタルシスがないので、万人には勧めません。
え?これで終わるの?
って思う人も、いると思います。
僕はこの映画を公開時に映画館で見ました。
19才でした。
やっぱり、この終わり方に肩すかしされた感じがしましたからね。
僕の場合は、それまでのアレン映画のような、素晴らしいラストを想像していたので余計に。
なので、同じ時代ものということでも、『ミッドナイト・イン・パリ』『ギター弾きの恋』あたりを見て、アレンのテイストに慣れてからの方が、終わり方にも違和感なく楽しめるように思います。


アレンの映画って、うっかりすると普通の「ちょっといい映画」に思われてしまう。
でも、どんな芸術ぶって大上段にかまえた大作文芸映画より、実はよっぽど深い。
深刻なことを深刻に表現するのは簡単です。
でも、深刻なことを軽妙に表現するのは難しい。
そんな、アレン映画の醍醐味を味わえる名作です。

2016年7月13日水曜日

Facebook休みます

しばらく、Facebookを離れます。
と言っても、アカウントはそのままです。
定期的にログインすることをやめるだけです。

ネガティブなことばを使った投稿を見たくないんです。
前回のブログでも書きましたが、人を攻撃するような投稿がタイムラインにあふれている現状に、耐えられません。
さらに、その投稿をしているのは、もちろん知人であり、なかには親しい友人もいます。
好きな人が、そんなふうにしてる姿を、見たくないんです。


facebookって、閉じられたコミニュケーションの場なんだな、と痛感しました。
僕のタイムラインでは、反アベ、三宅洋平=救世主、選挙に行こう!という投稿が多かった。
でも、それって、社会全体から見たら、少数派の価値観に過ぎない。
だって、安倍政権は安泰だし、三宅洋平は落選したし、投票率は上がってないわけだから。
ごく一部の人間が、一か所に集まって、閉じられた空間で、自分たちだけで勝手に盛り上がって、多数派をバカ扱いしている。

別に、安倍政権を支持するわけじゃない。
でも、すべての政策が間違ってるとも思わない。
安倍晋三は極悪犯罪人で、最悪の偽善者で、いつもウソをついていて、顔つきは下品で、とにかく下衆で最低の人間だ、とは、これっぽっちも思いません。
それ、大久保でヘイトスピーチやってる人と同じ思考回路ですよ。
発言のあげ足取りとか、本当に不毛。

三宅洋平支持者の熱狂ぶりにも、ついていけません。
スピーチは魅力的だし、いい意見もあるけど、感情に訴える部分が大きすぎる。
「敵」を設定して感情をあおるやり方って、カルト宗教やファシズムの方法論じゃないですか。
どんなに美しい主張に対しても、常に疑う視点をもっていなくちゃいけないと思うんです。
盲目に心酔した人の言葉は、外側には届かないどころか、不快です。

選挙に行く、っていうのは、ひとつの考えに過ぎない。
行かない、っていう考えもあります。
ただの考え方のちがいです。
俺の考えが正しい!って思いこむのは、おかしい。
考えのちがう人をバカにするのは、おかしい。
悪いことしてるわけじゃないですからね。
そもそも選挙は、義務じゃないでしょ。
税金払うのとは違う。
ていうかたぶん、選挙行け!って叫ぶ人の中には、税金を滞納してる人もいるんじゃない?

ちなみに、選挙については、そんなに大した行為と考えない方がいいと思っています。
だって、フラっと行って、紙に名前書いて入れるだけ。
で、投票すればその候補者がどうなるか結果も楽しみになる。
残念だったり、喜んだり。
ちょっとしたゲーム、イベント感覚でいいじゃん。
気軽に、軽いひまつぶしくらいの気持ちでやればいい。
それでも、投票した候補者のことは少しは追っかけると思うんです。
そうやって、日常の中のひとつのトピックとして位置付けたほうが、興味関心て続くんじゃないかな。
生死のかかった重大事だ!と叫ぶのでは、そんな大変なこと参加したくないって思ってしまう人は多んじゃないかな。

とにかく、思考停止して罵り合う人が、まわりに増えてきてしまっていると感じるんです。
悪のアベ自民党を倒すヒーローが三宅洋平で、投票しない人は悪の言いなりのバカ。
そう決めつけてしまい、他の意見が耳に入らない。
そういう状態にある友人を見るのは、イヤなんです。
それに、僕はもっとフラットなところから自分で考えたいので、距離を置くことにしました。


Twitterは続けるし、ブログもいままで通り書きます。
ただ、ブログを書いても、そのリンクをfacebookに投稿することはしません。
直接、読みに来てください。
facebookで距離が縮まることも経験してきましたし、そこで主に繋がってる人については寂しくも感じます。
でもまあ、そういうこともありますよ。
あと、ライブ情報がチェックできなくなるので、気がむいたら誘ってください。

Facebookメッセンジャーは別アプリなので、メッセージはいままで通り見れます。
何かあればメッセージで。
たまにログインすることもあるかもしれないし、投稿することもあるかもしれません。
数週間後、なにごともなかったように復活するかもしれません。
わかりません。

とにかく、いまはfacebookからはなれます。
このあと数日は、まだ続けます。
ご理解ください。


2016年7月11日月曜日

選挙が終わってホッとした

参院選が終わりました。
思うことを、ざーっと書きます。

とにかく、SNSが面倒でした。
主張に関わらず、悪意と怒りに溢れたタイムラインを見るのが嫌で。
選挙に行こう!というシンプルな意見であっても、「とにかく行け!」的な、ただ叫ぶだけ、みたいなのばかり。
ちゃんと「意見」と思えたのは、すごく少なかった。
例えば、改憲反対で2/3議席を防ぎたいから護憲派に入れる、本当は好きじゃなくてもギリギリ食いこめそうな候補者にいれたらいい、という投稿。
他に、参議院の役割は衆議院の行動をチェックすることだから、嚙みつけそうな三宅洋平に入れる、という意見。
どちらも、特別に斬新な意見というわけじゃない(この内のひとつは、とても熱のこもった投稿でもありましたが)。
でも、これが記憶に残るくらいに、他の投稿が感情まかせのものばかりに感じたんです。

特に反アベにはうんざり。
その主張自体は、いいんですよ。
でもね、戦争だ!嘘つきだ!さらにもっともっと、安倍晋三の人間性を否定するような言葉が、TLに流れてきます。
馬鹿にして貶めるような合成画像とか。

もうそうなると、政策も主張も関係ないじゃん。
ただ、誰かを叩きたいだけじゃん。
罵詈雑言を吐く相手が欲しいだけでしょ?
人を馬鹿にして、いじめたかったんでしょ?
ただのストレス発散じゃん。
醜いよ。
あまりに醜すぎて、その醜さが不快な反動で、逆に安倍さんが素晴らしい偉人に思えてくるほどです。
そんな醜い奴らの仲間にはなれない。

さらに、そういう人って、やたら死ぬとか子供とか命とか言う。
「死」「いのち」「子ども」「未来」とか、抽象的な言葉を使うってことはさ、論理的な説明ができない、ってことでしょう。
ちゃんと自分で考えて主張できる人なら、「死」とか「いのち」とか、そんな脅迫めいた言葉使わないはず。
論理が破綻して焦ってるか、ウソついて人をだましたいのか。
まあたぶん、言ってる本人も、反対する理由をよく頭で理解してないんでしょう。
「こども」「いのち」とか誰かに言われてビビって、感情だけで動いてる。 

洗脳ですよ。
この壺を買わないと、こどもが不幸になりますよ!って言われて高額商品を買うのと一緒。
その先は、世の中が救われると本気で信じて、その壺を周囲に売ってまわったり、あげくはオウムみたいに、人を殺したりする可能性も、あるんですよ、そういう人は。

他人と意見が違うのは、あたり前のこと。
自分と逆のことを言う人がいたら、議論すればいいじゃん。
それをせずに、相手の悪口を言うだけなんて、大人のやることじゃない。
否定的な言葉で相手を攻撃する人を、僕は信用しません。
その否定的な言葉を目にするだけで、イヤな気分になる。
選挙が終わって、きたない言葉の洪水が収まると思うと、ホッとします。


あと、三宅洋平問題。
これも、三宅さんは、いいんですよ。
言ってる内容は、共感できる部分も多い。
でも、応援してる人達が熱狂しすぎで。
音楽好きの友達が多いこともあってか、SNS上でいちばん多かったのが、三宅洋平に投票しよう!という意見でした。
でも、そこで三宅さんの主張や政策は語られない。
「本音」「未来」「こども」「戦争」とか、やっぱり抽象的で感情的なものばかり。

選挙フェス、行かなかったけど、映像見ると彼のスピーチは確かに魅力的です。
でも、その魅力って、内容よりも喋り方なんですよ。
「本音」で普通の言葉でしゃべる政治家がいない中で、突出してる。
でもさ、ミュージシャンなんだから、政治家よりステージングが優れてるに決まってるじゃん。

これも、洗脳です。
熱狂させて感情に訴えて思考停止させて、信者にする。
三宅さん自身は意図してなくても、熱がある人の周りでよく起こることです。
そう、三宅洋平を応援してる声から、信者臭がするんです。
熱心な創価学会の人と同じ。
と思ったら、創価学会(=公明党)のやり方は素晴らしい、なんて言うじゃない。
彼らを見習って、投票お願いの電話を何百人にもかけろ!と。
これにはもう嫌悪感しかありませんでした。
三宅洋平本人がそう指示してるのか、周りが盛り上がってやってるのかわからないけど。

あと、彼のファンには、レゲエ界隈独特の「ピース」な雰囲気があって、僕はそれが苦手なんです。
やたら「家族」とか「地球」とか言う人たちね。
理想を語るキレイな言葉に酔ってるだけのように、僕には思えてしまって。
だから、三宅さんが「ヤーマン」「Put Your Hands Up!」とか、その界隈の言葉を使うたびに、どんどん引いてしまう。
そもそも、外国のスラングを使うのを、すごくカッコ悪く感じてしまうので。

せっかくいい主張もあるのに、なんでそうやって特定の人に向けたスラング使うのかな?
壁ができるだけじゃん。
人に伝える事より、自分のファッションを貫きたい、というエゴじゃないの?
本当に本気で世の中を変えたいなら、もっともっともっと広く一般に向けてアピールするべきじゃないのかな。
だって例えば、ウチの隣にすごく人のいいおじいさんが住んでます。
きちんと向き合って話せば、賛同してくれる可能性はゼロじゃないと思う。
でも、「ヤーマン!」とか「ヘイ!ブロ!」とか言う人にはまず投票しないと思いますよ。
そんなシンプルな事だと思います。

フェスは、いいアイディアでも、「ヤーマン」色はどうなのか。
実際それで僕は引いて、彼に票を入れなかった。
意義あると思うし考えたけど、彼が当選したら、「ヤーマン」の人たちがどんどん思考停止して宗教みたいになっていきそうで、それは気持ち悪いから。
それに、あのスピーチは熱が多すぎて、冷静に主張を読み取ることが難しかったから。
感情だけで行動するのは、危険だと思うから。


あと、投票に「行くべき」という風潮も、どうなのか。
なんか、投票しないと「悪」みたいな、行かないと後ろめたいような感じ。
その空気が、嫌でした。
投票を呼びかけるのに、やっぱり「戦争」「死」「未来」という言葉で脅しをかける。
投票率を上げるのが目的だとしても、そのために手段を選ばないのは、どうなのか。
そんな風にプレッシャー与えるんじゃなくて、もっと自主的にその気にさせるようなやり方を考えたらいいのに。
本当に自分の行動に自信があるのなら、そこに未来を感じているなら、もっとポジティブな言葉だって出てくるはずじゃないのかな。


どの主張も、それ自体はいいんです。
でも、とにかく、脅しはよくない。
こうしないと不幸になるぞ!って言って恐怖をあおる。
不幸に「なりたくない」という後ろ向きな気持ちから、行動をうながす。
壺商法。
そのやり方は、安易だしズルい。
僕はそういうやり方をする人は、信じない。
これをしたらこんなに良くなるよ!っていう風に、どうして考えられないのか。
何かに取り憑かれてるようにしか見えない。

否定的な言葉は、害です。
こっちも負の感情に引き込まれてしまう。
ネガティブな気持ちが蔓延した場所には、できるだけ関わりたくない。
SNS上に、幸せに「なりたい」という前向きな気持ちがあふれたら、どんなに気持ちいいだろう。
そうしたら、それだけでもっとみんな選挙行くんじゃないの?
犯罪も暴力も減るだろうし、自分をもっと好きになれると思う。
本当にそう思います。

あー選挙終わってよかった!

2016年7月9日土曜日

Bulletproofシリーズについて・続けること

お気づきの方もいるかもしれません。
少し前から、「Bulletproof Musician」の記事が大量に消えています。
事故じゃないんです。
自分でやりました。
下書きに戻したんです。

前に訳したものを読みなおしたら、文章がひどすぎて、公開しておく気になれなくって。
日本語として、ぎこちない。
たぶん、原文をそのまま訳す、という意識が強すぎたんだと思います。
ようやく今年にはいって訳したものは、なんとか合格ライン。
それ以前のものは、すべて不合格です。

少しづつ修正しています。
あの記事を読み直したい!という方がいたら、申し訳ありませんがお待ちください。
もちろん、こだわり始めたらキリがないので、スピード優先を心がけています。
でもこれがなかなか。
このペースだと、数ヶ月かかるかも。
というわけで、しばらく新作もありません。




あらためて読み直してみて、文章書くの上手くなったなー、と思いました。
翻訳だけじゃなくて、ふつうの文章も、です。
うまくなったし、早くなった。
むかし書いたのを読むと、恥ずかしいですよ。
文もヘタだし、構成もヘタで話が飛んで、何を言いたいのかわからない。
と、実感するまでに、自分がレベルアップしたということですね。

練習したり研究したわけじゃありません。
書き続けてたら、いつの間にか上達してた。
ブログを始めて、もうすぐ2年。
けっこういいペースで書いてきて、トータルでどうやら423記事
今までの人生で、こんなに文章を書き続けたことはありません。
そして、こんなに文章がうまくなったと感じたことも、ありません。
続けていれば、上達するもんです。 

仕事でも趣味でも、なんでもそう。
例えば子供のころ、台所の母親が包丁で野菜をトントントンとリズミカルに切るのを、すごいなーと思って眺めてたことって、あるじゃないですか。
あれだって、べつにわざわざ時間を割いて練習したわけじゃないでしょう。 
手の角度や包丁の握り方を意識して集中して研究して、っていう人は、そうはいないはず。
毎日やってたからって以外に、理由は見あたりません。
もちろん、キャベツ千切り世界優勝を目指すなら、その先の鍛錬が必要でしょうけど。

続けることほど効果的な上達法って、実はないんじゃないか。
いまどき、何かをモノにしたいと思ってあたりを見回せば、さまざまなハウツーがあふれています。
それでも、上達せず悩む人は絶えない。
絶対確実なやり方なんて、ないからです。
どれもこれも、ある人には効果があっても、ある人には効果がない、というものです。
でも、続けることは、誰でもできるし誰にでも効果ありますよ。
すごいですよ。

だから、最初からスクールに行ったり習おうとするの、あれムダです。
定評のあるメソッドがあったとしても、他の100人にはよくても、自分には合わないかもしれないし。
それより、とにかく自分で始めてみる方が早い。
ガイドがなくて不安でも、続けてれば、まず上達するんだから。
で、続けるうちに、自分に何が必要で何が不要か分かってくる。
何が足りないか分かってから、必要ならその部分だけ習いに行けばいい。
まずやってみる。
そして毎日やる。
それが早い。

どんなメソッドもスクールも、近道なんてないんですよ。
だから「どうしたら上達するか」よりも「どうしたら続けられるか」考えたほうがいい。

と、思います。

2016年7月7日木曜日

いつも失ってから後悔する

昨晩、ライブを終えて自転車での帰り道、高円寺を通りました。
駅からあづま通りをのんびり抜けて早稲田通りを渡って、中野方面に行くと、あれ?景色が変わってる。なんだ、新しい店か。でも待てよ?
と思って、自転車を止めて戻ってみると、そこはハンバーグの店「豆の木」があった場所じゃないですか!

ショックでした。
大好きな店だったんです。
かれこれ15年〜20年くらい前、ちょうど「豆の木」がオープンした時、すぐ近くに住んでいました。

新しくできた店なのに、オシャレでも綺麗でもない、昔からあるような雰囲気でした。
ハンバーグが確か600円くらい。
20年のあいだに値上げしたのかは覚えてません。
見た目はごく普通でまったく期待させないのに、実は独特のソースがやみつきになるくらい美味い。   

小さな店でした。
すごくいい雰囲気の夫婦がやってたんですよ。
人のよさそうな、すごくすごく素敵な。
ご主人が中で調理して、カウンターごしに奥さんに渡す。
なんか、別に何を話すわけでもないんですが、ふたりの雰囲気、立ち振る舞いが、すごく暖かくて、行くたびに幸せな気持ちになりました。
こうして書いていても、ふたりの笑顔が浮かんできて、たまらなくなる。
お店で接客を受けて、その接客というか人柄というか雰囲気が素敵すぎて忘れられない。
そんなの、めったにありません。
(もう一人、むかし渋谷にあった「サバラン」というレストランのウェイターのおじさんも忘れられません。あの人がいるから食べにいってましたからね。ビルの火事で閉店してしまったけど、いまあの人がいる店がわかれば、そこに食べに行きたいです。もし知ってる人いたら、教えてください。)

家に帰って調べたら、なんと2月末に閉店していたようです。
そんな前だったとは。
知らなかった自分が、なさけない。
前回行ったのは、いつだったのか。
その時もしばらくぶりで、「昔は近くに住んでてよく来てたんですねー」なんてことを帰りがけに奥さんと話しました。
なんでこんなに長いあいだ、行かなかったんだろう
好きな店には、なるべく行こうと思っているのに。
口先だけか。
閉店前に、また会いたかった。
ああ悲しい。

高円寺で時間があれば、「福助」「やなぎや」「ごん」「豆の木」のどこかで食べます。
といっても、しょっちゅう高円寺に行くわけじゃないし、行っても食事をするとは限らない。
「ごん」も、しばらく前に行ったら、閉店時間が早まってたなー。
どの店も、そろそろみんな年をとって、あと10年、いや5年も経ったら、どうなってるか分からない。

僕は19歳から7年間くらい、高円寺のあづま通りに住んでたんです。
早稲田通り手前の風呂なし鉄筋マンションと、早稲田通りを渡ってすぐのアパートと。
サンコー、ミンミン、カンパネルラ、甲州屋、名前忘れたけど貸本屋、名前忘れたけど角にあった服の直し屋。
ざっと思い出すだけでも、これだけの好きだった店があづま通りから消えてしまった。
福助もやなぎ屋も、がんばってるな。
もっと寄るようにしないと。

好きな店に行ったらなくなっていた、というのは、とても悲しい。
だって、閉店を知らないということは、それだけご無沙汰だったわけです。
自分がたまーにしか行かなかったくせに、なくなって悲しむなんて、なんて身勝手なことか。
そんな自分はいやだから、好きな店にはできるだけ寄ろう、と思ってるんですが、今回の「豆の木」はだからすごくショックでした。
半年も行かなかったことを、後悔しています。
悲しむ資格なんて、本当はありません。



昨日のライブで、店のマスターと話していて、いまみんな集客が大変だ、という話になりました。
昔のことは知りませんが、たしかにみんなライブ行かないよなーと思います。
行くのは、「仲間」感のあるライブだけ。
ミュージシャンとお店と含めて、ある意味サークル的な雰囲気のところにしか、行かない。
知らないライブや、知ってるミュージシャンのライブでもやる内容が変わると、もう行かない。
そんなもんですよ。

僕はけっこう、意識してライブを見に行くようにしてます。
で、行くと、驚かれたりするんですよ。
それくらい、人のライブをお金払って見に行くミュージシャンが少ない、ってことです。
そんなの、おかしいと思う。
狂ってる。

実際、大好きな素晴らしいミュージシャンのライブに行って、あまり客がいなくて驚いた、という経験を何度もしています。
いい音楽なのに。
逆に、内容はよくなくても、サークルっぽく楽しい雰囲気でなあなあとしてるライブの方が、お客が来たりする。
いつもだいたい同じ人。
それって、音楽聴きに来てるんじゃないんですよ。
音楽なんて、つまみみたいなもんで、みんなあんまり興味ないんですよ。
酒飲んでワーって騒いでスッキリすればいいんですよ。


お金落とさないと、それは消えるよ。
ライブ行かないと、その人は消えるよ。
「豆の木」は、もうない。
僕がお金を落とさなかったから。

いや本当は、年を取って引退しただけかもしれないけど、最後に行かなかった僕には知りようがなくて、その知りようがない、という状態になってしまった自分を、後悔してるわけです。

いい音楽がそこにあるうちに、聞きにいったほうがいいよ。
なくなってから、後悔するから。
「豆の木」がなくなって、僕は後悔しました。


2016年7月3日日曜日

昨晩は『GWO & 麻田浩』!!

バイユーゲイトにてGolden Wax Orchestraのライブでした。
今回の共演は、Tom's Cabin代表、麻田浩氏。
テーマは、60年代メンフィスの伝説のレコードレーベル「Goldwax Records」。

すごい企画です。
ゴールドワックスをテーマにしたイベントなんて、そうはないはず。
シングル盤レコードの鑑賞会とかなら、 どこかマニアックなお店でやっているかもしれませんけどね。
でも昨日は、決してマニア向けではない、普通のライブイベントです。
そんな場に、こんな無名のレコード・レーベルを前面に出して、大丈夫なのか。
逆に、ソウルファンからしてみたら、メインのライブは歌手ではなくクラリネットだし。
正直、どうなるかと心配でもありました。

前半は麻田さんのトーク。
実は、内容を詰めてなかったんです。
海外ミュージシャン来日時のエピソードなど、まあ何か面白い話が出てくるだろう、と楽観して、好きに喋ってくださいとしか伝えていませんでした。
ところが当日、日本NO.1スワンプ・ポップ・バンド、ロス・ロイヤル・フレイムスのCount-D氏が来るという。
これは!と思いつき、その場で司会進行をお願いしたんです。
そしたら、開場からスタートするまでの間に、ちゃんと打ち合わせもして、トークの中で流す曲も決め、司会どころか対談相手として大活躍してくれました。
イベント開始直前に丸投げしたにも関わらず、この仕事ぶり。
さすがロスロイ!
日本NO.1は伊達じゃない!

(打ち合わせ中)

ちゃんと、「トークショウ」でした。
麻田さんの音楽遍歴、そしてオーティス・クレイやルーズベルト・ジャミソンの話など、盛りだくさんのトークとなりました。
ややマニアックな内容でしたが、そこは仕方ない、両名の音楽愛が溢れすぎた結果です。

そして麻田さんが、3曲歌いました。

1. I’m Living Good / The Ovations
2. Dark End Of The Street / James Carr
3. Precious Precious / O.V. Wright

いままでソウルの曲を歌う機会はあまりなかったそうで、気合たっぷりでしたねー。
ウッドベースにはイトウダイ。
歌とベースのみで始まる曲もあり、なかなかスリリングで見どころのあるステージだったと思います。


そして我々GWOのステージも、満足いく仕上がりでした。
最近のGWOのロックなライブと違い、余裕のあるいいステージだったと思います。
はっきり言って、ゴールドワックス・レコードの曲のみでここまで魅せることができるインスト・バンドは、そうはいないでしょう!

1. Pouring Water On A Drowning Man / James Carr
2. It's Wonderful To Be In Love / The Ovations
3. I Slipped A Little / Percy Milem
4. Mother In Law Trouble / Oboe
5. Lonely Man / Spencer Wiggins
6. Cry To Me / Spencer Wiggins (vocal : Count-D)
6. Don’t Cry / The Ovations
7. That’s How Strong My Love Is / O.V. Wright
8. Let The Best Man Win / George Jackson
ここでイトウダイ参加
9. Freedom Train / James Carr 
ここで麻田さん参加
10. Pouring Water On A Drowning Man / James Carr 

ゴールドワックス縛り。
自分で考えたことですが、これがけっこう大変でした。
ゴールドワックス音源をひと通り聞き直し、クラリネットで成立する曲を選定し、メロディーを覚え、シンプルな曲はリズムや吹き方で工夫し、なんとか1ステージ分を用意しました。
そもそも有名曲もないし、似てる曲も多いし、いやー本当に苦労したけど、その甲斐あって、ゴールドワックス・ファンから普通のお客さんまで、十分に楽しんでいただけたと思います!
GWOすごいよ!


反省点もあります。
それは、時間が押してしまったこと。
トークも、盛り上がって当初の予定よりだいぶ長くなってしまったし、GWOのステージも、やはり思いが余って曲間にもいろいろと話してしまった。
正直、時間を気にする余裕がありませんでした。
イベントの内容は良かったと思いますが、これは、よくない。
演奏以外のことまで考えるというのは、やはり簡単ではありませんね。
次にこうした企画をする際には、改善しなくては、と肝に銘じます。

せっかくのレアで面白い企画、もっと凝縮して、もっと楽しめるものにできると思います。
また、ご期待ください!


(Goldwax Tシャツのツーショット!!)