2016年12月31日土曜日

大晦日

大晦日。
一年を振り返りたくなります。
みんな振り返っているし。
今年の10大ニュースなんてのもある。

でも、考えてみると、なんで振り返る必要があるのか。
振り返ってどうするのか。
あああれができたできなかった、あんなことがあった、とか思い返してみて、それでどうなるんだろう。
振り返るっていったって、失敗を分析して傾向と対策を考えるわけじゃなかろうし。
よかったことを思い出して反芻してアファメーション効果を求めるわけでもないでしょう。

年が変わっても、生活には影響ないじゃん。
学校のクラスがえみたいに、環境が変わることもないんだし。
会社員だと、部署移動とかあるのかな?
ちょっとそれはよくわかりませんが。
べつに1年ごとに人生が区切れるわけじゃないし、大晦日も元旦も、同じ24時間としてなにも違いはないはずです。

それとも、僕の脳には生まれつき欠損があって、大晦日と元旦の違いを認識する神経というか細胞というかなにか受容体のようなものが足りないのかもしれない。
他の人はみんな、年が変わるときに体に何かの変化が起こるのかもしれない。
あるいは脳が脱皮みたいにして一新されるとか。
年が変わるっていうのは、ただの時間経過ではなくて、普通の人は地球か大地かカレンダーかキリストとかとテレパシーみたいな見えないヘソの緒みたいなもので繋がっていて、時計の日付表示が変わるようにして頭のなかで「カチ」って音が鳴って、なにか重大な変化があるのかもしれない。

もし音楽をやってなかったら、そもそも僕は教授とか学者とか偉い人になるだろうって思ってた時期もむかしはあったから、どんな分野かわからないけど大晦日の謎を解明する謎の機関で働くような人生の選択肢も、あったのかもしれません。



なんてことをぼんやりと思いながらなんとなく1年を振り返ると、今年もなかなかに面白かったな。
ハイライトは「シルエット近藤」の誕生ですね。
まさかムード歌謡をクラリネットでやることになるなんて、いままでこれっぽっちも考えたことありませんでした。
たまたま思いついたことをノリでやってみたら面白かった、という、いつものパターン。
そして、以前からファンだった哀愁歌謡バンド「ぺーソス」への参加。
参加といっても、メンバーになったんじゃないけど、わりとたびたびライブに呼ばれてます。
自分が好きな人と一緒に演奏できるのって、ほんとうに嬉しい。

なんだか、もはやクラリネット・プレイヤーの誰もいままでやってない、というかそもそも誰も興味ないだろう分野にどんどん切り込んでいっています。
そんな計画をしてたんじゃないのに、いつものように流れに身を任せていたら、こうなりました。
これからも、流されるままにやってれば面白いことがあるでしょう。

と、流されるままに、今年を振り返ってみました。
来年も、みなさんよろしくお願いします。


2016年12月30日金曜日

ペーソス居酒屋ライブ

今年最後のライブは、"哀愁おやぢの平成歌謡" ペーソスでした。
出会いは2年前、かな?
対バンで出会って、あまりに最高すぎて衝撃を受けました。
ブログにも書いたし、何度か人を連れてライブも見にいきました。
そんな大好きなバンドで自分が吹くことになるなんて、思ってもいなかった。
うれしいです。


中井の居酒屋「田」。
満席でスペースがなく、メンバー3人が縦に並ぶことに。
ボーカルの島本さんの横からクラリネットを突き出して合いの手を入れるのは、見てて面白かったんじゃないかな。
もちろん、やりやすくはなかったけど。

ペーソスの客席は、いつもいい雰囲気です。
年配の方が多いんですけどね、みんな楽しそうに聞いてるんですよ。
ライブのあとで、カウンターにいたおばあさんに話しかけられました。
ふだんは夫の介護をしていて、久しぶりにひとりで外出したそうです。
「ホント素敵だったわ〜!久しぶりにすごく楽しかった。ありがとうございます。」
なんて、言ってくれる。

とってもいい夜でした。

ペーソス最高ですよ!
来年もときどき参加しますのでよろしくー!

2016年12月20日火曜日

キップ・ハンラハンとムーンドッグ

キップ・ハンラハンのアルバムを何枚か聞いてます。
かっこいい!
なんでこんなにかっこいいんだろう。
音楽的には、ラテンや先鋭ジャズの要素が強いからやっぱり「ラテンジャズ」となるんだろうか。
でも、隅々の要素まで全部、ハンラハンのセンスによって練り上げられてる、独自の音楽に違いない。
参加したプレイヤーが他で演奏するのを聞いても、この感じはありません。
ハンラハンは歌わない。
ボーカルが欲しい時は、曲に合う歌手を連れてくる。
アルバム内でも曲によってミュージシャンを変える。
それでも、これはキップ・ハンラハンの作品だと思える。
素晴らしいボーカルも超絶ソロも頭に残るメロディも、あんまりないけど、でも、いいんだよなー。
不思議だ。

少し前に、Moondogの1stを聞いてた。
もう、メロディもリズムもなくて、サウンドコラージュ?現代音楽の領域です。
でも、どこか親しみやすい。 
これもまた不思議です。

どっちも、ジャンル的にはというか、けっして好みのタイプの音楽じゃありません。
僕は、現代音楽もラテンジャズも聞かないし。
といって、この2人が音楽的に特別にジャンルレス/ボーダレス/ミクスチャーとも思わない。
このくらいやってる人は他にもいます。

そうするともう、"センス" としか言えない。
例えばキップハンラハンは日本の一部のアヴァンギャルド/ジャズファンに人気です。
で、たぶんその人たちは菊地成孔とかも好きなんだろうけど、僕も何度か聞いてみたことあるけど、いいと思ったことはありません。
似てる部分はあると思うし、菊地成孔はキップハンラハン好きだし、交流もあるのかもしれない。
でもなぜか、菊地成孔の音楽は僕にはアピールしないんですよね。

つまり何が言いたいかって、自分でも分かんないんですよ、なんでキップハンラハンとムーンドッグをいいと思うのか。

ちなみにキップ・ハンラハンを知ったのは、ピアソラのアルバムのプロデューサー(?)としてです。
ずーっと昔、大学の図書館でいろいろ聞き漁ってたらピアソラがあって、アルバムを一通り聞いた中で特別に好きだったのが、ハンラハンの手がけた「タンゴ・ゼロ・アワー」でした。
そうしてみると、ずっと昔から、僕はハンラハンの "センス" に惚れてたんですね。


僕は "センス" で音楽を選んでるんです、きっと。
だから、キップハンラハンのファンやムーンドッグのファンが勧める音楽を、僕はあまり好きじゃないかもしれない。
そうなると、ジャンルとか具体的な特徴で話ができないとなると、なかなか人と共感し合うことが難しい。
これが、ラテンジャズ・ファン、現代音楽ファン、ということなら、それだけで無条件で一定数の仲間がいるわけです。
知り合いには、手持ちの音楽の9割がニューオリンズ・ブラス・バンドもだ、って人もいます。

でも、僕はその人達よりもっと、キップハンラハンやムーンドッグや素晴らしいブラス・バンドの良さが分かると、けっこう本気で思ってます。
根拠は、ありません。

2016年12月18日日曜日

バイユーゲイトとW.C.カラスとGWO

一昨晩は、三鷹バイユーゲイト11周年記念ライブ週間の、最終日。
W.C.カラスと一緒に演奏しました。

バイユーゲイトは、僕にとってはスペシャルな店です。
まだGolden Wax Orchestra を始めたばかりの頃に、出演しました。
コレが面白いのか何なのか、まだ自分でも分かっていませんでした。
その時にマスターのユウさんが絶賛してくれたことで、ああコレやっていいんだ!という確信が持てたんですよね。
それ以来、定期的に出演し、まさに腕を磨かせてもらってきた場所です。

カラスさんにとっても、バイユーゲイトは特別な場所です。
全国ブレイクのきっかけを作ったのが、ユウさんなんですから。
バイユーを東京の「ホーム」と公言して、レコ発は今でもバイユーゲイトでやっています。

僕とカラスさんが出会ったのも、バイユーゲイトのおかげです。
会う前から、お互いにユウさんから名前を聞いていましたからね。
初対面では、やっと会えた!と嬉しくて、最初から親しいような気分だったのを、覚えています。


だから昨日は、楽しみでした。
前日まで、気合い入れるぞ!やるぞ!って思ってました。
それが当日になってみると、リハも本番でも、僕はいつになくリラックスしてたんですよね。

「ホーム」感、なんでしょうか。
GWOは自分のバンドだから、ステージの責任を負う、という感覚が、いつもあります。
それが昨日は、なかった。
ユウさん、カラスさん。
そして、お店を好きなお客さん。
とてもいい気分でした。



前半はGWO。
W.C.カラスがバッキングを務めます。
カラスさんがギター一本でバックをつけるなんて、まずないことでしょう。
いい意味でゆるい、ライブ感あふれる演奏になりました。
こんなリラックスしたライブなんて、なかなか日本では見れないと思いますよ。
すげーよかったですよ。

後半はW.C.カラス。
弾き語りに、僕がクラリネットで加わります。



前半は生音でしたが、歌のバックでは小さい音も使いたいのでマイクを立てました。
サングラスを外し衣装も替えて、気持ちを切り替えて。

カラスさんは、予定調和にしない人。
どんどん煽ってきます。
いまやってる曲がこのままいつ終わるのか分からない。
ソロも、終わろうとしてもまだ終わらせてくれない。
歌のバックでこんなエネルギー使うとは思いませんでした。
燃えました。

モアリズムのアントニオ佐々木さんが聞きに来てくれたのも、嬉しかった。

ああよかった。
こういう日は、終電がうらめしい。


バイユーゲイトは、僕にとっては憧れのお店でもあります。
ルーツミュージックの素晴らしい先輩たちがたくさん出演している。
僕なんて、聞いてきた音楽の量も、演奏経験も、まだまだまだまだです。
浅く広く軽いですし。
卑下してんんじゃなくて、本当にね、知れば知るほどに、尊敬、としか言葉のない、音楽に身を捧げてきたようなミュージシャンが、たくさんいるんですよ。
その長い列の末尾に並んでいられてるような光栄な気分が、昨日もありました。

あまりこういうことを考えたことはなかったけど、「ホーム」ってこれなのか。
バイユーゲイト11周年。
おめでとうございます!


GWOセット・リスト

When A Man Love A Woman
I Won't Cry
I'll Change My Style
Dark End Of The Street 
Congo Mombo
Please Send Me Someone To Love
Lonely Man
Love Me Tender
Keep On Pushing

2016年12月14日水曜日

音楽の話がしたい

音楽ライター小尾隆さんのブログを読みました。
マイナーでも良い音楽

若い頃から通ったレコードショップの思い出が綴られています。
店に通ううちに、他のお客と音楽話が盛り上がって、そこから友人関係がはじまることもあったそうです。
ここに書かれている芽瑠璃堂の他にも、いろんなレコード店やロック喫茶などで、そうした光景があったんでしょう。
手元のレコードを見ると、買った時の情景がよみがえる、と小尾さんは言います。


ものすごーく、うらやましいです!
こういうエピソードって、60代より上くらいの方の話によく出てくるんですよね。
音楽好きが集まるレコード屋が、いくつかあったらしい。
店主や店員やお客同士で、音楽を通じて会話が始まる。
ロック喫茶で議論したり。
古いミュージック・マガジンなんかでも、「論争」みたいなのが載ってる。
音楽について、話すこと、共有すること、議論することが、そこらじゅうで起こってたみたいです。
いやわかんないけど、少なくとも今よりは、音楽を通じた交流があったんじゃないか。

もう少し下の世代、50歳くらいの人になると、レコード屋で友達になって以来の付き合いで〜ってエピソードは、あまり聞きません。
あの店あったよね!とかは聞くけど、どうやらそれぞれ一人で行っていたみたいです。
僕はCD世代だからなのか、名物店主のこだわりのレコード屋!みたいなお店に足繁く通ったことすら、ありません。
レコードプレイヤー持ってなかったし。
よく行ってた輸入or中古CD屋はありましたよ。
高円寺のココモや、渋谷のサムズとか。
どっちももうないな。
ディスクユニオンになると、大型店だから店員の顔がパッと浮かばないし、タワレコに行く感覚に近いです。

いまなんか、もう店にもいかない。
AmazonとApple Musicのおかげで、家にいながらにして世界中のディープな音楽に触れることができる。
人と会うよりネットで調べたほうが、マニアックな情報を効率的に集められる。
僕よりもっと下の世代になると、中古屋にもいかないし外にもあまり出ないで、家でPCの前でひたすら夜中まで音楽を漁ってる、というのが普通なのかもしれません。


数日前にジャニスで借りたLos PiranasとTune-Yardsが、ものすごいかっこよかったんですよ。
もう大興奮です。
そうなると、人に話したくてたまらなくなります。
誰か近くにいれば、それが音楽ファンでなくたって、これすごいよ!!って聞かせることでしょう。
それで相手も「いいじゃん!」なんて言ってくれたら!
そもそも僕が興奮する音楽ってマイナーなものが多いから、それを共有できる人がいるとものすごく嬉しい。
そうした似た感性を持つ仲間が集まる場所が、きっと昔はたくさんあったんですよね。
興奮したまま、翌日どこかのレコード屋に行って、店主からこんなのもあるよ!って違うバンドを勧められたり。
そんな想像をします。


なんで人と音楽の話をするのが好きなのか、わかりません。
誰かと演奏するのだったら、肉体的とも言える単純な快感がある。
でも、好きな音楽について話すことで直接的な快感はありません。
なんでこんなに楽しいのか。
わからないけど、とにかく楽しい。
それこそ、理屈抜きで。

逆に、一緒に演奏してものすごく気持ちよくても、音楽の話がまったく合わないのでは、どこか物足りないんです。
音楽的な部分では、いいかもしれない。
でも、演奏の良し悪し以外に、「ツボ」や「センス」みたいなものがあって、それは実際のグルーヴとは直結しないかもしれないけど、僕の中では大事な部分なんです。

今日は誰と、明日は誰と、という風に、毎日いろんな場所に行って違う人と演奏して、それも楽しいことです。
が、僕の場合は、純粋に音楽的な要素だけじゃなくて、演奏を通じて相手と気持ちを共有したい、近づきたい、という欲求が強いんだと思います。
だからバンドに憧れます。
音楽のツボが合う仲間と、これいいよ!あれ知ってる?って話しながら、その共有したものがバンドの音楽性にも反映されていく。
そんな仲間と出会えて長く一緒に音楽探求を続けられたら、最高です。
グレイトフル・デッドやNRBQは、そんな感じだったんじゃないかな。


楽器をやってても音楽の話はしない人が、実は多いんです。
人名とかのデータ交換じゃなくて、これいいよね!って話ができる人は、本当に少ない。
楽器なんて道具なんだから、練習してコツをつかめば使えるようになります。
今時はみんな学校行ったりしてね。
でも僕は、道具を操る技術のやり取りには、他の人ほどの興味が持てないんです。
それより、感動を共有したいんです。


僕は音楽が好きです。
演奏することも、聴くことも。
演奏は、道具が使えれば誰でもできる。
でも、アレいいよね!って話は、音楽が好きじゃなきゃできません。
音楽の話がしたいです。
そうすれば、人生を共有できるから。

2016年12月10日土曜日

今日もジャニスに行ってきた!

ジャニス最高です!
御茶ノ水にあるマニアックなCDレンタル屋。
前にもブログに書いたことあるけど(「御茶ノ水JANIS!!」)、ここは天国。
時間を忘れてしまいます。
独自のジャンル分けがとにかく見やすくて刺激的。
輸入盤、インディーズ、自主盤などにも全部に手書きの解説がつけてあって、読みながら音を想像するだけでも楽しい。
全て試聴可なんです。
今日も2時間以上、次から次へと試聴しまくりました。
夜はライブで、入り時間ギリギリになっちゃって駅まで走りましたよ。


ここしばらく、エキゾ・モンドものを聴き漁っています。
懐かしの「モンド・ミュージック」も、書い直しましたからね。
古本で。
考えてみたら、この本が出た当時と比べると、情報収集がアホみたいに楽になってるわけです。
ちょっとネットで調べれば、マニアックな個人ブログなんかも読めるし、中古屋のサイトで試聴できたりもします。
そして、調べた名前をApple Musicで探してみると、かなりマイナーなものも揃ってて、その場で聞ける。
もう、家から出なくても人と会わなくても本を買わなくても、けっこうな知識を得ることができます。


それでも!ジャニスに行くと、出会いがあるんですよ!
普通のジャンル分けではなく、ジャンルを横断した分類法や、独自のテーマで特集コーナーをつくってたりして、必ず発見があります。

家で自分でさんざん可能な限り調べたあとでも、まだまだ知らないミュージシャンがたくさんいるもんです。
Apple Musicにもない、インディーズ系のマイナーなやつも試聴できるし。
試聴機の前に座りながら手書きの紹介文を読んでると、誰かと会話してるような、いい気分になれる。
至福です。

この店がなかったら、いまの僕はいません。
間違いなく、こんなに音楽好きになってなかったはずです。
ジャニスでバイトしたい!って、思いますもんね。


いまライブ終わって帰り道ですが、背中のカバンの中に入ってるCDのことを思うと、ワクワクします。

今日借りたのは、

ブルース・ハークの変名アルバム
チューン・ヤーズ
ロス・ピラーニャス
Fair Ohs
El Guincho
ダイナソー・フェザーズ
Ensamble Polifoico Vallenato
Fool's Gold
Mike Cooperの変なアルバム

です。
早くじっくり聞きたい!
ジャニス最高!

2016年12月5日月曜日

弾き語りって身軽で羨ましいけど大変そうでもあるよな


江口優とライブやりました。
伝説のバンド、なんて言ったら怒られるかな?とにかく最高な3人組「りぶさん」のセンターを務めた男。
今回はギター&ウッドベース&クラリネットのバックの上で、江口くんはギターを置いてシンガーとして歌ってくれました。
オリジナルとカバーと、なかなかレアで面白いライブだったと思います。

あらためて横で聴くと、実はかなりソウルフルな声をしてるんですよ。
曲も、変に気取ったり主張したりしなくて、センスがいい。
弾き語りでもこれから活動していく意気込み十分。
期待します。


ひとりで弾き語りって憧れるけど、大変だな、とも思います。
だって、弾き語りやってる人って山のようにいて、楽器編成でバリエーションつけることもできないし、どうしてもみんな似てしまう。
楽器ひとつと声だけで個性を出すって、大変なことです。

僕がよく聞くルーツミュージック周辺だけに限っても、まだまだ知らないミュージシャンがいっぱいいます。
そして、その中に本当にいい音楽やってる人がこれまたいっぱいいる。
いい音楽をやってる人って、星くず並みにたくさんいるんですよ。
ホントです。
知られていないだけなんです。

そう、知られてないんです。
そもそも、音楽性を簡単に紹介されただけでは、山ほどいる弾き語りミュージシャンの中で誰がいいのか悪いのか、判断できません。
Youtubeでライブの良さは絶対に分からないし。
そして、言葉は悪いけど似たような音楽性のミュージシャンが、同じ店に日替わりで出てたりする。
みんな、そこそこいい。
という状況で、こいつは特別だ!って思わせるのって、ものすごく難しい。

僕は、たくさん違う種類の音楽を聞きたいタイプです。
そうすると、内容がどれだけいいと分かっていても、ルーツ系弾き語りのライブにばっかりに行くことは、まずありません。
実際、すごく好きな人のライブでも、毎回は行かない。
数ヶ月に一度くらいかもしれません。

震えが止まらないほどの奇跡的熱狂的感動的なライブを、いつもやればいいのか。
でも、そんなことやれてる人はひとりも知りません。
じゃあどうすればいいんだろう。
ライブごとに趣向を凝らすとか。
楽器を変えたり、毎回いろんなテーマを企画したり、他のミュージシャンや時にはミュージシャンじゃない人と組んだり。
いつも違う内容なら、次も行こう!となる。

あるいは、ぜんぜん違う客層を相手にやるとか。
よっぽど考えて、人がやってないことをやるか。
それは演奏以外の何かでもいいはずです。
ギターを燃やしたり壊したり、ステージから臓物を投げたりするバンドもいたそうですからね。

とにかく、いいライブなんて毎日いっぱいあるわけで、最高の演奏をするだけじゃ足りない。
演奏がいいのは当たり前、大前提です。
でもそれ以外のことでも、お客さんをどうやって楽しませようか考えたらいいと思う。
ライブって、「見せ物」ですから。

演奏に寄りかかってはいけない。
みんな、がんばろうー!

2016年12月3日土曜日

怪我したハトのことを考えた

前回書いた、ハトの件(『怪我したハトに出会った話』)。
よく考えてみると、大したことじゃない。
カラスがハトを食べ(るのかな?)たり、猫が鳥を食べたり、それはきっと、自然界では当たり前のこと。
毎日あちらこちらで起こっていて、でも人間の生活圏とは別の場所での出来事だから視界には入らないだけなんです。

ハトやカラスは、増えすぎだそうです。
大きな視点で見ると、人間の生活にマイナスなのかもしれない。
自然界では、増えすぎた種は淘汰されて数が減らされて、全体のバランスを保つ。
増えすぎのハトを助けることは、そうした流れに逆らうことなのかもしれない。

鳥の群れでは、傷ついて足手まといになった個体は、置き去りにされると言います。
その方が、全体が生き延びる可能性が高いから。
僕が見かけたハトも、そうして仲間から外れた可能性もあります。
特別なことでも残酷なことでもない。


傷ついたハトは、かわいそうなのか。
同じ生き物でも、例えばこれがミミズだったら、感情は動かないはず。
だって、釣りする人なんか、ミミズの体に針を突き刺して、悶え苦しむまま水に投げ入れたりしてる。
自分がその立場だったらと想像したら、地獄の苦しみです。
逆に犬や猫の場合なら、家に連れて帰って手当てする人も、きっといるでしょう。

そう考えていくと、草木は踏んでいいのか、とか、人間だって豚や牛を殺して食べてるじゃん、て話にもなります。
ハトじゃないけど、鳥も食べてるし。
犬を食べるっていう話も聞きます。

たまに肉屋に行くと、思うんです。
鳥や豚や牛を、殺して、解体してる人がいる。
仕事として、きっと毎日、何十年も、その作業を続けてる。
あるいは、どこか山の方では、野生の生き物を仕留めて食べる地域もあるかもしれない。
東京に住んでたって、釣りに出かけて釣った魚を食べたりする。
生き物を殺す行為を、実際に行ってる人も、いるわけです。
彼らは、道ばたで傷ついたハトを見つけたら、どう感じるんだろうか。
どうするんだろうか。


考えていくと、キリがない。
人間は勝手に、際限なく様々な意味づけをしてしまう。
そもそも、「かわいそう」というのは、人それぞれぞれ個人的な、いわば独りよがりで勝手な感情です。
涙が出るときでさえ、実は自分に酔っているんじゃないか、という場合だってある。
「かわいそう」に正当性を求めることは、無理なんです。

結局、感情のどこに線を引くか、という問題なんだと思います。
ヴィーガンや菜食主義者、動物愛護団体などは、その線引きが極端なケースでしょう。
逆方向に極端な線引きをすると、もしかしたら相模原の障害者殺人事件や、ナチスドイツみたいになるのかもしれない。


僕の場合、個人的に関わった相手でないと、一線を超えて心が動くことはありません。
というか、動いたら、それは嘘だと思うようにしています。
感情移入せずに、大きく引いて見ることで、受け流します。
だから、傷ついたハトに対しても、実はそんなに「かわいそう」とは思いませんでした。

ハトだけじゃありません。
どこかで悲惨な事件や事故があっても、同じです。
そりゃ心が動くこともあります。
でもそれは、あくまでも漠然とした感情であって、行動を駆り立てるほどに具体的で強いものではない。
そこまで強い、「かわいそう」と名付けるのもしっくりこないほどの感情は、簡単には生まれない。
自分が直接関わった相手のことでしか、本当の怒りや悲しみは、なかなか湧かないはずです。

感情って、そんなに安売りするものではない。
同情可能な出来事に接するたびに、スイッチを押すみたいに「かわいそう」と思うのは、なんか違うんじゃないか。
その果てには、泣ける理由を探して安っぽい歌や映画を次から次へと消費することになって、どんどん自分の感情が薄まって、自分が自分でなくなってしまう気がします。
「かわいそう」っていうのは、薄まったウソの感情に対する免罪符なんです。
多くの場合は。

2016年12月1日木曜日

怪我したハトに出会った話

少し前のことです。
外でお昼を食べようと出かけました。
店に向かって歩く途中、自転車から降りて立ち止まってるおばさんがいます。
視線の先を見ると、塀の隅に、ハトがうずくまっている。
怪我をしているみたいです。
「あっちに羽根が散らばってるから、カラスにやられたのよ、きっと。」
おばさんは、公園の側に住んでいて、カラスが鳩を襲う場面をよく目にするそうです。
近寄って見てみると、左胸の辺りが赤い。
血が流れてるのじゃないけど、かなり大きく肌が裂けてるように見えます。
羽は無事なようですが、じっと動かない。
ときどき首を小さく動かして、震えています。

どうすればいいのか。
「病院に連れて行った方がいいんですかね?」
「この先に一件あるわよ。」
とおばさんが言うので、電話をしてみました。
「その状態だと入院になると思います。そうするとウチでは対応ができないんです。鳥を扱う病院を調べて紹介しますので、5分後にまた電話してください。」

いわゆる動物病院は、犬や猫が専門で、鳥は扱っていないそうです。
ああこれは意外に面倒かもしれない。
「わたし行かなきゃいけないから、この子を病院まで連れて行ってもらえないかしら?先生に私の名前言えば分かるから。とりあえずこれ置いて行くからお願い。」
と言って、おばさんは5000円を差し出します。
「カラスは残酷なのよ。羽をむしって飛べないようにしてから、ゆっくり殺すのよ。助からないとしても、苦しまないようにしてあげられたらねー。」
そうなんだ。
カラスが鳩を襲うこと自体、知りませんでした。
とりあえず受け取って、連絡先を交換して、Mさんは自転車に乗っていきました。

さっきの病院にかけ直して、 鳥を扱う病院を紹介してもらい、問合せました。
「野鳥は診れないんですよ。ウィルスを保持してる可能性もあるので。警察に連絡してみてください。」
「警察で、診てもらえるんですか?」
「分かりませんが、保健所に連絡するか、預かるか、対応してくれると思います。ウチでは無理ですのですみません。そして、素手では触れないようにしてくださいね。」
そうなのか。ウィルスなんて、考えてもみなかった。

110番に電話しました。
「怪我をした鳩を見つけたんですが。」
「どこかから落ちたんですか?それともイタズラですか?」
イタズラ!
そうか、面白半分で動物をいじめる人が、いるのか。
「いえ、カラスか何かに襲われたんだと思います。」
「飼っているのではありませんよね?」
「はい、たまたま道で見つけたんです。」
「場所はどこですか?」
電柱に書いてある住所を伝えると、いま向かうから、もう離れてもいいですよ、と言われました。

でも、そのまま立ち去る気にはなれません。
5分ほどして、若い警察官がやってきました。
親身になって話を聞いてくれます。
ここまでの流れを説明すると、何箇所かに電話で問い合わせてくれて、
「預かることはできますが、手当てはできなくて、一定期間したらまた離さないといけなんです。それに、この状態だと、捕まえる時と連れて帰る途中でも暴れて、死んでしまうかもしれない・・・」
と、こちらに気を使いながら説明してくれます。
「警察で預かるか、そのままにしておくか、どうしますか?」

どうしよう。
預けても何も進展はしないようだし、病院でも診てもらえない。
さすがに、自分で連れて帰って手当てするわけにもいかないよな。
このままにしておくしかないのか。

最後に、もう1件、野鳥の保護団体に問い合わせてみました。
すると、カラスとハトは増えすぎてしまい、減らす方向でいて保護はできない、と言われました。
とっても申し訳なさそうに。

仕方ない。
その場に残していくことにしました。
ただ、怪我をしていて、そのままではカラスや猫にすぐにやられてしまうかもしれない。
せめてダンボールにでも入れておいてあげよう、と思い、用意した布で体を包んで持ち上げようとしました。
するとその途端、スタスタと歩いて逃げだしました。
歩けるじゃん!
しかも、ヨロヨロじゃなくて、スタスタ。
良かった!
動けないほど弱ってるのかと思ったら、そうでもないみたい。
これは、逆に捕まえるのが一苦労でしょう。
スタスタ逃げて、大きな石の影に身を寄せました。
ケガをして弱っているには違いないので、心配ではあるけど、なんとか体力が戻れば、助かるかもしれない。
現実的に考えて、それが最善の方法に思い、その場を去りました。

夜に様子を見に行くと、ハトはもういませんでした。
翌日の昼間にも行ってみたけど、何か起こったような形跡はありません。
もし襲われてたら、争ったあとがあるんじゃないか、それがないということは、少なくともここでは何もなかったんだろう。
無事に、どこかで休めてればいいな。