2017年9月17日日曜日

なんで俺の好きな店はなくなるのか

ペーソス北海道ツアー、札幌からスタート。
初日は、札幌第一ホテル。

2日目は、Catchball Radio SAPPORO。
両日とも、大変に盛り上がりました。
ペーソスは、お客さんがいい。
年配の方、ご高齢の方。
得体の知れない曲者オーラたっぷりの御仁。
すばらしい。
打ち上げも含めて、楽しい二日間でした。

しかし、悲しいニュースが。
なんと、札幌の名店Dixie Roux が閉店しまったという!
2年前にコロリダスで訪れて、あまりにもニューオリンズすぎてお店の人もクレイジーでぶっ飛ばされた、忘れられないお店。
その時のブログを読むと、興奮が思い出されます(『札幌のニューオリンズ』)。

なんてこった。
宿泊先から近かったので、昼間に行ってみたら、おいおいあの美しい建物が見る影もないじゃん!
食パン専門店だって。
気にくわねーな。
美味いのかもしれないけど、なんだよこのFuckin'な外観は!
情緒のカケラもない。
金賞?
知るかボケ!

こういう、文字情報をバーンと出してる店、嫌いなんです。
金賞とるのは、すごいことかもしれないけどさ、それを自慢してそれをエサに人集めするなんて、下品だよ。
お前にはプライドや美意識がないのか。
昼過ぎなのに完売だと?
もっとたくさん作れよ!
希少価値つけて売ろうとすんじゃねーよ!

って、べつにこの店に難癖つけたいわけじゃないんです、すみません。
でも、前の建物とのギャップがすごすぎて。
あんなに雰囲気たっぷりだったのを、どうしたらこんなに無味乾燥どころか下卑た下心丸出しのものに変えてしまえるのか。
ああ悲しい。

音楽も食事も、大事なのは数字じゃない。
誰かの心に響いて残るかどうかです。
心に残るって、音楽の出来不出来なんていう単純なことじゃない。
いくら出来のいい音楽でも、ステージでの態度や雰囲気のせいでネガティヴな印象に終わることだってある。
どんなおいしい料理も、美しくない皿に盛られて出されたら台無しじゃん。
わかってないよ。
目先の損得のために、人生の価値を下げてるよ。
俺はね、たとえばミュージシャンでも、プロフィールに◯◯で優勝、◯◯氏に師事、とか書いてる奴は、信用しないよ。
そりゃ時にはしがらみで書かなきゃいけないこともあるだろうけどさ、自分から喜んで経歴を自慢するなんて、恥ずかしくないの?
カッコ悪い。
ロックじゃないよ。
ああ余計なこと書いてるのは分かってるし、奴らも俺のこと好きじゃないのは知ってるよ。
どうせ住む世界がちがう。
あっちはあっちで和気あいあいと、お上品に魂のない人生送ってりゃいいさ。


また好きな店が無くなってしまった。
事情は知らない。
できることはなにもないのが、悲しい。

2017年9月12日火曜日

ロンサムじゃない?野暮なこと言うなよ!

おとといは、ロンサム・セレネイダース。
って、もうおとといの話になってしまったけど。
トランペット、クラリネット、バンジョーという変則トリオ。
管楽器2人に対して、リズム/コード楽器が1人。
リズム+メロディ、というよりも、全部の楽器が織物のように絡みあって、繊細で独特なサウンドがね、なかなか良いんです。
コウさんとトランペットと僕のクラリネットの相性が、だいぶいい。
音色がよくブレンドするんですよね。

この日は、豪華ゲスト入りのスペシャルバージョン。
ドラムに木村おうじ、さらにニューヨーク在住のトランペッター大橋諭。
飛び入りで中川恭太がピアノ。
サトルさんが、トランペットだけじゃなくて、なんとトロンボーンとスーザフォンも持って来てくれた。
もちろんそれぞれの楽器の専門家にはテクでは敵わないんだけど、グルーヴ感を分かってるから、すごくいい。
ジャズの上手いトロンボーンやチューバ奏者を連れて来ても、ああいう風にはならない。
不思議なもので、僕のフレーズもいつになくニューオリンズになります。
いやー楽しかった!
日本で、少なくとも東京で、こんなにアクの強いニューオリンズ感が出せるなんて!


にぎやかすぎてバンドの本来のサウンドじゃない、なんて野暮なこと言わないで。
その場にいるメンバーで一緒につくるのが、音楽です。
頭のイメージを再現するのは、音楽じゃない。
いや、そういう種類の音楽もあるけど、僕はあんまりそっちには興味ないし、グルーヴ系の音楽で、しかもライブでそれをやっちゃダメでしょ。

再現は、つまらない。
過去の音楽を聴くことは、とっても大事。
でも、演奏中にそれを思い浮かべるのは、ダメだと思う。
自分の音楽にならない。
特定のミュージシャンに成りきった気持ちでいるのは、いいよ。
でも、特定のレコードや特定のフレーズを念頭にするのは、よくない。
うーん、こうして書いてみると、伝わりづらい線引きかもな。
まあいいや。

とにかく、いい音楽やれて、お客さんもみんな喜んでくれて、それでいいじゃん。
それがライブ。
サークルの発表会とは違うんだぜ!
って、「オールド・ニューオリンズ・ジャズ」というビジョンをはっきり掲げたバンドのライブで思える自分の柔軟さが、好きです。
音楽って、やわらかいよ。

2017年9月6日水曜日

俺は「クラリネット奏者」なんだろうか

昨日はペーソス。
新宿の道楽亭Ryu's Bar。
ふだんは、噺家さんが出るようなお店です。
ペーソスでは、浅草の寄席にも出てます。
クラリネットやってて、こんな風に芸の世界で演奏することになるなんて、想像もしませんでした。

数えてみたんです。
2ステージで14曲。
その中で、普通のクラリネット演奏をしたのは、多めに数えて5〜6曲のみ。
あとは、変な踊りをしたり、打楽器を面白おかしく鳴らしたり、クラリネットを吹いたとしても、ネタみたいなことだったり。
いつかの寄席では、クラリネットを手にしたのが1曲だけだったこともあります。


いま、Golden Wax Orchestra のレコーディングの準備をしています。
サザンソウル・ナンバーを、クラリネットで「歌う」ユニット。
あらためて、それぞれの歌詞を読みこみながら練習してみると、どんどんフレーズがそぎ落とされていきます。
ここまでメロディに徹することは、管楽器奏者としてはあり得ないでしょう。
さらに、「シャウト」もします。
2〜3曲でクタクタになります。
もはやロック、いや、パンクのノリです。

ムードクラリネットでも、メロディに徹します。
このときは、演奏だけじゃなくて、演歌や昔の歌謡曲の歌手をイメージして「振り」的なステージングもやってます。
片手をはなして広げたり、見栄を切ったり。
最近では、タブレット純さんに誘われて、ムードコーラスのグループにも加入したら、お客さんから決めポーズが素敵!なんて言われたりして。

コロリダスでも、ライブを盛り上げるために、演奏以外のいろんなことを追求してきました。
ライブを重ねる中で、片足奏法やブリッジ奏法、横吹きなども編み出しました。
本来のクラリネット奏法では、反則とされるものばっかり。
クラシックの世界では、座ったときの足の位置まで厳しく指導されたりもするそうですからね。


BGM演奏やパーティ演奏などでは、本来のニューオリンズ・スタイルでのジャズ演奏もやってます。
でも、「ライブ」としては、普通のクラリネット演奏はどんどん減ってきている。
俺は「クラリネット奏者」なのか。
なぜこうなってしまったのか。
人生って予測不能です。


ということを、楽器の修理に向かう電車の中で考えています。
そして今夜は久しぶりに、オーセンティックなニューオリンズジャズのライブ。
演奏することも、やっぱり楽しい。

楽しいことなら、なんでもやっていきたいと思ってます。

2017年9月3日日曜日

JASRACって頭おかしいんじゃないか

JASRACという、不思議な団体があります。
日本音楽著作権協会。
ホームページを見ると、「作り手がいて、素晴らしい音楽がある」と書いてある。
「作り手」つまりミュージシャンのために、楽曲の権利を守る団体。
いわば、ミュージシャン=クライアントのはずなのに、JASRAC大好きありがとう!っていうミュージシャンには、出会ったことがない。
みんな、嫌ってる。
こんなにもクライアントに嫌われてる会社って、変でしょ。

たとえば飛び抜けた製品を作る会社でも、取引き相手に嫌わるようなことは避けるだろうし、あるいは美味い料理を出す店でも、接客がダメダメだったら、お客は離れていくでしょう。
そんなの、バカでもわかる。
なのに、なんでJASRACはクライアントに嫌われるようなことばっかりするのか。
バカなのか。
まあ、他にライバル会社がないからやりたい放題ってことなんだろうけど、そんなのいつまで続くのさ。
それ以前に、人としてどうよ?
義理人情とまで言わなくたって、思いやりゼロの相手と好んで付き合うなんて、誰もしないよ。
もし、JASRAC以外に、同じ規模の著作権管理団体があれば、ほとんどのミュージシャンはそっちに移るんじゃないのかな。

大ヒット曲があってその印税に頼って贅沢な生活をしてる一部のミュージシャンなら、違うのかもしれないけどね。
さすがに、何もしなくても毎年JASRACから1000万円単位でお金が入ってくるなら、例え著作権料の徴収がどれだけ怪しかろうと、どうでもいいと思えるかもしれません。
でもそれホント、人としてどうよ?

そんな中で、ファンキー末吉氏がJASRACと正面から戦っているのは、とってもすごいことです。
だって、爆風スランプという大人気バンドのメンバーで、ヒット曲「ランナー」の作曲者ですからね。
いままでJASRACから莫大な印税を受け取ってきたはずだし、JASRAC側からしても、優良顧客ですよ。
それも、配当が不十分とかいう理由じゃない。
ただ単に、収支の内訳を説明してほしい、というだけで、それをJASRACが拒否して、裁判にまでなってる。
どんな配当金だって、あるいは税金だって何だって、内訳を明かさないなんて、いまどきありえないでしょう。
しかも優良顧客に対してさ。

けっきょく裁判ではJASRACが勝ったんだけど、まあ法律的ないろいろな複雑なこともあるんだろうけど、僕はファンキー末吉ブログやSNSで経緯もあるていど追ってきて、どうにもスカっとしないどころか、この判決を受けてますますJASRAC=悪としか思えない。

細かいことは、この記事を読んでください(「JASRACの著作権使用料、分配は妥当なのか)。
裁判の件だけではなく、JASRACの様々な問題が簡潔によくまとめられています。
これ読んで、JASRACは素晴らしい!って思える人は、はたしているだろうか。


すごくシンプルに。
お金が絡むことで内訳を説明できないって、悪いことやってるのに決まってる。
だから、JASRACは悪い会社に決まってる。
少なくとも、音楽や文化のことを考えてるはずはない。
JASRACと、ついでにオリコンは、最低最悪の奴らとしか思えない。

自分がJASRACに食わせてもらうようなミュージシャンじゃなくて、良かった。
僕が今後ヒット曲を書いても、絶対にJASRACには登録しないことを、ここにハッキリ宣言しておきます。
作曲ぜんぜんしないけどね。

2017年9月1日金曜日

泥水っておそろしい

一昨日の晩のこと。
渋谷まで飲みに行って、自転車をガードレールにロックでくくりつけたら、キイが手からすべって、側溝って言うんですかね?道路の脇の鉄格子の穴に、ポチャンと落ちてしまいました。
ちょっと探ってみても見つからなくっていたら、交番に行けば底をさらう道具貸してくれるんじゃない?って言われて、ハチ公前の交番に行くと、酔っ払いやら数人の対応で、かなり忙しそうです。
カギが側溝に落ちて・・・と説明すると、あーそりゃダメだ、と、まったく相手にしてもらえません。
ほぼ無視に近い。
やさしくしてよお巡りさん。

仕方ないから、とぼとぼ現場に戻って、ちょっと迷ったけど、鉄格子のフタを外して穴を手でさらいました。
底まで手が届く深さだし、穴も大きくないから、わりと楽に見つかるんじゃないか。
ちょっとの辛抱!
と思ったんですが、甘かった。
穴の底には、泥だかなんだか柔らかいものが溜まっていて、それが浮かんできて水の中でぐるぐる回ってしまう。
石やプラスチックの物体やらいろんなものが落ちて積み重なってゴチャゴチャで、その中からカギを探し当てるのは、どうやら簡単じゃない。
顔を近づけてるから、けっこう臭い。
きっとこの水はすごく汚いんだろうな。
昼間でよく見えてたら、気持ちが折れてたかもしれないな。
しばらくがんばったけど、姿勢もつらいし、あきらめました。

手を洗いに、すぐそばのセルリアンホテルのトイレに行きました。
上質な石鹸。
お湯も出ます。
ヒジのあたりまでよく洗って、やわらかく上質なペーパータオルで吹いて、サッパリ。
さて、どうしよう。
ロックが外せないから、自転車は置いて帰るしかない。
スペアのキイは、ない。
製造元に言えば、スペアを送ってくれるはずだけど、どのくらいかかるんだろうか。
渋谷はすぐに撤去されてしまうから、間に合うかな。
あるいは、もうあきらめて、撤去されたのを取りにいく方が早いかな。
渋谷区の撤去料は2000円だから、高くはないし。
カギは買い直さないといけないけど。

と考えながら駅に向かってると、なんだか臭う。
まさか。
自分の右手をかいでみると、うっすらドブ臭い。
ちゃんと上質な石けんで洗って上質な紙で拭き取ったから汚れてはいないはずだ、と思ってみても、どうにも気になる。
なんだか肌の表面に泥がこびりついて固まって、手が重いような感じさえしてきます。
そんなわけないのに。
いちど気になると、匂いがはなれてくれない。

やっと帰宅してシャワーを浴びて、あースッキリした!と思ったら、あれ?おかしいな。
なんと、まだ少しだけ匂います。
ウソでしょ?
これ、いつまで残るんだろう?
利き手だから、顔に近けることも多くて、その度に気になってしまう。
まいったな。


でも考えてみると、世の中には、泥水に関わる仕事をする人も、きっといるんじゃないか。
素手をドブに突っ込むことはしなくても、長時間なにか作業していたら、体に匂いがつくんじゃないだろうか。
シャワーでも落ちないんだから、いつも匂いの中で過ごさなくちゃいけない。
そのうち、慣れるんだろうか。
自分は慣れても、家族や友達は、どうだろう。
なかなか彼女もできづらいんじゃないか。
町ゆく人から、なんか臭わない?なんて言う声が聞こえたりするかもしれない。
僕も昔カレー屋でバイトしてたとき横断歩道で、カレーの匂いしない?って前の人たちが話してたことがあった。
ずっと昔は、革なめしや屠殺とかたぶん匂いがある仕事は、下層の人々に押しつけられてた、みたいな話も、教科書に載ってた気がします。

いま実際に、そういう様な仕事がどれだけあるのか、わかりません。
仕事じゃなくても、世界にはいわゆるスラム街もあるし、清潔とは言い難い環境で暮らす人もいるわけです。
たしかウイリアム・バロウズだったか、ヤク中で一年間風呂も入らず同じ部屋にいた、っていう話をどこかで読んだこともあります。
そういう生活を想像したとき、嫌だな、と不快感が先にきてしまう。
カギを落として、さらにそんなことを考えていると、自分は何者なんだ、と思います。
けっきょく、限られた場所からしか見れてない。
あの側溝の穴の中には、僕の人生なんか及ばないような、雑多で複雑な世界が、おそろしく奥深く折り重なっているような気がします。

2017年8月26日土曜日

N.O.生活27 - アメリカか日本か

1月、最終学期がはじまりました。
卒業まであと4か月。
進路について考えなくてはいけません。
アメリカに残るのか、日本に帰国するのか。

アメリカに残る場合、ビザが必要です。
ミュージシャンの場合、アーチスト・ビザです。
取れないことはない、けど、お金がかかります。
取得の時はもちろん、毎年か数年ごとの更新の際にも安くないお金がかかる。
たしか日本での手続きも必要で、飛行機代も合わせると数十万単位の出費はさけられない。
これは、楽じゃない。

アメリカでも、クラリネットだけで生計が立つのは、おそらくニューオリンズだけです。
他の町では、日本と同じように、各種サックスや場合によってフルートも演奏しないと、満足に稼げない。
僕は、サックスもやらないどころか、使っているクラリネットも普通じゃない。
ニューオリンズ以外ではやっていけないでしょう。
もし将来、ニューオリンズで仕事がなくなり食えなくなったら、どうすればいいか。
日本なら、バイトでもなんでも、どうにかなります。
しかし、不景気でアメリカ人でも仕事に困っているのに、音楽しかやってこなかった外国人に選択肢があるのか。
かなり厳しいはずです。

そもそも、ニューオリンズは海より低い位置にある町です。
温暖化で、遠からず水の底に沈んでしまうという説もあります。
ハリケーンもきます。 
そんな時、身を寄せる場所が、僕にはありません。
なにかあったとき、だいたいの人は実家ある日本に帰国します。
でも僕の場合、実家には世話になってはいないので、気軽に戻ることは考えづらい。
19歳で家を出て以来、1人でやってきて、留学中に帰国するときにも、実家に泊まることはなかったし、荷物を預けもしていない。
仲が悪いとかじゃないんですけどね。

と、けっして楽観できない要素が盛りだくさんです。


そこまでして、アメリカに残りたいのか。
たしかに、僕の性格上、日本よりは楽しく暮らせるでしょう。
でも、肝心の音楽面では、はたしてどうか。
ニューオリンズでは、何も考えず毎日演奏して暮らせる。
それはもちろん楽しいに決まってます。
僕が、楽しければいい!というタイプの人間なら、なんの問題もないんですが、そうはいかない。
アメリカに来たのだって、ただ楽しそうだから、というのじゃなくて、ニューオリンズの音楽が好きで好きでたまらなかったからです。
それなのに、渡米のモチベーションとなった、僕の好きなニューオリンズ音楽は、もはや現地にも存在しません。
まだ活動している伝統を背負ったベテランミュージシャンも、そのうちいなくなってしまう。
僕が愛する音楽は、アメリカでも、過去のものになろうとしています。

ライブは、楽しい。
でも、新しい音楽シーンの若いミュージシャンたちや、カーミット・ラフィンを筆頭にした中堅ミュージシャンたちは、過去の伝統に興味がない。
マイケルトムのような伝統を守るミュージシャンは、世界的に尊敬されていても、自分の町では十分な仕事がないという現実。
アメリカに残るということは、ニューオリンズでクラリネットを吹くということ。
しかしそれは、僕をここまで導いてくれた音楽を捨て、むしろ、それを食い物として生きていかなくてはならない。
それで自分が幸せになれるとは、思えない。


ということを考えていると、ライブで演奏していても、素直に楽しめません。
周りのミュージシャンとの考え方のギャップが、ストレスになってきました。
アメリカまで来て、やりたい音楽がやれてないなんて、本末転倒じゃないか。
こんなことやってて、マイケルやトム、トロントのみんな、そして過去の素晴らしいミュージシャンたちに、合わせる顔がない、という気持ちがふくらんでいきます。

それで、帰国することに決めました。

2017年8月15日火曜日

髪型も変えられないのに、人生が変わるわけない。

髪型を変えない人は、モテない。
何年も、ヘタしたら10年以上も同じ髪型をしてたら、それじゃあ恋愛も遠ざかる。
って、こう書くと「自分のこと言われてる!」って思われたりするんだけど、言っとくけど、髪型やファッションに興味ない人は、別ですからね。
見た目に気を使ってる人の場合です。

なんでずっと同じ髪型をしてるのか。
それは、決めつけてるから。 
自分にはこれしか似合わない、って。
あの髪型もこの髪型もカッコいいけど、やってみたいけど、自分には無理だ。
ああいうのは、イケメンじゃないと似合わない。
自分は顔が大きいから、鼻がまるいから、おでこがせまいから。
って、やってみる前から決めつけちゃって、消去法で残ったものに固執する。
それはたいてい、当たり障りがなくって、誰にも注目されないだろう髪型です。

そんな風にして、後ろ向きに選んだ髪型を続けるのって、よくない。
鏡を見るたびに、どうせ自分はこの程度、っていう思いが、心の底にたまっていくから。
まるで逆アファメーションみたいにして、気持ちもどんどん後ろ向きになっていく。
そうすると、なにかにチャレンジしよう、という気も失せていく。
未来を想像してワクワクする習慣がなくなってしまいます。

人を好きになる時って、ワクワク感があるじゃないですか。
一緒にいたら楽しそう、っていう期待が、距離を縮める。
そもそも、他人と過ごすなんて、面倒です。
ひとりで自由に自分のペースでいることが、いちばんラクチンに決まってる。
わざわざ恋愛なんて面倒なことするのは、この人といたら楽しいかも!ってワクワクする気持ちがあるからでしょう。
だから、ワクワクと縁のない人は、モテないんですよ。

恋人じゃなくって友達の場合だって同じことです。
こいつ面白そう、ってワクワクするところに、人は集まります。
いや俺なんて・・・とか言って後ろ向きでいたら、誰も寄ってこない。
少なくとも、新しい出会いは広がらない。
人は、去ります。
出会いがなければ、去っていくばっかりで、だんだん頼れる人数が減っていく。
そうして、孤独死ですよ。


たまたま髪型について書いたけど、そのほかのことでも一緒です。
考え方を変えない。
同じ店にしか行かない。
決まった道しか通らない。
「こだわり」って言う人もいるけど、それはちがうよ。
◯◯に決めてる、ってさ、そんなの、みじかい人生でたまたま出会った中でたまたまそれが良かったっていうだけじゃん。 
世の中のすみからすみまで試したわけじゃないのにさ。

こだわりって言って何かに固執するのって、逃避です。
新しい未知の出会いが怖くて、失敗するのが怖くて、逃げてる。
逃げて守りに入ってる奴なんて、誰も相手にしないよ。
そいつが自己防衛のために立てた心の壁を壊すことに、けっこうな労力が必要だから。
他人はそんな面倒なことしてくれない。
壁は自分で壊すこと。
どんどん新しいことをやっていくこと。
迷ったら、いつもと違う方、新しい方を選ぶこと。
そうして進んでる人は、どっちに向かっているかに関わらず、魅力的です。

髪型なんて、本当にちっぽけなこと。
思いっきり変な髪型にして、笑われてみたらいい。
失敗したことないから、失敗を恐れるんだから。
大失敗しても死なない、ってわかれば、楽になれる。
服や髪型や、小さなことを変えるだけで、いろんなことが変わると、僕は思います。

2017年8月7日月曜日

路上で円盤を演奏する男

銀座を歩いてたら、わき道に、変わった楽器を演奏する男がいました。
スチールパンにフタをしたような円盤みたいな形の、大きな銅色の鍋のような楽器。
ぽよんぽよんと、不思議な音です。
日本人にしては大柄で、放浪の旅の途中のようなヒゲ面が、いかにも楽器に似合ってる。
罪のなさそうな通行人が数人、足を止めているのを、通り過ぎました。

あの楽器はなんなのか。
誰もがそう思うでしょう。
僕だって、余裕があれば立ち止まってたかもしれない。
でもそれは物珍しさ。
音楽に気を引かれるのじゃない。
それが楽器じゃなくたって、演奏してなくたって、見慣れないものには気が奪われる、というだけのことです。

演奏がよくなかった、というんじゃありません。
もしかしたら、彼はあの楽器の名手で、世界トップレベルの演奏が行われているのかもしれない。
でも、それがいいのか悪いのか、ちゃんと聞かないとわからないわけだけど、なんといっても馴染みのない音楽だから、一聴して足を止めることはまず起こりにくい。
そもそも、世界一流の演奏家が路上で演奏してみたら誰も立ち止まらなかった、っていう実験も、何度も行われています。
よっぽどキャッチーな演奏じゃないと。
でもたぶん楽器の性質上、そういうのは向いてなさそうだし。

彼自身は、どう思ってるのか。
音楽をやってるけど、人が集まるのは、その内容よりも物珍しさ。
たぶん、素晴らしい演奏でした!ってよりも、それ何て楽器ですか?っていう声の方が多いでしょう。 
演奏を聴いてもらえない、っていうジレンマは、ないのかな。
楽器を見せびらかしたいなら、それでオッケーなんだろうけど。

そもそも、なんで路上で演奏してるのか。
それも暑い中、わざわざ銀座なんて遠いだろうに。
物珍しさから人が足を止めるということが分かってて、注目されたくてやってるのか。
おごってもらったり、ナンパ目的なのか。
それとも、あの楽器では一緒に演奏できる人や場所がなくて、仕方なく路上にいるのか。 
不特定多数の目にさらされることで、修行のつもりなのか。

1時間くらいしてまた通ったら、男はいませんでした。
あの楽器は、宇宙と交信する道具で、あそこがそういう地点で、そっちの世界に行ってしまったのかもしれない。
あるいは、暑さで蒸発してしまったのかもしれない。

2017年8月6日日曜日

ぼくの休暇

休暇を取ってみた。
といっても、自分でそう決めて過ごしてるだけですが。
三日間、何もしませんでした。
何もしない、っていうのは、楽器も吹かないし、予定も入れないってこと。
こんなに何もしないのは、どれ位ぶりだろうか。

それにしても、いざ休むとなると、どうして過ごせばいいのか、わからない。
休暇って、英語で言うとバケーション。
バケーションで連想するのは、旅行か。
ロング・バケーションでない数日の休暇なら、温泉旅行とかかな。
でも温泉にしろどこにしろ、旅行なんてしないし興味もない。
海外でも行けば違うのかもしれないけど、そんな金はない。
それで、映画を見て、本を読んで、散歩をしました。

映画もいいけれど、でもそれよりももっとバケーション感を味わえたのは、散歩と読書。
この2つはセットなんです。
本を持ってわざわざ電車で出かけて、好きな喫茶店に行って読む。
そして町を歩く。
そしてまた喫茶店へ入る。
それだけだけど、ちょっとした旅行よりもリフレッシュできる。

そういえば、海外でも、やることは同じです。
いわゆる観光名所とか行かずに、一日中町を歩いて、疲れたらよさそうな店に入って休む。 
ひたすらそればっかり。
海外の場合は、読むのは現地で手に入れた雑誌だったりするけれど、やってることは一緒です。
散歩してる。

話題の場所に行ってうわー!って思うこともないし、なんというか、場所や出来事についての情報に、あんまり興味がないのかもしれない。
今まで行った場所、たとえばニューオリンズでさえ、地図で指せないし。
飛行機で乗り換えがあっても、それがどこの空港か覚えてないし。
そんなこと知らなくたって、チケットに書いてあるゲートに向かえば、目的地に着ける。
覚えてるのは、景色や風景やそこでの体験だけで、その体験も、実際にどの町でのことだったか、あやふやだったりします。

旅行って、遠くにきた、非日常だ、というのが頭のどこかにあるからこそ、盛り上がるんじゃないのかな。
だって、知らない町、とかいうけど、自分の住んでる町だって、ちょっと裏路地を行けば、見たことない風景がある。
近くの、はじめての駅で降りてみればいい。
知らない景色に出会うのに、わざわざ遠くに出向く必要はないわけです。
だから、旅行へ行くとなれば、その場所について調べて、地図を見て、到着までの間にも気分を盛り上げて、特別な体験だ、って自分に思い込ませる。
きっと本当は、知らない土地に行く、っていうことが目的じゃなくって、それを口実に自分でイベントを企画するようなことなんじゃないか。
なんて思います。

そうすると、イベント性をとっぱらってみると、遠くに旅行するのも、隣町を散歩するのも、実は同じこと。
自分の好きな町や景色があって、そこを歩いて、でも興味があるのは景色ではなくってあくまでも自分です。
だから周りの景色に心が動かされることがあったとしても、それでも意識は自分自身に向いてる。
そうできる場所であれば、どこでもいいんです。

なんだか旅の本質を分かったような気になりました。
さて、休暇はおわり。
またはじめます。

2017年7月29日土曜日

オンダトロピカ『Baile Bucanero』!いいね!

Ondatropicaの2ndアルバム『Baile Bucanero』を聴きました。
いやーこれいいね!


1stもよかったけど、あれは「上出来なラテンアルバム」の範疇を超えていない。
ていうか、世の95%くらいのラテンものって、どこを切ってもラテンのボキャブラリーしかなくって、傑作!とか言われてるものでも、ラテン門外漢の僕にはそれぞれの細かい差異を比較検討して聴く楽しみはないので、どれもこれも「上出来なラテンアルバム」でしかなくって、他のポピュラー音楽と比較にもならない。
つまり、どれだけ演奏が素晴らしくても、ワクワクする刺激がないんですよ。
なんて言うと、ラテンのボキャブラリーなんて偉そうに言いやがってこの野郎なんにも分かってないくせに!って怒られるかもしれないけど、そもそも知識や経験がないと良さがわからない音楽って、それどうなのよ?って思います。
というわけで、ラテン音楽にはいつでも物足りなさを、感じるんです。
ちなみにこれは「ジャズ」にも言えることです。

このアルバムは、いいね!
何がちがうのか。
わからない。
わからないけど、例えばタジ・マハール「Music Fa Ya」やオル・ダラの1stを聴いたときみたいに心が踊ります。
ただの「ラテンアルバム」ではない。
聴き終えてすぐ、またはじめからリピートしたくらいです。

このオンダトロピカは、ニューヨークのマルチ・ミュージシャンWill Holland("Quantic")が、コロンビアのマリオ・ガレアーノ(Frente Cumbieroのリーダー)と組んではじめたユニット。
ウィル・ホランドはジャズやソウルやレゲエやいろんな音楽やってて、そのうち数年間コロンビアに住んで、今ではラテン音楽新潮流のキーパーソンとしての地位を確立しています。
でも、彼のこれまでの作品はどうも好みじゃなかった。
今っぽいクラブっぽい、スムーズで洗練された色付けが常にあって、そういうのに興味がない僕にはぜんぜんグッとこない。
DJ受けするとかいう事情もあるのかわかんないけど、ネオ・ソウルにも通じるようなオシャレ感が余計なんですよ。
好きで何度も聴いたのは、オーセンティックなサウンドのクンビア・アルバム『Los Miticos Del Mitro』だけです。

だから、みんなウィル・ホランド=クアンティックを絶賛するけど、僕はべつにそんな興味なかったし、このアルバムも、とりあえずチェックしとくかーってくらいで特に期待してませんでした。
聴いてみたら、良くってビックリ!
オシャレな味付けもなく、音の質感もいい。
相方がコロンビア人だし、現地のベテラン・ミュージシャンをたくさん起用してるのも、影響してるのかな。
前作みたいな、再現・保存・再解釈、というようなスタンスが今回は感じられないのが素晴らしい。
いいなーこんな人たちと、一緒にやってみたいなー。

これは、心ある二人のミュージシャンが作り上げた、新しい音楽。
ラテンどっぷりでは届かない、新鮮さがあります。
僕のような、欧米のポピュラーミュージック&黒人音楽を聞いてきた音楽ファンにもアピールするでしょう。
大推薦です!






2017年7月25日火曜日

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観ました。

心に傷を抱えた男の話。
設定やストーリーに特別なものはない。
いかにも「いい映画」になりそうなお話の、語り口が、素晴らしいんです。

なんといっても、役者がみんないい。
リアリティのある演技。
そういう、演出なんでしょう。
主演のケイシー・アフレックが、いい。
ベン・アフレックの弟だそうですが、あまり知られていなくて、この映画でアカデミー賞を取って一躍注目されたそうです。
はじめて見て、大好きになりました。
こんな繊細でいい役者が、まだまだたくさんいるんですよね、きっと欧米には。
こないだ書いた『モナリザ』のボブ・ホスキンスくらいに、忘れられない演技です。

演出も地味だけどすごい。
驚いたのが、カット割り。
たとえば、町や空や、色んな風景をつないでいくシーンて、あるじゃないですか。
そのつなぎ方が、すごい。
いままでカット割りですごいな、って思った映画はたとえばベルトリッチの『シャンドライの恋』だけど、あれは誰が見てもすごいって思うものだけど、この映画はそうじゃない。
一見、普通なんだけど、こんなに何気ないようでいてこんなに心に訴えてくるカットのつなぎ方は、初めてです。
ここまで全てのカットが情感を持っている映画って、ちょっと思いつきません。
って、これ、文章で書いても何も伝わらないですよね。
書きたくて。


はっきり言って、何も起こらない映画です。
だから、ストーリーを説明しても意味がない。
説明したいとも思わない。
僕の心に触れたのは、登場人物の描かれ方や、ケイシー・アフレックの演技です。
でもそれって、説明なんてできない。
傷ついたり傷つけたり誰かを思って悩んだことのある人なら、あるいはそういう人が身近にいたなら、この映画が好きになるでしょう。
あまり悩まず考えない、他人に興味のないタイプの人にとっては、面白くないかもしれません。
主人公をはじめとした登場人物に会い、彼らを知り、深い感情に触れる映画です。


僕はこういう、人物が描かれてる作品が、きっと好きなんですよ。
ドキドキハラハラとか、泣ける笑えるとか、そういうストレス発散みたいなことは、映画にひとつも求めてない。
ていうか、そもそもストレス発散や気分転換をしたいと思うことがないし。
感情に触れること。
それは実際に誰かと会って話すことにも似てるんだけど、映画はもっと普遍的な体験です。
だから心に残って、ある時ふと、ある映画のある場面を思い出す。
この映画のケイシー・アフレックのことも、これから何度も思い出すでしょう。
そして、またこの映画を観るでしょう。
そのくらい、大好きな作品です。
スクリーンで観れてよかった。

2017年7月17日月曜日

N.O.生活26 - ニューオリンズ・ジャズ in トロント

大学最後の冬休み、友達を訪ねて、カナダに行きました。

トロント在住のトランペット奏者、パトリック。

若いベーシスト、タイラー。

同じく若い、トロンボーン奏者のリンジー。
 
出会いは、ニューオリンズで春に開かれるフレンチクォーター・フェスティバルでした。
有名なジャズ&ヘイテイジ・フェスティバルと違って無料で、しかも、町の中心部で、広場や通りにステージを組んで、出演はほぼ地元のミュージシャンのみ。
世界中からニューオリンズ音楽ファンが集まって、ミュージシャン同士の交流も盛んです。

彼らは、伝統的なニューオリンズ・ジャズに魅了され、毎年カナダからやって来ているといいます。
渡米後、誰ともニューオリンズ・ジャズへの想いを共有できずにいた僕はうれしくて、宿を訪ね、音楽を聞き、語り、音を出して、フェスティバル期間中ずっと一緒に過ごしました。
そして、カナダに遊びに行く約束をして別れたんです。


トロントでは、パトリックの家に泊まりました。
パトリックは「Happy Pals」というニューオリンズ・ジャズのバンドを率いています。
Grossman's Tavernという、日本でいえば広めのカフェ・レストランのような店で毎週末、なんと40年以上もライブを続けているんです。


そして、そこでライブを見たタイラーやリンジーのような若者たちが演奏に加わっていき、小さいけれど強固なニューオリンズジャズのコミュニティが出来上がっています。

おどろきました。
日本でも、そしてニューオリンズでも、若いミュージシャンは古い泥臭いスタイルに興味がありません。
みんなもっと「ジャズ」寄りの、ソロやアドリブを重視した、洗練された音楽をやりたがる。
それが、ここトロントでは、パンク・バンドに魅了されるような感覚で、若者がニューオリンズ・ジャズのバンドに熱狂している。
そもそも、パトリックの世代のメンバーも、ニューオリンズに行ったときにKid Thomasの演奏に衝撃を受け、バンドをはじめたそうです。
そして、それを見た若者がまた衝撃を受けて楽器を手にする。
そんな幸福な連鎖が起こっているなんて、奇跡のようです。


Happy Palsは、まさに往年のプリザベーション・ホール・ジャズ・バンドのような、ゴツゴツした手触りのバンドです。
僕は一度体験しただけですが、週末のライブはいつも盛り上がるといいます。
それも、お客のほとんどは、マニアックな音楽ファンなどではなく、町の普通の人々。
老若男女がつどって、酒を飲みながら音楽を楽しみながらダンスをしながら、毎週末を過ごしているんです。

ニューオリンズ・ジャズは、人々のための音楽、躍らせるための音楽だ、と言いますが、それは昔のこと。
今ではニューオリンズジャズも洗練され、鑑賞にも適した音楽になっています。
もちろん、いまの若手が好む新しいスタイルのジャズでも、踊ろうと思えば踊れます。
が、踊る気で集まったのではない、そこに居合わせた人々までが自然と体を揺らすような強烈な吸引力は、もはやありません。
古いスタイルのニューオリンズ・ジャズには、それがある。
だって、鑑賞するためではない、ビートの音楽だから。
以前、マイケル・ホワイトが海外のジャズ・フェスティバルに出た時の話が印象的でした。
バンドのベーシストがいわゆる「ジャズ」のリズム感で演奏していたのを、マイケルが古いスタイルのリズム感を示して、音数を減らしダウンビートだけ弾くように直させたとたんに、それまでじっと聴いていた観衆が踊りだした、と言うんです。
たぶんそういうことが、Happy Palsのライブでは起こっている。
ニューオリンズ・ジャズのビートの力を目の当たりにして、感動しました。


滞在中、Happy Palsのライブ以外にも、ダンスの集まりや小さなパーティでパトリックと演奏しました。
彼のトランペットのスタイルは、まったくブレない。
いわゆる営業仕事のような場面でも、キッド・トーマス直系のシンプルでラフな吹き方で通します。
そして、お客もみんなそれを歓迎するんですよ。
だってキャッチーだし、盛り上がる。
欧米のお客って、「ジャズ」「ボサノバ」みたいなステレオタイプを期待することがなくって、いいと思えば素直に反応しますからね。
この音楽は、けっして日本で思われてるような地味でマニアックな老人向けのものではないことを、実感しました。
先入観なく耳を向けるなら、モダンジャズよりもはるかに多くの人に受け入れられるはずです。


パトリックはそのことに自覚的です。
ニューオリンズのスタイルを、もっとポピュラーにしていきたい、と熱く語ります。
トラディショナル・ナンバーだけではなく、トム・ウェイツやジョニー・キャッシュの曲もレパートリーに加えています。
昔だってキッド・トーマスは、エルヴィスやファッツ・ドミノの曲をやってたわけですからね。 
ライブは、お客を楽しませることをよく考えていて、マニアックな音楽にありがちな発表会のような雰囲気とは対極です。
誰もが気軽に音楽を楽しめる、ハッピーな空気にあふれています。
こんなにニューオリンズジャズが日常に浸透してる町は、世界中でも他にないでしょう。


しかし、とにかく寒かった!
なんたって真冬でしたからね。
気温はもちろんマイナスで、常に吹雪いている。
だからなのか、町中に地下道が整備されていて、外に出なくても移動できるようになってるんですよ。
僕は町並みを見たくてがんばって地上を歩きましたが、30分もすると凍えてしまう。
暖を取ろうと店に入っても、あんまり暖かくないんですよね。
みんな店内でもコート着たままだし。
そういえば、パトリックの家も寒かった。
きっと寒さに慣れてるんでしょうね。

若いタイラーとリンジーとは気が合い、町を飲み歩きました。
タイラーはもともとロカビリーをやっていたので、そっち方面の友達も多く、面白かったです。日本のラスティックをやってるような若者に近い感じがしました。
ふたりとも視野が広く、音楽にも人間にもオープンで、ニューオリンズ・ジャズへの情熱にあふれている。
とても刺激になりました。
一緒に録音をしよう、という予定もあったのが、スタジオの段取りがつかず実現しなかったのが残念です。


トロントに住みたいと思うくらい、町のニューオリンズ・ジャズ・シーンは最高です。
この音楽の素晴らしさを、あらためて思い知った旅でした。



カナダのテレビ曲が制作したHappy PalsのドキュメンタリーがYoutubeにアップされています。

番組の中で、メンバー全員が口をそろえて言うのが、若い頃にHappy Palsのライブ、あるいは50〜60年代以前のニューオリンズ・ジャズの録音を聞いて衝撃を受けて人生が変わった、ということです。
中でも31:10からのパトリックのシーンは感動的です。
友達が「(トランペットプレイヤーなら)キッド・トーマスを聴かなきゃダメだ」って言うから、レコードを手に入れて聴いてみたんだ。でも、ピンと来ないどころか、なんて変なプレイだ、って思ったね。そう、とにかく変だったんだよ。これを好きなヤツもいるんだろうけど、俺には受け入れられなかった。
で、それから何年かしてニューオリンズに行ったんだ。プリザベーション・ホールの床に座ったら、目の前にキッド・トーマスがいた。 〜 彼が "Moonlight Bay" を吹きはじめた瞬間、人生が変わったんだ。 〜 何をやりたいのか解った。俺はこの音楽を演奏するんだ、って。
 続く32:04からの "Moonlight Bay" の演奏が素晴らしい!そこだけでも見てみてください!

これってたとえば、ジャニスを聞いて歌を、ジミヘンを聞いてギターをはじめた、というようなことですよ。
ニューオリンズ・ジャズには、それだけの魅力があります。
だからこそ、音楽に詳しくなくても、ただ楽しくて、毎週みんな集まってくるんですよね。
素晴らしいドキュメンタリーなので、英語が少しでもできてニューオリンズ・ジャズに興味があるなら、ぜひオススメします。



2017年7月14日金曜日

ボブ・ホスキンスに会いたくて『モナリザ』を観る

どんな映画が好きか聞かれると、ミニシアター系、フランス・ヨーロッパ映画、なんて答えます。
好きなジャンルっていうと困る。
ギャングものは好きだけど、もそもそも数も多くないし。
アクションやホラーは見ないかな。
まあ、あまり内容で選ぶことはしません。

それでもひとつだけ、とっても弱いジャンルというかお話があります。
それは、男の哀愁もの。
イメージでいうと、クリント・イーストウッドかなー。
でもちょっと男っぽすぎる。
ショーン・ペンの方がいいな。
あと若い頃のキース・キャラダイン。
不器用で孤独な男の、報われない恋の話なんかが、たまりません。
一歩間違えばストーカー、秘めた純愛なのか妄想なのか、みたいな。

典型的な作品は、パトリス・ルコントの『仕立て屋の恋』。
モテない孤独な中年男がミステリアスな美女に惚れてだまされて、それでも愛だと信じて自分を犠牲にする話。
こうやって要約しちゃうと、すごく安っぽく聞こえちゃうな。
でもとにかくそういうのに弱いんです。
ルコントでは、『タンデム』も男の哀愁がプンプンして、いいですね。
作品としては『タンゴ』がいちばん好きだけど。


そんな男の哀愁映画の中でもお気に入りの一本が、『モナリザ』です。
『クライング・ゲーム』『インタビュー・ウィズ・バンパイヤ』で有名なニール・ジョーダン監督が、ハリウッドに進出する前に撮った佳作。
この頃の作品は、地味でいい。

冴えない中年チンピラの報われない恋の話。
7年のムショ暮らしで時代の流れから取り残され、なんとかボスにあてがわれたのは、高級黒人娼婦シモーヌの運転手。
イヤイヤ送り迎えにするうちに惹かれていくけれど、彼女には過去があり、見てる世界が違っていた。
「出会ったときから、彼女はワナにかかっていた。惚れていた男は気づかなかった。そこにはたしかに愛があった。しかし、彼女が愛していたのは、彼ではなかった。」
そんな話。

とにかく!
主演のボブ・ホスキンスが素晴らしい!
ハゲ頭にチビでずんぐりとした体型が、もう哀愁を誘います。
単細胞キャラ。
よく言えばピュア、悪く言えばバカ。
こんなに純粋で不器用な姿を見せられたら、涙せずにはいられない。
画面の外に去って行くシモーヌを見つめるときの、視線。
嫌っていた相手にしだいに惹かれていく心理を、余計な説明なしに、表情や仕草だけで見せてくれる。
過剰な部分の一切ない、名演。
彼を見るだけでも、この映画は価値がある。
好きな演技ベスト3に入ります。
ちなみにあとの2つは、『蜘蛛女のキス』のウイリアム・ハートと、『レイジング・ブル』のデ・ニーロです。
  
でもまたね、他の役者もみんないいんですよ。
ミステリアスな娼婦役のキャシー・タイソンがハマってる。
この作品でデビューしてかなり話題をさらったそうですが、その後はテレビでの活躍が多く、観る機会がなく残念です。
そして、ボブ・ホスキンスの子分というか親友役の、ロビー・コルトレーン。
イギリス労働者階級の素朴さ。
ふたりの関係が、これまた素敵です。
落ちぶれた兄貴分を、あたたかく受け入れる。
彼がボブ・ホスキンスに言う「あんたは俺のヒーローだったのに」っていうセリフに、グッときます。

そして、組織のボスを演じるマイケル・ケインが相変わらずいい仕事をしている。
そもそも僕は、マイケル・ケインのファンだからこの映画を観たんですよね。
今でこそ演技派としてメジャー映画にも出てるけど、僕が『ハンナとその姉妹』で彼を知った20年くらい前は、日本ではまだ知名度が低く、見れる作品があまりなかった。
『殺しのドレス』『デス・トラップ』『アルフィー』『ペテン師とサギ師』くらいでしょうか。
この映画でも、出番は少ないけど、さすがの演技です。

悲劇的なクライマックスのあと、終わり方があっさりしているのも、いい。
それが、エンドロールに流れるナット・キング・コールの「モナリザ」を引き立てます。
"モナリザよ、その微笑みは誘惑なのか、それともたくさんの夢に破れ傷ついた心を隠してるのか。"
という歌詞が、映画をしめくくる。
歌から作られた映画なんじゃないか、ってくらいに合ってる。
もう、どこかでこの曲を耳にするたびに、ボブ・ホスキンスの姿を思い出してせつなくなります。


人物を見せる映画が好きなんです。
凝ったストーリーなんて、一度見ればそれでおしまい。
でも、人間はそうじゃない。
何回でも、その人に会いたい、っていう気持ちにさせてくれるんです。
これからも、ボブ・ホスキンスに会いたくなって、この映画を見ることでしょう。

ちなみにこの映画、元ビートルズのジョージ・ハリソン主催の「ハンドメイド・フィルム」製作です。
それもなんとなく嬉しいです。

2017年7月11日火曜日

音色を磨く

音色って不思議なものです。
譜面にも書きつけられないし、どうすればその音色になるのか、分からない。
たしかに、楽器やパーツの選択でも音色は変わります。
録音した音を機械にかけて、倍音やら色々な音成分を数値化することも、可能なのかもしれない。
それでも、こうすればこの音色が出る、っていう風にマニュアル化することは、できない。
だって、同じ楽器でも演奏者によって音色が違うんだから。
ピアノが、いい例です。
演奏者の体型や骨格も、きっと影響しているんですよ。
微妙な指の動きや、もしかしたら肌の具合や血液の濃度さえ関係しているかもしれない。
そのくらい、ミステリアスなものです。

あなたの声が好き、って、言う。
低い声が好き、高い声が好き、とかはあっても、その中でどうして「あなた」の声だけが特別なのか。
きっとそれは、声質だけではなくって、話すうちの表情や仕草やいろいろが一緒くたになって、その人の中身が透けて感じられるようなことだと、思います。
たとえ全くおんなじ声の人がいても、その全員が「あなた」になれるわけじゃない。

楽器の音色も、そういうものです。
実は、音だけで形作られるものではない。
無意識のうちの強弱や間の取り方や、いろんな要素が一緒くたになって出来ている。
それは身体と直結した、たぶんクセや性格のようなものまで関係した、とってもパーソナルなもの。
演奏には人柄が出る、って言うけれど、それがいちばん顕著なのが音色であって、演奏者自身のいろんなことが詰まっているんだと思うんです。

だから、音色がいいねって言われるのは、あなたのことが好きっていう、おおげさにいえば自分が全肯定されるようなこと。
上手いねとかフレーズがいいねとか、具体的なことをほめられるのとは、違う。
いや、好かれなくてもいいんですよ。
「あなたの音色」と認識してもらえたら、それだけで嬉しい。
少なくとも、自分の中のいろんなものが、ちゃんと音色に出てるということだから。
ただの音符の組み合わせとは違う。
演奏することで、自分自身を表現することができている。

そんな風に考えて、音色を磨いています。

2017年7月8日土曜日

『ザ・レジデンツ・ムービー / Theory of Obscurity』


レジデンツのドキュメンタリー映画を見てきました。

1970年代から活動する、アメリカの前衛ポップバンド。
目玉とシルクハットのかぶりもので顔を隠し、匿名のままで40年以上も活動している。
ポップさと実験性と批評精神が絶妙のバランスで同居する、偉大な4人組です。
でも、意外に日本では知られていない。
まわりのミュージシャンに話してみても、ほとんど誰も知らない。
まあバンドではあるけれども、アートやサブカルチャー界隈での方が有名なんでしょう。
実際、映画を見て知ったんだけど、全作品がニューヨーク近代美術館に収蔵されているそうです。
しかもこんな感じで、冷蔵庫の中に。


僕も正直、ものすごい大ファンというわけではありません。
初期〜中期の作品は聞いてるけど、ぜんぶ好きなわけじゃないし、そもそも日常的に聞くような内容でもないし、あんまり聞きこんでるとはいえない。
よく聞いていたのは、20代の頃です。
国内盤のアルバム解説を読みながら、音楽だけじゃなくて、そのセンスというか活動全般を、かっこいいなと思っていました。
でも、あんまり資料がなかったんですよ。
当時はまだネットも普及してなくて、レジデンツを知ってる友達もあまりいなかった。
少なくとも、音楽友達にはいなくて、僕はひとりでオタク的に買い集めて追求するタイプじゃないので、なんとなく宙ぶらりのまま、気になるバンドのひとつとしてずっとありました。


映画は、レジデンツの歴史をまとめた、わかりやすい内容でした。
やはり、音楽よりも、アートとしての側面が強いバンドなんですね。
ライブも、かなり演劇的な要素が強いみたい。
世界中に熱狂的ファンがいるけれども、それでも経済的に難しかった時期もあるようです。
本人たちは作ることしか興味がなく「売る」考えがなかった、とか、どこまで本当なのか。

デビューアルバムに参加した鍵盤奏者が、はじめて一緒に録音したときのこと。
その場で曲を作り、コードをつけようとしたら、普通のコードを弾くと嫌がられ、オリジナルのコードを考えろ、みたいなことを強く言われたそうです。
うーん、考えさせられます。
レジデンツの初期のアルバムは、楽器の選択からして、普通じゃありません。
というか、どうやって作られたのか知らないけれど、そもそも楽器を弾いて曲を演奏する、というやり方では、たぶんない。

映画の中で何人もがレジデンツに影響受けた、と語る中で、楽器が上手くなくても音楽をやっていいんだと教えてくれた、と言います。
たしかにレジデンツの音楽は、バンド・グルーヴといったこととは無縁。
だから、ミュージシャンには受けないんでしょう。
それよりも、子供がものを叩いて喜ぶような自由さ、音楽の根源的な楽しさのようなものを、思い出させてくれる。
初期衝動、とかね。
パンクの元祖、なんて言う人もいる。

僕がレジデンツに惹かれるのも、音楽以外の部分が大きい。
ブレない独自の価値観と活動姿勢。
なんといっても、ビジュアルが素晴らしい。
目玉のかぶりものは、実はビジュアルイメージの必要性から考えられたもので、本人たちは最初は気に入っていなかったそうですが。
音楽だけではなく、いろんな要素を総動員して、レジデンツという世界をトータルで作り上げている。
匿名での活動、ということも含めて、こんな風に続いているバンドは、他にいません。


僕も音楽をやっていて、もちろん楽器を演奏するんだけれど、それだけじゃなくてビジュアルやらステージングやら名前やら世界観やら、いろんなことに興味がある。
演奏のことだけ考えてるのは、好きじゃない。
それはもしかしたら、若い頃にレジデンツに出会って影響を受けた部分もあるのかもしれません。
あとボンゾ・ドッグ・バンドとか。


それにしても、音楽ドキュメンタリーって、どうして作り手のエゴ丸出しの、まったく意味のないダサい演出があるのか。
インタビューの映像にエフェクトかけてみたり、ライブ映像だって、かっこいいアングルで撮ってばっかりで全体が映らないから、どんなステージなのかちっとも分からない。
被写体を掘り下げてどう見せるか、っていう考えが、ないんだろうな。
音楽ドキュメンタリー撮る人で、いい監督って、いないんだろうか。
映画も好きな身としては、いつも不満です。
そして、邦題の『めだまろん』って、どうなんだろう。

とはいえ、レジデンツはとにかく魅力的で、劇中で紹介されるPV的な映像作品もどれも最高なので、楽しめる映画だと思います。
青山のイメージ・フォーラムで上映中です。


映画のHP。
めだまろん/ザ・レジデンツ・ムービー
予告編が見れます。


ダンス天国のカバーぽい曲
(曲は43秒から。後半3分すぎからの映像がかっこいい。)

ジェームズ・ブラウンのカバー
(2:30くらいからメンバーが登場します)



2017年7月3日月曜日

あがた森魚&はちみつぱいを見にいった

あがた森魚&はちみつぱいのライブを見に、芝公園のメルパルクホールへ行きました。
歴史のありそうな、立派な建物です。
クラシックのコンサートホールのようで、1500人くらい入るそうです。
ホールでゆったり座ってライブを見るなんて、久しぶりです。
後方の席でしたが見やすく、日本のロックを作ったといえる総勢10人のミュージシャンたちによる、スペシャルなライブを堪能しました。

熱い演奏でした。
途中、はちみつぱいだけの演奏と、あがた森魚のピアノ弾き語りをはさみ、ダブル・アンコール含め2時間半、ノンストップ。
MCも少なく、ほぼ演奏だけでこの長さ。
新曲も多くて、いわゆるリユニオン・ライブにありがちな懐メロ感やお祭り感はなく、気合を感じるステージでした。

ただ残念なことに、音響が悪かった。
全体的に音がモヤモヤして、演奏のディテールがよくわからない。 
バンドは9人の大所帯です。
曲によって楽器の持ち替えもあり、ギター1~3、ドラム ×2 、ベース、ピアノ、アコーディオン、バイオリン、トランペット、とたくさんの楽器の音が混ざりあって、混沌としていました。
さらに最悪なことに、ボーカルが埋もれてしまっている。
バンドの方が音が大きい場面も多く、全体的に歌詞が聞き取れない。
もったいないなー。

と思いながら聞いていて半分くらい経ったところで、はちみつぱいが長尺プログレ演奏をしてステージを去り、あがたさんが一人でピアノの前に出てきて、マイクをにぎりました。
それまでは、ほぼ曲のタイトル紹介だけだったのが、ここで、客席に向かって語りかける。
なんて真剣なんだろう。
ここまでの熱量を持ってステージから話す人を、他に知りません。
その真摯さに、感動します。

そこからの演奏も、素晴らしかった。
コードをポロンポロンと鳴らして語りはじめ、「冬のサナトリウム」、断片的なフレーズのリフレイン。
途中で何度も、むせび泣くような、リミッターが外れてどこまでも駆け上るような瞬間がやってきます。
ああ素晴らしい。
やはり音環境は悪くて、弾き語りなのに歌詞がよく聞き取れない。
それでも、あがたさんが歌にこめる感情は、しっかりと届いてくる。
ここまでむき出しで歌う人は、そうはいない。
あの魔法のような声に、ありったけの気もちをこめて。

またはちみつぱいが加わり、ラストまで。
音は混沌としたまま、歌詞や曲全体は不明瞭でも、ときたまその中から、あがたさんの感情が立ちのぼってくる。
「星のふる郷」「骨」「赤色エレジー」。
ダブル・アンコールの後、10人のミュージシャンがステージに横一列で並びます。
あがた森魚とはちみつぱいが『乙女の儚夢』をレコーディングしてデビューしたのが45年前。
僕の人生より長いあいだ、この人たちは音楽をやってきたのか。
すごいな。


音がよくなかった、ってさんざん書いたけれど、いいライブに間違いありませんでした。
あがたさんは、いつも本気です。
嘘がない。
たとえギターの演奏が怪しい瞬間があっても、つくろわない。
どうやって全部を出し切れるか。
どこまで登りつめられるか。
きっと、そんなことを考えてやっている。
音を外すことすら恐れずに、上手く演奏しようなんて、思ってもいないんじゃないか。

まっすぐな表現は、伝わるものです。
それを、あがたさんはいつも教えてくれる。
自分もこれからもずっと、そんな風にやりたい。
あらためて、そう思わせてくれたライブでした。
行って良かった。

2017年6月26日月曜日

テレビなんて見てたらおしまいだ

昨日のライブで、怪我をしました。
ある曲で、スプーンを叩いたんですよ。
二本のスプーンを片手に持って、足や手に打ちつけてカチカチ音を出します。
横で大石みつのんさんが弾き語りでワーっと盛り上げるのに刺激されて、滅茶苦茶に叩きまくりました。
普通の叩き方じゃなくて、立ち上がってもう滅茶苦茶に。
おかげで盛り上がったけど、興奮して身体も叩いてしまったようで、演奏が終わったら手やら色んなところが痛い。
しばらくしてトイレで鏡を見ると、唇の端が赤黒く腫れている。
どうやら勢いで口を叩いてしまい、血豆になっています。

痛くはないんだけど、かなり目立ちます。
あさって写真撮影があるので、これはマズイ、と思って、朝イチで病院にいきました。
そして、薬が処方されるのを待つあいだ、テレビを眺めていたんです。


小林麻央という人が死んだそうです。
僕は普段テレビを見ないので、この人のことを全く知りませんでした。
名前は聞いたことある気がするし、どこかでテレビに映ってるのやら写真やらネットやらで目にしたことはあるかもしれないけれど、それを小林麻央、と認識したことはないので、知らない人と言っていいでしょう。
いろんな人のお悔やみのコメントが、映しだされます。
スタジオで、芸能人が集まって、コメントを言い合います。
夫の市川海老蔵の泣き顔が映ります。
たぶん5分くらい、それらを見ていて、ああテレビってなんて醜悪なんだろう、と怒りに似た感情がわいてきました。
ほぼすべてのコメントが、どこかで聞いたお決まりのフレーズです。
例えば、お悔やみ申し上げます、ってさ、いわゆる「公式コメント」みたいな、いちばん当たり障りのない言葉であって、好きな人の悲しみに本気で共感するときには、絶対に使わない。
まあね、芸能人なら、「公式コメント」を出さなくてはいけないんでしょう。
そして、コメントが紹介されてるのは故人に近い人たちだから、みんな悲しいんでしょう。
でもそれらがズラーっと次々に画面で紹介されると、その言葉にこめられていた悲しみが薄まってしまう。

あの、テロップ!
なんで、発言をぜんぶ文字で表示してしまうのか。
声や表情の中のたくさんの複雑なニュアンスが、あの無味乾燥な文字列のせいで漂白されて、誰の心もザワつかせることのない、人畜無害なただの「情報」に変えられてしまう。
さらに、大げさに神妙なナレーションが、みなさん神妙にしなくてはいけません、と圧力をかけてくる。
人が死んだら、それが誰であっても、一律に定められた「神妙」なリアクションを取らなくてはいけない。
普通に話したり笑ったり怒ったり、「神妙」から外れることは悪だ。
機械のように、一律同じ反応をしなくてはいけない。

そして、故人は清く美しい人で正しく努力して生きた最高に素晴らしい尊敬すべき人物だった、という、チープな物語が捏造される。
それを見た視聴者は、あんないい人が34才の若さで幼い子供を残して死んでしまってかわいそう、と言う。
キャッチーなエピソードだけあつめて作られた、「いいひと」。
それはもう「小林麻央」じゃない。
ステレオタイプの「いいひと」の定型キャラクターにすぎない。
小林麻央さんを人間扱いしていない。


だれか女性芸能人が、「天使みたいな人だった」とコメントしてました。
それが正直な声であるなら、「天使」っていう言葉は、故人を愛していた、っていう意味で使ってるはず。
それがテロップになって機械的に紹介されることで、「小林麻央=天使」という、ただのくだらない情報になってしまう。
その人は、そんなことを言いたかったはずじゃないのに。

そもそも、誰もに愛される、欠点のない、天使のような人間なんて、いるわけない。
どんな人にだって、良いところも悪いところもある。
その、いわば欠点も含めて受け入れるのが、愛するということです。
「いいひと」だから好き、っていうなら、「いいひと」にふさわしくない行動をしたら、もう好きじゃなくなるの?
彼女は永遠に「いいひと」でいなくてはならないの?

テレビ慣れしてない僕としては、そんなやり方が、すごく暴力的に思えてしまいます。
人間に対する冒涜です。
視聴率のための、いわば金儲けのための茶番に、おそらく素敵な人物だったであろう女性の死を、利用するなんて、まともな人間の所業ではない。
この番組作ってる人たちって、人を愛したことないんだろうな。
と、しか思えない。


テレビを見るとバカになる、なんて言うけれど、それどころじゃない。
あんなの見てたら人間終わると思います。
僕はテレビは見ません。
人間として誇りを持って生きたいから。