2017年11月15日水曜日

もう小劇場には行かない

モダンスイマーズの、実験公演を見に行きました。
本公演と違って、役者を3組に分けて、それぞれ1時間くらいの舞台をやる。
僕が見たのは『蝶のやうな私の郷愁』。
松田正隆という劇作家の書いた戯曲です。

登場人物はふたりだけ。
一幕の会話劇です。
夫婦の何気ない日常会話が続いていく中で、言葉の裏にある感情をお互い見ることができずに、だんだん心の溝が深まっていく。
その様子を、近づいてくる台風と重ねて描く。
実験公演とはいえ、モダンスイマーズらしい、すごく繊細な内容です。
客演の女優も独特の雰囲気で良かったし、とてもいい舞台でした。


でも!
もう俺は怒り心頭だよ!
なんでかって、客がクソだから!
こんな素晴らしい舞台なのに、まったく内容を分かってない、というかそもそも分かろうとしてない。
この芝居、言葉の裏の感情のすれ違いをひたすら描いてるのに、そこを無視して、言葉の表面だけに笑い転げてる。
ずーっと、ですよ?
例えば、妻が、突然「バカヤロー!」って叫ぶシーン。
驚いた夫に、雨漏りに対して怒鳴ったんだ、って答える。
でもそれは、蓄積された感情の爆発なのに決まってるじゃん。
夫は妻の感情を気に留めない。
もしかしたら、妻も自覚してないかもしれない。
っていう、かなりエグいシーンなのに、「バカヤロー!」って叫んだとたん、大爆笑。
ふざけんなバカ!
俺が「バカヤロー!」って叫びたいよ!

表面しか見れない人、つまり、感情の機微に対する感覚を持ってない人もいて、それは仕方ない。
でも、それなら、モダンスイマーズ見に来なくていいじゃん。
もっと軽いエンタメ系の舞台だって、いくらでもあるんだから。
もし、分かってて笑ってるんなら、タチが悪い。
「小劇場」の舞台に行くと、必ずそういう客がいるんですよね。
彼らは、笑うために来てる。
だって、たいして面白くないシーンでも、スキあらば笑うんだもん。


マナーがね、ないんだよ小劇場には。
例えばクラシックのコンサートでは、咳払いすら遠慮する空気がある。
美術館で、大声でゲラゲラ笑うのはよくないって、誰でもわかってる。
ジャズやロックのライブだって、それぞれになんとなくマナーがある。
小劇場は、無法地帯。
例に出した「バカヤロー!」のシーンなんてさ、美術館でモナリザの絵を前にして、変な顔!って大笑いするようなもんだよ。
音楽なら、シンガーが感情こめて歌って顔をゆがめるのを見て、あるいは体をよじるを見て、笑うようなこと。
そんな失礼なこと、小劇場以外の場所では、ありえない。
表現者に対する敬意が、ないんだよ。
今回の舞台だって、どれだけ心血注いで作られか、ちょっとは想像しろよ。


モダンスイマーズをはじめ、小劇場にも素晴らしい内容のものがあります。
でも、うるさい客のせいで、まともに見ることができない。
というか、素晴らしいものに全く敬意が払われてない場所にいることが、耐えられない。
それだったら、わざわざ舞台を見になんて行かないよ。
舞台以外にも、いろいろあるから。
映画見にいったほうがいい。

この件、前にも何度かブログで書いてます。
もううんざりです。
もう二度と、小劇場の舞台を見に行くことはありません。
なので、小劇場関係のご友人のみなさま、僕に声をかけないようにお願いします。


いちおう、誤解のないように。
モダンスイマーズ自体は、とても素晴らしい劇団ですよ。
残念ながら、僕はもう見ることはないけれども。

2017年11月12日日曜日

冨永くん、いいね!

ペーソスのサックス奏者、末井昭の『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化され、来年3月に公開されます。
末井さんは、サックスもすごいけど、いろんな意味ですごい人なんです。試しにググってみてください。
すごい人の半生を描いた作品なので、すごい映画になっています。

映画の公開に合わせて、ペーソスも新譜を出す予定です。
なんたって、豪華キャストの全国公開。
メンバーも出演してて、島本さんなんておいしい役でだいぶ目立ってます。
アルバム出すのに、こんないいタイミングはないでしょう。
乞うご期待!

で、前も書いたけど、この映画の監督が、ハタチ頃につるんでた、冨永昌敬。
同い年の旧友ということで、なんでも遠慮なく話せる。
映画もペーソスも盛り上げようぜ!
ということで、酒が進みます。
真っ当な人が聞いたらバカバカしく思えるようなアイデアが、どんどん出てくる。
こういうの、会社だと、ブレインストーミングなんて言うんですかね。
まあ酒の席の与太話とも言う。
与太話に終わらせないためには、それを具体化してくスピード感が勝負です。
冨永は、それが分かってる。
だから、楽しくて、どんどんアイデアが湧きます。

冨永とつるんでた頃、僕は大学を辞めて実家を出て、芝居やアングラパフォーマンスの映像を撮ってました。
カメラも回したけど、交渉やら手配やら、わりと営業的なことをやってたんです。 
ていうのは、二人だけで作ってて、パートナーは職業映画人だったから。
映像の技術も経験もない僕が、必然的に雑用担当になったわけです。

ビデオのパッケージデザインまでやりました。
って、僕がデザインしたんじゃなくて。
デザイナーを探して、一緒に特殊素材パッケージを考えて、紙を仕入れて、劇団の女の子を大量動員して作業して。
印刷所も見つけてきて安くお願いして、でもお金を出してる大元の会社の支払いが滞って、謝りに行ったり。

そういえば、その時お願いしたデザイナーは、後に有名になって、作品がMOMAに収蔵されているらしい。
冨永も映画監督になった。
僕は覚えてないけど、あいつをカメラマンとして駆り出して、撮った映像をボロクソに言ったりしてたらしい。
冨永といた頃が青春だったのかもしれない。
なつかしい。

なつかしいエピソードを、冨永はよく覚えてる。
昔もこんなことやってたよなー、って言う。
楽しくて、うれしい。
実際、ペーソスとは別の企画で、CDの特殊ジャケットについて調べてて、ちょうど先週、見積もりを取るためにサンプルを台湾に送ったところだし。
やってること、本当に同じじゃん。
あの頃から20年近くも経って、お互い変に大人にならずやれてるなんて、いいね。


と、ここまで書いて、今日は冨永の新作を観てきました。
『南瓜とマヨネーズ』って映画が、昨日から公開されてるんです。
なんと、半年に一本!すごい!
原作のマンガは、それこそ、僕が映像やってた頃に一部でブームだった、魚喃キリコ。
この作品は読んでなくて、原作と比較することなく観れました。

いい映画でした。
音楽志望のダメ男を食わせるダメ女の話。
世間からダメとされる若者を、ダメじゃなく描く。
かなり丁寧で地味な、いわゆる佳作・良作と評されるタイプの映画です。
かといって、佳作系邦画にありがちな象徴的な描写が少ないのが、いい。
こういう「いい映画」って、邦画では珍しいと思います。
あと短いのも、いいね。
映画って90分くらいがいいと、個人的には思ってるんで。

人生変わるほどの感動はないかもしれないけど、っていうかそういうタイプの映画じゃないけど、観て損ない映画です。
人に優しくなれるかも。
是非どうぞ。



南瓜とマヨネーズ HP

2017年11月8日水曜日

『青年は荒野をめざす』はつまんなかった。『ジャズ・カントリー』は面白かった。

ブラックミュージックへの興味から、黒人文学をけっこう読んできました。
中野の図書館に通いました。
黒人文学って、名著とされるものでも書庫にしまわれてることが多くて驚きます。
古本を買ったりもしたし、雑誌のバックナンバーとか。
アメリカ留学中は、黒人文学のクラスを1年間取りました。
先生は、アフリカ出身の作家でした。
それでももちろん読んでない本もたくさんあります。
その中の一冊『ジャズ・カントリー』を、読みました。

なんでいまさら読んだのかというと、五木寛之の昔のジャズを扱った小説を読んだら、あまりにつまらなすぎて。
筋もシドニー・シェルダンばりにアホくさいし、まあそれはいいとして、音楽の描写がもう酷すぎる。
70年前後の時代って、ジャズは先鋭的な音楽で革命思想とも結びついて、ジャズは「ホンモノ」の自己表現である、みたいな風潮だったらしいけど、その描き方がね、もう大袈裟すぎて表面的すぎて紋切り型すぎて呆れ果ててついていけなくて、途中で読むのやめちゃったんですよ。
これにホントにみんな熱狂してたの?
なんなのみんなバカだったの?
って疑問が湧いて、その時代に本場の「ホンモノ」としてバイブル扱いされていたらしい、『ジャズ・カントリー』を読んでみたんです。

1964年に書かれて、日本では66年に出版されてます。
期待せず読みはじめたら、面白かった。
あの時代に書かれたものだから、黒人vs白人が強調されてるし、やっぱりジャズ=自己表現・自己実現みたいな考えが基調にあります。
でも、それが正しい、という妄信的な書き方をしていない。
音楽の描写も、とてもいい。
小説で描かれる音楽って、どうしても気取った比喩とかが気になって、あまりいいなと思うことはないんだけど、この本の描写は、すんなり入ってきます。
何が違うんだろう。
音楽への理解、なんてかっこいいことは言いたくないけれど、なんかいい。
少なくとも、五木寛之の、頭でっかちでカッコつけただけの、音楽の表面だけを搾取するような描写とは天と地の違いがある。
ように、思えました。

ジャズや黒人史に興味があれば、ナット・ヘントフの名前にはいろんなところで出くわします。
ただ、小説家、というわけではないし、いまいちどんな人かの像がない。
僕の大事な本のひとつ『私の話を聞いてくれ』も彼が手がけているけれど、それはインタビューをまとめる役割だし。
あとがきを読むと、この本は彼が初めて書いた小説だそうです。
他の著作も、読んでみたいな。


ジャズ・ミュージシャンとは、話が合わないことが多い。
だって、ジャズは高級な音楽で、他の音楽形式に比べて自由だ、なんて誇大妄想してる。
常に新しいことをやるべきであり、誰かのやったことを繰り返すのはダサい、なんて。
そうした考え方が、僕は嫌いなんです。
自分が偉いって思ったら、おしまいでしょ。
誰もやってない新しいこと?そんなものないよ。
音楽も含めた人間の行為は、変化はするけど、進歩なんてない。
あれは古い、なんて言って切り捨てて、自分はより優れた音楽をやってる、って思い込んでる。
優劣をつける人生なんて悲惨だし、そんな比較して優劣ばっかり考える音楽なんて、関わりたくない。
そいつらみんなジャズしか聴かないし、たまにジャズ以外の人と演奏しても、ジャズの語法でしか演奏しない、というか、できない。

って、その手のミュージシャンは、今の時代さすがに多くはないと思いますけどね。
それでも、ジャズの世界には、そういう下らない奢りが、まだこびりついてる。
それは、この小説が書かれた時代に、強烈に刷り込まれた思想なんでしょう。
かわいそうなジャズ。



2017年10月22日日曜日

ソウルシンガーと並んで吹いた。最高だった。

とっても嬉しい夜でした。
尊敬する、The Fave Raves とのツーマンライブ。
ソウル好きのお客さんも、そうでないお客さんも、お店の全体が、ソウルフルであったかい雰囲気で。
GWOのライブはいつも体力を使ってヘトヘトになるんだけれど、昨日の疲れは、いつになく満足感のある心地よいものでした。

Golden Wax Orchestra のテーマは、サザン・ソウルです。
サザン・ソウルって、人気があるとは言い難い。
はっきり言ってマイナーなジャンルです。
フェイヴ・レイヴスは、そんなマイナーな音楽をひたすら25年も演奏している、稀有なバンドです。
出会ってから15年以上、明らかに、どんどん深みが増している。
ひとつの音楽を追求するってどういうことか、美しい形で体現してるんです。

クラリネットでボーカリストのように「歌う」のが、GWOの目標です。
もちろん真剣にやってるんだけれども、それでも、引け目のような気持ちが、どこかあります。
だってクラリネットだから。
既存の形じゃないものって、なかなか真面目に受け取られないことが、ある。
クラでサザンソウルなんて。
イロモノとして見られるんじゃないか。
特に、ブルースやソウルって、いわゆる「うるさい」リスナーが多いから、よけいに気後れしてしまう。

そんな引け目もあって、その道ひとすじのボーカリストである青山さんに声をかけるのは、特別なことでした。
「歌う」ということに自信と覚悟がなければ、気軽に同じステージには立てない。
GWOを始めて4年、ようやく、誘うことができた。
バイユーゲイトでのツーマン企画、いままでも、好きな人しか呼んでないし、どれも満足できる内容でした。
ハッキリ言って、ラインナップには自信があります。
でも今回はその中でも、スペシャルな意味がね、あったんですよ。

まずは、フェイヴレイヴスから。

馴染みの店、バイユーゲイト。
いつもの空間で聞くこのバンドは、最高でした。
いや、いつも素晴らしいんですけどね。
何が最高だったかって、きのうは、フェイヴ・レイヴスをはじめて聴くお客さんも、たくさんいたんです。
サザンソウルなんていうマニアックな音楽で、特に派手なステージングがあったり面白いことやるわけでもない。
言ってみれば、ただ歌うだけ。
ほとんどカバー曲だし、しかも英語だし。
それでも、原曲を知らない人、サザンソウルを知らない人にも、ちゃんと伝わる。
その様子を目の当たりにして、もうなんというか、感無量というか。
サザンソウルって、名前の通り、ソウル=魂の音楽です。
魂のようなものを表現することにこれだけ特化した音楽って、他にないんじゃないかと、思ってます。
なんかね、そのことが証明されたような気が、したんですよね。

SNSにアップしたライブ動画を見て、来てくれた人もいました。
こんなバンドがいたなんて!って感激している様子見て、ああ、もうたまらない。
そうやって、感動を共有できるのは、何にも変えがたい幸せです。
フェイヴ・レイヴス、僕の演奏を好きな人なら気に入ってくれるはず、とは思っているけれど、それでも音楽には好みがあるし、はたしてどうかな、という気持ちは消えないものです。
フェイヴ・レイヴスのステージの終盤には演奏に僕も加わって、終わったときには、もう自分のステージやらなくていいんじゃないか、ってほどの満足感でした。

そして、自分の番。


実はライブ前までは、フェイヴレイヴスの後でやるって、どうなんだろう?と思ってたんですが、気負わずやれた。
あんなにひたむきな演奏を見た後ですは、もう、ただ真っ直ぐに吹くことしか、できませんからね。
フェイヴ・レイヴスを見に来たお客さんも、楽しそうに聴いてくれてる。
クラリネットでソウル、ってどう思われるか不安もあったから、嬉しかったな。
青山さんとギターのヒトミさんが、僕のクラリネットに合わせて歌詞を口ずさんでいる。
ああよかった。
間違ってなかった。

最後にまた、全員で。

青山さんが、打ち合わせと違う曲をやりたいって言い出しました。
Bring It On Home To Me。
この曲を、一緒にやれるとは!
サム・クックが浮かびます。
続いて、Having A Party。
ハーレム・スクエアのライブ盤の、最後の曲。
クラを置いて、ヒトミさんのマイクで一緒に歌う。
サムの退場前の台詞を、青山さんが言う。
ああ、なんかいま思い出してもグッと来ちゃうな。

アンコールで、オヴェイションズをやって。
最高でした。
やり切りました。


Golden Wax Orchestra、ひと山越えたような、なんか区切れたような気がします。
本当に、みなさん、ありがとうございました!

2017年10月17日火曜日

ついに!青山さんと共演します!

おととい、はじめて福生に行きました。
駅としては、東福生。
米軍・横田基地があって、基地の塀に沿って、国道16号線が走っています。
ルート16(シックスティーン)。
その道をはさんだ向かい側に、ズラーっとお店が並んでいて、そのあたり一帯はアメリカンな雰囲気が漂ってる。
アメリカにいた身として、嬉しいようで懐かしいようで、気分が高揚します。




ゆっくりお店をのぞく時間がなかったのが残念です。
というのは、ハロウィン・イベントに出演する Two Faves のライブを見るのが目的だったからです。
日本最高のサザン・ソウル・バンド、The Fave Raves の、ボーカル・青山さん&ギター・ヒトミさんのデュオ。
今週土曜、Golden Wax Orchestraで、この2人にベースが加わったトリオと共演するんですよ。
相方のギターが、フェイヴ・レイヴス見たことないって言うんで、連れて行ったんです。
他にも都内でライブあったんだけど、満員売り切れで行けずに、わざわざ福生まで足を運びました。

僕は、サザンソウルが好きなんです。
音楽ジャンル、ってことで言えば、いちばん好きかもしれない。
でも、そこにはクラリネットの入る余地がなくて、なら自分でやっちゃえ!ということでGWOをはじめたのが4年前。
そうか、もう4年もやってるのか。
以来ずっと、歌うように吹くことを追求してきた身としては、敬愛するソウル・シンガーである青山さんとの共演は、夢でした。

フェイヴ・レイヴスに出会ってから、もう15年以上は経っているはずです。
メンバーの入れ替わりも含め、何度もライブ見てるけど、デュオ編成は初めてです。
ヒトミさんのギターって、サザンソウルの匂いプンプンの、かなりクセのあるスタイルです。
それとボーカルだけって、ちょっと想像つかなくて、すごく楽しみ。




イベントも終盤、暗くなりかけたころ、Two Faves のステージがはじまりました。
楽器はエレキギターのみ。
リズム楽器も低音もない、スカスカのサウンドです。
でも、物足りなさはない。
それどころか、実際には鳴っていないバンドの音が聞こえるような、いや聞こえるわけないんだけど、こちらの頭の中で、音を補うように想像力が刺激されているのか。
とにかくそれはソウルミュージックにしか思えない。



ヒトミさんのギター。
どこからどこまでも、いなたい。
こんなにまでフィーリングを血肉化するには、いったいどれどけのリスニングが必要なんだろう。

青山さんの歌。
シンガーとして素晴らしいのは当然として、全身から伝わってくる、まさに「ソウル」が、ハンパない。
なんか、いつも涙出ちゃうんですよね。



そういえばこのデュオの編成、ギターと歌だけって、GWOと同じじゃん・・・まいったな、こんな素晴らしい人とやるのか。
わかってたけど、わかってて声をかけたんどけど、あらためて久しぶりにライブを目の当たりにして、これは本当に真摯に全力でステージに臨むしかないな、と、身が引きしまりました。 
GWOは、エンターテイメントな要素もあるし、ネタのような曲もレパートリーにしています。
でも今回は、何のギミックもなし。
歌うことに徹しようと、決めました。
いつもの半ズボンもやめて、スーツでいきます。
それで聴かせられないようでは、もう続ける資格はないでしょう。

青山さんの歌は素晴らしい。
バンドとしても、The Fave Raves は長い。
2〜30年くらいやってるんじゃないかな。
それでも、もともとモッズシーンのバンドだし、僕のまわりのルーツ・ミュージック好きの人たちには、意外と知られていない。
ぜひ、聴いてほしい。
そもそもサザン・ソウルだし万人に受けるとは限らないけれども、好き嫌いは置いておいて、きっと心に響きます。
こんなすごい歌を身近で聴けることって、なかなかないですよ。

GWOとして、青山さんと共演するのはひとつの目標でした。
どうなることか。
心地よい緊張感すらあります。
今週土曜、バイユーゲイトへ、ぜひお越しください!!


10/21(土)  三鷹 バイユーゲイト
出演:Golden Wax Orchestra / The Fave Raves Acoustic Trio
19時 Open / 20時 Start / 2000円


※以前にもこのブログでThe Fave Raves のことを書きました。読み返すと、いつも同じ感想です。それだけ、ブレないバンドってことでしょう。
The Fave Raves、Smart Soul Connection、夜のストレンジャーズ
The Fave Raves

2017年10月14日土曜日

NO生活28 - 奨学金トラブル

いよいよ卒業まであと数ヶ月になって、金銭トラブルが発生しました。
今学期分の奨学金が、口座に入金されていないんです。
どういうことなんだろう?
遅れるのかな?
何の通知もないんだけど。


奨学金オフィスに行って聞いてみると、何かが条件を満たしてなくて、支給されない、と言います。
窓口では、それ以上の具体的なことは教えてくれない。
そんなこと言われても、思い当たることはありません。
特に何か変えたわけでも、新しいことをしたわけでもないし。


まいったな。
奨学金がないと、授業料も払えないから、卒業できないじゃん。
まあ、学位取るために留学したんじゃないから、それでもいいのかな。
そしたらもう授業出る必要もないわけだ。
でも、食費もぜんぶ自腹になるし、寮にもいられなくなる。
数ヶ月くらいなら、誰かの家に置いてもらえるかな。
ライブの稼ぎで、生活はなんとかなるだろう。
そうして、毎日好きな音楽やって好きな場所に行って過ごしたら、それはそれで楽しいかも。
と考えてみても、やっぱりこれまでの3年半が無駄になる気もして、どこか割り切れません。


音楽学部のオフィスに相談してみました。
学部長のウィリアムの部屋に行って、一緒に僕の授業の取り方やいろいろを見直してみても、何が問題なのかわかりません。
決められたクラスはちゃんと取ってるし、成績が悪いわけでもない。
ウィリアムも首をひねって、奨学金オフィスに問い合わせて調べるくれることになりました。

とりあえず、いままで通りに学校生活を送ることにしたけど、やっぱりけっこう授業も忙しくて大変で、卒業できないんだったら、こうやって教科書覚えたり深夜まで勉強したり、ぜんぶ無駄だよなーなんて思いながらしばらく過ごしていると、ウィリアムのオフィスに呼ばれました。
どうやら、単位の取り過ぎだった、と。
ジャズ課のカリキュラムのレッスン以外に、クラシックの先生からも個人レッスンを受けていて、それがいけなかった。
奨学金は、卒業までに必要な単位分の授業料しかカバーしていないので、課外レッスンの分が規定の単位数をオーバーしていたんです。
レッスンを勧めたのはこっちなんだから、Teppeiに責任はない!
あっちに話してなんとかするから、任せとけ!

と、ウィリアムは言ってくれました。

もう自分の手には負えない話になってきた。
だんだんと話は広がって、いろんな人が心配してくれるようになりました。
廊下ですれ違うたびに、どうなった?大丈夫か?と声をかけられます。
なかなか話し合いは進まないようで、そのうち怒りはじめる先生もいて、音楽学部vs奨学金オフィスのようなことになってきました。

正直、こんなにも大勢が自分のために動いてくれるなんて、想像しませんでした。
日本であれば、学校でも会社でもどんな組織でも、こんな風には、たぶんならない。
いや、アメリカでも、ニューオリンズ以外では、どうだかわかりません。
この町には、いわゆる「ホスピタリティ」「助け合いの精神」みたいなものが、空気のように、当たり前にあふれている。
それをこの時ほど実感できたことはありませんでした。
ニューオリンズは音楽の町です。
でも、なんといっても素晴らしいのはそこに住む人たちであって、それだからあんなに豊かな音楽が生まれてくるんです。


なんてことを思いながら、しかし事態は進展せずに、卒業まであとひと月、というくらいになってしまいました。
その間、淡々と学校生活を送っていましたが、宙ぶらりのような気持ちがどこかにあって、ようやくウイリアムに呼ばれたときは、結果に関わらずこれで落ち着くな、と思いました。
さて。
残念ながら、奨学金オフィスとの話し合いは、決裂したそうです。
が、なんと驚いたことに、音楽学部の予算の中から、僕の学費を特別に負担してくれる、と言うじゃないですか!
信じられない。
異国から来た留学生ひとりのために、そんなことまでしてくれるなんて。

それを伝えてくれるウィリアムは、満面の笑顔でした。

校内ですれ違うたびに、事情を知る誰もが、祝福してくれます。
「おめでとう!」「よかったな!」と、みんなが声をかけてくれる。
心から。
嬉しいと同時に、考えました。
逆の立場だったとしたら、自分はこんなに素直に、他人を思い、行動できるだろうか。

そのとき僕に向けられたたくさんの笑顔は、いまでも忘れられません。
それは、無事に卒業できたということよりも、大事な記憶です。
こうして何年もたってから振り返っても、幸せな気持ちになる。

あらためて、ニューオリンズという素晴らしい町に、4年間面倒をみてもらった恩を、感じずにはいられません。

2017年10月8日日曜日

どうやらYouTubeがすべてのようだ

飲んでて、からまれました。
知り合いなんだけど、そんなに話したことはない、年上の人。
会ったのも偶然で、1年以上ぶりです。
お前なんであんなバンドやってんの?
から始まって、彼の連れの、僕は初対面の人に、こいつの音楽ホント最低なんだよ!って言ったり。

それは別にいいんですよ。
その人は、そういうことを言うキャラなんで。
年下に説教したり、あれ知らないんじゃ音楽聞く資格ない、とか言ったり、とにかく口の悪いのを楽しんでる人。
それにきっと本当に心から言ってるわけじゃない。
だってそんな嫌いなら、飲んでる席にわざわざ呼ばないでしょう。
たぶん酔ってたのか虫の居所が悪かったのか、おいおい言い過ぎじゃん?って、連れの人たちが心配してくれたほどでした。

でも、ひっかかったのは、罵倒されたことじゃないんです。
あんまりしつこいから、ためしにライブ聴きにきてくださいよ、って言うと、お前の演奏ぜんぶ聞いてるから、って笑うんです。
いやいや待ってよ。
僕の演奏1〜2回しか聞いたことないじゃん。
それも野外のフェスで同じ会場にいたってだけで、お客としてちゃんと聞いてたわけではたぶんない。
そしたら、YouTubeけっこうチェックしてるんだよ、って。

おどろきました。
すごい音楽好きな人なんです。
レコードやら音質にもこだわるような、それで聴いてる音楽も僕と近いし、意思をもって音楽に接して生きている。
それなのに、YouTubeなんだ。

YouTubeって、楽曲の魅力を伝えるには適してると思いますよ。
でも、ライブが素晴らしいミュージシャンの場合、YouTubeじゃ良さがわからないことが多いものです。
だからライブに足を運ぶんだし、少なくともYouTubeで判断なんてしない。
っていうのは自明のことと思ってた僕の価値観が、ズレていたことを思い知らされました。
その人、本当にかなりの音楽好きなんですよ。
そんな人でも、いまではYouTubeで音楽を聞き、それでいい悪いの判断をしているなんて。
YouTubeのライブ動画を信用しない僕は、どれだけ少数派なんだろう。

どうすればいいんだろう。
ライブで勝負するミュージシャンは、じゃあ動画をアップしなければいいのか。
うーん、でもネット上になにも参考資料がない、というのは、いまどきよろしくない気がします。
だから、みんな悪くないものを選んでアップしてるはず。
僕も自分でアップしてるのは、GWOの3本と、バンジョーとのデュオで1本だけです。
あとは所属バンドのものもあるけど、そっちでもそこまで変なのは、きっとない。
けど、お客さんが勝手にアップしちゃうこともあるんですよね。
僕の場合も、削除をお願いしても無視されてそのままになってる動画があります。
その動画で判断されたくないから削除したいんだけど、できない。
周りでも、そんなこといっぱいあります。

本当に、どうすればいいのかわかんないけど、まあしかし勉強になりました。
いまではミュージシャンをYouTubeの動画のみでジャッジするのが当たり前、ということを、身をもって知りました。

そういえば、ちょうど先日、尊敬する年上のミュージシャンと話していたときのこと。
いまの若い奴にあれいいよ、って過去の名盤なんかを教えても、あとでYouTubeでチェックします、で終わってしまって、アルバム買ってじっくり聞いたりしないのは、あれはよくないよ軽すぎるよ、って嘆いてた。

そういうのなんだか悲しいな、と思うこの気持ちも、時代遅れなのかもしれません。




2017年9月30日土曜日

東洋館ボーイズバラエティ大会にて思う

昨日はいちにち浅草。
ペーソスで、東洋館の昼公演と、夜にも特別公演に出演しました。
寄席に出るのは、もう何回めだろうか。まだ10回にはならないかな。
まさか音楽やってて寄席の舞台に、しかも定期的に立つことになるなんて思いもしなかったよなーって、あらためて思います。


東洋館に出るようになって、面白いことやろう、という意識がより強くなりました。
いろんな面白小物を振ったり叩いたり、いまでは、1ステージほとんどクラリネットを吹かない時もあります。
楽器を吹かずにひたすら変な踊りをするだけなんて、寄席に出なければやらなかったことでしょう。
新しい場所にいくと、自分も新しく変わっていくものです。

「芸人」のもつ独特の雰囲気にも、とても影響を受けてます。
舞台に出るだけで、会場がその人の世界につつまれる。
それは、ミュージシャンのステージにはないものです。
僕も、それなりにお客に受けることもあるけど、何もやらず立ってるだけで魅了することは、とてもできません。
すごい。
あこがれます。

まあ、それはおいておいて。
夜の部は、『ボーイズバラエティ大会』でした。
ボーイズバラエティ協会の、なんだろ、お祭り?みたいな。
メンツは、昼間の通常公演とそんなに変わるわけじゃない。
違いは、「ボーイズ」の看板をはっきり前面に出してること。

ボーイズ。
楽器を使った演芸・お笑いグループのことです。
その昔、浅草で演芸が盛んだったころ、エノケンが活躍してたような時代、あきれたぼういずという楽器を持った4人組が人気でした。
いまでいえばコミック・バンドってことになるでしょうか。
それ以後、◯◯ボーイズという名前のグループがたくさん出現し、やがて「ボーイズ」というジャンルができあがったわけです。

昨日は、ステージの合間に、あきれたぼういずを始めとした昔のぼういずグループの映像が流れたり、それらのバンドのテーマ曲を演奏するコーナーがあったり。
歴史を感じます。
僕のいるペーソスは、あくまでもバンドであって、ボーイズというわけではありません。
それでも、この場の一員として東洋館のステージに立てることは、実はとても光栄なことだと、舞台袖でしみじみ思いました。

振り返ってみると、僕の音楽活動は、コミックバンドから始まってるんです。
くものすカルテットという、自由劇場の役者がつくったバンド。
お笑いってほどじゃなかったけど、役者のさすがの喋りと、レパートリーも演芸やヴォードヴィルの色が濃かった。
ライブでは、猫のヒゲを顔に書いてたし。
僕自身、バンドをやる以前から、あきれたぼういずの編集盤CDも聴いていました。
中村とうようの影響か、あるいは、篠田昌己周辺のチンドンや、大工哲弘『ウチナージンタ』の流れか覚えていないけど。

そもそも、バンドやりたい!って思ったきっかけが、ボンゾ・ドッグ・バンドですからね。
イギリスの、お笑いじゃないけど、変な衣装で演芸的なパフォーマンスをするバンド。
最初から、音楽至上主義とは遠いところにいたんです。
それから楽器を続けるうちに、だんだんとミュージシャン志向になっていって、チンドンやコミックバンドとは縁がなくなってしまった。

だから、こうして、意図せずに、ボーイズの流れの末端で、東洋館の舞台に立ってることが、とても不思議で、なんだか感慨深い気に、なりました。
これからどうなることやら。
楽しみです。

2017年9月17日日曜日

なんで俺の好きな店はなくなるのか

ペーソス北海道ツアー、札幌からスタート。
初日は、札幌第一ホテル。

2日目は、Catchball Radio SAPPORO。
両日とも、大変に盛り上がりました。
ペーソスは、お客さんがいい。
年配の方、ご高齢の方。
得体の知れない曲者オーラたっぷりの御仁。
すばらしい。
打ち上げも含めて、楽しい二日間でした。

しかし、悲しいニュースが。
なんと、札幌の名店Dixie Roux が閉店しまったという!
2年前にコロリダスで訪れて、あまりにもニューオリンズすぎてお店の人もクレイジーでぶっ飛ばされた、忘れられないお店。
その時のブログを読むと、興奮が思い出されます(『札幌のニューオリンズ』)。

なんてこった。
宿泊先から近かったので、昼間に行ってみたら、おいおいあの美しい建物が見る影もないじゃん!
食パン専門店だって。
気にくわねーな。
美味いのかもしれないけど、なんだよこのFuckin'な外観は!
情緒のカケラもない。
金賞?
知るかボケ!

こういう、文字情報をバーンと出してる店、嫌いなんです。
金賞とるのは、すごいことかもしれないけどさ、それを自慢してそれをエサに人集めするなんて、下品だよ。
お前にはプライドや美意識がないのか。
昼過ぎなのに完売だと?
もっとたくさん作れよ!
希少価値つけて売ろうとすんじゃねーよ!

って、べつにこの店に難癖つけたいわけじゃないんです、すみません。
でも、前の建物とのギャップがすごすぎて。
あんなに雰囲気たっぷりだったのを、どうしたらこんなに無味乾燥どころか下卑た下心丸出しのものに変えてしまえるのか。
ああ悲しい。

音楽も食事も、大事なのは数字じゃない。
誰かの心に響いて残るかどうかです。
心に残るって、音楽の出来不出来なんていう単純なことじゃない。
いくら出来のいい音楽でも、ステージでの態度や雰囲気のせいでネガティヴな印象に終わることだってある。
どんなおいしい料理も、美しくない皿に盛られて出されたら台無しじゃん。
わかってないよ。
目先の損得のために、人生の価値を下げてるよ。
俺はね、たとえばミュージシャンでも、プロフィールに◯◯で優勝、◯◯氏に師事、とか書いてる奴は、信用しないよ。
そりゃ時にはしがらみで書かなきゃいけないこともあるだろうけどさ、自分から喜んで経歴を自慢するなんて、恥ずかしくないの?
カッコ悪い。
ロックじゃないよ。
ああ余計なこと書いてるのは分かってるし、奴らも俺のこと好きじゃないのは知ってるよ。
どうせ住む世界がちがう。
あっちはあっちで和気あいあいと、お上品に魂のない人生送ってりゃいいさ。


また好きな店が無くなってしまった。
事情は知らない。
できることはなにもないのが、悲しい。

2017年9月12日火曜日

ロンサムじゃない?野暮なこと言うなよ!

おとといは、ロンサム・セレネイダース。
って、もうおとといの話になってしまったけど。
トランペット、クラリネット、バンジョーという変則トリオ。
管楽器2人に対して、リズム/コード楽器が1人。
リズム+メロディ、というよりも、全部の楽器が織物のように絡みあって、繊細で独特なサウンドがね、なかなか良いんです。
コウさんとトランペットと僕のクラリネットの相性が、だいぶいい。
音色がよくブレンドするんですよね。

この日は、豪華ゲスト入りのスペシャルバージョン。
ドラムに木村おうじ、さらにニューヨーク在住のトランペッター大橋諭。
飛び入りで中川恭太がピアノ。
サトルさんが、トランペットだけじゃなくて、なんとトロンボーンとスーザフォンも持って来てくれた。
もちろんそれぞれの楽器の専門家にはテクでは敵わないんだけど、グルーヴ感を分かってるから、すごくいい。
ジャズの上手いトロンボーンやチューバ奏者を連れて来ても、ああいう風にはならない。
不思議なもので、僕のフレーズもいつになくニューオリンズになります。
いやー楽しかった!
日本で、少なくとも東京で、こんなにアクの強いニューオリンズ感が出せるなんて!


にぎやかすぎてバンドの本来のサウンドじゃない、なんて野暮なこと言わないで。
その場にいるメンバーで一緒につくるのが、音楽です。
頭のイメージを再現するのは、音楽じゃない。
いや、そういう種類の音楽もあるけど、僕はあんまりそっちには興味ないし、グルーヴ系の音楽で、しかもライブでそれをやっちゃダメでしょ。

再現は、つまらない。
過去の音楽を聴くことは、とっても大事。
でも、演奏中にそれを思い浮かべるのは、ダメだと思う。
自分の音楽にならない。
特定のミュージシャンに成りきった気持ちでいるのは、いいよ。
でも、特定のレコードや特定のフレーズを念頭にするのは、よくない。
うーん、こうして書いてみると、伝わりづらい線引きかもな。
まあいいや。

とにかく、いい音楽やれて、お客さんもみんな喜んでくれて、それでいいじゃん。
それがライブ。
サークルの発表会とは違うんだぜ!
って、「オールド・ニューオリンズ・ジャズ」というビジョンをはっきり掲げたバンドのライブで思える自分の柔軟さが、好きです。
音楽って、やわらかいよ。

2017年9月6日水曜日

俺は「クラリネット奏者」なんだろうか

昨日はペーソス。
新宿の道楽亭Ryu's Bar。
ふだんは、噺家さんが出るようなお店です。
ペーソスでは、浅草の寄席にも出てます。
クラリネットやってて、こんな風に芸の世界で演奏することになるなんて、想像もしませんでした。

数えてみたんです。
2ステージで14曲。
その中で、普通のクラリネット演奏をしたのは、多めに数えて5〜6曲のみ。
あとは、変な踊りをしたり、打楽器を面白おかしく鳴らしたり、クラリネットを吹いたとしても、ネタみたいなことだったり。
いつかの寄席では、クラリネットを手にしたのが1曲だけだったこともあります。


いま、Golden Wax Orchestra のレコーディングの準備をしています。
サザンソウル・ナンバーを、クラリネットで「歌う」ユニット。
あらためて、それぞれの歌詞を読みこみながら練習してみると、どんどんフレーズがそぎ落とされていきます。
ここまでメロディに徹することは、管楽器奏者としてはあり得ないでしょう。
さらに、「シャウト」もします。
2〜3曲でクタクタになります。
もはやロック、いや、パンクのノリです。

ムードクラリネットでも、メロディに徹します。
このときは、演奏だけじゃなくて、演歌や昔の歌謡曲の歌手をイメージして「振り」的なステージングもやってます。
片手をはなして広げたり、見栄を切ったり。
最近では、タブレット純さんに誘われて、ムードコーラスのグループにも加入したら、お客さんから決めポーズが素敵!なんて言われたりして。

コロリダスでも、ライブを盛り上げるために、演奏以外のいろんなことを追求してきました。
ライブを重ねる中で、片足奏法やブリッジ奏法、横吹きなども編み出しました。
本来のクラリネット奏法では、反則とされるものばっかり。
クラシックの世界では、座ったときの足の位置まで厳しく指導されたりもするそうですからね。


BGM演奏やパーティ演奏などでは、本来のニューオリンズ・スタイルでのジャズ演奏もやってます。
でも、「ライブ」としては、普通のクラリネット演奏はどんどん減ってきている。
俺は「クラリネット奏者」なのか。
なぜこうなってしまったのか。
人生って予測不能です。


ということを、楽器の修理に向かう電車の中で考えています。
そして今夜は久しぶりに、オーセンティックなニューオリンズジャズのライブ。
演奏することも、やっぱり楽しい。

楽しいことなら、なんでもやっていきたいと思ってます。

2017年9月3日日曜日

JASRACって頭おかしいんじゃないか

JASRACという、不思議な団体があります。
日本音楽著作権協会。
ホームページを見ると、「作り手がいて、素晴らしい音楽がある」と書いてある。
「作り手」つまりミュージシャンのために、楽曲の権利を守る団体。
いわば、ミュージシャン=クライアントのはずなのに、JASRAC大好きありがとう!っていうミュージシャンには、出会ったことがない。
みんな、嫌ってる。
こんなにもクライアントに嫌われてる会社って、変でしょ。

たとえば飛び抜けた製品を作る会社でも、取引き相手に嫌わるようなことは避けるだろうし、あるいは美味い料理を出す店でも、接客がダメダメだったら、お客は離れていくでしょう。
そんなの、バカでもわかる。
なのに、なんでJASRACはクライアントに嫌われるようなことばっかりするのか。
バカなのか。
まあ、他にライバル会社がないからやりたい放題ってことなんだろうけど、そんなのいつまで続くのさ。
それ以前に、人としてどうよ?
義理人情とまで言わなくたって、思いやりゼロの相手と好んで付き合うなんて、誰もしないよ。
もし、JASRAC以外に、同じ規模の著作権管理団体があれば、ほとんどのミュージシャンはそっちに移るんじゃないのかな。

大ヒット曲があってその印税に頼って贅沢な生活をしてる一部のミュージシャンなら、違うのかもしれないけどね。
さすがに、何もしなくても毎年JASRACから1000万円単位でお金が入ってくるなら、例え著作権料の徴収がどれだけ怪しかろうと、どうでもいいと思えるかもしれません。
でもそれホント、人としてどうよ?

そんな中で、ファンキー末吉氏がJASRACと正面から戦っているのは、とってもすごいことです。
だって、爆風スランプという大人気バンドのメンバーで、ヒット曲「ランナー」の作曲者ですからね。
いままでJASRACから莫大な印税を受け取ってきたはずだし、JASRAC側からしても、優良顧客ですよ。
それも、配当が不十分とかいう理由じゃない。
ただ単に、収支の内訳を説明してほしい、というだけで、それをJASRACが拒否して、裁判にまでなってる。
どんな配当金だって、あるいは税金だって何だって、内訳を明かさないなんて、いまどきありえないでしょう。
しかも優良顧客に対してさ。

けっきょく裁判ではJASRACが勝ったんだけど、まあ法律的ないろいろな複雑なこともあるんだろうけど、僕はファンキー末吉ブログやSNSで経緯もあるていど追ってきて、どうにもスカっとしないどころか、この判決を受けてますますJASRAC=悪としか思えない。

細かいことは、この記事を読んでください(「JASRACの著作権使用料、分配は妥当なのか)。
裁判の件だけではなく、JASRACの様々な問題が簡潔によくまとめられています。
これ読んで、JASRACは素晴らしい!って思える人は、はたしているだろうか。


すごくシンプルに。
お金が絡むことで内訳を説明できないって、悪いことやってるのに決まってる。
だから、JASRACは悪い会社に決まってる。
少なくとも、音楽や文化のことを考えてるはずはない。
JASRACと、ついでにオリコンは、最低最悪の奴らとしか思えない。

自分がJASRACに食わせてもらうようなミュージシャンじゃなくて、良かった。
僕が今後ヒット曲を書いても、絶対にJASRACには登録しないことを、ここにハッキリ宣言しておきます。
作曲ぜんぜんしないけどね。

2017年9月1日金曜日

泥水っておそろしい

一昨日の晩のこと。
渋谷まで飲みに行って、自転車をガードレールにロックでくくりつけたら、キイが手からすべって、側溝って言うんですかね?道路の脇の鉄格子の穴に、ポチャンと落ちてしまいました。
ちょっと探ってみても見つからなくっていたら、交番に行けば底をさらう道具貸してくれるんじゃない?って言われて、ハチ公前の交番に行くと、酔っ払いやら数人の対応で、かなり忙しそうです。
カギが側溝に落ちて・・・と説明すると、あーそりゃダメだ、と、まったく相手にしてもらえません。
ほぼ無視に近い。
やさしくしてよお巡りさん。

仕方ないから、とぼとぼ現場に戻って、ちょっと迷ったけど、鉄格子のフタを外して穴を手でさらいました。
底まで手が届く深さだし、穴も大きくないから、わりと楽に見つかるんじゃないか。
ちょっとの辛抱!
と思ったんですが、甘かった。
穴の底には、泥だかなんだか柔らかいものが溜まっていて、それが浮かんできて水の中でぐるぐる回ってしまう。
石やプラスチックの物体やらいろんなものが落ちて積み重なってゴチャゴチャで、その中からカギを探し当てるのは、どうやら簡単じゃない。
顔を近づけてるから、けっこう臭い。
きっとこの水はすごく汚いんだろうな。
昼間でよく見えてたら、気持ちが折れてたかもしれないな。
しばらくがんばったけど、姿勢もつらいし、あきらめました。

手を洗いに、すぐそばのセルリアンホテルのトイレに行きました。
上質な石鹸。
お湯も出ます。
ヒジのあたりまでよく洗って、やわらかく上質なペーパータオルで吹いて、サッパリ。
さて、どうしよう。
ロックが外せないから、自転車は置いて帰るしかない。
スペアのキイは、ない。
製造元に言えば、スペアを送ってくれるはずだけど、どのくらいかかるんだろうか。
渋谷はすぐに撤去されてしまうから、間に合うかな。
あるいは、もうあきらめて、撤去されたのを取りにいく方が早いかな。
渋谷区の撤去料は2000円だから、高くはないし。
カギは買い直さないといけないけど。

と考えながら駅に向かってると、なんだか臭う。
まさか。
自分の右手をかいでみると、うっすらドブ臭い。
ちゃんと上質な石けんで洗って上質な紙で拭き取ったから汚れてはいないはずだ、と思ってみても、どうにも気になる。
なんだか肌の表面に泥がこびりついて固まって、手が重いような感じさえしてきます。
そんなわけないのに。
いちど気になると、匂いがはなれてくれない。

やっと帰宅してシャワーを浴びて、あースッキリした!と思ったら、あれ?おかしいな。
なんと、まだ少しだけ匂います。
ウソでしょ?
これ、いつまで残るんだろう?
利き手だから、顔に近けることも多くて、その度に気になってしまう。
まいったな。


でも考えてみると、世の中には、泥水に関わる仕事をする人も、きっといるんじゃないか。
素手をドブに突っ込むことはしなくても、長時間なにか作業していたら、体に匂いがつくんじゃないだろうか。
シャワーでも落ちないんだから、いつも匂いの中で過ごさなくちゃいけない。
そのうち、慣れるんだろうか。
自分は慣れても、家族や友達は、どうだろう。
なかなか彼女もできづらいんじゃないか。
町ゆく人から、なんか臭わない?なんて言う声が聞こえたりするかもしれない。
僕も昔カレー屋でバイトしてたとき横断歩道で、カレーの匂いしない?って前の人たちが話してたことがあった。
ずっと昔は、革なめしや屠殺とかたぶん匂いがある仕事は、下層の人々に押しつけられてた、みたいな話も、教科書に載ってた気がします。

いま実際に、そういう様な仕事がどれだけあるのか、わかりません。
仕事じゃなくても、世界にはいわゆるスラム街もあるし、清潔とは言い難い環境で暮らす人もいるわけです。
たしかウイリアム・バロウズだったか、ヤク中で一年間風呂も入らず同じ部屋にいた、っていう話をどこかで読んだこともあります。
そういう生活を想像したとき、嫌だな、と不快感が先にきてしまう。
カギを落として、さらにそんなことを考えていると、自分は何者なんだ、と思います。
けっきょく、限られた場所からしか見れてない。
あの側溝の穴の中には、僕の人生なんか及ばないような、雑多で複雑な世界が、おそろしく奥深く折り重なっているような気がします。

2017年8月26日土曜日

N.O.生活27 - アメリカか日本か

1月、最終学期がはじまりました。
卒業まであと4か月。
進路について考えなくてはいけません。
アメリカに残るのか、日本に帰国するのか。

アメリカに残る場合、ビザが必要です。
ミュージシャンの場合、アーチスト・ビザです。
取れないことはない、けど、お金がかかります。
取得の時はもちろん、毎年か数年ごとの更新の際にも安くないお金がかかる。
たしか日本での手続きも必要で、飛行機代も合わせると数十万単位の出費はさけられない。
これは、楽じゃない。

アメリカでも、クラリネットだけで生計が立つのは、おそらくニューオリンズだけです。
他の町では、日本と同じように、各種サックスや場合によってフルートも演奏しないと、満足に稼げない。
僕は、サックスもやらないどころか、使っているクラリネットも普通じゃない。
ニューオリンズ以外ではやっていけないでしょう。
もし将来、ニューオリンズで仕事がなくなり食えなくなったら、どうすればいいか。
日本なら、バイトでもなんでも、どうにかなります。
しかし、不景気でアメリカ人でも仕事に困っているのに、音楽しかやってこなかった外国人に選択肢があるのか。
かなり厳しいはずです。

そもそも、ニューオリンズは海より低い位置にある町です。
温暖化で、遠からず水の底に沈んでしまうという説もあります。
ハリケーンもきます。 
そんな時、身を寄せる場所が、僕にはありません。
なにかあったとき、だいたいの人は実家ある日本に帰国します。
でも僕の場合、実家には世話になってはいないので、気軽に戻ることは考えづらい。
19歳で家を出て以来、1人でやってきて、留学中に帰国するときにも、実家に泊まることはなかったし、荷物を預けもしていない。
仲が悪いとかじゃないんですけどね。

と、けっして楽観できない要素が盛りだくさんです。


そこまでして、アメリカに残りたいのか。
たしかに、僕の性格上、日本よりは楽しく暮らせるでしょう。
でも、肝心の音楽面では、はたしてどうか。
ニューオリンズでは、何も考えず毎日演奏して暮らせる。
それはもちろん楽しいに決まってます。
僕が、楽しければいい!というタイプの人間なら、なんの問題もないんですが、そうはいかない。
アメリカに来たのだって、ただ楽しそうだから、というのじゃなくて、ニューオリンズの音楽が好きで好きでたまらなかったからです。
それなのに、渡米のモチベーションとなった、僕の好きなニューオリンズ音楽は、もはや現地にも存在しません。
まだ活動している伝統を背負ったベテランミュージシャンも、そのうちいなくなってしまう。
僕が愛する音楽は、アメリカでも、過去のものになろうとしています。

ライブは、楽しい。
でも、新しい音楽シーンの若いミュージシャンたちや、カーミット・ラフィンを筆頭にした中堅ミュージシャンたちは、過去の伝統に興味がない。
マイケルトムのような伝統を守るミュージシャンは、世界的に尊敬されていても、自分の町では十分な仕事がないという現実。
アメリカに残るということは、ニューオリンズでクラリネットを吹くということ。
しかしそれは、僕をここまで導いてくれた音楽を捨て、むしろ、それを食い物として生きていかなくてはならない。
それで自分が幸せになれるとは、思えない。


ということを考えていると、ライブで演奏していても、素直に楽しめません。
周りのミュージシャンとの考え方のギャップが、ストレスになってきました。
アメリカまで来て、やりたい音楽がやれてないなんて、本末転倒じゃないか。
こんなことやってて、マイケルやトム、トロントのみんな、そして過去の素晴らしいミュージシャンたちに、合わせる顔がない、という気持ちがふくらんでいきます。

それで、帰国することに決めました。

2017年8月15日火曜日

髪型も変えられないのに、人生が変わるわけない。

髪型を変えない人は、モテない。
何年も、ヘタしたら10年以上も同じ髪型をしてたら、それじゃあ恋愛も遠ざかる。
って、こう書くと「自分のこと言われてる!」って思われたりするんだけど、言っとくけど、髪型やファッションに興味ない人は、別ですからね。
見た目に気を使ってる人の場合です。

なんでずっと同じ髪型をしてるのか。
それは、決めつけてるから。 
自分にはこれしか似合わない、って。
あの髪型もこの髪型もカッコいいけど、やってみたいけど、自分には無理だ。
ああいうのは、イケメンじゃないと似合わない。
自分は顔が大きいから、鼻がまるいから、おでこがせまいから。
って、やってみる前から決めつけちゃって、消去法で残ったものに固執する。
それはたいてい、当たり障りがなくって、誰にも注目されないだろう髪型です。

そんな風にして、後ろ向きに選んだ髪型を続けるのって、よくない。
鏡を見るたびに、どうせ自分はこの程度、っていう思いが、心の底にたまっていくから。
まるで逆アファメーションみたいにして、気持ちもどんどん後ろ向きになっていく。
そうすると、なにかにチャレンジしよう、という気も失せていく。
未来を想像してワクワクする習慣がなくなってしまいます。

人を好きになる時って、ワクワク感があるじゃないですか。
一緒にいたら楽しそう、っていう期待が、距離を縮める。
そもそも、他人と過ごすなんて、面倒です。
ひとりで自由に自分のペースでいることが、いちばんラクチンに決まってる。
わざわざ恋愛なんて面倒なことするのは、この人といたら楽しいかも!ってワクワクする気持ちがあるからでしょう。
だから、ワクワクと縁のない人は、モテないんですよ。

恋人じゃなくって友達の場合だって同じことです。
こいつ面白そう、ってワクワクするところに、人は集まります。
いや俺なんて・・・とか言って後ろ向きでいたら、誰も寄ってこない。
少なくとも、新しい出会いは広がらない。
人は、去ります。
出会いがなければ、去っていくばっかりで、だんだん頼れる人数が減っていく。
そうして、孤独死ですよ。


たまたま髪型について書いたけど、そのほかのことでも一緒です。
考え方を変えない。
同じ店にしか行かない。
決まった道しか通らない。
「こだわり」って言う人もいるけど、それはちがうよ。
◯◯に決めてる、ってさ、そんなの、みじかい人生でたまたま出会った中でたまたまそれが良かったっていうだけじゃん。 
世の中のすみからすみまで試したわけじゃないのにさ。

こだわりって言って何かに固執するのって、逃避です。
新しい未知の出会いが怖くて、失敗するのが怖くて、逃げてる。
逃げて守りに入ってる奴なんて、誰も相手にしないよ。
そいつが自己防衛のために立てた心の壁を壊すことに、けっこうな労力が必要だから。
他人はそんな面倒なことしてくれない。
壁は自分で壊すこと。
どんどん新しいことをやっていくこと。
迷ったら、いつもと違う方、新しい方を選ぶこと。
そうして進んでる人は、どっちに向かっているかに関わらず、魅力的です。

髪型なんて、本当にちっぽけなこと。
思いっきり変な髪型にして、笑われてみたらいい。
失敗したことないから、失敗を恐れるんだから。
大失敗しても死なない、ってわかれば、楽になれる。
服や髪型や、小さなことを変えるだけで、いろんなことが変わると、僕は思います。

2017年8月7日月曜日

路上で円盤を演奏する男

銀座を歩いてたら、わき道に、変わった楽器を演奏する男がいました。
スチールパンにフタをしたような円盤みたいな形の、大きな銅色の鍋のような楽器。
ぽよんぽよんと、不思議な音です。
日本人にしては大柄で、放浪の旅の途中のようなヒゲ面が、いかにも楽器に似合ってる。
罪のなさそうな通行人が数人、足を止めているのを、通り過ぎました。

あの楽器はなんなのか。
誰もがそう思うでしょう。
僕だって、余裕があれば立ち止まってたかもしれない。
でもそれは物珍しさ。
音楽に気を引かれるのじゃない。
それが楽器じゃなくたって、演奏してなくたって、見慣れないものには気が奪われる、というだけのことです。

演奏がよくなかった、というんじゃありません。
もしかしたら、彼はあの楽器の名手で、世界トップレベルの演奏が行われているのかもしれない。
でも、それがいいのか悪いのか、ちゃんと聞かないとわからないわけだけど、なんといっても馴染みのない音楽だから、一聴して足を止めることはまず起こりにくい。
そもそも、世界一流の演奏家が路上で演奏してみたら誰も立ち止まらなかった、っていう実験も、何度も行われています。
よっぽどキャッチーな演奏じゃないと。
でもたぶん楽器の性質上、そういうのは向いてなさそうだし。

彼自身は、どう思ってるのか。
音楽をやってるけど、人が集まるのは、その内容よりも物珍しさ。
たぶん、素晴らしい演奏でした!ってよりも、それ何て楽器ですか?っていう声の方が多いでしょう。 
演奏を聴いてもらえない、っていうジレンマは、ないのかな。
楽器を見せびらかしたいなら、それでオッケーなんだろうけど。

そもそも、なんで路上で演奏してるのか。
それも暑い中、わざわざ銀座なんて遠いだろうに。
物珍しさから人が足を止めるということが分かってて、注目されたくてやってるのか。
おごってもらったり、ナンパ目的なのか。
それとも、あの楽器では一緒に演奏できる人や場所がなくて、仕方なく路上にいるのか。 
不特定多数の目にさらされることで、修行のつもりなのか。

1時間くらいしてまた通ったら、男はいませんでした。
あの楽器は、宇宙と交信する道具で、あそこがそういう地点で、そっちの世界に行ってしまったのかもしれない。
あるいは、暑さで蒸発してしまったのかもしれない。

2017年8月6日日曜日

ぼくの休暇

休暇を取ってみた。
といっても、自分でそう決めて過ごしてるだけですが。
三日間、何もしませんでした。
何もしない、っていうのは、楽器も吹かないし、予定も入れないってこと。
こんなに何もしないのは、どれ位ぶりだろうか。

それにしても、いざ休むとなると、どうして過ごせばいいのか、わからない。
休暇って、英語で言うとバケーション。
バケーションで連想するのは、旅行か。
ロング・バケーションでない数日の休暇なら、温泉旅行とかかな。
でも温泉にしろどこにしろ、旅行なんてしないし興味もない。
海外でも行けば違うのかもしれないけど、そんな金はない。
それで、映画を見て、本を読んで、散歩をしました。

映画もいいけれど、でもそれよりももっとバケーション感を味わえたのは、散歩と読書。
この2つはセットなんです。
本を持ってわざわざ電車で出かけて、好きな喫茶店に行って読む。
そして町を歩く。
そしてまた喫茶店へ入る。
それだけだけど、ちょっとした旅行よりもリフレッシュできる。

そういえば、海外でも、やることは同じです。
いわゆる観光名所とか行かずに、一日中町を歩いて、疲れたらよさそうな店に入って休む。 
ひたすらそればっかり。
海外の場合は、読むのは現地で手に入れた雑誌だったりするけれど、やってることは一緒です。
散歩してる。

話題の場所に行ってうわー!って思うこともないし、なんというか、場所や出来事についての情報に、あんまり興味がないのかもしれない。
今まで行った場所、たとえばニューオリンズでさえ、地図で指せないし。
飛行機で乗り換えがあっても、それがどこの空港か覚えてないし。
そんなこと知らなくたって、チケットに書いてあるゲートに向かえば、目的地に着ける。
覚えてるのは、景色や風景やそこでの体験だけで、その体験も、実際にどの町でのことだったか、あやふやだったりします。

旅行って、遠くにきた、非日常だ、というのが頭のどこかにあるからこそ、盛り上がるんじゃないのかな。
だって、知らない町、とかいうけど、自分の住んでる町だって、ちょっと裏路地を行けば、見たことない風景がある。
近くの、はじめての駅で降りてみればいい。
知らない景色に出会うのに、わざわざ遠くに出向く必要はないわけです。
だから、旅行へ行くとなれば、その場所について調べて、地図を見て、到着までの間にも気分を盛り上げて、特別な体験だ、って自分に思い込ませる。
きっと本当は、知らない土地に行く、っていうことが目的じゃなくって、それを口実に自分でイベントを企画するようなことなんじゃないか。
なんて思います。

そうすると、イベント性をとっぱらってみると、遠くに旅行するのも、隣町を散歩するのも、実は同じこと。
自分の好きな町や景色があって、そこを歩いて、でも興味があるのは景色ではなくってあくまでも自分です。
だから周りの景色に心が動かされることがあったとしても、それでも意識は自分自身に向いてる。
そうできる場所であれば、どこでもいいんです。

なんだか旅の本質を分かったような気になりました。
さて、休暇はおわり。
またはじめます。

2017年7月29日土曜日

オンダトロピカ『Baile Bucanero』!いいね!

Ondatropicaの2ndアルバム『Baile Bucanero』を聴きました。
いやーこれいいね!


1stもよかったけど、あれは「上出来なラテンアルバム」の範疇を超えていない。
ていうか、世の95%くらいのラテンものって、どこを切ってもラテンのボキャブラリーしかなくって、傑作!とか言われてるものでも、ラテン門外漢の僕にはそれぞれの細かい差異を比較検討して聴く楽しみはないので、どれもこれも「上出来なラテンアルバム」でしかなくって、他のポピュラー音楽と比較にもならない。
つまり、どれだけ演奏が素晴らしくても、ワクワクする刺激がないんですよ。
なんて言うと、ラテンのボキャブラリーなんて偉そうに言いやがってこの野郎なんにも分かってないくせに!って怒られるかもしれないけど、そもそも知識や経験がないと良さがわからない音楽って、それどうなのよ?って思います。
というわけで、ラテン音楽にはいつでも物足りなさを、感じるんです。
ちなみにこれは「ジャズ」にも言えることです。

このアルバムは、いいね!
何がちがうのか。
わからない。
わからないけど、例えばタジ・マハール「Music Fa Ya」やオル・ダラの1stを聴いたときみたいに心が踊ります。
ただの「ラテンアルバム」ではない。
聴き終えてすぐ、またはじめからリピートしたくらいです。

このオンダトロピカは、ニューヨークのマルチ・ミュージシャンWill Holland("Quantic")が、コロンビアのマリオ・ガレアーノ(Frente Cumbieroのリーダー)と組んではじめたユニット。
ウィル・ホランドはジャズやソウルやレゲエやいろんな音楽やってて、そのうち数年間コロンビアに住んで、今ではラテン音楽新潮流のキーパーソンとしての地位を確立しています。
でも、彼のこれまでの作品はどうも好みじゃなかった。
今っぽいクラブっぽい、スムーズで洗練された色付けが常にあって、そういうのに興味がない僕にはぜんぜんグッとこない。
DJ受けするとかいう事情もあるのかわかんないけど、ネオ・ソウルにも通じるようなオシャレ感が余計なんですよ。
好きで何度も聴いたのは、オーセンティックなサウンドのクンビア・アルバム『Los Miticos Del Mitro』だけです。

だから、みんなウィル・ホランド=クアンティックを絶賛するけど、僕はべつにそんな興味なかったし、このアルバムも、とりあえずチェックしとくかーってくらいで特に期待してませんでした。
聴いてみたら、良くってビックリ!
オシャレな味付けもなく、音の質感もいい。
相方がコロンビア人だし、現地のベテラン・ミュージシャンをたくさん起用してるのも、影響してるのかな。
前作みたいな、再現・保存・再解釈、というようなスタンスが今回は感じられないのが素晴らしい。
いいなーこんな人たちと、一緒にやってみたいなー。

これは、心ある二人のミュージシャンが作り上げた、新しい音楽。
ラテンどっぷりでは届かない、新鮮さがあります。
僕のような、欧米のポピュラーミュージック&黒人音楽を聞いてきた音楽ファンにもアピールするでしょう。
大推薦です!






2017年7月25日火曜日

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観ました。

心に傷を抱えた男の話。
設定やストーリーに特別なものはない。
いかにも「いい映画」になりそうなお話の、語り口が、素晴らしいんです。

なんといっても、役者がみんないい。
リアリティのある演技。
そういう、演出なんでしょう。
主演のケイシー・アフレックが、いい。
ベン・アフレックの弟だそうですが、あまり知られていなくて、この映画でアカデミー賞を取って一躍注目されたそうです。
はじめて見て、大好きになりました。
こんな繊細でいい役者が、まだまだたくさんいるんですよね、きっと欧米には。
こないだ書いた『モナリザ』のボブ・ホスキンスくらいに、忘れられない演技です。

演出も地味だけどすごい。
驚いたのが、カット割り。
たとえば、町や空や、色んな風景をつないでいくシーンて、あるじゃないですか。
そのつなぎ方が、すごい。
いままでカット割りですごいな、って思った映画はたとえばベルトリッチの『シャンドライの恋』だけど、あれは誰が見てもすごいって思うものだけど、この映画はそうじゃない。
一見、普通なんだけど、こんなに何気ないようでいてこんなに心に訴えてくるカットのつなぎ方は、初めてです。
ここまで全てのカットが情感を持っている映画って、ちょっと思いつきません。
って、これ、文章で書いても何も伝わらないですよね。
書きたくて。


はっきり言って、何も起こらない映画です。
だから、ストーリーを説明しても意味がない。
説明したいとも思わない。
僕の心に触れたのは、登場人物の描かれ方や、ケイシー・アフレックの演技です。
でもそれって、説明なんてできない。
傷ついたり傷つけたり誰かを思って悩んだことのある人なら、あるいはそういう人が身近にいたなら、この映画が好きになるでしょう。
あまり悩まず考えない、他人に興味のないタイプの人にとっては、面白くないかもしれません。
主人公をはじめとした登場人物に会い、彼らを知り、深い感情に触れる映画です。


僕はこういう、人物が描かれてる作品が、きっと好きなんですよ。
ドキドキハラハラとか、泣ける笑えるとか、そういうストレス発散みたいなことは、映画にひとつも求めてない。
ていうか、そもそもストレス発散や気分転換をしたいと思うことがないし。
感情に触れること。
それは実際に誰かと会って話すことにも似てるんだけど、映画はもっと普遍的な体験です。
だから心に残って、ある時ふと、ある映画のある場面を思い出す。
この映画のケイシー・アフレックのことも、これから何度も思い出すでしょう。
そして、またこの映画を観るでしょう。
そのくらい、大好きな作品です。
スクリーンで観れてよかった。

2017年7月17日月曜日

N.O.生活26 - ニューオリンズ・ジャズ in トロント

大学最後の冬休み、友達を訪ねて、カナダに行きました。

トロント在住のトランペット奏者、パトリック。

若いベーシスト、タイラー。

同じく若い、トロンボーン奏者のリンジー。
 
出会いは、ニューオリンズで春に開かれるフレンチクォーター・フェスティバルでした。
有名なジャズ&ヘイテイジ・フェスティバルと違って無料で、しかも、町の中心部で、広場や通りにステージを組んで、出演はほぼ地元のミュージシャンのみ。
世界中からニューオリンズ音楽ファンが集まって、ミュージシャン同士の交流も盛んです。

彼らは、伝統的なニューオリンズ・ジャズに魅了され、毎年カナダからやって来ているといいます。
渡米後、誰ともニューオリンズ・ジャズへの想いを共有できずにいた僕はうれしくて、宿を訪ね、音楽を聞き、語り、音を出して、フェスティバル期間中ずっと一緒に過ごしました。
そして、カナダに遊びに行く約束をして別れたんです。


トロントでは、パトリックの家に泊まりました。
パトリックは「Happy Pals」というニューオリンズ・ジャズのバンドを率いています。
Grossman's Tavernという、日本でいえば広めのカフェ・レストランのような店で毎週末、なんと40年以上もライブを続けているんです。


そして、そこでライブを見たタイラーやリンジーのような若者たちが演奏に加わっていき、小さいけれど強固なニューオリンズジャズのコミュニティが出来上がっています。

おどろきました。
日本でも、そしてニューオリンズでも、若いミュージシャンは古い泥臭いスタイルに興味がありません。
みんなもっと「ジャズ」寄りの、ソロやアドリブを重視した、洗練された音楽をやりたがる。
それが、ここトロントでは、パンク・バンドに魅了されるような感覚で、若者がニューオリンズ・ジャズのバンドに熱狂している。
そもそも、パトリックの世代のメンバーも、ニューオリンズに行ったときにKid Thomasの演奏に衝撃を受け、バンドをはじめたそうです。
そして、それを見た若者がまた衝撃を受けて楽器を手にする。
そんな幸福な連鎖が起こっているなんて、奇跡のようです。


Happy Palsは、まさに往年のプリザベーション・ホール・ジャズ・バンドのような、ゴツゴツした手触りのバンドです。
僕は一度体験しただけですが、週末のライブはいつも盛り上がるといいます。
それも、お客のほとんどは、マニアックな音楽ファンなどではなく、町の普通の人々。
老若男女がつどって、酒を飲みながら音楽を楽しみながらダンスをしながら、毎週末を過ごしているんです。

ニューオリンズ・ジャズは、人々のための音楽、躍らせるための音楽だ、と言いますが、それは昔のこと。
今ではニューオリンズジャズも洗練され、鑑賞にも適した音楽になっています。
もちろん、いまの若手が好む新しいスタイルのジャズでも、踊ろうと思えば踊れます。
が、踊る気で集まったのではない、そこに居合わせた人々までが自然と体を揺らすような強烈な吸引力は、もはやありません。
古いスタイルのニューオリンズ・ジャズには、それがある。
だって、鑑賞するためではない、ビートの音楽だから。
以前、マイケル・ホワイトが海外のジャズ・フェスティバルに出た時の話が印象的でした。
バンドのベーシストがいわゆる「ジャズ」のリズム感で演奏していたのを、マイケルが古いスタイルのリズム感を示して、音数を減らしダウンビートだけ弾くように直させたとたんに、それまでじっと聴いていた観衆が踊りだした、と言うんです。
たぶんそういうことが、Happy Palsのライブでは起こっている。
ニューオリンズ・ジャズのビートの力を目の当たりにして、感動しました。


滞在中、Happy Palsのライブ以外にも、ダンスの集まりや小さなパーティでパトリックと演奏しました。
彼のトランペットのスタイルは、まったくブレない。
いわゆる営業仕事のような場面でも、キッド・トーマス直系のシンプルでラフな吹き方で通します。
そして、お客もみんなそれを歓迎するんですよ。
だってキャッチーだし、盛り上がる。
欧米のお客って、「ジャズ」「ボサノバ」みたいなステレオタイプを期待することがなくって、いいと思えば素直に反応しますからね。
この音楽は、けっして日本で思われてるような地味でマニアックな老人向けのものではないことを、実感しました。
先入観なく耳を向けるなら、モダンジャズよりもはるかに多くの人に受け入れられるはずです。


パトリックはそのことに自覚的です。
ニューオリンズのスタイルを、もっとポピュラーにしていきたい、と熱く語ります。
トラディショナル・ナンバーだけではなく、トム・ウェイツやジョニー・キャッシュの曲もレパートリーに加えています。
昔だってキッド・トーマスは、エルヴィスやファッツ・ドミノの曲をやってたわけですからね。 
ライブは、お客を楽しませることをよく考えていて、マニアックな音楽にありがちな発表会のような雰囲気とは対極です。
誰もが気軽に音楽を楽しめる、ハッピーな空気にあふれています。
こんなにニューオリンズジャズが日常に浸透してる町は、世界中でも他にないでしょう。


しかし、とにかく寒かった!
なんたって真冬でしたからね。
気温はもちろんマイナスで、常に吹雪いている。
だからなのか、町中に地下道が整備されていて、外に出なくても移動できるようになってるんですよ。
僕は町並みを見たくてがんばって地上を歩きましたが、30分もすると凍えてしまう。
暖を取ろうと店に入っても、あんまり暖かくないんですよね。
みんな店内でもコート着たままだし。
そういえば、パトリックの家も寒かった。
きっと寒さに慣れてるんでしょうね。

若いタイラーとリンジーとは気が合い、町を飲み歩きました。
タイラーはもともとロカビリーをやっていたので、そっち方面の友達も多く、面白かったです。日本のラスティックをやってるような若者に近い感じがしました。
ふたりとも視野が広く、音楽にも人間にもオープンで、ニューオリンズ・ジャズへの情熱にあふれている。
とても刺激になりました。
一緒に録音をしよう、という予定もあったのが、スタジオの段取りがつかず実現しなかったのが残念です。


トロントに住みたいと思うくらい、町のニューオリンズ・ジャズ・シーンは最高です。
この音楽の素晴らしさを、あらためて思い知った旅でした。



カナダのテレビ曲が制作したHappy PalsのドキュメンタリーがYoutubeにアップされています。

番組の中で、メンバー全員が口をそろえて言うのが、若い頃にHappy Palsのライブ、あるいは50〜60年代以前のニューオリンズ・ジャズの録音を聞いて衝撃を受けて人生が変わった、ということです。
中でも31:10からのパトリックのシーンは感動的です。
友達が「(トランペットプレイヤーなら)キッド・トーマスを聴かなきゃダメだ」って言うから、レコードを手に入れて聴いてみたんだ。でも、ピンと来ないどころか、なんて変なプレイだ、って思ったね。そう、とにかく変だったんだよ。これを好きなヤツもいるんだろうけど、俺には受け入れられなかった。
で、それから何年かしてニューオリンズに行ったんだ。プリザベーション・ホールの床に座ったら、目の前にキッド・トーマスがいた。 〜 彼が "Moonlight Bay" を吹きはじめた瞬間、人生が変わったんだ。 〜 何をやりたいのか解った。俺はこの音楽を演奏するんだ、って。
 続く32:04からの "Moonlight Bay" の演奏が素晴らしい!そこだけでも見てみてください!

これってたとえば、ジャニスを聞いて歌を、ジミヘンを聞いてギターをはじめた、というようなことですよ。
ニューオリンズ・ジャズには、それだけの魅力があります。
だからこそ、音楽に詳しくなくても、ただ楽しくて、毎週みんな集まってくるんですよね。
素晴らしいドキュメンタリーなので、英語が少しでもできてニューオリンズ・ジャズに興味があるなら、ぜひオススメします。