2017年3月14日火曜日

あいつは音楽的すぎる

すごくうまいミュージシャンがいます。
指が早く動くとかいうテクニック面だけじゃなくて、音楽的にも素晴らしい、本当の意味でいいミュージシャンです。
いつ聴いても音楽的な演奏で、どこを切ってもグルーヴィで、申し分ない。
ほれます。

でも、一線を越えることができない。
全部の音が「音楽的」すぎて、そこから外れた音が出せない。
ぜんぶがグルーヴィにまとまってしまう。
それは素晴らしいことで、聴いていてとても気持ちいいんだけど、でも、物足りない。
涙は出ない。


1音だけで、心が震えることがあります。
その1音に、どれだけの気持ちというか気合いというか命というか、いったい何が込められているか、ということ。
極論すれば、歌でもなんでもないただの叫び声だって、それが本当に心の底から出たものなら、人を動かすことができる。

それは、「音楽的」なこととは対極にあります。
うまくて優秀なミュージシャンの中には、「音楽的」に演奏することが体に染み込みすぎてしまって、どうやっても「音楽」にしかならなくて、その先にいけない人がいる。
なんてもったいないんだろう。

性格的な問題もあるから、やっかいです。
震える音を出すためには、自分を捨てる覚悟が必要です。
なりふりかまわずに、ぜんぶ投げ出してぜんぶ見せて、自己評価や他人の目や、つまり人にどう思われるかなんて1mmでも頭にあったらやれない。
それは、音楽だけじゃなくて、人前に立って何かを表現するものすべてに共通することです。


僕がいたニューオリンズは、日本のような自分を殺す文化とは対極にある街です。
みんな当たり前に自分を解放できるから、こんなつまらない問題はありません。
楽器の上手い下手に関わらず、一線を超えた感動的な音に、たくさん出会える。
それが、僕にとってニューオリンズ音楽が特別に素晴らしく思える理由のひとつです。

自分をおとしめるよう強要される国に生まれて自分を好きじゃないまま生きていて、それで音楽をやっても自分を解放できないんじゃ、自分が変われないんじゃ、もうどうすればいいのか。
それで心から楽しいんだろうか。


日本で音楽学校出た若いジャズ系ミュージシャンみたいな中身ゼロの指だけよく動く音楽人形についてはまったくなにも思わないし無視するだけだけど、本当にいいミュージシャンで一線を超えられない人に出会うと、すごく残念で悲しくなります。


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