2017年4月24日月曜日

GWO・町田謙介・井上民雄

土曜は町田謙介=マチケンさん、日曜はStumble Bumの井上民雄さんと演奏しました。
しかもマチケンさんにはGWOのギターもお願いしたので、GWO、マチケン、井上民雄、というスタイルの違う3つのライブをやったわけです。

GWOは、どれだけボーカルに近づけるか、というのがテーマです。
今回は、マチケンさんの極上のバッキングに乗って、まさに「歌うような」演奏ができました。
リハもろくにしてないのに、全体の完成度はかなり高かった。
さすがマチケンさん。

続くマチケンさんが主役のステージは、よりセッション的なものでした。
マチケンさんのミュージシャン・シップが高く、こっちも一瞬も気が抜けない。
レパートリーもバラエティに富んでいるので、曲ごとに僕のアプローチも変わる。
やってて気づいたけど、曲によって、バイオリンやオルガンやホーンセクションの音が、アレンジとして頭の中に鳴って、それをクラリネットに置き換えてるんですよね。
過去に聞いてきたルーツ・ミュージックの影響です。
こういう、クラリネット奏者らしからぬアプローチが、僕の個性なのかもしれません。

民雄さんとのライブは、楽曲が素晴らしく完璧なので、余計な音が出せない。
いかに邪魔をせずに曲のイメージを広げるか。
こんなに緊張感のあるライブは久しぶりでした。
そして、オリジナル以外に、 ブラインド・ブレイクなどのカバーをやりました。
カントリー・ブルースのボーカル・パートを、クラリネットに置き換える、という試み。
GWOのときの十分の一くらいの音量で、もちろんアドリブなんかナシで、淡々と吹きます。
100年前の音楽を100年前の楽器でやってるんだけど、これ、最先端ですよ。
他にやってる人いないもん。


僕はもともと、ニューオリンズ・ジャズのスタイルのクラリネット奏者です。
でも、いつの間にか、変わったことばっかりやるようになってしまった。
いまでは、一般的な管楽器奏者がやるような(いわゆる「ジャズ」寄りの)演奏は、月イチくらいしかありません。
いいのか、わるいのか。
はたして自分は、クラリネット・プレイヤーと名乗っていいのか。
もはやミュージシャンではないような気にすらなります。

そう、GWOを始めてから、このユニットだけは毎回ライブレポートを書いてたんですが、それももうこだわらなくていいかな、と。
もはや自分の音楽の主軸がどこなのか、わからないので。
全国のGWOライブレポートファンの皆様には申し訳ありませんが、今後はより気の向くままに、やっていきます。
いろんなことを。



2017年4月17日月曜日

N.O.生活23 - 消えゆく伝統

Moonshiners の解散でレギュラーライブはなくなり、いつも違うバンドで演奏するようになりました。
とはいえ、中身はそれまでとほとんど変わりません。
古いジャズをやるミュージシャンは大勢いて、いろんな店でローテーションのようにして演奏しています。
曲や音楽スタイルも似ているし、そもそも誰も彼もみんな知り合いですからね。

そうして大勢と演奏するうちに、気づいたことがありました。
みんなニューオリンズ・ジャズの過去の録音を知らないんです。
例えば、ニューオリンズ・ジャズの復興に大きな役割を果たしたプリザベーション・ホール・バンドのレパートリーなんか、本当に誰も知らない。
なぜなら、みんなレコードやCDを買わないからです。
スイング・ジャズ曲の譜面集を手に入れて、観光客が知ってる有名曲を覚えて、おしまいなんです。
それでチップはもらえるから。

曲を取り上げるとき、過去の名演があればそれを踏まえて演奏するべきだと、僕は思うんです。
どう演奏するにせよ、その曲の歴史を知ってリスペクトすること。
そういうスタンスが、古いベテラン以外の、特に若いミュージシャンには全くない。
ライブで「ニューオリンズ・ジャズ」と看板をかかげていても、それを勉強する気がないんですよね。
お客に受ける有名曲をやってチップが入れば、満足してしまう。

あるとき、ステージで僕が "Yearning" をやろう、と言いました。
その曲を知っていたのは、ベテラン・ドラマーのジェラルド・フレンチだけ。
めったにやらない曲をなので、ジェラルドはきっと嬉しかったんでしょう、他のメンバーが誰も知らないのに、やろう!と言って叩きはじめてしまった。
仕方ないので、僕がみんなにコードを伝えながらメロディを吹いて、なんとか演奏した、ということもありました。

一緒に演奏していても、周りのメンバーと曲の背景やイメージを共有できないことが、僕にはストレスでした。
だって、僕はニューオリンズ音楽が好きで、聴いて聴いて、海を渡り、その音楽が生まれた地で愛する音楽を演奏している、はず。
それなのに、バンドの誰一人として、ニューオリンズ音楽をリスペクトしていない。
これなら、日本にいたときの方が、ニューオリンズ音楽への思いを共有しながら演奏できていた。
音楽が好きで来たのに、いまではチップを稼ぐのが目的になってる。
なんのために、ここへ来たんだろう。
と、思いながら、毎日ライブをしていました。


ニューオリンズ・ジャズが好きで渡米してくるミュージシャンは、もちろん今までも何人もいたわけです。
でも、いざ来てみると、実は町で演奏されている音楽は、ニューオリンズの伝統とはすでに別モノと化している。
みんな失望して、数年のうちに町から去っていく。
というのが、ここ10年以上のパターンだそうです。
その話を聞いたとき、とても悲しい、絶望のような気持ちになりました。

僕がいたときは、ハリケーンを境に若いミュージシャンが増えたこともあって、その傾向に拍車がかかっていました。
もう町では、ニューオリンズ音楽の伝統は過去のものとして消えかけていたんです。

2017年4月13日木曜日

N.O.生活22 - Moonshiners 解散

なんと前回から5ヶ月も空いてしまいました。
このペースでは、終わらない!
駆け足で進めることにします。
今回は、バンドの顛末を。

ゴードンがニューヨークへ去ったあとも、Moonshiners は順調でした。
小さな店だけではなく、DBAなど大きめのクラブや老舗ジャズ・クラブのスナッグ・ハーバーにも出るようになり、プライベート・パーティなどの演奏も増えました。
ジャズ&ヘイテイジ・フェスティバルやフレンチ・クォーター・フェスティバルへも出演し、ニューヨークにも呼ばれてリンカーン・センターで演奏しました。

そんなある日、事件が起こりました。
バンドのミーティングというので集まって、みんなで雑談していたときのこと。
リーダーのクリスが、大事な話がある、と言います。
Moonshiners を法人化し、今後は仕事に応じてその都度ミュージシャンを雇うことにする。
みんなを雇うこともあるかもしれないが、保証はできない。
いま持ってるレギュラーの仕事は自分が全て引き継ぐ。
アルバムの売り上げも今後は会社に入る。
と、言うのです。 
なんと、全員クビですよ!

クリスは、しばらく前から準備を進めていたようです。
すでにバンドは法人登録されていました。
メンバー全員に、バンドに関する権利を放棄し今後Moonshinersの名前を使わない、というような書類が用意されていて、手切れ金のようなものを提示されました。

そんなことって、あるのか。
Moonshinersは、クリスとトロンボーンのチャーリーが二人ではじめたバンドです。
それからみんなで一緒にやって、大きくしてきました。
それを、軌道に乗ってきたとたんに裏切るなんて。
僕は学生だけど、他のメンバーは生活にも関わります。
毎月そこそこの収入があったものが、突然なくなるわけですから、大ごとです。

もちろんみんな怒りました。
しかし、全ては手配済み。
クリスは弁護士も立てていて、次の大きなライブにはすでに町のベテラン・ミュージシャンが呼ばれていました。
ベテランを雇うことで、他の若いトラディショナル・バンドと差別化して、より大きな仕事を取りたい、という考えのようです。

揉めましたよ。
でもけっきょく、クリスのやり方が通りました。
そんなことがあったあとで、とても一緒にやれないし。
みんな手切れ金をもらって、実質バンドは解散です。
Moonshinersの名前は残るけど、中身は別物ですからね。


こんなこと、まさかニューオリンズで起こるなんて。
ニューオリンズの魅力は、人です。
みんな助け合って生きてる、あったかい町。
あれだけふくよかな音楽が生まれるのも、人のあたたかさがあるからです。
仲間の裏をかくなんてあり得ない。
ショックでした。
クリスとも、いい思い出はたくさんあったのに。

ニュースはすぐに広がり、Moonshinersはそれまでいた音楽シーンから消えていきました。
フェスティバルには出ていたし、プライベート・パーティやホテルでの演奏などは、まだあったのかもしれません。
が、町のミュージシャン同士のつながりからは、クリスはもう外れてしましました。
そりゃそうですよ。
わかってたはずなのに、なんであんなことしたんだろう。


アメリカの友達の近況は、いまでもFacebookなどで知ることができます。
Moonshinersの仲間も、みんなそれぞれ順調に音楽活動を続けている。
でも、クリスの噂は聞きません。
クリスもFacebookに登録はしてるけど、ミュージシャン仲間とはほとんど繋がっていなくて、投稿もしてません。
MoonshinersのHPも数年前から更新されていない。
その後、彼がどうしてるのか、分かりません。

2017年4月10日月曜日

エゴのない音楽が好き

ミュージシャンには2種類います。
Aタイプは、音楽 < 自分。
自分を表現する道具として、音楽をやってる。
上手く演奏したい、注目されたい、という気持ちが強い。
Bタイプは、音楽 > 自分。
俺の表現を聴け!というのとは逆で、音楽に同化してエゴを消したい。

僕はBタイプの音楽が好きです。
ちなみに、ニューオリンズ音楽もBの方の要素が強いと思うけど、日本で「ニューオリンズ」とうたってやってるミュージシャンのほとんどは、Aタイプなのが悲しい。

Bタイプのような、いわばエゴのない音楽って、そもそも音楽ビジネスに向いてないんですよね。
だって、お金を儲けることと対極のスタンスなわけだから。
生活の一部としてローカルなシーンで大事にされている例えば伝統音楽や宗教音楽に、たぶん近い感じ。

っていうようなことを少し前の花見の席で話したんだけど、どうにも伝わらなくてもやもやしてしまったので、ブログ書いてます。


エゴのない表現というのは、こないだ見に行った「アウトサイダー・アート」に通じる気もします。
彼らは、邪念がない。 
人気や評価やお金を得るのが動機じゃない。
絵を描きたいから描いてる。
その、描きたい!という、気持ちの源泉みたいなものが、色や構図やモチーフや技法やコンセプトなんかを飛び越えて、にじみでてくる。
それが、いい。

音楽でも「アウトサイダー・ミュージック」という呼び方があります。
いわゆる障害者の演奏だけではなく、広く「ちょっと変な」「狂気を感じる」「ピュアな」音楽を含めて使われています。
ずいぶん前に、『アウトサイダーミュージックのおもろい世界』という編集盤を買ったら、そこにはダニエル・ジョンストン、シャグス、レジェンダリー・スターダスト・カウボーイなどの、僕の愛する「ロック」ミュージックも入っていて、なるほど、と思いました。
中でもダニエル・ジョンストンは、「ピュアさ」が際立ってる。
まあ彼は実際、メンタルも不安定なんだけれども。

高度な技術を駆使した上質な表現も素晴らしいと思うけど、それよりもなぜか、拙くてもエゴのない表現にひかれてしまう。
なんでなんだろうか。


偶数月に、バンジョーの坂本さんと演奏してます。
坂本さんは、ピュアです。
仙人みたい。
なんの欲もエゴもなくて、息をするみたいにポロンポロンとバンジョーを弾く。
僕も坂本さんの隣で、自分を空っぽにすることを意識して演奏します。
それでも、あとから録音を聴くと、坂本さんと比べて自分がまだまだ「上手く演奏したい!」という色気にまみれていることが分かって恥ずかしい。  

ちなみに、まるで対極のようなGolden Wax Orchestraのときも、自分のエゴを消すつもりで、やってるんですよ。
そう思って聴いてみてください。
わかってもらえたら、うれしいです。

2017年4月5日水曜日

アーヴィング・ペンを知った

写真集を買いました。
『アーヴィング・ペン全仕事』

大判、194ページ。
展覧会のカタログとして編まれたものなので解説が多く、読みごたえがあります。
そのぶん写真が小さい箇所もあるけど、入門用としては、いいのかもしれない。

そう、この写真集は僕にとって、まさに写真入門。
積極的に写真を見ることは、いままでなかった。
いろんな写真に接することはあっても、かっこいいなーくらいにしか思わない。
心が動かされることが、なかったんです。
写真や絵は、分からないと思ってました。
向いてないんだろう、と。

きっかけは、先月、ポートレイト撮影の被写体になったこと。
打ち合わせ段階で、参考にと見せてくれたのが、アーヴィング・ペンの写真でした。

ピカソやマイルス・デイヴィスの写真など、見たことあるものも多い。

衝撃を受けました。
すばらしい。
それから撮影までの数日間、毎日パソコンの画面でアーヴィング・ペンの写真を眺めては、ため息をつきました。


調べてみると、ファッション写真家として有名なんですね。
VOGUEの表紙など、目にしたことのある写真も。
数年にわたってイッセイ・ミヤケの写真も手がけていて、それらは一冊にまとめられています。

「芸術」「作品」寄りのものもあって、そういうのもいいんだけど、やっぱり心が動かされるのはポートレイト写真です。
もっとじっくり見たい。
手元に置いて、好きなときに眺めたい。
と思って、写真集を買いました。
特定のカメラマンの写真集を買うのは、生まれてはじめてです。
本当は、『Portraits』という写真集がほしかったんですけどね。
高い!
これ、どこを探しても2万円くらいします。
いつか買いたいけど、いつになるか。


それにしても、この状況ってどうなの?
アーヴィング・ペンなんて、写真の歴史における重要人物のひとりでしょう。
その作品に気軽に触れることができないって。
僕が今回買った本だってもう絶版で、探して安く手に入ったからいいけど、Amazonの中古相場は8000円くらい。
ペンの写真集はだいたいどれも10000〜20000円以上します。
他に教えてもらった中で、ヨゼフ・クーデルカの作品も気になるんだけど、写真集はやっぱり安くて5000円からで、1万円以上も普通のよう。
図書館にも置いてない。

せっかく写真に興味を持っても、そこから先に進むのに敷居が高すぎます。
過去の重要作品くらい、誰でもアクセスできる環境になればいいのに。
そうしないと、わかる人だけわかればいい、「お芸術」になってしまうと、思うんですけどね。

こんなにも写真に出会いづらい現状で、アーヴィング・ペンを教えてもらえたことを、とても嬉しく思います。