カウリスマキ!


『希望のかなた』を見てもりあがって、続けて『ル・アーヴルの靴磨き』のリバイバル上映も見てきた。
いやー最高だ。

カウリスマキの映画って、人物の内面なんて描かないし、ストーリーもあってないようなものだ。
登場人物は、まるで機械みたいに役割を決められてて、プログラム通りに動く。
人を助けたり好きになったりっていう、感情が動くような場面でも、いっさい説明がないし、役者も感情表現をしない。
どの作品が忘れたけど、男女が出会ったとたん、ほぼ会話もなく無表情のままに、「結婚しよう」「いつ?」みたいな展開をする。

ストーリーだって、いわゆる起承転結どころか、伏線も前後の繋がりもないことが多い。
奇をてらった内容ではないから意味はわかるけど、クライマックスなんかとは無縁で、とにかく出来事が淡々と続く。
「衝撃のラスト!」「泣いた!」とかいうクソみたいなキャッチコピーは、ありえない。
脚本だけ抜き出しても、きっと面白くないだろう。
ストーリーや人物描写、っていう個々の要素をどうのこうの言う映画ではない。

と思うんだけど、人物やストーリーの背景を想像しながら見る、という人が意外に多いみたいだ。
たとえば、彼はきっと過去にいろいろあったんだろう、とか、彼女はこう思ったからああしたんだろう、とか。
そうやって、既成の映画のフォーマットにあてはめて解釈するのは、どうしても違和感がある。
一切の説明がないぶん自由に想像できるし、書いたり話したりするには言語化しなきゃいけないんだろうけど、どんな感想も、テーマやストーリーについてのものが多くて、辟易する。
そんなの、どうでもいいのに。

ぼくは、考えながら見るのが苦手だ。
あとから頭の中で整理したり、意味を発見したり、ということを、あんまりしたくない。
そうして未整理にしてるから、なんでカウリスマキの映画が好きなのか、まったく自分でもわからない。
甘いものが好き、とか、青が好き、とか、そういう感じに近いのかもしれない。

言葉で説明できる感情なんて、くだらない。
言語化できないものが、大事なんだよ。

とにかく、特殊な監督だ。
役者もいつもおんなじメンツで、今回あの人はこの役なんだ!みたいな楽しみもある。
そもそも、どの作品もテイストが似てるから、どの映画でどの役をやってたのかも混じってしまって思い出せなかったりするくらいだ。
名前もフィンランド語だから覚えられないし。
まるで劇団みたい。
劇団カウリスマキ。

なんでこんなに深く心を動かされるのか、まったくわからない。
わからないから、何度でも見たい。

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